隠された学園
「はあ~ッ! なぜ、私が、おぬしの馬鹿に巻き込まれなくてはならんのだ!」
「すまない……だが、お婆さんが、重い荷物を背負っていたんだ。可能な限り持ってあげるのが、俺たち若者の……」
「“たち”を付けるな! それで遅刻しそうになるのなら、おぬしだけでやっていればいい!」
「すまない……しかし、あの方々は、今の時代を築いてくれた、いわば“恩人”……」
「ええい! おぬしの恩返し癖は知っているが、今は、そんな無駄話などせず、走ることに集中しろ!」
「すまない」
こいつは、本当に……。
今、私こと九尾妖狐と、隣を走る酒天童子は、絶賛遅刻寸前のチキンレースを慣行中だ。
原因は、隣を走る、この無駄に体がデカく厳つい木偶の坊、または“馬鹿鬼”にある。
私たちは、先ほどまで、いつも通り、かなり時間に余裕を持って、学園まで登校している途中だった。
だが、こやつが、偶然、歩道橋を登れないでいる、重い荷物を風呂敷に包んで背負っている婆を見つけての……“大丈夫ですか? よければ、俺が持ちます”とか抜かして、無駄な敬老精神を発揮しおったのだ。
こやつには、昔から変な癖があっての。
一度、自分が恩を感じた相手には、全力で恩返しをするという、“鬼”にあるまじき癖があるのだ。
そのせいで、結局こやつは婆の家まで、その“婆ごと”運んでいったという訳だ。
結果は、この通り。
せっかく、かなりの時間の余裕を持って出たはずなのに、遅刻寸前の緊張感を味わうという感じだ。
「本当にぬしわ! どうしてこう、後先のことを考えられんのだ!」
「すまない」
先ほどから、すまないの一点張りの童子に、私は悪態をつきながら、学園まで続く、道路道を走っていく。
くそ……こういう時に、妖術や妖力を使えれば、こんな無駄に体力を使う行為など、せんで済むのに!
国家権力め……何が、有事の時以外、指定された場所以外での妖力や霊力の使用を禁ずるだ!
そんな事を、心の中で吐き捨てながら、私と童子は、なかなかに都市開発の進んだ街から、少し人里離れた様な、山道へと入っていく。まあ、山道といっても、ちゃんと舗装された道路もあるし、ゆるやかな坂を作り出すために、かの有名な“いろは坂”の様に曲りくねっているのだが。
「ええい! なぜ、こんな面倒な道を作ったのだ!」
「仕方ないだろ。当時の人たちが、自分達の生活を……」
「うるさい黙って走っておれ! はあ……これでは、時間に間に合わんではないか!」
曲りくねった坂道を、私と童子は馬鹿正直に走り続ける……。
確かに、私たち“妖怪”……いや、私と童子は、妖怪と人間の“混血”なのだが、それでも、普通の人間よりも強靭な肉体を有している。
証拠に、先ほどから、私達が走っているスピードは、オリンピックの短距離走での世界記録を軽く超えるスピードだ……おそらく、100mの直線の道なら、5秒とかからず走りぬいて見せるのだが。いかんんせん、ついうっかり妖力を使ってしまうと、公僕の連中が出てくるので、これ以上のスピードは出せぬのだ。
更に言えば、この加速しづらい道のり……ああ、これは遅刻確定かのぅ。
そんな風に、私が内面だけではなく、外見からも落ち込んだ雰囲気を醸し出していると……。
「どうした妖狐? そんな暗い顔をして……」
「おぬしのせいだろうが! 遅刻をしたら、反省文を書かなくてはならんのだぞ!? それも原稿用紙二枚分!」
「すまない……」
「謝るぐらいなら、この状況をなんとかしてみせろ! 誰のせいで、こんな急がなくてはならなくなったのだ!」
私が半ば、当然の八つ当たりを童子に浴びせていると。
突然、こやつのいつもは眠そうにしている表情が、真剣なものへと変わった。
「分かった、まかせてくれ」
「は? て、ちょ! 何をするのだ!?」
私が何を言っているのだ、こいつは? という、呆れた表情を、後ろを走っていた童子に向けていると。いきなり、童子が走る速度を上げ、前を走っていた私のことを、その鉱石の様に頑強に鍛え上げられた両腕で抱え上げ始めた。
走っている最中に、いきなり抱き上げられてしまったがために、私は驚きの声を発してしまう。
いわゆる“お姫様抱っこ”という持ち方で、私を抱えたままの童子は、これまでとは比べ物にならないスピードで、坂を走り始めた……こやつめ、今まで変だと思っていたら、私に合わせていたな?
「少し、飛ばすから、掴まっててくれ」
「もう掴んでおるよ。というより! 最初から、こうすれば良かったのだな!」
あまりのスピードに、私の長い金髪が、風になびき、童子の右腕を撫でている。
こやつの太く頑丈そうな首に、私は両腕を回しながら、もはやスピードカメラの倍速の様に風景が流れていく様を眺めていた。
そして、ふと、こやつの顔を、抱きかかえられた状態のまま見上げる……。
ザンバラに眼にかからぬ程度に伸ばされた、白い前髪に、刈り上げたように短い、それ以外の黒髪……。いつも眠そうにしている瞳は、今は私を遅刻させまいと真剣に見開かれており、なかなかに眼光鋭い、いい眼をしている。眉毛は黒くて少し太く、鼻はまあ、見れる程度には筋が通った、いい鼻をしている。輪郭は、体もデカイ事から、顎も頑丈そうに出来ているのだが、基本的に引き締まっているため、あまり太くは見えず、むしろ普通の輪郭の様に見える。
「うん? どうした妖狐? 少し速すぎたか?」
そんな風に、こやつの顔を観察していると、不思議そうな視線で見下ろされてしまった。
こやつの腕の中で収まっていた私は「別に、心地よい速度だ」と、心なしか、自然と出てきてしまった微笑みを向ける。
まあ、強いて言えば、“お姫様抱っこ”のせいで、少し、履いている短いスカートからパンツが外に見えているのではないかと思うぐらいなのだが……妖怪である私としては、特に気にもしない事なので、あえて口には出さない。
そうこうしていると、いつの間にか、童子の奴は坂を上り終え、今度は下りへと入っていた。
相変わらず、妖怪である私からみても、尋常ではない強靭な肉体を持っている童子は、下り坂であろうと、カーブであろうと、走る力を緩めず、柔軟かつバネの様に機能する足首やつま先を駆使しながら、人ではありえない速度で曲がったり、下り坂を下っていったりしている。
童子が走り抜ける度に、周りを緑で染めている木々が揺れ、葉を散らしていく……。
「もう少しで山を越えられる、そうしたら“結界”だから、そこで一旦降ろすぞ?」
「分かっておる……はぁ~面倒臭いのぅ。いちいち、結界を通り抜ける事で、出席を取るなど」
「そう言うな。人間側の学校では、出席は教室に集まったときに点呼で取るそうだから、むしろ楽な方だと思う」
「そうは言ってもな。これでは、学校をサボる事も出来ぬではないか」
「サボる? いや、この出席の取り方でなくとも、それは出来ない事だろう」
「分かっておらぬな、おぬしは。世の中には、出席を取るときに、別の者に返事をさせるという……」
「そろそろ着くぞ」
他愛も無い会話を続けていると、いつの間にか、童子は山越えを果たしていた様だ。
童子に抱きかかえられたままの私の視界に、山を挟んだ隣町の“寂れた”風景が広がる……。
ここから先は、私とこやつが通う妖怪学園の学び舎へと続く、結界の境目だ。
という訳で、童子が私の事を、ゆっくりと地面に降ろした。
「ふむ、では、行くかの」
アスファルトの地面に、学園指定のローファーで足を着けた私は、持っていた鞄を、肩に担ぐように乗せながら、視界に広がる、隣町の“寂れた”風景へと歩を進める。童子も、私の後に着いて来る。
しかし、そこで私は、ある奇妙な光景を眼にした……。
「なんだ、あれは?」
「うん? うちの学園の制服を着ているみたいだが……この匂いは」
「ああ、これは人間のものだな」
それは、結界の境目付近を、不思議そうな表情で徘徊する、うちの学園指定の女子制服を着た、“人間の女”の姿であった。
◇
あるぇ~~~~?
おかしいなぁ、確かに、この辺の筈なのになぁ……見渡す限り、人気の無い寂れた町にしか見えない。
転入初日の、ドキドキ感と共に、家から“ないしょ”で神通力の力を使いながら、普通の人ではなかなか歩いて行こうとは思えない距離を、ひとっ飛びしてきた私は――――実際にはコントロールに手間取って、かなり体力を使ったけど――――この見渡す限りの光景に、最初のドキドキ感をどこかへと置き去りにしてしまった。その代わりにと言ってはなんだけど、転入初日に遅刻確定という、ある種のドキドキ感が、私に重く圧し掛かってきた……いや、本当にマジでやばい。
何なのよも~これは!
ちゃんと、地図に書いてある方向に一直線で飛んできたし、住所もちゃんとチェックしたんだよ!?
なのに、あるのは一つの盆地を丸々使ったと言われている、巨大な学園ではなく、ただの寂れた町並み……何これ、私は、家族グルで行われたドッキリにでもばかされたのかしら。
割と本気で焦っている私は、オロオロと視線を彷徨わせながらも、必死に学園を探そうとする。
しかし、どんなに視線を巡らせても、どんなに別の角度から見てみても、学園どころか、人っ子一人いない……は、そうか。これは、ただ私の迷う様を楽しみたいという、お父さんの悪趣味な遊び――――「おい、そこの人間。何をしているのだ?」あれ、人がいたみたい。
その女性だと思われる人の声に、ある種の救いを感じた私は「はい! 何でしょうか!」という、初対面の人から見れば、馬鹿丸出しの返事を返してしまう。
「いや、何でしょうかって……私は、おぬしに何をしているのかを聞いたのだぞ?」
声の方向へと振り向き、ようやく救いが私にも訪れたと感じていた矢先……私は、眼を奪われるって、この事なんだなと、初めて実感していた。
私が振り向いた場所には、一人の背の高い女性が立っていた……。
朝の日差しを反射させる、きめ細かな長い金髪に、少しだけ吊り上った、切れ長な綺麗な瞳が特徴的な、細く整った顔立ち……まるでモデルさんの様に、しなやかに均整の取れたプロポーションでありながら、強い主張をする形の良い胸。スラっと長い足を、短く改造された学校指定のスカートで見せ付けながら、その柳腰といっても良い、細く柔軟そうな腰に片手を当てる、強気な立ち姿。そしてなによりも、女性の何ものにも染められていない白い肌が、私の眼を奪い取っていた。
ああ、こんな背が高くて、かっこいい女の人になりたかったんだ、私……。
「おい、どうした? さっきから私の顔を、マジマジと見おってからに……何かついているのか?」
「え! あ、いえ、何もついてませんよ!?」
しまった……あまりにも浮世離れした綺麗さに、見惚れすぎていたみたい。
流石に、初対面の人を、いきなりマジマジと見るなんて、相手にとっては気分の良いことじゃないものね……でも、本当に綺麗な人だな~。
「それで、おぬしの格好を見たところ、うちの生徒みたいだが……」
言いながら、謎の綺麗な女性の方は、私の足から視線を上げていき、再び私と目を合わせた。
そういえば、確かに、この方も、私と同じ制服を着ている……あ、学年を示す、ネクタイの色も赤で、私と同じだ。
「はい、今日転入して来たんですけど……学園が見つからなくて」
「見つからない? ああ、なるほどのぅ……童子、ちょっと来てくれるか?」
私がちょうど良いと、助けを求めようとしたとき、目の前の謎の綺麗な女性は、後ろに首だけを回し、童子と呼ばれる人を呼んだ……て、デカッ!?
「どうした? 何か、問題でもあったのか?」
「いや何、どうやらこの人間。今日転入してきたばかりらしいのだ」
童子と呼ばれる、とても大きな男性は。
ザンバラに眉辺りまで伸ばした白髪の前髪に、それ以外は刈上げに近い長さの黒髪という、ちょっと目立つ髪形をした人で。顔は引き締まっているのだけど、眠そうな目や黒い眉毛などのおかげで、それほど怖くは感じられない……だけど輪郭も整ってるから、顎とかはガッチリってほどじゃないけど、頑丈そうだし、首の筋肉も凄い筋張ってて、とても強そうな印象しか浮かばないんだけどね。
体格も、パツパツの白い無地Tシャツから浮き出る、ブロックみたいな胸の筋肉や、ゴツゴツとしている、ハッキリと六つに分かれた腹筋とか、もはや、これが本当のマッチョマンかと圧巻される程の威圧感を放ってるし。それに、厚い胸板と反比例した腹回りの細さとか、丸太みたいに太く鍛え上げられた腕とか……もう、プロの方ですかと聞きたくなるぐらいに、見事な肉体をしていた。
でも、どうやら学園の生徒では無いみたいだ。
だって、着ているのは学園指定の制服じゃなくて、さっきも言った白い無地のTシャツに、上半身を脱いで、腕袖を腰で巻いたグレーのつなぎ姿だもの……こんな格好をした人が、高校生な訳ないものね。
私が、謎の綺麗な女性に呼ばれた、童子と言う、190cm以上はありそうな男の人に、若干驚いていると……。
「少し、我慢しててくれ」
「え?」
謎の綺麗な女性との会話を終えた、その大きな男の人が、私の目の前まで、履いているハイネックのシューズの足音を鳴らしながら、ゆっくりと近づいてきた。
そして、私の目の前に、無意識に流れ出ているのであろう威圧感を放ちながら佇んだ。
もはや見上げるしかない、その男の人に。
「あ、あわわわわ……」
私は、眼を涙目にしながら、ガタガタと怯えるしかなかった……だって、すっごく怖いんだよ!?
「本当に、すぐに終わるから、ジッとしててくれ」
「わわわわわ……」
言うと、童子と言う男の人は、私の目線に合わせる様に中腰になり。
「スンスン……」
「えッ!?」
突然、私の匂いを嗅ぎ始めた……。
「な、何してるんですか……これ?」
あまりにも理解不能な事に、私は、どう反応して良いのか分からないといった表情で、謎の綺麗な女性に、助けを求める。
「まあ黙って待っておれ。すぐに終わる」
「は、はあ……」
どうやら、女性の方も止める気は無いようで……。
私は取り合えず、この知らない初対面の男の人に、体の匂いを嗅がれるといった行為を、黙って受け入れるしかなかった……。
すると。
「妖狐。やっぱり、お前の言った通りだ。この人は、“生徒手帳”を持っていない」
「そうか、やはりの」
童子と呼ばれる男の人が、私から身を引き、再び、謎の女性に向き直った……妖狐さんって言うんだ、あの人。
「なら、話は早いの。人間」
「はい?」
今度は妖狐さんが、私の目の前まで近づいてきた。
やっぱり、近くで見ると、更に栄えるな……。
「これから、一緒に結界の中に入るから、私の手に掴まっておれ」
「え、あ、はい……」
差し出された、細く、綺麗な手に、私はそっと自分の手を置く。
正直、結界とか言われても、何が何だか分からない私に……あれ?
そういえば、前にお父さんから、今いる世界とは、違う空間を特殊な結界を使って作り出せる事が出来るとか、習ったことがあったかも。てことは、これから入る結界の中に、学園が存在するのかな?
そんな事を私が考えていると、妖狐さんが、掴んでいた手を引っ張りながら、廃れた町並みの風景へと歩を進めていった……すると、不思議なことが起きた。
なんと、妖狐さんが、何も無い、廃れた町並みの風景しか広がっていない空間に、まるで吸い込まれるように、もしくは体の正面から“めり込んでいく”ようにして、消えていくではないか。
「な、何これ……」
その光景に、若干気味悪がっていると。
遂には、妖狐さんと繋いでいた私の手まで、何も無い空間に入り込んでいく……何だか、何も無い空間に入り込んでいく度に、そこから向こうの部分が消えていくから、正直気味が悪い。
その現象は、すぐに私の体の正面まで訪れた。だけど、なんとなくだけど、結界の中へと入り込んだ手の感覚と、繋いでいる妖狐さんの手の感触は感じられるから、安全だと理解できた。
そして、私の体の正面や、全体が、何の問題もなく、結界の向こう側へと入り込んでいった。
「うわぁ~……凄い」
「ふふ、そうか?」
私は、目の前に広がる光景に、感慨の声を漏らしてしまう……。
「お父さんから聞かされてはいたけど……改めて実物を見てみると、本当に凄い」
「まあ、ある意味で世界中の15から18までの世代の妖怪たちが、一箇所に詰め込まれているのだからな。人間であるおぬしに驚いてもらわねば、こちらが妖怪として困るというものだ」
まるで新入生を歓迎するかのように、真っ直ぐに続く、赤レンガの道に、その道を飾るようにして並べられている、きちんと手入れの行き届いた桜並木たち……だけど、私が驚いたのは、そこではない。
だって、その桜並木の道を行き交う人たちは、皆、軽い“変化の術”は使っているが、所々に妖怪としての特徴が見られる、人とは違う姿をした人たちなんだもん。
あ、あれって、雪女って妖怪だ! 新雪の様な真っ白の着物も着てるし、なにより“彼女の周りだけ、妙に白い靄が掛かっている”。多分、彼女の周りだけ、異様に温度が低いのだと思う。
今、私を追い越した人、頭にやたら立派なんだけど、先端が丸まってる一本角が生えてた……もしかして、“麒麟”っていう聖獣!? え! この学園って、そんな伝説級の妖怪までいるの!?
それに、さっきから、学園まで続く広い一本道の更に先。学園の向こう側に見える、山みたいな人影って……。
「あのぅ……あそこに見える、山みたいな人影って、もしかして、人型をした山ですか?」
あまりに現実離れした大きさの人影に、私は思わず、隣にいる妖狐さんに、恐る恐るといった感じで尋ねた……。
この妖怪学園は、外界から中を見られないように張っている結界のせいで、いつも内部は少し雲がかった曇り空になっているって、お父さんの話で聞いたことがある。だから、向こう側に見える、山のような人影が、私には“ただの山の様に見えてしまう”……というより、見えてほしい。
だけど、私の反応を見て、楽しそうに微笑んでいる妖狐さんの口から出てきた言葉は、私の常識を、軽くねじ伏せるものであった。
「何を言っておる、あれは“でいだらぼっちの田中”だ。あやつは、あまりにも体が大きすぎてのぅ。毎日、私らとは違って、“あの辺”で授業を受けているのだ……可哀相にのぅ」
「え、えぇ~……」
「だがのう! 今年の新入生に、西洋の方から“サイクロプスのジョシュ”という者が来ての! ここ入学式からの三日間は、“あの辺”から聞いた事も無い馬鹿でかい笑い声が聞こえてくるのだ!」
「そ、それは良かったですね」
「うむ! やはり、学び舎には心を許せるものがいないとな!」
もの凄く嬉しそうに、同級生であろう“でいだらぼっちの田中さん”の事を話す妖狐さん……。
多分、同じ妖怪として、田中さんに、ようやく友人が出来たことが、よほど嬉しいんだと思う。妖怪の世界って、結構人付き合いが頻繁に行われているって、お父さんから聞いたことがあるし。
「あれ? そういえば、童子さん……でしたっけ? あの方は、やっぱり学園には入ってこれないんですか? 今もいませんし」
そこでふと、私は気づいたことを妖狐さんに聞いた。
すると、妖狐さんは“何を言っているのだ、こいつは?”という、不思議そうな表情を私に向けてきた……。
「やっぱりだと? 何を言っておるのだ。あやつも、列記とした私と同じ学年の生徒だぞ?」
「えっ!?」
案の定、表情と同じ事を言われてしまったけど、私が驚いたのは、そこではない。
「だって、あの人、制服もネクタイも着ていませんでしたよ!? 鞄も、学園指定の物じゃなくて、私物みたいでしたし……」
「あ、ああ……それはのぅ」
私が、あの、どう見ても同じ学年には見えなかった童子と呼ばれていた男の人の話をしていると、なんだか、妖狐さんが気まずそうに言葉を詰まらせ始めた……。
すると突然、妖狐さんのすぐ横から、“ぬっ”と水面に波紋を広げる様な歪みを何も無い空間に広げながら、いま話しに上がっていた童子さんがゆっくりと“現れた”。
私も、こんな風に、突然何も無い空間から出てきたんだな~っと、結界の不思議さと凄さを、改めて実感していた。
「いや、これは朝、妖狐に制服を全て燃やされてしまって……」
現れたばかりの童子さんは、これまでの会話が、まるで向こう側から聞こえていたかのように、私と妖狐さんの話に、その眠そうな眼のまま入ってきた。
え? てか、燃やす?
制服を燃やすって、どういう事なのかな?
「あれは、おぬしが何をやっても起きなかったからであろうが! 私のせいに、するでないわ!」
「それは、素直にすまないとは思っているが……何も、部屋を丸焦げにする事は無かったと思う」
「だったら、おぬしが自分で起きれる様になれば良いだけであろう! 毎日、朝早くから目覚ましの音で起こされる、私の身にもなってみろ!」
「……すまない」
何だか、会話の内容だけ聞いてると、この二人って、まさか同棲とかしてるのかな……?
いや、でも、妖狐さんの話を聞くと、童子さんも同じ高校二年生みたいだし……いくら何でも、年頃の男女が、同じ部屋で寝食を共にするなんてありえないよ。最近、一人でラーメン屋に入れるようになった、大人な私でもしてないのに……同じ年齢の二人が、そんな進んだ関係になっている訳が無いもん。
私は、こう見えても、転入前の女子高では、結構“大人に近づこうとしている可愛い女の子”とか言われて、クラスの中でも、一番“大人に近づいていた”のだ。
「だいたいな! おぬしは、どれだけ目覚まし時計を揃えれば気が済むのだ!」
「あれは、色々な人たちから譲り受けて……」
「もう貰ってくるな! あれだけ大量の目覚ましが同時に鳴っても起きぬのだから、おぬしには必要は無い!」
「……それは、言い過ぎじゃ『どこがだ!』……すまない」
だけど、二人の会話は、どう聞いても、寝床をお互い知りえている感じにしか聞こえない。
もしかして、本当に同棲してるのっ!?
「あ、あの!」
「うん? なんだ人間?」
いてもたってもいられなくなった私は、二人の間に思わず口を挟んでしまう。
それに、妖狐さんが不思議そうな顔で振り返る。
「お二人は、その! ど、同棲しているんですか!?」
昔から、私は思ったことを“ズバッ!”と言ってしまうタイプなんだけど……今回ばかりは、流石の私でも緊張を禁じ得なかった。だって、同棲って事は、もしかしたら○○○とか、お風呂場で洗いっことかしてるかもしれないじゃない!?
そんな事、何の遠慮もなしに聞ける筈ないじゃない!
「別に、しとらんが? ただ、お隣さんというだけだ」
「そ、そうなんですか……?」
「おう。まあ、コヤツとは、同じ布団で寝た事もある、昔からの仲だからの。普通のお隣さんよりは、まあ深い関係を持っているのは確かであろう」
妖狐さんは、そう言いながら、隣に佇んでいる童子さんを親指で指す……。
そんな雑な扱いをされていても、童子さんは、顔色一つ変えないで、妖狐さんの言葉に肯定の頷きを見せた……随分と、妖狐さんに雑に扱われるのが慣れている様子が、その事から見て取れた。
多分、というか確実に、尻に敷かれているのだと思う。
そんな会話をしていると、妖狐さんが、おもむろに、その細い左手首に巻いていた、小くて可愛い腕時計を覗いた。
「むっ。少し、しゃべり過ぎたかの……童子に運んでもらったからといって、余裕を持ち過ぎてしまった様だ」
「え、もう、そんな時間なんですか? 私てっきり、まだ時間があると思ってたんですけど」
「ほれ、見てみろ。もう8時15分になる……そろそろ学園の先公どもが、校門を閉める準備に取り掛かってる頃だろう。急がねば、理不尽な叱責を受けるぞ」
確かに、妖狐さんが見せてくれた時計の針は、そろそろ8時15分を指そうとしていた。
だけど、確か学園が遅刻者を認定する時間って、8時25分だった筈……どうして妖狐さんは、あと10分も余裕があるのに急ごうとしているんだろう?
「理不尽な叱責……ですか?」
「そうなのだ……うちの学園の先公どもと来たら。実質20分ギリギリに来ても、校門を先に閉められ『そんな心構えでは、お前は社会じゃ通用しない』とか偉そうにほざくのだぞ? 信じられるか?」
「それは、酷いですね……」
「そうであろう、そうであろう」
うんうん……と、分かる人には分かるのだなと言外に語る様な頷きをする、妖狐さん。
「いや、それは先生方が、社会に出たときの5分前行動を、俺達に教えようとして……」
「良い子ちゃんのおぬしは黙っておれ! そして、私にこの事で意見をしたいのなら、今度から自分で起きられるようにしろ!!」
「……すまない」
どんな事を言おうとしても、妖狐さんの理不尽な叱責に、すぐ謝ってしまう童子さん……多分、こういうのが、頭の上がらない人と言うのだと思う。
「おっと、こんな事をしている場合ではなかった……童子、また、頼めるかの?」
「あぁ、分かった……」
うん? どうしたんだろう……と、二人の突然のやり取りに、私が首を傾げていると。
「きゃっ!?」
突然近づいてきて、目の前で屈んだ童子さんが。私のお尻に下から肩を押し付け、そのまま私を肩に担ぐと、軽々と私は持ち上げられてしまった。
当然、いきなりお尻に肩を付けられてしまった私は、びっくりした声を出す……けど、童子さんは、全く気にして無い様子で、今度は胸下で腕を組みながら待っている、妖狐さんに近づいていった。
そして、そのまま……童子さんは、その太く鍛え上げられた腕を、妖狐さんの細く引き締まっているウエストに回すと。
「お、おぬし! もう少し、持ち方というものを考えんか!!?」
まるでダンボールを抱える宅急便の方みたいに、妖狐さんをお荷物宜しく、脇腹と太い左腕で抱え始めた。
その扱いに、当然の様に抗議する妖狐さんだったけど……。
「すまない、初対面の人に、同じ扱いは出来ないから……」
どうやら、私が小人の様に、童子さんの丸みを帯びるぐらいに発達した筋肉が特徴的な肩に腰掛けさせられているのは、初対面の方専用の、特別扱いだった様だ。
そう考えると、悪い気は……いや、正直、私自身、こんな子供みたいな扱いは、少し嫌かもしれない。
荷物みたいに抱えられている妖狐さんなんて、待遇が不満なのか、さっきから長い手足をジタバタさせてるし……童子さんて、良い人みたいだけど、ちょっと、他人の扱いが不器用な人みたい。
「じゃあ、行くぞ」
「ま、待て! おぬし、まさか、このままの体勢で、私を学園に入れるきか!? ならぬ! ならぬぞ! こんな姿が、あのいけ好かないヴァンパイアの小娘に見つかったら……」
必死の妖狐さんの抗議も虚しく。
「ちゃんと、掴まっていろ?」
「あ、はい!」
童子さんは、人では考えられないスピードで、目の前に広がる桜並木の道を、爆走し始めたのでした。
このあと、童子さんが出す尋常じゃないスピードで発生した風の壁を耐えていたせいで、久しぶりに腹筋が筋肉痛になってしまったのは、言うまでも無い事でした……。