不運の転入初日
転入初日、SHRでの挨拶!
新しいクラスメイトとの初顔合わせ!!
ご近所以外の、妖怪の方々との初めての交流!!!
さっき起こったトラブルなんて、なんのその!!!!
ワクワクが止まらない、新たな環境への変化と修行への始まりに、私は胸を高鳴らせ……。
◇
そして、見事に玉砕されました……えぇ、既に挫折しそうです。
「え~それでは、お前らの新しい仲間から自己紹介があるから……」
そう言って、無事、転入を果たしたクラス担任の先生が、教段の下に立っている私に、視線を向けてくる……これは、私に自己紹介をしろと促しているのだろうけど、まずは、このクラスの状況を見渡してから言って欲しいよ、本当に。
「えっと……私立聖上女子高等学校から転校してきました、安部鏡花と言います。実家が陰陽師の家系で、この学校には修行のために来ました。これから残りの二年間、よろしくお願いします」
私は、なるべく元気良く自己紹介を述べながら、45℃に上半身を傾ける理想的な一礼を、目の前にいる29人の新しいクラスメイトの人たちに向ける……そして、ゆっくりと長い黒髪を揺らしながら頭を上げると。
『おい、見ろよ……』
『あぁ、美味そうな肉付きをしてやがる』
『可愛いなぁ……特に、あの“眼が美味そうだ”』
『へぇ~……ねぇ? あの娘って、“こっちの世界”に興味ありそうかな?』
『さぁ? でも、それっぽい雰囲気はあるから、一回押し倒してみれば?』
自分達とは異なる種族である、私に対して、様々な会話のやり取りが行なわれていました。
そこの男子生徒、明らかに蛇みたいに二股に別れた舌で、私を見ながら舌なめずりするのは止めてください……本当に背筋に悪寒が走ったから。
窓際のボーイッシュな赤髪をした女の人、眼とか言わないで、私を食べても、絶対に美味しく無いよ。だって、ジャンクフードとか大好きだから、きっと体に悪い老廃物とか溜まってるだろうから。
えっと、その……廊下側の最後列のお二人、というより“お姉様がた”。私を、そんな眼で見ないでください。なんだか、恥ずかしくなってくるので……てか、あなた方、隠す気も無さそうな尻尾の先が“ハート型”だから、サキュバスですよね? サキュバスって、普通逆の趣向に旺盛な種族なんじゃないですか? なんなんですか“こっちの世界”って!? 私、それっぽい雰囲気なんて、これっぽっちもありませんから!!
「じゃあ安部の席は、そうだなぁ~……」
私の自己紹介が終わったと見ると、ごく一般的な机や椅子が並べられた、三十人学級によくあるクラスの風景を、担任の先生が教卓に両手をつき、教段の上から見渡す。すると、窓際最後尾の机と椅子に座る、一人の女子生徒が、プラプラとダルそうに“ここだ”と自分の存在を主張しながら手を挙げ始めた。
「うん? どうした九尾?」
どうやら、その自己主張が先生に届いたようで。聞かれた女生徒、九尾妖狐さんは、何やら良い事を思いついたかのような笑みをニヤリと浮かべながら、黒板の前に立つ私に視線を向けた。
その少しだけ吊り上った、切れ長の綺麗な瞳と眼が合った瞬間、私の胸の鼓動に、ドクンと跳ね上がるような感覚が襲った……心なしか、両頬が熱い。
「鏡花とは、さっき知り合った仲での。席ならちょうど、私の隣が空いてるから、そこに座らせればよい」
先生とは眼を合わせず、私に視線を向けたまま軽い声音で、そんな事を言う妖狐さん……。
きめ細かでガラス細工の様なストレートロングの金髪に、細く整った顔立ちと輪郭、モデルを思わせるスレンダーかつ、出るとこは出ている背の高いプロポーションは、とても同年代とは思えない、大人びた雰囲気を醸し出していて……だけど、ふんぞり返って座っている姿で、その辺は±0といった所に落ち着いていた。でも、それでも、本当に綺麗な人だなぁ……。
「そうなのか、なら安部。あそこで手を振っている、横柄な奴の隣に座ってくれ」
「……あ、はい、分かりました!」
「うん? なにを、そんなに驚いたような声を出しているんだ」
「いえ、別に何でも無いです、えへへへ……」
いまだ眼を合わせ続けている妖狐さんに、いつの間にか目を奪われていたのか。
私は、先生から掛けられた声に、一拍の間を開けた、ちょっとだけ上ずってしまった返事を返してしまう……なんだか、今日は色々と調子が狂うことばかりだよ。
やっぱり、新しい環境って、無意識の内に緊張しちゃうのかな……さっきから、朝もそうだったけど命の危険だって感じてるし。
そんな事を考えながら、私は妖狐さんと眼を合わせたまま、高鳴る鼓動を抑えながら、先生に指定された席へと歩いていく……あれ? なんで私、妖狐さんから“眼が離せない”んだろう。それに、近づく毎に、胸の高鳴りが抑えられなくなってくる……体が、火照ったように熱い。
「ほれほれ、早く、ここに来るのだ……」
私の様子を知ってか知らずか、妖狐さんは、そう言って、妖艶な微笑みを浮かべながら手招きをしてくる……それに、つられるように吸い寄せられていく、私の意識と体。
窓際の列と、その次の列の間を歩きながら、私が何だかぼ~っとしていると……。
パンッ!!――――
「うわッ!? ……あれ?」
先生に促された席まで、あと数歩と言うところで、突然、私の耳に誰かが手を叩く音が響いた。
その短くも頭にまで響いた音に、これまでぼ~っとしていた、私の意識がハッキリと覚醒する……言うなれば、ちょっとした眠りから覚めたような、そんな感覚でした。
私の意識がハッキリとして、体の火照りも何もかも正常に戻ると、何やら視線の先で、さっきまで私の事を手招きしていた妖狐さんが「ちッ!」といった、忌々しそうな舌打をしていた。
「悔しがるのも勝手ですが、少々お遊びが“下卑にも程がある”のではないでしょうか? 尻軽狐さん?」
「はんっ! おぬしには言われたくないわ! この色情魔の小娘ヴァンパイアが!」
私のちょうど後ろ辺りから、どこか透き通る様な少女の声が聞こえてきた……そして、窓際最後尾に座っていた妖狐さんが、その白面の眉間に皺を寄せながら、これまでふんぞり返っていた体勢から、机に手を付き、前のめりになってまで、声の聞こえてきた方向に妖気が漏れ出すほどの睨みを向ける。
「色情魔ですって……っ」
意識が覚醒し、正常な判断が出来るようになった私は、流石に妖狐さんが、これほどの睨みを向ける相手が気になったので、後ろを振り返る……すると、ちょうど教室の半分辺りの窓際の席に座りながら、こちらに首だけを向けていた、一人の“少女”と目が合った。
「ォ、オホンッ! べ、別に何と言われようと、このヴラド家の娘である私が、アナタみたいな、年中盛りきった品性の欠片も無い振る舞いしか出来ない下賎な女に、人並みの興味を抱くことなんてございませんので……そんなに睨んだところで、アナタ自身の底が浅くなっていくというものですわ」
私と目が合った瞬間、まるでフランス人形の様な少女は、何かを誤魔化すかのように咳払いをしながら、睨みつけてくる妖狐さんに、冷めた視線を送る……だけど、その色白で小さな体全体から出る禍々しい妖気は、妖狐さんから漏れ出ている妖気と比べても、ほとんど差が無い程に強力なものだった。
それに、この妖気の感じ……日本の妖怪とは異なった感覚だから、多分というより、容姿から見ても海外の妖怪、つまり“妖魔”のものだと断言できる。
「ほぉ~……この私が、年中盛りきってる品性の欠片も無い女とはのぅ。まさか、おぬしにそれを言われるとは……いやはや、世の中分からないものだのぅ」
「な、何が言いたいんですの?」
妖狐さんとは違った、軽いウェーブのかかった長いブロンドヘアーが特徴的な少女は。どこか含みのある妖狐さんの口調に、努めて動揺を隠すように視線を流し目で妖狐さんから外していく……何この娘、私にすら動揺を見抜かれるなんて、凄く正直者で可愛い。
そんな少女の様子に“してやったり”と感じたのか、妖狐さんが、いやらしい微笑みを浮かべながら口を開いた。
「おぬし……一昨日、童子の部屋を覗いていただろ?」
「なっ!? なんの事かしら、私にはアナタが何を言っているのか理解できませんわ。ちゃんと、現代人にも分かる言語を話してくださらない?」
「あまり私を舐めるなよ? おぬしが一昨日の夜、童子の部屋を、使いのコウモリを通して覗いていた事など、とうに気付いているのだぞ?」
「な、ななな何のことかしら! わ、私にはサッパリですわ!」
「あれだけコウモリに、おぬしの妖気がこびり付いていれば、誰だって分かるものだがのぅ……それで、ばれてなかったと思っていた辺り、やはり、おぬしは救いようも無い小娘だ」
「い、言うに事欠いて、救いようも無い“ペッタンコ”な小娘ですってぇ!!」
ガタリと、私と同じ制服を着た、背の低い少女が、そのアーモンド形にハッキリと見開かれた、コバルトブルーの瞳を“血の様なワインレッド”に変色させながら、机の椅子から立ち上がった。
その細い四肢と白い肌は、本当に華奢な雰囲気を醸し出していて、身長や容姿だけを見れば、とても15・6歳とは思えない幼い印象を、周囲に与えていたのだけど……さっきよりも、全身から溢れ出している妖気が、更に強力になっていっているのを見る限り、並みの妖怪なんて、少女がその気になれば一瞬で消されてしまうだろう。だけど、今の二人の言い合いを見ていれば、なんだか危険な感じは一切しない……むしろ、微笑ましいと思ってしまうぐらいだ。
「別に“ペッタンコ”とは言っておらんだろう……まあ“絶壁”なのはフォローしようが無いがのぅ」
呆れたように言いつつも、表情は勝ち誇りながら、自分の胸に手を添える妖狐さん……。
「ぜ、絶壁……っ」
それに文字通り絶句する、お人形さんの様な少女……。
確かに、あれ程の胸を見せびらかせられると、戦力の差を痛感せざる終えない……分かる、分かるよ、その気持ち。
だけど、少女は違った……その小さくても、魅力的な膨らみのある唇を震わせながら、何とか反撃のために口を動かした。
「ま……まあ、胸の大きさは、この際、置いておくとして」
「それは仕方ない事だ。“勝てない勝負”をする程、時間の無駄は無いからのう」
「……」
ぐぬぬぬぬ……と、親の仇でも見るかのような目で、妖狐さんを睨み続ける少女。
頑張れ、負けるな! 君が奮い立てば、同じ胸の無い人たち(特に私)の希望になる!!
「先ほど、年中盛りきった尻軽狐女と、私は言いましたよね?」
「……うむ」
両腕を胸下で組みながら、その鋭い視線を更に強める妖狐さん……。
しかし、それに構わず、少女は話を続ける。
「それを、アナタは否定しましたけど……なら、さっきのは、どう説明なさるのです?」
「さっきのだと?」
「えぇ、アナタ……さっき、この転入生の安部さんに、私たちヴァンパイアが得意とする“魅惑”を掛けようとしていたのでしょう?」
「む……流石に、バレておったか」
「“魅惑”?」
聞きなれない単語……。
私が頭の天辺に、クエッションマークを三つぐらい浮かべていると。少女がそれに気付いたのか、私に、少しだけ優しげな視線を向けてくれた……正面から見ると、本当に可憐で可愛いといった雰囲気を持つ少女だ。
「人間であると同時に、日本の陰陽師であるアナタには聞きなれない言葉でしょうが。“魅惑”というのは、我々ヴァンパイアが得意とする術の一つです」
「はあ……」
良く分からないので、気の無い返事を返しても、少女は何一つ嫌な顔もせずに、親切に説明を続けてくれた……。
「この術の効力は、文字通り、術に掛けた相手を、術者の虜にするもの……つまり、アナタは先ほど、もう少しで、そこの年中盛りに盛りきった雌狐に、手篭めにされる所でしたのよ」
少女の“気の毒に……”とでも言いたそうな表情を向けられた私は、ゆっくりと、少しだけ怒った様な表情を浮かべながら、ニヤニヤと悪戯娘の笑みを浮かべた妖狐さんに振り向いたのだけど。
「まあ、おぬしも満更でも無かったのであろう? 即興で真似たものとはいえ、あの術は、心に少しでも、そういう隙が無い限りは効果がでんからのぅ」
「で、ですが。まだ今日の朝に会ったばかりなのに……い、いきなり、そんな術を掛けるなんて、ひどいにも程があるじゃないですか!」
人を手篭めにするような術を掛けておいて、何一つ反省の無い妖狐さんに、私は珍しく、少々の怒気を孕ませた声を張る……た、確かに、妖狐さんって、綺麗な人だなぁ~とか思ってたけど、それとこれとは話が別だと思う。
「そう怒るでない。私も、おぬしと早く仲良くしたかっただけなのだ……確かに、やり過ぎてしまったとは思う、すまなかった」
「あ、謝ったって……」
「そうか……謝るだけでは足りぬと申すか」
流石に、簡単には許そうとはしない私に、突然妖狐さんが、シュンと表情を俯かせる……たぶん、頭の上に動物の耳とかあったら、もの凄い感じに垂れていた事だろう。
だけど、こんなに落ち込むなんて……朝からの振る舞いを見るに、妖狐さんって、子供っぽいところもあれば、ちょっとだけ落ち着いたような、大人びた性格の持ち主だと思ってたのだけど。やっぱり、私と同い年の女の子なんだ。多分、これまで妖怪同士だけの交流が当たり前だったに違いない。だから、慣れない人間である私に対して、自信が無いから“魅惑”なんて術に頼ってしまったんだ。
なんだ、可愛いところもあるじゃない……それだったら、これだけ反省した様子を見せてくれているのだから、許してあげないこともな――――
「なら、私のファーストキスを、おぬしに捧げよう……」
「なっ!? なにを言ってるんですか!?」
突然、何を言い出すの!? 妖狐さん!?
あまりの突拍子も無い妖狐さんの発言に、私は頬に熱を帯びさせながら、後ろへと後ずさる。
だって、いきなり女の子同士で、キスをするとか言い出したんだよ!?
そりゃ、誰だって身を引くと思う。
「いや、良いのだ……それだけの事を、私はおぬしにしてしまったのだ」
ガタリと、窓際最後尾の席から、椅子をどかして立ち上がる妖狐さん……心なしか、瞳が潤んでいる様に見えるし、頬も恥ずかしそうに赤らめている。
そしてそのまま、妖狐さんは、私に視線を合わせないまま近づいてきた。
「よ、妖狐さん!? お、落ち着きましょう! 私は怒ってなんかいませんから! ね!?」
身長差が10㎝以上もあるので、私は妖狐さんを見上げるようにしながら、とにかく彼女を落ち着かせようとしているのだけれど……一向に、その紅潮させた、恥ずかしそうな表情を落ち着かせること無く、私の目の前までたどり着いてしまった。
「遠慮などしなくて良い……妖怪の世界では、人の世の様な、同性同士の行為など気にしないのでな」
「遠慮なんかしてませんから! とにかく、一旦落ち着きましょう!」
何とかして、妖狐さんを止めようと、必死に焦る私……。
だけど、そんな願いもかなわず、妖狐さんは、私の両肩をガッシリと掴んでしまう。
「不慣れなうえ、少しだけ粗相をするやもしれぬが……」
私の顔に息が吹きかかるぐらいに近い距離で、囁くように告げられた、その言葉に、なぜか私は、体を硬直させ、唇を必死に紡ぐ事しか出来なくなってしまった。
「精一杯この初めての接吻を、おぬしに捧げる……だから、多少の事は、目を瞑ってくれ」
もはや感じられるのは、緊張に見開かれた、私の眼に飛び込んでくる、頬を赤らめ、目を艶かしく細めている妖狐さんの姿だけ……。
次第に、ゆっくりと近づいてくる妖狐さんの唇……。
白い肌と自然に調和を取っている、ちょっとだけ桃色に見える、魅力的な唇……。
あぁ……私、これは流されちゃうかなぁ。
そうやって、私が人生で初めてのキスを、同性相手に諦めかけた、その時――――
「すみません、おそくなりました」
教室の前の扉を開く音と共に、そんな男らしい低い声が、私と妖狐さんの行為で少しだけ騒がしくなった教室に、不思議と響いてきた。
その声を聴いた瞬間、妖狐さんが近づけていた顔を“バッ!”と離し、私を拘束していた手も同時に離した。
「童子、もう廊下の修繕は……『童子様ーーーーッ!!』
既に――――どうやったのか分からないけど――――赤らめていた頬を治め、さっきまでの白面に戻った表情を、ドア枠よりも大きな体のせいで顔が見えない童子さんに向けた妖狐さんが、言葉を発しようとすると……。
突然、あのフランス人形みたいなヴァンパイアの娘が、椅子を弾き飛ばすような勢いで、童子さんの方へと走り始めた。
童子さんの方へと駆ける彼女は、西洋の妖怪、つまり妖魔の身体能力を駆使して、履いている制服のスカートや、そのブロンドの髪を靡かせながら、狭い教室の机並びを信じられないぐらいのスピードと小回りの良さを効かせながら、疾風の様に突き進み……そして。
「おはようございますーー!! 童子様!!」
“キュルン☆”とかいう効果音が付きそうな、甘ったるい声を出しながら、童子さんの代えのシャツを着た腹部にタックルをかました。
表情や外見、仕草は可愛らしかったのに、そのタックルを童子さんの腹部にかました瞬間、教室中に“ドン!!”という衝撃波が発するほどの音が、一瞬にして周囲に爆ぜた。
同時に、教室中のクラスメイトたちが、机の上に乗っている物が衝撃波に飛ばされないように、必死に抑えている姿も見られた……私? 私は、あまりにも唐突なことだったから、バランスを崩して尻餅を付きそうになちゃったけど、目の前にいた妖狐さんに抱きとめてもらちゃったよ。うん、とても良い匂いがするよ……。
「今日はどうなされたのですか♪ SHRに童子様の姿がお目見えにならないから、このユリア・ワラキア・チェぺシュ・ド・ヴラド・ドラキュラ。胸が焦れてしまいそうでした」
教室中に広がった衝撃波の影響など、明らかに一般的ではない長い名前を名乗った彼女には眼中にもないようで……童子さんの腰に抱きつきながら、可愛らしい子供の様な笑みを浮かべている。
そんな、彼女の愛らしい仕草を向けられつつも、童子さんは「すまない、まだ、先生に報告してないんだ」と言って、腰に抱きついていた彼女を、片手で引き離した……引き離された彼女は「あ、童子様!」と言って、最愛のものと引き剥がされてしまった悲劇のヒロインの様な絶望に満ちた表情をしていた。
「遅れて申し訳ございません、先生」
「おう、別に構わないが、廊下の修繕は終わったのか?」
やたら長い名前の少女……ユリアで良いかな?
ユリアさんを引き離した童子さんは、そのまま190cmを超える体格の歩幅で、教段の上に立っている先生に向かって、深々と一例をした。
「いいえ。どうやら資材が足りないようで、今日一日は手を付けられないと、用務員の“ぬりかべ”さんが仰っていました」
「そうか……で、授業は普通にやっても良いんだよな?」
礼の姿勢を取っていた状態から、ゆっくりと頭を元に戻していきながら、先生の質問に答えていく童子さん。
「それについては、現在、学年主任の方々が集まって話し合っているそうです」
「なるほど……それで? お前に対してのペナルティとかはあったのか? 原因自体を聞けば、ある程度は軽くなっているとは思うが」
先生と童子さんの会話を、私は妖狐さんに体を支えられたまま聞いていたのだけど……そのペナルティというワードが出てきた瞬間。一瞬だけ、妖狐さんが私を支えている手に力を込めた。
どこか、童子さんの様子を心配しているかのように……。
「最初は、近くで見ていた先生が、ペナルティは無しでも良いと仰っていたのですが。校舎を破壊したことには変わりは無いので、自分から申し出させて頂きました」
「ほう……まあ、社会で生きていくなら、それくらいの責任感は持ってもらわないと困るからな。先生は嬉しいぞ、お前の様な生徒がクラスにいてくれて」
「ありがとうございます。自分も、先生のクラスに在籍できた事を、誇りに思っています」
「そうかそうか。そう言って貰えると、先生も教師冥利に尽きるってもんだ……どっかの誰かさんは、先生である俺に対して、ため口どころか横柄な態度を取っているからな」
言いながら、先生は私の後ろにいる妖狐さんに視線を向ける……。
「ふん……私に敬語を使って欲しいのなら、それなりのものになることだな」
妖狐さんは、そう面白くもなさそうに言いながら。先生から童子さんへと目を向ける。
「それで童子よ。結局、おぬしが申し出たペナルティは、どうなったのだ?」
「それも今、学年主任の方々が話し合ってくれている」
言葉遣いだとか、佇まいだとかは、確りとしているのに……やっぱりどこか、童子さんの眼は眠そうで、喋る口調もゆっくりとしたものなんだけど、周りの人は、それについて一切気にして無いようだったから、多分、朝から今までの間も踏まえて、これが童子さんの普通の話し方なんだろうと、私は当たりを付けた。
ま、今はどうでも良いことなんだけどね。
「良いといわれた罰を、自分で受けるか……どこまで馬鹿なのだ、おぬしは」
「すまない」
「すまないではない! おぬしが罰を受けると言う事は、とばっちりが私にも来るかもしれぬということなのだぞ!!」
「ちょっと妖狐さん! あまり童子様を悪く言わないでもらえます!?」
妖狐さんが童子さんに声を張り上げると。いつのまにか、先ほど引き離されたユリアさんが、再び童子さんの腰元に引っ付くようにして、二人の会話に割り込んできた。
うん、この状況は、私でなくても分かるよ……確実に、話がややこしくなるね。
「おぬしには関係ないことだ、今は引っ込んでいてくれぬか? これは、私と童子という“バディ”の問題だ」
「あらそうでしょうか? 今回の元々の原因は、最初にアナタが、そこの安部さんを職員室まで一人にしてしまったことが原因でしょうに……。副委員長である私にとっては、転入早々、トラブルに見舞われてしまったクラスメイトをサポートするのは義務とも言える事ですので……その諸悪の根源に指導を与えるのは当然のことだと思いますが?」
童子さんの腰元で虎の威を借っているユリアさん……。
そのこちらを見下す視線は、言外に勝ち誇っているかの様で……。
というより、どうして、私たちの朝の様子を知っていたのだろうか?
あ、そうか。さっき言っていた、コウモリが何とかって話しか。
「ふん! 副委員長だろうが何だろうが、おぬしは“ここのルール”も忘れたのか? 序列で自身よりも上位の存在に意見するとは……ヴァンパイアだけに、命など捨てるほどあるということか?」
鼻で笑いつつも、明らかに殺気立ち始めた妖狐さんの妖気の流れ……。
その妖気から感じられる妖力の強大さに、教室中の人たちが緊張に息を呑む。
妖怪というのは、お父さんが言うには、限りなく野生に近い本能と感性を持っているらしい……多分、今も妖狐さんの妖気に触れて、本能的に危険を察知しているのだと思う。だけど中には、その強大な妖気の中でも平気そうな顔をしている人たちがいる。
それは常に眠そうな顔をしている童子さんに……その腰元で威を借っているユリアさん……更には先生に、意外と霊力だけは強い私……そして、最後に。
「その辺にして頂けませんか、妖狐さん? ユリアも悪気があった訳ではないのです。だから、ここは妖気を収めてはくれませんか?」
突如、妖狐さんとユリアさんの間に割って入ってきた、この長身の男性。
眼にかからない程度に伸ばされたブロンドの髪に、全てを見透かしたような赤く鋭い瞳。細く整った顎や鼻などのパーツは、本当に絵に描いたような完璧な造形をしていて、美男子とは、こういう事を言うんだなと、この時、私は始めて理解した。また、長身といっても、別に細くひょろ長いという訳ではなく、筋肉が引き締まった、いわゆるソフトな体系をしている……なぜ分かったのかと聞かれれば、それは、この男性の人がなぜか、ワイシャツにネクタイを着けておらず、第四ボタンぐらいまで肌蹴させているからだ。
だけど、そんな事よりも気になったのが、この人の現れ方だった。
「妖狐さん……今、あの人、“いきなり現れました”」
あまりに不思議な出来事だったので、私はつい、いまだ絶賛妖気漏れ出し中の妖狐に尋ねてしまう。
しかし、当の妖狐さんは、さもあらんといった表情で答えて見せた。
「あれは、あやつらヴァンパイアの種族が、長年かけて作り上げた“透明化”というやつでのぅ。光の屈折を特殊な妖気の膜でコントロールし、いわゆる透明人間になる。主に変態が好んで使う術だ」
「妖狐さん、流石に訂正させてください。初対面の安部さんが、完全に引いていますから」
そりゃ引きたくもなると思うんだ……だって、透明人間だよ?
いくらカッコよくて背も高くて美形な感じの人が、なっている人だとしても。そんないやらしい術を会得してる時点で、女性である私は身を守らないといけないと思うんだ。
故に私は、妖気をまだ出し続けている妖狐さんの背中に隠れた。
「おぉ、そうだ。怪しげな術を使う変態からは、確りと身を守らねばならんからの。安心しろ、そこにいれば、一先ず私が、おぬしを守ってみせる」
「妖狐さん、悪乗りしないでくれないかな? 僕のこの術は、もともと力の弱いヴァンパイアが日の光から自分を守るために作り出したものですし、決して痴漢行為を働くために会得したものではありません」
「あぁいう風に、爽やかな笑みを浮かべながら言うところが、また怪しいでの。騙されるでないぞ鏡花」
「はい、分かりました妖狐さん」
爽やか……というより、どこか困ったように身の潔白を証明しようとする、胸元をわざと開くようにワイシャツを着崩しているヴァンパイアの男の人。
確かに、初対面で、こんな風に、いきなり爽やかな笑みを浮かべるなんて、何か考え合ってのことかもしれないから、油断は出来ない。というより、まず透明人間となって現れた辺りから怪しい。
そんなイケメンだけど怪しい男の人を、横目でみながらヒソヒソと会話をする、私と妖狐さん……すると、そこに、これまで童子さんの威を借っていたユリアさんが、ちょっと怒った顔で割って入ってきた。
「ちょっとお兄様! 仲介役を買って出るのは結構ですが、その鼻に着くような“香水”の匂いを撒き散らすのは、やめてください!」
匂いを嗅がないために鼻を摘みながらユリアさんに言われてしまった、美形な変態さん……もとい、ユリアさんのお兄さんらしいヴァンパイアの人は。焦ったようにして、自分の体、とりわけ、服についている匂いを嗅ぐ……。
「……しまった」
「……しまった、ではありません! また、どこぞの女と遊んでいたのでしょう!! お兄様が、こんなセンスの無い香水をつけるはずがありませんからね!」
普段は――――まだ会って、数十分ぐらいだけど――――落ち着いた雰囲気を醸し出すユリアさんだけど、意外と怒ったら、子供っぽいというか、結構捲くし立てるような喋り方をするんだなぁ。
そんな事を、ぼんやりと考えていたのだけれど……やはり、流石に朝の学校としての忙しい時間に、ここまで騒ぐのは拙かったのだろう。
「お前らいい加減にしろ!! そして席に着け!! それから次の授業の準備をしとけ!! 今の時間を何だと思ってやがるんだよ!! あぁん!!?」
酒焼けしたような渋い声をがならせながら、これまで黙って事の成り行きを静観していた先生が、出席簿を教卓に叩きつけながら、私たちを怒鳴りつけた。
その大きな声に、私は“ビクン!”と体を跳ねさせてしまう……だって、大人の男の人が本気で怒鳴るのって、凄いビックリするんだよ?」
「童子を見ろ!! ギャーギャー煩いお前らと違って、もうちゃんと席に着いてるんだぞ!!」
先生がビシっと指をさしたところを見れば、最前列ど真ん中を陣取るかのように、すでにツナギと無地のTシャツ姿の童子さんが、姿勢正しく次の授業の教科書などを机に並べながら待機していた。
「だというのに、クラス委員長である奴が、女との朝帰りを誤魔化しながらの登校! 副委員長である奴が、周囲の事も考えずに、自分のためだけに行動する!! 上位序列者である奴なんて、もはや勉強を受ける気すらないというより、基本的に学園を舐めてやがる!!! それと転入生! お前も、転入早々クラスに馴染むのはいいが、他の奴らの妨害になる事だけはするな!!!!」
「先生! 僕は別に、女性と朝帰りなど……」
「なら、その懐に入っている“昨晩のお楽しみ”の写真と、服に“吹きかけられた”香水の匂いは、どう説明するつもりだ? うん? ニコラエ君?」
先生の指摘に、慌てて懐を弄るユリアさんのお兄さん、二コラエさん……すると、何かを見つけたのか。もともと色白の白い顔を、もはや蒼白にさせながら“まずい”といった表情をし始める。
「女と遊ぶのは構わんが、ほどほどにしないと、今日みたいに痛い目に合うぞ?」
「……は、はい、肝に免じておきます」
そんなやり取りを見ていた私だったけど、さっき先生に怒られた面子の中に、確実に私が入っていたことに“今気が付いた”のだけれど……今は、大人しくしたほうが良さそうだと、私は“大人の女性”らしい、落ち着いた状況判断で、この場を乗り切った。
◇
SHRも終わり、朝の騒動が嘘かの様に、皆席に着いて、次の授業に備えていた頃……。
皆にとっては朗報、転入初日の私にとっては、何ともいえない情報がクラスに飛び込んできた。
いわく――――
『今日の授業は全面中止、これから生徒達は規律正しく下校の徒に付くように』
とのことです……。
この情報が飛び込んできたとき、思わぬ休日の到来に喜ぶ生徒達が大半を占めていたけど、私は喜ぶに喜べない心境でした。
だって、せっかく転入初日の、あの質問攻めだとか、新しい環境での授業だとかを期待して、完璧なまでの受け答えを用意してきたのにだよ? これは、流石に虚しいよ……。
そんな風に、妖狐さんの隣の席でダレていたら、理由を知った童子さんに、本気の“土下座”をかまされた。
これには私も驚き、すぐに頭を上げるように言ったのだけど、頑として童子さんは頭を上げようとはしなかった。
なぜ、ここまで頑なに謝ってくれるのかと聞けば『君がクラスに馴染む折角のチャンスを、自分は潰してしまった』だとか『下の者を救ってくれた恩人に、自分のせいで不快な思いをさせてしまった』だとか……本当に真摯に謝ってくれていたのだけど、流石に教室で、そんなことをやられてしまった日には、私が何だか悪党に見られてしまうし、それに、そこまで別に重要な事でもなかったから、なおの事困った状況に陥っていた。
だけど、それを救ってくれたのは妖狐さんだった……。
彼女は大胆にも、土下座をする童子さんの後頭部に向けて、踵を打点とした振り下ろしの“踵落し”を決めると、そのまま童子さんの頭を踏みつけながら、こう言ってくれた。
『将来、鬼の一族を背負って立つ男が、そのように易々と他者に頭を下げるでない!! みっともないにも程があるだろうに!!』
うん……相手の頭を踏みつけながら言う台詞では無いんだと思うんだ。
だって、この時の二人の様子は、さながら女王様と奴隷を髣髴とさせる力関係だったもの……見てるこっちが、童子さんを気の毒に思っちゃったよ。
ちなみに、またユリアさんと童子さん絡みで揉めるのかなとか思っていたら、実はクラス委員長と副委員長は、今日の中止の穴埋めをするために、今後の日程を決めるための会議に参加していたので、特に新しい揉め事とかは起こらなかった……まあ、起こったら起こったで、困るんだけどね。
そんなこんなで、私の転入初日は、SHRを終えただけで幕を閉じてしまいました……。
非常に悲しい限りです。
さて、ところ変わって、いま私は、引越し先の学生寮の前に立っています。
どうやら、この学生寮には、学園の序列上位者とかいう人たちのみが住んでいるらしく、私の隣には、童子さんや妖狐さんが、同じく学生寮を前にして立っています。
だけど、どうすれば、こうなるのか……?
広い土地に建てられた、三階建ての白く清潔感漂う学生寮……もとい、二階一番左隅の二部屋に刻まれた、なにやら爆発でもあったのではないかと疑う、破壊跡。
周辺には、背の高い木々が風に揺られて、気持ちの良い葉が擦れる音を発しているのにも関わらず、二階一番左隅の二部屋のベランダは、黒く焦げていた……。
「なんだ、まだ直しておらんのか、あやつは」
「寮長も忙しいお人だから、仕方ないと思うが?」
「あやつの力を使えば、十分もかからんだろうに……さては二度寝をしておるな」
そんな寮の光景に、妖狐さんと童子さんの二人は、特に気にした様子もなく、普通のやり取りを交わしている……そうか、たぶん、こんなのは日常茶飯事なんだ。朝だってイキナリ襲われて、学校の廊下があんなになっちゃったんだし、これくらいは当たり前の事なんだ。
現実逃避をしようにも、結局は、これから私に降りかかりそうな危険を考える事になってしまう。
何だかもう、あのお母さんがフライパンとオタマで起こしに来てくれる実家に帰りたい気分になってきました。
「何をしておる! 早く寮に帰るぞ!」
「え? あ、はい! 待ってください!」
軽く現実に悲観していると、いつの間にか二人が寮の入り口で私の事を待っていた。
妖狐さんの声で、現実へと視点を戻した私は、白いコンクリートの地面を蹴り出し、これからお世話になる妖怪学園学生寮へと走り出した。
◇
なんだか無駄に豪華な両開きの扉を開くと、そこには白の壁紙や、大理石で出来たピカピカな地面が、ほとんど高級マンションの様な清潔感を漂わせ。意外に広い玄関の天井や、正面に見える、吹き抜けの螺旋階段……そして入り口すぐ横にある、寮の受付でもあるカウンターには、インテリア調の、骨董品の様なダイアル式の電話が置いてあり、その近くのペン立てには、お高そうな万年筆が立てられていた。
何この高級感……そして、何この外見とは全く反比例した広さ。
「驚いたか、鏡花?」
およそ学生寮とは思えない早々の光景に、私がほけ~としていると、鞄を片手で肩に担いでいる妖狐さんが、どこか自慢げに聞いてきた。
「はい……その、これも何かの妖術なんですか? 外の感じと、全く広さが違うから」
「あぁ、その通りだ。ここには外からの認識を誤認させる、ある種の“幻覚”を生み出す術が施されていてな。これが解けると、この内装同様、豪華な学生寮が外からも拝めることが出来るのだが……」
そういって、どこか口を濁す妖狐さん……。
「出来るのだが……?」
「まあ、何だ……おぬしも知っておろう。確かに、妖怪学園は国立として成り立っている場所だが、こんな贅沢は本来許されておらんのだ。実際に、ここの外装が外に漏れ、他者の口づてに広まってみろ……世間からはいわれの無い批判を浴びるに違いない。“税金の無駄遣いだ~”だとかのう」
「そうなんですか、童子さん?」
妖狐さんの話の内容を確認するために、私は童子さんに小首を傾げながら聞いた。
童子さんは長身なので、上目遣い気味に見ることになっている。
「大体その通りらしいが……俺は分からない。やはり、そういった事は、妖狐に聞くのが一番いい」
いや、私、その妖狐さんの話しの確認をするために、他の関係者である童子さんに聞いたんだけど……。
そんな私の戸惑いを察知したのか、妖狐さんが「そやつに聞くだけ無駄だよ。何たって、基本的に何も考えておらんからの」……と、呆れたように“しょうがない”といった視線を向けていた。
「ま、とりあえず、そんな嘆いてもしょうがない事を語るよりも、おぬしを寮長である“ぬらりひょん”に会わせるのが先だろう。ほれ、行くぞ」
私と童子さんに、そう言い放つと、妖狐さんはローファーで大理石の地面をツカツカと鳴らしながら、真っ直ぐに歩を進めていってしまう。
これに、無言で付いていく童子さん……。
「あ、ちょっと待ってくださいよ~!」
歩幅の違う二人の歩みに遅れた私は、置いてかれまいと、焦ったように小走りで駆けはじめた。