誘惑
私は今日も骨董市に来ていた。今までに行ったことのある骨董市と比べると、会場の規模は小さめで人もまばらだ。会場、といっても屋根はなく、その骨董市は見捨てられたような小さな公園でひっそりと開かれていた。
受付もなく、私はそろそろと会場に入る。今日が、ぶ厚い雲が一面に垂れこめる空模様だからなのか、会場までなんだか灰色で陰気に見える。空気も5月にしては冷たい。私は無意識に茶色のパーカを引きよせ、ちぢこまるようにして歩いた。
骨董市、というのは骨董品の即売会のことで、ほとんどの売主が割り当てられた区画の地面にシートを直接敷いて、その上に商品を並べている。売主本人はというと、シートにじかに座るか、またはパイプ椅子に腰掛けて、ぼんやりしたり、なにかの雑誌を読んだりしている。接客する気はゼロだ。見たいやつは勝手に見てってくれ、そんな雰囲気がどこの出店者にも漂っている。
もしかしたら素人が多いのかもしれない、と私は思った。大規模の骨董市になると、ちゃんと骨董品の店舗をどこかに構えていたり、WEBショップを開いている人たちも多いが、ここに出店している人たちは、フリーマーケットのように、家で眠っていた不要なものをかきあつめてただ持ち寄った、という感じだ。それを売っていくらかの小遣いになればいい、というような。
期待外れかな、と私は思いつつも掘り出し物がないかどうか狭い会場内を丹念に見て回った。
今はこれだけが私の楽しみ。骨董品というのはいわゆる古道具だ。希少価値、あるいは美術的価値のある高価なものを想像する人もいるだろうが、私はひと昔前の、両親に言わせれば自分たちが子どものころに使われていたようなガラクタに、とても心惹かれるのだ。ネットで調べてみると、正確には、ビンテージとか、コレクタブルというらしいが、まあどうでもいい。どうせうん百年前の希少ないかにも価値ある骨董品、というものなど私には高すぎて手が出ないのだから。
今日この場所で骨董市が開かれるということは、インターネットを通じて知った。ネットは便利だ。家に居ながら色々なことを調べられる。無駄に人に会わなくてよい。私にはうってつけだ。
あれこれと骨董品を物色しながら、ここの骨董市の売主たちは話しかけてこないから気楽だ、などど安堵していると、前のほうから服装がやたら派手なカップルが手をつなぎながらどこか緩慢な動作でやってきた。私は思わず身構える。二人とも金髪で、男のほうは鼻と唇にピアスをつけ、女のほうはというと、けだるい口調でやたら男のほうにきゃんきゃん話しかけている。
「なぁに~ここ、何売ってんのか意味分かんないし。もう行こうよ、ってか、マジ疲れた~」
女はすれ違いざまに私の肩にぶつかったが、私のほうを見もしないで、そのまま行ってしまった。私はハッと息をはきだし、全身に入っていた力を抜いた。「馬鹿みたい。あの二人は、私のことなんて気にしていないのに」心の中で呟く。分かってはいるけれども、特にああいう派手な人は怖い。派手ではなくても、こっちをちらとでも見られると、なにか私のことについて言っているんじゃないかと不安になる。
「なぁに、今の子くらーい」
「超ブス」
「死ね」
悪口はいくらでも頭に浮かぶ。あの、地獄だった3年間……。
私は今年18になる女だ。本来なら高校三年生という生徒の身分か、働いている年だ。けれど、高校には行っていない。働いてもいない。中学をでてからずっと家に閉じこもっている。こういうのをいわゆるひきこもり、というのだろうか。外出するのは今日みたいに骨董市に行くときだけだ。こんな風になった理由は、中学生のときのクラスメイトによるいじめだ。あれ以来、人間が怖くてしかたがない。もともと内気な性格だったが、いじめのせいで輪をかけておどおどした性格になり、人とコミュニケーションというものが全くといっていいほどとれなくなった。親は腫れ物にふれるように接している。
会場内は狭く、出店は40から50くらいの数だったので、ひと回りするのに30分かからなかった。稀に売主が話しかけてきそうなときは、さっさと逃げるように退散した。とくにめぼしいものはなく、帰ろうかと入り口に足を向けたとき、「それ」は目に入った。
「それ」は入り口付近の店に並んでいた。売主はいない。たぶん数メートル先で立ち話をしている女性3人のうちの誰かだろう。店の商品にはそれぞれ簡単な説明書きがカラフルな文字でされていて、いかにも女性らしい。すべての商品が水色のシートの上にきちんと並べて置かれている。レトロな置物、アクセサリー、それに少女漫画の付録など、どちらかといえば女性向きで昭和初期から中期の日本の小物が中心だった。ともかく売主がそばにいないのは私には好都合だ。そそくさと商品の近くにしゃがみこむ。
「やっぱりきれいだ」
私は久しぶりに胸が熱くなるのを感じた。
私が目にとめた「それ」は平たい長方形のケースで、私の片手におさまりそうなほど小ぶりに見えた。妖精の絵が蓋の部分に描かれている。材質はプラスチックであろう、小物入れか何かだろうか。シートの奥の方にぽつんと置かれたそのケースはここからではいまいち仔細がわからなかった。だがその妖精の絵は私の心を激しく揺さぶった。
それは色の白い巻き毛の少女の絵だった。どうやら妖精らしく、背中からは羽がはえていて、七色の草花を背景にこちらに向かって優しく微笑んでいる。私の常にどこか空虚で鬱々とした心を癒してくれるような、何か許されるような微笑みだ。「だいじょうぶよ」と囁いている声さえ聞こえる気がする。
手にとって眺めたいが、どう売主に声をかけようかとか、あの3人の中にこの店の売主がいなかったらどうしようとかいろいろ考えているうちに、ぽつり、と水滴が手のひらを打った。次に頬に。「あ、雨だ」と気付いたとき、頭の上から甲高い声がした。
「お気に召したものがございましたか~?」
心臓が一回転し、私も前に転がりそうになった。慌てて立ち上がると、今度はふらついて後ろに倒れそうになった。私がそんな1人芸をやっているあいだ、声の主はずっと張りつけたような笑顔を浮かべていた。
「このブローチなど最近入ったもので……」
売主は30前後の女性。頭に桃色の花飾りをつけ、派手めのメイクに、パッチワークのロングスカートと、とにかくカラフルな人で、茶色系の服でまとめたスッピンの私とは対照的だった。頭に響く高い声でハキハキ商品説明を始める。
何を勧められても私の頭には、少女の絵が描いてある長方形のケースしかなかった。それなのにハキハキした商品説明を遮るタイミングがつかめず、「あのケースを下さい」の一言が出ない。売主が説明を続ける間、何度も私は「あのケースをください」と心の中で繰り返していただけだった。
「どうでしょう、お客様……あら?雨かしら、やだ降ってきちゃった」
私が馬鹿みたいに突っ立っているあいだに、雨はいよいよ勢いを増し、本降りとなった。どこの店も急いで商品を片付け、店じまいを始めた。にこやかに私に商品を勧めていた売主も、何もしゃべらない私に対して接客をさっさと諦め、素早い動きで、商品を段ボール箱に詰める作業に入ってしまった。私はその姿を眺めながらまだ突っ立っていた。
すると、私のことを忘れたとばかり思っていた売主が、だしぬけに言った。
「なにかお探しだったんですか、もう店じまいなんですが」
その顔にもう笑顔はなく、どことなく面倒くさそうな口調だった。私は怯んだ。ふと見ると、売主は今まさに少女のケースを新聞紙にくるんで段ボール箱にしまうところだった。私は一歩足をすりだした。そして、
「それを……」
蚊の鳴くような声で少女のケースを指さした。少女が、「たすけて」と私に言ったような気がしたのだ。