4日目 本を読む
ぺらり、ぺらりとページをめくる音だけがひびく。
読書に没頭する雷太の周りには赤や黄色や色とりどりのアルフェーイたちが静かに浮かびたたずんでいるが、どうやら気体でできているらしい彼らはどれだけはげしく動いたとしてもそよ風も起きない。したがって雷太の読書の邪魔にもなりえなかった。
それにしても、カッシェルフの蔵書は見事なものだった。大小かまわずざっと数えても五万冊はくだらない。これは日本でいう町立図書館に匹敵する数で、個人の所有数として考えると破格だ。
しかも管理は湿度管理と温度管理を得意とするらしいアルフェーイが複数体、交代で行っているため、維持費もほぼかからず最適な状態を維持している。
実に状態のよい書物たちから、まず雷太が選び出したのは童話のようなものを纏めたものと、辞書だった。話し言葉はほぼマスターしたといっていいだろうが、文字の読み書きはまだまだ不完全。辞書だけを眺めても解読には時間がかかるが、童話や絵本など、あまり難しくない用例と照らし合わせながら読み進める事で解読の効率は格段に伸びる。
こうして雷太はたったの一時間で日常的な読み書きをマスターした。ほとんど機械任せだったが雷太自身もいくらか感覚的に単語をおぼえた。
次に手に取ったのは魔法に関する研究本だ。
この世界においての魔法は、世界を読み解くための手段の一つであり、読み解いた上で世界を自分たちに有利なように作り変えるための手段であった。つまりは地球においての科学技術と同じポジションにあるようだった。
もっとも、強く念じたり呪文を唱えたり、不思議な紋様を描いて力をこめるだけで望んだものに近い形で現象が現れるのだから、手法としての科学とはまったく異なる。
しかし、念じ方、呪文の並び、紋様の特徴や変移など、さまざまな部分に法則を見つけ出し、突き詰める考え方は科学とよく似ている。
たとえば、同じ念じるにしても、火を求めるためにただ燃えろと念じるか、木の枝に狙いを定めて燃えろと念じるかでは火のつき易さが変わる。
たとえば、同じ呪文を唱えるにしても、「水集まる雲と雨」の順と「雲集まる水の雨」の順では降り始めるまでの時間と降雨量が違った。
たとえば、大地をあらわす□の紋様の中に水をあらわす○の紋様を描くのと、その逆では紋様の中に現れるものが土か泥かの違いが出た。
なぜ念じたり呟いたり絵を描いたりするだけでそういった現象を起こせるのか、という根本的な疑問は結局解明できなかったようだが、書物に残された膨大な量の知識を雷太はすさまじい速度でスーツの記録媒体に入力していき、入力されたデータはプログラムが半自動でデータベース化していく。
具体的には、百ページ相当の薄い書物では読了と入力にかかる時間がおよそ五分。一千ページ相当の分厚いものでも十五分ほどで読了し、入力は平行して行っているためプラス二分ほどで完全に記録し終える。
そのまま四時間、五時間と魔法関連の書物を読み漁ったところで、さすがに目に疲れを感じ始めた雷太は休憩をとることにする。ついでに、解読プログラムが吐き出したデータキャッシュも削除しておいた。
周りを見ると、先ほどまで周りを漂っていたアルフェーイたちが数えるほどしかいなくなっていた。残っているものも、もともとこの書庫という場所が好きでとどまっているものと、書物の管理を任されているものたちだけだ。
頭を使って小腹が好いたと感じた雷太は、このまま携帯食料を取り出そうとするが、ここまで大事に保管されていた書物を少しでも汚してしまっては申し訳ないとおもい場所を移すことにした。
それにしても驚くべきはカッシェルフ邸だ。地上部分はほとんど掘っ立て小屋のようにしか見えなかった。ところが、あまり使われていないらしい土間、もといキッチンのわきにあった小さな引き戸を開くと、地下へと続く階段が現れた。
わくわくしながらそこを降りると右手には研究のために使うであろう機材。左手には今まで雷太が居座っていた書庫が広がっていた。今は逆に、その階段をのぼっている。
「おっ……」
雷太が地上に出ると既に恒星がのぼっていた。この恒星も幾重にも減光処理をかけると地球のものよりいくらか青みがかっていて、故郷の太陽とは違うと物語っていた。とはいえ、処理をかけなければ太陽と変わらない。朝焼けでもなければ朝日は白いし、夕焼けは赤かった。
昨夜、遅くまで語り明かしたカッシェルフは、どうやら久々の客人との会話ということではりきってしまっていた、それで自分の疲労をただしく把握していなかったのだろう。ある時ふっと会話が途切れたかと思えば、カッシェルフは体力を使い果たして子供のように寝落ちしていた。
言葉が通じないながらもアルフェーイたちの先導のもと寝室に運び込んで寝かせると、手持ち無沙汰になった雷太は不躾とはおもいつつも家捜しをはじめ、結果見つけたのが書庫へ通じる階段だった、というわけだ。
「む、おはよう。書庫におったのか。まだ文字は教えて……いや、おまえにこんな事をいうだけ無駄か」
「おはよう。もういいのか?」
寝起きにもかかわらずいろいろな事を一瞬で考えたカッシェルフは雷太について詳しく考える事をやめた。ほとんどスーツと付随するさまざまな補助プログラムのおかげなのだが、カッシェルフは雷太自身が優秀なのだと勘違いしているふしがある。
一方で雷太は、既に千年以上は生きているといってはばからないカッシェルフを心配せずにはいられなかった。べつに雷太がおじいちゃんこだからというわけではなく、カッシェルフがただでさえ経験豊富で、それでなくとも現状で唯一の協力者となってくれるかもしれない原住民なのだから、探索者として心配する気持ちがほとんどだ。
「うむ。わたしの方は何も問題ない。病にでも罹らなければあと百年は期待しておる」
そういうカッシェルフの風貌は、わかりやすい魔法使いの老人だ。ボロのような生地のローブで全身をつつみ、長い髭をたくわえ、樫か何かの節くれだった木の枝をそのまま使っているような大きな杖を傍らに携えている。無造作に伸ばされた白髪のと白髭の合間に見える素肌にも深いしわが刻まれ、千年生きているといわれても信じてしまうだけの説得力をもっていた。
ただ、いま重要なのは杖をつくのではなく携えているという点だろう。どうやら杖をつかなくては歩けないようなやわな体ではないらしい。
「そりゃあうらやましい限りだ」
唐突に寝落ちした姿を思い出した雷太はやや苦味のまじる笑みを浮かべながら素直に羨望の言葉をおくったのだった。
帰還可能時刻まで、およそ225時間。
誤字とか、脱字とか、最初に言い出したのは、誰なのかしら