プロローグ
この小説に登場する全てのものはフィクションです、実際の人物・団体・事件等とは一切関係がありません。
廃都市東京――――
夕闇に染まる夜空を、赤いランプが鉄の腹に焚かれた軍用輸送機『R-01(レイシズム)』が。両翼の先端に着けられている、巨大なドラム缶の様な飛行装置を駆使して、大気を切り裂くように飛行している。その無骨で、ましてや輸送機だということで、通常の航空機よりも腹の大きな機体は、まるで空を駆けるバファローを彷彿とさせるが。機体を安定させるために着けられているスタビライザーや、先ほどから、微妙な操縦をする度に、巨大なドラム缶の底の向きを変えている飛行装置が、そのイメージを地上動物から飛行動物へと払拭させていた。
『そろそろ新宿上空に到着する。学園序列一位と三位は、各自の装備をチェックした後、ハッチの前まで移動しろ。繰り返す――――』
もはや植物が生えるぐらいに古く、破壊し尽くされたビルが寂しく立ち並ぶ、廃都市東京上空を飛ぶ輸送機内で。そんな機内放送が流れた……。
「だそうだぞ童子」
すると、輸送機のキャビンで偉そうにふんぞり返りながら、座席に座っていた一人の女性が立ち上がり。何とも面倒くさそうに後ろにいる人物へと告げた。
「分かった」
女性に童子と呼ばれた男は、短い返事を返すと。そのまま背筋を伸ばしながら座っていた座席から“のそり”と立ち上がり。視線をきめ細かく、それでいてどこか透明感がある長い金髪が特徴的な女性へと向けた。
「ならば、気は進まんが行くとするかの。遅れても面倒なだけだし」
「あぁ」
ロングストレートの金髪の前髪を掻き揚げながら、視線を向けられた女性は身を翻し。そのまま輸送機のキャビンから、スラリと伸びた優美な脚線を描く足で出て行く……また童子という男も女性の後に着いて行った。
◇
『R-01』機内の最後尾……そこにはハッチを開放する際に、コンテナに積まれた物資が外へと飛び出ないため地面に厳重に固定され。更には確りと通路を確保するために、等間隔で並べられていた。
そこを、先ほどキャビンを出た二人が。カンカンと、鉄の地面を叩く足音を鳴らしながら歩いている。
前を歩くのは、流れる様に艶やかな長い金髪を揺らす、白面の女性……。
身長は女性にしては高い175㎝。スラリと伸びた長い足に、確りとクビレと臀部にメリハリが出来ている腰は、柳腰と称しても良いぐらいに細くしなやかで。均整の取れたプロポーションの割りに存在を強調する形の良い胸は、ウエストのサイズも相まって、通常のサイズよりも大きく見える。肌は白く、細く整った輪郭や優美な曲線を描く眉毛。それでいて、少しだけ吊り上った切れ長の美しい瞳は、同性の者ですら眼を奪わせる魅力を持っていた。一言で言えば、モデルの様な女性だ。
そして、そんなモデルの様な女性の後ろを歩くのは。先ほど童子と呼ばれた男性だ……。
彼を一言で表すのなら、正に筋肉という芸術的な鎧を身に纏った男だ。
身長は190cmと大柄で。まるで岩石の様に鍛え上げられた腕周りに、何者も貫くことを許そうとしない、膨らみを持った鉄板が並べられていると錯覚しそうな大胸筋郡。太い首をサポートするために、それ相応に丸みを帯びた僧帽筋に、理想的な逆三角形を体現している、分厚い背中。胸囲とは反比例したサイズを持つウエストには、鉄球を並べたかのような六角筋が存在を強調している。臀部はキュッと引き締まり、太ももは太木の様に頑丈そうで、脹脛は短距離が非常に早そうな、アキレス腱が細くダイヤモンドを思わせるカットを浮き彫りにさせている。ザンバラで眼にかからない程度に伸ばされた白い前髪に、刈上げたように短い、それ以外の黒髪……瞳は眠そうにしているが、眉毛は少し太く、鼻もそれなりに筋が通っているため、それほどだらしのない顔には見えない。輪郭は、体格が大きいために頑丈そうに出来ているが、基本的に引き締まっているために、あまり太くは見えず、むしろ普通の輪郭に見える。
男の顔が、普通な整い方をしているために。二人が一緒に歩く姿を『美女と野獣』と名づけるには厳しいものがあるが、体格的に見れば、まあ名づけても良いだろうと思える構図だ。
そんな二人は現在、体にフィットした『パワーセーブ』という、所々露出した着衣を身に纏っている。
「しっかし……毎度毎度。この“お勤め”の度に着せられる服には馴れんのぅ」
「だが、これが無ければ。俺は安易に妖力を使う事を許されていない……」
「知っておる。だが、それは碌に妖力の制御が出来ない、おぬしだけの話しであろうに。それがなぜ、私にも着せられるのだ?」
女性が今、自身が身に纏っている体のラインがハッキリと分かってしまう。引っ張ろうが何しようが破ける気配のない、ラバーに似た素材で出来た、やたら頑丈なフィットスーツを触りながら、うんざりとした表情で文句を垂れる。それに、同調はするが、仕方が無いといった表情で続く童子と呼ばれる男。
広い空間を誇る、このコンテナが並べられた場所を歩く二人は、そろそろ輸送機最後尾のハッチ扉前に到達するところであった。
すると、そんな時だった……。
『ハッチの前まで来たな。では、お前達の横に設置されているコンテナを開けろ。そこに、今日お前達が使用する武器が入っている……あぁ、それと。パワーセーブのチェックはしたのか? しなければ、そこに入っている武器のセキュリティが認証を出さず、使えないからな』
「そんなもんは来る途中で済ませたわ……いちいち指図をするな」
機内放送から聞こえてきた男の声に従いつつも、少々苛立たしげに言う女性……。
『口を慎め序列三位。お前たちは、この“お勤め”によって社会の信頼を得ている事を忘れるな』
「得ているのは、貴様らの様な腐った水を啜る汚物どもからであろう? それと、私の名前は九尾妖狐だ。偉そうに番号で呼ぶな」
九尾妖狐と名乗った女性は、機内放送から聞こえてくる男の声に対し、少しだけ口調を強めた。
『ふん……まあいい。我々は、お前達にとりあえず働いてもらえば良いだけなのだからな。何とでも言っていれば良い』
しかし、妖狐の口調を強めた言葉は、男に軽く流されてしまった。
それに「ちっ!」と忌々しげに舌打する妖狐。だが、これに反応する者は誰一人としていなかった。
「妖狐。コンテナを開けるぞ」
「……分かった、そうしてくれ」
機内放送の男と、妖狐のやり取りを何事も無かったかのように聞いていた童子が。男の指示通り、ハッチ扉のすぐ手前に設置されていた、一際横に長いコンテナの二つの取っ手に手をかけた。
そして、妖狐の言葉と同時に、二つの取っ手を手前に引いた……。
すると――――
バシュゥゥゥ……。
棺桶の様に開いたコンテナの中から、何やらエアの抜ける音がすると同時に。二種類の武器が姿を表した……。
「ほう……」
一際横に長いコンテナから姿を表した武器に、妖狐が思わず感心の声を漏らしてしまう。
そこにあったのは、一本の扇と……やたらデカイ、破城槌の様な、長く太い武器だ。
「大きさ的に見て当然、私がこれだろうな」
そう言いながら、コンテナを開けた童子の横から。妖狐が一本の扇の方と手に取った。
この一本の扇は、あくまで“形だけを扇っぽくした”と言う様なデザインをしており。基本的な材質を、“妖力変化金属”と呼ばれる、妖怪が発する妖気の伝導によって、形などを様々なものへと変える特殊な合成金属で作られており。持ち手の部分以外。全てがシンプルな白色のデザインで統一されている。
妖狐は、これを何度か開いたり閉じたりした後。扇を閉じた状態の持ち手部分を右手で握り、マジマジと不思議そうな視線を送り始めた。
「……どう使うのだ、これは?」
『一度、自分が使いたいと思う武器を想像しながら。それに妖気を送ってみろ』
使い方の分からない武器を見ている最中に、機内放送から男の声が割り込んでくると。妖狐は不機嫌な表情を隠そうともせずに、再び先ほど同様「ちっ!」という舌打を発した……が、従わねば、この武器の特性も理解できないので。渋々といった形で、言われたとおりの事を実行した。
妖狐の体から、青い炎の様な妖気が不気味に揺らめきながら。自身の右手を通して、手に持っている武器へと流れ込んでいく……すると。
「おぉっ!?」
所有者の妖気を感じ、全体へと伝達させた、もともとは扇の様な形をしていた武器が。一瞬にして、一振りの刀に姿を変えた。
これには驚きの声を隠せなかった妖狐……。
「ほぉ~~これは奇怪な武器だのぅ」
一振りの刀へと姿を変えた、白色のシンプルなデザインをした武器に、興味津々な視線を向ける。
刀……というよりも、刀の様な長さを誇るカッターとでも表した方が良い様な、その刀は。まるで、妖狐のために予め設計されていたかの様に、自然と手に馴染んだ。
『その武器は、まだ試作段階の物なのだか。今回の簡単な任務、もとい“お勤め”の内容を考慮して。上から直々に試験運用を言い渡された物だ。あまり手荒く使ってくれるなよ?』
「知ったことか、好きに使わせてもらう」
機内放送の男の注意を一蹴した妖狐は。そのまま右手で持っていた刀を、軽く左から右に払うように振ってみる……。
ヒュン!――――という空気を切り裂く、鋭い音を発した刀。
「なるほどのぅ……やはり軽い」
一度振ってみた感触を確かめながら、妖狐は持っていた刀を気に入ったという表情で見つめる。
「ところで童子、おぬしの方はどうなのだ?」
自身に送られた武器を気に入り、それを肩に担ぐようにして持った妖狐は。そのまま相方でもある童子に目をやった。
「使い方が分からない」
すると、コンテナの前で、いまだやたらデカイ、破城槌の様な長く太い武器と睨めっこをしていた童子が。素直に答えた。
『序列一位の武器は、まあ簡単に言ってしまえば。一世紀半以上前に、架空の武器として創作された“パイルバンカー”という物だ』
「“パイルバンカー”だと? 何だ、それは?」
機内放送の声に、童子の代わりに反応する妖狐。
どうやら、いくら声を聞いただけで機嫌を損ねる相手でも、気になるものは気になる様であった。
『私個人は、よく分からんのだが……どうやら資料によれば。所有者が手に持った瞬間、内蔵された空砲(ブランク弾)に向かって自動的に所有者の妖力が流れ込み。計三発の空砲が満タンになると使用可能になるらしい。明確な発射過程は……あ~あった。その満タンになった空砲を内部で爆発させ、その反動を利用して、先端から特殊金属製の“杭”を射出させるみたいだ。そして射出された杭は、再び内部へと戻り、次弾に備えて待機状態に戻る』
男の説明に、妖狐が“何を馬鹿な事を言っているのだ”と言外に語るかのように「はぁ~」と深いため息をついた。
「童子よ、悪いことは言わぬ……それを使うのは止めておけ。どう考えても、役に立つとは思えぬ」
刀を肩に担ぎながら、“パイルバンカー”と呼ばれる武器を見つめる童子に、諭す様な声音で、やんわりと止めるように言う妖狐。
「いや、これも“お勤め”の一環だ。ありがたく使わせてもらう事にする」
だが、妖狐の諭も。どうやら真面目そうな彼には効果を成さなかったみたいだ。
「知らんぞ、どうなっても」
「構わない」
そう言って、童子は己と同じぐらいの大きさを誇る、パイルバンカーと呼ばれる武器を手に取ろうと。コンテナの中に手を近づけた。
童子の大きな掌が、パイルバンカーの表面にゆっくりと接触する……すると。
「っ!?」
「童子!」
突然、パイルバンカーの表面が、童子の頑強に鍛え上げられた右腕を“取り込む”様に液体状に変化する。
「おい!! これは一体何のまねだ!!」
相方が、手に取ろうとした武器に取り込まれようとしている光景に、機内放送の男に妖狐が声を荒げる。しかし、それは「待ってくれ、妖狐」童子自身によって止められる。
見れば、童子を取り込もうとしていた武器が、太く鍛え上げられた右前腕の肘関節辺りで、液体化させた部分の進行を止めていた。
「どうやら、これが、この武器の装備の仕方だったみたいだ」
「……何とも理解し難い武器だの、そのパイルバンカーとやらは」
「あぁ、だが俺には丁度良いみたいだ」
そう言いながら、童子がコンテナの中から、自身の右前腕に取り付いた巨大な武器を取り出す……。
“ズモ……”と、重量感のありそうな雰囲気を持たせる、その巨大な武器は、まさに体が大きく筋骨隆々な童子には御誂えの武器であった。
「うん? 体から妖力が抜かれていく様な感じがするな……」
『どうやら、それが空砲(ブランク弾)に妖力を送り込んでいる作業みたいだな。しかし……やはり凄いな、妖怪という“もの”は。そのパイルバンカーという武器自体、総重量が0.5tは超えているというのに。何ともまあ軽々と……』
「童子は妖怪の中でも特別な存在だ、これぐらいは当然の事。それと、おぬし今、我ら妖怪の事を“もの”と言ったか?」
機内放送の男の言葉に、妖狐が少し吊り上った切れ長の眼を、更に鋭いものへと変えながら反応する。
『まて、勘違いはするな。今のは言葉のあやというやつだ……いちいち反応をするな』
「ふん……どうだかな」
先ほどから続く、二人の険悪なやり取りの中、童子は己の右腕に取り付いた武器を眺めている……。
「うん? 形が変わるのか?」
ぼ~っと眺めていると突然、手に取り付いた武器が先ほどの同様。その円柱のシルエットを液状化して崩し始めた……。
みるみるうちに形を変化させていくそれは。最終的に、長さは半分ぐらいまで縮まるが、その代わり、“杭”が射出されるであろう先端付近に四本の爪の様な存在が現れ。武器の中に取り込まれた右手には、何やらストックが握らされる感触が伝わってきた。
そして童子は、それらの新たに現れた存在の役割を瞬時に理解できた……。
この現象は、童子や妖狐が現在着用している『パワーセーブ』と呼ばれる着衣がもたらした恩恵で。肌に密着させている素材に埋め込まれた、電気信号を生成または読み取り送信できる装置を使って。童子が装備した武器から様々なデータを読み取り、それを記号として変換し、筋肉や細胞に流れる微弱な電流に乗せて送信する。これを脳が情報として処理し、自動的に一つの知識として認識できるのだ。だが、これにはまだ微妙な障害も残っており。現段階では、今回の様な童子が装着した大掛かりな武器や、セキュリティ登録した装置以外からは、情報は読み取れない事になっている。原因は、いまだ不明だ。
童子が己の武器の使用方法を理解すると同時に、突然、これまで廃都市東京の上空を飛行していた『R-01』が飛行をやめ、滞空状態へと運行状況を移行した。
『うん? どうやら新宿上空に到着したみたいだな……』
輸送機の変化に気付いた機内放送の男が、そのような事を呟いた。
しかし、そんな事を呟かれたとしても、この空間にいる二人には状況を確かめようが無い……なぜなら、ここには窓という外を確認できる媒体は無いからだ。あるとすれば、妙に明るく照らしてくれる無数の証明ぐらいなものか。
だが二人は、そんな事など気にしてないかのように、機内放送の男の言葉を待つ。
『よし。これから学園序列一位と三位の二人は、開いたコンテナを閉じたあと、すぐに廃棄地区“新宿”へと降りてもらう。ハッチの前まで進め』
機内放送の男の声を妖狐は無視……童子は従い、開いていたコンテナを閉じ、取っ手の部分を元に戻した。ちなみにパイルバンカーの着いていない左手のみでだ。
『コンテナを閉じたな? なら、ハッチを開くぞ。馴れていると思うが、開いた瞬間の風に足を取られるなよ? その分、任務もとい“お勤め”の時間が延びると思え』
すると、二人のいる空間に、何やらブザーの様な喧しい音が響き始める……もう何度も経験した、目の前の巨大なハッチが、下へと倒れるように開く合図だ。それを確認すると、二人は各々スーツのプロテクターが着けられた胸元から小型のインカムを引っ張り出し、手馴れた手つきで左耳へと入れた。
それと同時に、ついに目の前のハッチが、まるで鯨の口が動くようにして、上から下へとゆっくりと倒れこむ形で開かれた……瞬間。
ブオッ!!――――これまで遮断していた外の大気が、一斉に機内へと入り込む。
これに、別段体勢を崩すことも無く、ただ頭髪を流れ込んでくる大気に揺らしながら、悠々と佇む二人。童子はただ単純な筋力で体の軸を固定し……妖狐は、足元に青い炎の様な妖気が揺らめいている事から、何らかの術を用いていることが見て取れる。
完全にハッチが下へと開くと、まずは妖狐が前へと出た。
『その武器は信用できんからの。“わらわ”から降りさせてもらうぞ?』
流れ込んでくる大気のせいで、通常の会話がしづらいために、耳に入れているインカムから声が聞こえてくる……見れば、前に出た妖狐の頭から、一対の狐耳が生えていて。また、一人称や口調すらも、どことなく変化が見られていた
『もう“先祖帰り”をしたのか?』
そんな妖狐に、意外そうな表情をする童子。
狐耳の生えた妖狐は、それに振り向かずに答えた。
『今日はすぐに帰りたい気分じゃからのぅ、だから飛ばす事にした……まあ、相手の数は伝わっている限り人3に妖5。丁度いい数字じゃ』
『そうか……なら、俺も早く終わらせるように努めよう』
『そうしてくれ』
一通りの会話を終えると、妖狐が斜めに開かれたハッチに向かって、突然走り出す……。
その体重を感じさせない、軽快かつ歩幅の広い走りは。彼女のしなやかな動きも相まって、まるで風の流れを彷彿とさせる走りで……そして、そのまま何のためらいも無く、パラシュートも無しに身一つで、開放されたハッチから飛び出した。
◇
高度3000mからのダイビング……。
おそらく、これがオーストラリアなどで行なわれるスカイダイビングなら、さぞ気持ちのいい事であろう。だが今、妖狐が行なっているのは、身一つでの降下だ。つまり、パラシュートなしのダイビングである。しかし、形状を刀に変化させたままの試作武器を右手に持つ、妖狐の白面とも言える表情には、焦りの色は全く伺えない……むしろ、大気の壁を全身に感じるのすら意に介していない、静かな雰囲気を醸し出しながら、じっと眼を瞑っている。
きめ細かでガラス細工の様な長い金髪が、落下する際に生じている突風に煽られ上方へと立ち上がっていても、じっと眼を瞑った妖狐には、何の感情の起伏も起こらない。
バババババ!!――――と、大気の壁を突き抜けていく音。
確りと握っていなければ、すぐに放してしまいそうになる右手の刀。
しかして、それでも妖狐には意に介するものが何も無い。
そうこうしていると、禍々しく荒廃した新宿の町並みが、ハッキリと伺える距離まで近づいてきた。
すると、妖狐がゆっくりと瞼を開ける。
視線の先には、荒廃した新宿のひび割れたアスファルトの地面が広がっていた。
それを確認すると、妖狐は降下中だった身を翻し、全身で感じていた大気の壁を貫くような、直下降の姿勢を取る。
みるみるうちに上がっていく速度……もはや線で流れていく周りの景色。
瞬間――――
ドンッ!!!!
地上で待ち構えていた、ひび割れたアスファルトの地面の上に。妖狐が破片や、土ぼこりなどを巻き上げながら衝突する。
パラパラと巻き上がった破片や土ぼこりが、ゆっくりと晴れていく中……妖狐は。落下したことで作った、ちょっとしたクレーターの中心で、何の問題もなく着地していた。
そして、まずは周囲の確認をする。
破壊しつくされた建物が目立ち、紫がかった霧……“瘴気”が漂う廃棄地区新宿の情景。
「ふむ……いつ見ても、酷い有様じゃのぅ」
人と妖怪の戦争が終わって、既に一世紀半以上の時が経った今ですら。この主戦場となった廃都市東京の景色は、どこも似たようなものなのだ。
背の高かった筈のビルは、見るも無残に破壊され無くなっているか、穴だらけになっているかの二つで。他の商店だった場所や、何らかの娯楽施設だった場所も、大抵が瓦礫の山と化している。
加えて、この紫がかった禍々しい霧……これは、通常の人間では吸うことすら出来ない、非常に特殊な毒ガスの様なもので。この主戦場となった場所で死んだ人間の霊や怨霊、または妖怪の魂が発しているのだという噂がある。だが噂は噂……真相は、最先端の技術を持つ人自身が立ち入れない場所となってしまっているせいで、謎のままだ。
しかし、こうもガスが出ていると、視界が制限されて仕方が無い。先ほど妖狐が落下した事で、一瞬だけ霧が散ったのだが、それもすぐに元通りになってしまう始末。ここまで“瘴気”が酷いのは、新宿だけだと言われている。
「他の場所と違って、植物すら生えぬ土地……」
自身が作り出したクレーターから、いつも通りの悠然とした歩みで出る。
「更には訓練された人間や、わらわの様な“混血”、もしくは妖怪でなければ立ち入れぬと来たものだ……」
右手に持っている刀を、歩きながらもゆっくりと“腰だめに構える”――――
「だからこそ、なのであろうな……」
瞬間、紫の霧を掻き分けて、一人の男性と思われる影が、妖狐の後ろから飛び掛ってきた。
「ッ!!」
妖狐に飛び掛った一人の男は、そのまま持っていた錫杖を振り上げ、相手の脳天に打ち付けようと真垂直に振り下ろす……が。
「このような下賎な輩が集まってくるのは!!」
いつの間にか左回りで後ろへと振り向いていた妖狐が。相手が錫杖を振り下ろすよりも先に、腰だめに構えていた刀の刃を、男の両手で錫杖を振り上げていたためにがら空きとなっていた腹部に向けて薙ぎ払った。
瞬間、相手の着ている白装束の着衣を切り裂き、内部の肉体を切り裂く生々しい感触と音が、妖狐の触覚と聴覚、そして視覚に飛び込んできた――――
「~~~~ッ!!?」
胴体を背骨ごと切り裂かれた男は、“糸で塞がれた口”が思わず開いてしまいそうになるぐらいの絶叫を、口内で響かせる……が、しかし。胴体の半分以上を切り裂かれ、残り左脇腹の筋肉や皮膚だけで下半身と繋がっている男には、これ以上の行動は起こすことは出来ない。
故に、大量の鮮血と、生々しい内臓を周囲に撒き散らしながら。飛び込んできた勢いそのまま、男はアスファルトの地面に落下してしまう。
「まずは人1……」
そんな切り捨てた男など見向きもせずに、妖狐は刀にこびり付いた血を払うと。再び、歩を前方へと進めようとする。
しかし、今度は前方の紫色の霧が爆ぜる様にして掻き分けられてきた……。
現れたのは、ハイエナの様な頭部をした巨大な人型の妖怪。全身を“瘴気”と同じ紫色の体毛に覆われ、腕や足の関節は、四足歩行の動物のそれと一緒で逆に向いていた。獣臭がしそうな涎塗れの口元には鋭い牙が何本も並べられ、手や足の爪には引っかいた相手をズタズタにしてしまいそうな黒光りした鉤爪が生えていた。
「そうか……なるほどのぅ」
そんな身の丈2mは超えていそうな妖怪が目の前に現れたとしても、妖狐には何の危機感も感じられない。むしろ腰に手を当て、相手が間合いに入ってくるのを待っているぐらいの余裕がある。その立ち姿は、場違いにも女性としての美しさと妖艶さを演出していた。
間合いに、霧を掻き分けて出てきた妖怪が、無用心にも走りこんできた――――刹那
妖狐と、ハイエナの頭部が特徴的な妖怪が衝突したと見られた瞬間。突然、妖狐の体が“すり抜けた”様に相手の後ろへと、悠然と前を歩く姿で現れ。同時に、ハイエナの頭部が特徴的な妖怪の“頭部”が、ゴロンとアスファルトの地面に転がり落ちた……。
首を落された妖怪の胴体を伝って、大量の赤い血が滝の様に流れアスファルトを赤に染め上げる。
その様子を、また見向きもしないで、刀に付いた血液を確認する妖狐。
「よくスパスパと切れるのぅ、この武器は。奴等からの物というのが気に喰わんが、気に入った」
刃の部分に付着した少量の血液を確認した後。妖狐は返り血一つ浴びていない綺麗な白面で嬉しそうに笑みを作る。
すると、後ろの方から“ドサリ”と、先ほど首を落した妖怪の胴体が倒れる音が聞こえてきた。
同時に、何やら燃やされている音も、妖狐の耳に届いた。
そこで初めて、妖狐が後ろを振り向けば。そこには、今さっき切り捨てたハイエナの頭部をしていた妖怪の体が、緑色の炎に焼かれ、身を灰に変えている光景が見られた。
「妖怪と人の融合か、まるで狂気の沙汰じゃのぅ。姿もどっち付かず、知能もどっち付かず……ただ力のみが底上げされる研究」
もっとも、わらわも人と妖怪との“混血”じゃがのぅ……。
誰とも付かない呟きを漏らしながら。完全に灰となってしまった人と妖怪の融合体を見送る妖狐。
出来上がった灰の塊が、ここ廃棄地区新宿に、少しだけ吹いている風に巻き上げられれば。そこから何やら一枚の札の様な物が現れた。
それを確認した妖狐は……。
「しかも即興と来たか……馬鹿な連中じゃな。まあ、これで残り人1、妖4となったわけじゃが」
呆れたように、今回の相手の思考を疑った。
すると突然、妖狐が左耳に入れていたインカムに通信が入った。
「なんじゃ?」
『こちらで今、お前が計三対の目標を排除したのを確認した。どうやら、妖怪と人の融合体がいるようだな』
「別に、その程度の事、わらわには特に問題にもならぬ。何の用も無いのなら、わらわに話し掛けるな。耳障りだ」
入ってきた通信は、さきほど機内放送で妖狐と険悪な空気を醸し出していた男からのものだった。
それに、嫌悪を隠そうともしない声音で対応する妖狐。だが、男の方は事情が違ったようだ。
『お前がどう思おうが勝手だが。こちらもそう余裕を持てる状況じゃなくてね』
「どういうことだ?」
周囲の気配を、頭に生えた狐耳で確認しつつ。インカムから聞こえてくる声に耳を傾ける。ちなみに、刀は右手に持ったまま、ぶらぶらと揺らしている。
『融合体がいたということは。そこから100m先に固まっている、残りの目標が全員“くついている”可能性が出てきた。一旦、お前はそこで待機したまま。今しがた降下した序列一位の到着を待て』
くっついている……つまり、端的に言えば、全員が融合している可能性があるという事だ。
その光景を想像したのか、妖狐が「うげぇ」と露骨に気持ち悪いといった顔をした。
『これから、こちらの赤外線カメラで地上を見てみるが。相手がどれ程のものか確認できたとしても、お前を単体で出す気は無い。だから、そこで絶対に待機していろ』
「面倒な事を……だったら、わらわに科せられている“封印札”と、このスーツを外せば良いだろうに」
『それは出来ない。まだ、お前が社会の秩序を乱さないとは判断出来ないからな。それに、そこでスーツを脱いだら、お前は全裸だぞ?』
「別に構わん。里ではほぼ全裸で過ごしてきたからのぅ……まあ、その気になれば、お前達の信頼などいらぬからの。自分で取り外す事も出来る」
『ふん、実際にやってみろ。お前は、その瞬間に社会から危険と見なされ、追われる身か、最低でも一生監視が付く身になるぞ?』
「軽々しく、貴様の様なやつが“社会”と口にするな」
『現に、今は“我々の社会”だ。言って何が悪い』
「……切るぞ」
妖狐は、静かにそう告げると。相手の答えも待たずに、一方的に通信を切った。
相手に対する憤りや憎悪が膨らむのを感じるも、それを「ふん」といった短い鼻での溜息で抑えると。妖狐は、そのまま紫色の霧がかかった前方に視線を向けた。
◇
「気持ち悪いのぅ……これは」
先ほど通信を受けた地点から、100mほど進んだ場所で。妖狐は右手に持った刀を肩に担ぎながら、思わずそう呟いてしまった。
前方に見えるのは――――おそらく、一世紀半以上前は皆がワイワイと騒ぐ場所だったのであろう――――横に長い広場の中心で、もはや人の形すらしていない、醜悪で巨大な何かが蠢いている姿であった。
「即興の融合体は、様々な過程を省略して出来たもの。それらを無視した結果、何が起こるかわからない……と、聞いてはいたが。これは酷いのぅ……まるで甲殻類じゃ」
妖狐の言うとおり、広場の中心で蠢いていた何かの姿は、どこか蟹……いや、鋏のデカイ海老の様にも見え。その体色は、やはり、先ほどの融合体同様、紫色の霧と同じ色をしていた。これは多分、融合する際に、周りの大気もある程度取り入れてしまうのが原因であろう。
「じゃがまあ取り合えずは、一度切り結んでみて……ッ!?」
妖狐が、余裕綽々といった様子で、肩に刀を担いだまま、相手へと歩を進めようとすると。突然、その甲殻類にしか見えない巨大な融合体の口元から、細く鋭いオレンジ色の発光体が発射された。瞬間――――
ドドドドドッ!!!!
もともとひび割れや、地盤沈下の酷かった広場の地面を一直線に切り裂く様に。そのオレンジ色の発光体が、下から上へと振り上げられた……。
このオレンジ色の発光体が通り過ぎた箇所からは、老朽化してしまったコンクリートやアスファルトの地面が赤い熱を持って、信じられないぐらいにドロドロに熔解していた。
しかし、そのオレンジ色の発光体を放たれた当の妖狐は、難無く回避に成功しており。既に近くにあった、五階建ての建物の屋上に移動していた。
「ふむ……狙いを着けられるぐらいには。一応の思考は残っているようじゃが……あれでは無差別と変わらんな。視界の中に入った瞬間にぶっ放しおった」
五階建ての建物の屋上から、甲殻類に似た融合体の右横の姿を観察する妖狐。
やはり、蟹というよりは海老……それも、微妙に尻尾が細い事からザリガニに見えなくも無い、その姿は“どうすれば、この様な融合体が生まれるのか?”という疑問を見るものに持たせた。
『おい! 何を勝手に交戦しているんだ!! 聞いてるのか!?――――プツン
待機と命令された時から、ここに向かっている間、ずっと偉そうに通信を入れてくる相手を一方的にあしらいつつ、妖狐は、どう倒すかの対策を練る事にした。
(一度切り結ぶにしても、相手の硬そうな表面に傷をつけられるのか? それとも、微妙に存在している関節部分に狙いを絞るか? いや、まだあるな。“五行妖術”の“火気”で焼き殺したり、“土気”の雷で感電死させたり……)
挙げれば切が無いのう……と、胸中で疲れた様に呟きを漏らす。
実際、目の前で広場の中央を陣取っている融合体は、妖狐の敵ではない……しかし、融合体というのは、不確定な要素がいまだ強いために。さっきから顎で自分達を使っている上の連中が、妖狐の交戦を許そうとしない。
何なのだ、この状況は、面倒にも程がある。
ある意味であり過ぎる選択肢に、妖狐は、今日何度目か分からない溜息を、胸中で吐いた。
(……あ~もう面倒になってきたのぅ。武器は気に入ったが他が詰まらんのでは、面白くもなければ早く終わらそうという気にもなれん)
最初の『早く帰りたい』という考えはどこにいったのか?
もはや、五階建ての建物の屋上で、胡坐すらかく始末……。
目の前では、いまだザリガニの様な融合体が、獲物を探そうと蠢いているが、一向に歩き出す気配が無い。どうやら、体に存在している六本の足は、まだ上手く動いてくれない……もしくは、融合する際に失敗して、動かなくなってしまったのかのどちらかだ。
張り詰めていた空気が、どんどんと緩んでいくのを妖狐が感じた……その時だった。
「うん? この感じは……そうか、やっと降りてきたか」
言いながら、妖狐は上空に視線を向ける。
だが、上空の大気には、やはり紫色の霧がかかっていて……いや、突然、その霧が波紋を広げるようにして、円形に霧散していった、そして。
ドォン!!!!――――
融合体の正面から、少しだけ離れた地点を中心にして、凄まじい衝撃波に似た突風が吹き荒れた。
視界の殆どを支配していた紫色の霧が、一気に霧散し、晴れ渡っていく。
その衝撃波に似た突風を生み出した地点を見てみれば。そこには、先ほど妖狐が作り出したクレーターよりも、更に大きな蜘蛛の巣状にひびを入れたクレーターを作り出した男がしゃがんでいた。
あまりの出来事に、いまだ狙いをつけるぐらいの思考があった融合体は驚いた様であったが。すぐに本能の赴くまま。再び口元からオレンジ色の鋭い発光体を発射する。
ドドドドド!!!!――――と、下から上に振り上げられる発光体。しかし、それは上へと振り上げられる途中……空から落ちてきた男に衝突すると同時に、三股ぐらいに枝分かれして、周辺に破壊をばら撒いた。……が、当の命中した本人には、何の障害も見られない。
(相も変わらず、あの特性は便利じゃのぅ。自分が普段身に纏っている妖力に馴染んだ肉体が、それ以下の妖力による攻撃を弾くとは……)
妖狐の言うとおり。空から落ちてきた男……童子は、甲殻類に似た融合体のオレンジ色の発光体を。まるで蛇口から出てくる水の様に弾きながら、ゆっくりと立ち上がり、歩を進めていく。
右前腕には、『R-01』で取り付けられた“パイルバンカー”が、やたら存在感を強調している。
『妖狐』
「なんじゃ?」
すると、砲撃に似た攻撃を、いまだ何食わぬ顔で受け続けながら歩を進めている本人から。ノイズ交じりの通信が入った。
『この武器を試したい。だから、妖狐は手を出さないでくれ』
「分かっておるよ。勝手にするといい」
ちょっとした苦笑交じりに返すと、通信は何事もなかったかの様に切られた……。
「本当に、滅茶苦茶な奴じゃな、あやつは」
その呆れたという声音で発せられた呟きは、相手には届かない。
◇
オレンジ色の発光体を肉体の真正面で受け止め続ける童子……しかし、感じるのは多少の衝撃と痛み、そして熱だけだ。また周りの老朽化したアスファルトやコンクリートおも溶かす、この攻撃を受け続けてもなお、身に纏っているスーツや、右前腕に取り付いている武器には、一切の損傷は見られない。
これだけで、相当な高性能を誇っているのが頷けるのだが……それにしても、この蛇口から流れ出る水を、少しずつせき止めていくような、この行進は。誰が見ても馬鹿げていると感じるであろう。
ゆっくりと、一歩ずつ目標へと近づいていく。
目標との距離が、残り10mを切ったのと同時に。目の前の甲殻類の口から、更なる威力と勢いを持ったオレンジ色の発光体が噴出す……が、結果は一切の変動が見えない。
ゆっくりと、また一歩ずつ歩みを進めていく。
すると、目標が砲撃での攻撃を諦めたのか、急に口から出していたオレンジ色の発光体を収めた。
「っ!?」
これまで前から来る衝撃に耐えるために、微妙な前傾姿勢で進んでいた童子が。突然前から衝撃が消えてしまったために、一瞬だけバランスを崩してしまう。
そこに、目の前の甲殻類が、巨大な右の鋏を振り上げ、一直線に童子の頭上へと落下させる。
しかし……。
ドンッ!!――――短くも鈍い衝突音を周囲に響かせながら。その振り落とされた鋏は、童子空いている“左腕”一本によって受け止められてしまった。
だが、受け止めた童子の左腕に手首の関節を圧迫される痛みや。下半身にまで内臓が降りたのではないかと錯覚するぐらいの重い衝撃を与え。踏みしめていた地面には、空から落下してきたとき同様。蜘蛛の巣状のひびを作りながら、ちょっとしたくぼみを作り出していた……両の足が、老朽化したコンクリートの地面にめり込む。
「なるほど……確かに融合体だ。妖力よりも、単純な力の方が強い……」
グラグラと震わせながらも、確りと相手がこちらを押し潰そうとしている右の鋏を、鍛え上げられた左腕一本で押さえる童子……しかし、地面にめり込ませていた両の足が、さらに周りのコンクリートをせり上げながら、深く沈んでいく。
流石に、これでは拙いと感じた童子は、ある行動に出る。
上から来る圧力を押さえていた左の掌から、今度は前腕の外側へと押さえる箇所を移動させる。すると、巨大な鋏が、更に童子の頭部へと迫る。
しかし、ここからが童子がやろうとしていた事であった。
「す~……」
深く、体内に空気を取り込むために。鼻で空気を吸い込む……。
すると、童子の胸が、腹が、次第に一回りほど膨らみを持ち始めた。
そして、動きはまさに一瞬であった。
「ふんッ!!」
これまで溜めていた空気を、一息で鼻から噴出すと。童子は左前腕の外側で押さえていた相手の鋏を、自身から見て左の外側へと振り払うのと同時に。めり込ませていた左足から、右斜めへと踏み込み、そのままの勢いで、この状況を突破した。
童子に右の鋏を振り払われてしまった事で、甲殻類に似た融合体は、右の鋏を標的よりも少し後ろ側の地面に振り落としてしまい、前のめりにバランスを崩した。
その大きな隙を、振り払うと同時に踏み込んだ童子が逃すはずは無かった。
踏み込みの勢いで、突貫する速度も得られた童子は。巨大な相手の懐へと、一瞬で侵入すると。そのまま足の回転数を上げて、遂には融合体の腹の部分へと到達した。
同時に、右腕に取り付いた“パイルバンカー”を後ろへと振りかぶる……先端付近に存在する、四本の爪が、まるで蜘蛛の足が開いたかのように口を開ける。そして――――
「ふっ!!」
ガンッ!!――――前進の勢いと、腰や肩甲骨を上手く使い、童子は“パイルバンカー”の先端を、融合体の腹に打ち付ける……瞬間、蜘蛛の足の様に開いていた四本の爪が、相手を放すまいと、融合体の硬い甲羅の様な腹に爪を突き立てる。たったこれだけで、相手の腹の甲殻にはひびが入ったが、この“パイルバンカー”の真価は、ここからであった。
「すまないな、これも“社会に貢献するための勤め”なんだ」
童子が、取り付いている“パイルバンカー”の内部で、右手に握られているストックを捻るように回転させる……刹那、内部で空砲(ブランク弾)に込められていた童子の妖力が爆発を起こし、その反動で、先端の穴から人の足ぐらいの太さがありそうな鋭い“杭”が、相手の腹の甲殻を打ち貫いた。
ガァァァァァン!!!!――――と、これまで聞いた事も無いような重量感のある音と、硬い何かを、同じ硬いもので打ち砕いた轟音が、辺りに響き渡る。
そのあまりの威力に、融合体の腹の甲殻は粉々に砕け。突出された“杭”の威力の余波に、射線上にあった他の部位も、貫かれるように“風穴を空けていった”。
「……」
童子にとっても驚くほどの反動を感じた“パイルバンカー”の“杭”が、何の問題も無かったかのように元の場所へと戻る……すると、それに連動して、相手を固定するために突き立てていた爪が、ゆっくりと閉じ始めた。
一通りの待機状態へと戻ると、“パイルバンカー”の後ろにある排熱口から、余剰妖力も混じった熱が、ものすごい勢いで吐き出され。外側に備え付けられていた排莢口からは、バケツぐらいの大きさの空薬莢が外へと吐き出された。同時に、次弾を装填する機械的な音が、童子の耳に入った。
しかし……すでに目の前の標的は、腹から真後ろにまで“風穴”を空けていて、とても再び動き出すとは思えなかった。
◇
「はぁ~……とんでもない威力じゃのう」
頭に生えた耳を逆立てながら、五階建ての屋上で高みの見物を決め込んでいた妖狐は。あまりの非常識な威力に、驚嘆を覚えるしかなかった。
確かに、あの武器が無くとも、童子は敵を一蹴できた……しかし、それにしたって、作った人間の頭を疑うレベルの威力であった。
実際、あの“パイルバンカー”が真価を発揮した瞬間。童子の後ろでは紫色の霧が一瞬で吹き飛び、その威力を誇示するかのように、風穴を空けた先の建物にまで、“杭”を突出させた余波だけで、ちょっとした破壊をもたらしていた。
“杭”は出れば戻ると言っていた……ということは、インパクトの最大を迎える地点では、どれだけの衝撃がもたらされたのか想像すら出来ない。
「妖力を使うということは、あやつの馬鹿みたいな妖力も関係しているんじゃろうが……まあ、考えても仕方が無いしの。これで帰れるというものじゃ!」
もはや考えるのも馬鹿らしくなってきたと感じた妖狐は。胡坐をかいていた体勢から立ち上がると、そのまま五階建ての屋上から、ゆっくりと飛び降りた。
その嬉しそうな表情には、もう帰った後の事しか考えていないといった考えが見て取れた。
明日は学校……新しく第二学年に上がって、初めて迎える授業の日。
いや顔にも、ちょっとした楽しみを与えてくれる、その事は。自然と、妖狐が童子の下へと向かう足取りを軽くしていた。