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はじまりの物語6

「──だから何度言えばわかるんだ!」

「わからないのはあなたの方よっ!」

 聞き慣れた二人の男女の怒鳴り声が私の耳に響く。

 ──ああ、またこの夢か……。

 もう幾度も見てきたこの光景に私はただ嘆息を漏らすだけだった。

 この喧嘩はいつ終わるんだろう?

 そう思いつつ耳に入る声は益々ひどくなる一方だった。

 だから私は耳を塞いでじっと耐え続ける。二人の喧嘩を少しでもなくす為に、ひたすらに勉強して……。


「…………ん……ぅん……?」

 目を開けると視界が書きかけのノートで埋まっていた。

 あれ、ここは……?

 重たい頭で視界に映る景色を見つめ、すぐにここが教室だと理解した。

 ……そっか。私、授業の途中で眠っちゃったんだ。

 いつもだったらそんな自分を許せず叱咤するところだろう。けれど今の私にはそうする必要がない。──いや、なくなったと言う方が正しかった。

 ──私はどうすればよかったんだろう。

 一晩考えてみたものの、朝になっても答えを見つけることは出来ず、今も迷いが晴れることはなかった。

「……これからどうしよう」

 不安が口から呟きとなり外へと漏れ出す。そうしたところで何も解決しないことは分かっていたが、止めることは出来なかった。

「とりあえず授業を受けにいくかサボるかのどっちかじゃないかな?」

「──っ!?」

 突然横から声が掛かり、驚きのあまり体が一瞬飛びはねる。勢いよく体ごと声がした方に向けると、そこには何故か坂水さんが隣の席に座って私を見ていた。

「ごめん、びっくりさせちゃった? とりあえず、おはよう」

「お、おはよう」

 笑顔で挨拶する坂水さんについ反射的に返事してしまう。

「それにしてもよく寝たね。一時間目の途中から今までずっと起きなかったんだよ」

 言われて黒板の上に掛かった時計を確認すると、もう五時間目の後半に差し掛かっていた。

「……なんで坂水さんがそこに居るのよ? 席が違うでしょ」

 混乱する頭を無理矢理落ち着かせ、なんとかそれだけ言い返す。

「芳野さんが起きるの待ってただけだよ。どうせなら近くの席の方がいいかなって思ってここに座ってたんだけど、迷惑だった?」

「迷惑よ」

「う……、そこまではっきり言わなくても……」

 私の言葉に目に見えて落ち込む坂水さんを無視して教室を見渡す。寝ぼけと坂水さんのせいで気にならなかったことが今更ながら気になってきた。

「他のみんなはどこに行ったの?」

 私は自分で考えるよりも答えを知ってるであろう坂水さんに直接訊くことにした。

「みんなだったら音楽室に行ってるよ。今日は曲を聴くって前回の時間に先生が言ってたでしょ?」

 落ち込んでたと思ってたらもういつも通りの態度になっている。羨ましいくらいの切り替えの早さだ。

 とりあえず他のみんなが居ない理由は分かった。なら──

「どうしてあなたはここに居るのよ? 私と同じように眠りこけてたわけでもないでしょ」

 仮にそうだったとしても、彼女には私と違い起こしてくれる友人が何人もいる。この場に居る明確な理由が思い当たらなかった。

「実はね、芳野さんを起こそうと思って残ったんだけど」

「は? 私を起こそうとした?」

 わからない。それで坂水さんに一体なんのメリットがあるとゆうの?

「なんだけど、ぐっすりと眠ってる芳野さんを見てたら起こしづらくて。起きるまでここで待ってたんだよ」

 あははと笑う坂水さんに嘘を言ってる様子はない。本当にそれだけの理由で授業をさぼったようだ。

 つまり損得の計算が出来ない馬鹿な人ってわけか。

 坂水唯音とゆう人間に私はそう結論づけた。

「それでこの後どうする? 音楽室に行く? それともサボる?」

 坂水さんに訊かれた私は少し考え込む。いつもだったら行く以外の選択肢なんてなかっただろう。だけど今日は……。

「ここに残ることにするわ。今更行ったところで肝心の曲は聴き終わってるでしょうし、何より他の人の授業の妨げになるわ」

「そっか。じゃあ私もここに残ることにするよ」

「はい? なんで坂水さんまで残るのよ? 一人でも授業を受けに行けばいいじゃない」

「そうゆうわけにはいかないよ。だって私は芳野さんを起こすとゆう名目でここに残ったんだよ。そんな私が一人で行ける訳ないよ」

 それは遠回しに私に授業を受けろと言ってるの?

「でも一番の理由は、行っても欠席扱いの授業を受けるより、こうしてのんびり羽を伸ばしだいってだけなんだけどね」

 言いながら坂水さんは机に体を預けてだらけだす。やや小柄な体躯に子供っぽい仕草が相まって、なんだか年下を相手にしてる気分になってきた。

「……好きにすればいいわ。けど騒がしくはしないでよ。先生に見つかって怒られるなんて私はごめんよ」

「りょーかい。じゃあこれは今のうちに渡しておくね」

「え、これって……」

 坂水さんが取り出したのは四冊のノートだった。

「午前の分のノートだよ。ずっと寝てたから写せてないでしょ?」

 満面の笑みを浮かべて私にノートを差し出す坂水さん。戸惑いながら彼女とノートを何度も見てしまう。

 たしかにノートは必要だ。けど一番関わりたくない彼女から借りるのは些か抵抗があった。

 でも誰かからは借りないといけないし。だけどそんな友人、私には……。

 しばらく悩んだ末、

「──出来るだけ早く返すわ」

「うん。でもそんなに慌てなくても大丈夫だよ。必要なのは休み明けだからそれまでに返してくれればいいよ」

 彼女には予習復習をする習慣はないのだろうか?

 屈託のない笑顔を向ける坂水さんからノートを受け取ると、私はすぐに開いて写しはじめる。

 坂水さんのノートは意外にも丁寧で見やすかった。たまに隅っこに可愛らしい落書きもあったが、丸っこい字も相まってそれは女の子らしいノートに仕上がっていた。

 ──それに比べて、私のは必要なこと意外なにも書かれてない無機質なノートね。

 こういった所にも私達の性格の違いはよく出ていた。坂水さんは見た目通りの可愛らしい女の子。そして私は実用性重視の可愛げのない女だってことだ。

「へえー。綺麗な字だし必要なことが見やすく書かれてる。まさに実用性重視って感じのノートだね」

 考えてたことと全く同じことを言われ驚いて顔を上げる。するとちょうど真ん前に坂水さんの顔があった。

「──っ!?」

 突然のことにびっくりして、私は勢いよく体を仰け反らせ坂水さんから距離を取る。

「いきなりどうしたの?」

 そんな私を不思議そうに見つめてくるが、できるだけ動揺を表に出さないようにと心を落ち着けてから坂水さんに話し掛けた。

「……なんでそんな所で私のノートを覗き込んでるのよ?」

 平静を装おうとした結果、感情も動揺と一緒に押さえつけてしまった。きっと今の私は相当不機嫌に映っているだろう。

「ああごめん。邪魔しちゃった? やることなくて暇だから、ついね」

 けれどそんな私に坂水さんはまったく気にした様子もなく、当たり前のように普通に話し掛けたくる。よほど図太い神経をしているに違いない。

「なら今からでも音楽室に行けばいいでしょ。暇だからって人にちょっかい出すのは止めてもらえるかしら」

「はい、ごめんなさい……。──それはそうと私、芳野さんに話があるんだけど」

「人の話、聞いてた? それに切り替えが早過ぎるわよ! あと今の謝罪はなんだったのよ?」

 けれど私の心情なんてお構いなしに坂水さんは言葉を続けた。

「昨日のことだけど、もう一度きちんと謝らせて欲しいの。迷惑掛けて本当にごめんなさい」

 そう言って坂水さんは深く私に頭を下げる。

 昨日のこと……?

 何のことか分からず記憶を掘り下げ、すぐに昼休みの出来事に思い当たった。

「そのことならもういいわ。別に気にしてないし。──てゆうか、言われるまですっかり忘れてたわよ」

「でも非はこっちにあったのに嫌な思いをさせちゃったのは確かだから。これでもずっと気にしてたんだよ」

 正直、そんな風には全然見えなかった。まあ坂水さんにもそれなりに常識はあったとゆうことか。

 自分の中の坂水さんの評価が少しだけ変わるが、それでも私が抱く坂水さんに対する感情が変わることはなかった。

「話はそれで終わり? なら私は早くノートを写してしまいたいのだけど」

「ううん、もう一つだけ。今度は聞きたいことなんだけど」

「なによ? 手短にお願いしてもらえる」

「ありがと。──あのね、芳野さんはどうしてそこまで必死になって勉強してるの?」

 その質問に思わず私の全身が固まる。

 坂水さんにとっては何気ない質問だったかもしれない。けれど私にとっては一番触れて欲しくない話題だった。

「……私はこう見えて負けず嫌いなのよ。やるからには一番になりたい、それだけよ」

 無難な答で誤魔化す。本当のことは言いたくないし、相手が坂水さんなら尚更話したくない。きっと何の力にもならないだろうし、なにより──

「そっか……。芳野さんならきっとなれるよ。こんなにも頑張ってるんだから」

 ほら、こんなにも簡単に騙される。

 それを思うと私を励ます言葉も笑顔も滑稽にしか見えなかった。

 ──私の問題はこんな単純な人にどうにか出来るほど軽くはないのよ。

「話はそれで終わり? ならそろそろノートを写してもいいかしら」

「うん。邪魔しちゃってごめんね。私は自分の席で静かにしてるから」

 会話を打ち切られ坂水さんは大人しく席へと戻っていく。その後ろ姿を見送り席に着いたのを確認してから私もノートを写しはじめた。


 ──この時、私は最後まで気付くことはなかった。坂水さんがどんな表情で私を見てたかなんて……。



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