第三章 :17 協力と裏切り
音が変わった。
——誰も、機械声を聞かない。耳の奥が静かだ。
代わりに、全員のスマホが一斉にふわっと明るむ。優しい白。
《転倒回避:荷重を右足へ。次の一歩を短く》
《凍傷防止:手袋内で指を動かす。三十秒》
《呼吸:吸って四拍、吐いて六拍》
それはアナウンスではない。囁き。
文字が身体の内側に入ってきて、そっと支える。
「アプリ……来たな」ゆうじが画面を睨む。短い指示が流れ続ける。
「言葉が柔らかい」ゆめが呟く。トングを握り直し、呼吸を合わせる。
鬼頭は鼻を鳴らす。「ええやん。こういうのが一番ありがたい」
たかしのスマホも震えた。
だが表示が違った。
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《特別仕様:リンク補正》
結果傾向:会心/不発(極端)
発動合図:『たかしご飯食べたの?』
同期:現在値 68%(スコーし向上中)
ヒント:勢いは宝。転んだら笑え。
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「え、極端すぎない?」
つい声が裏返る。胸がザワザワする。
「俺、たぶん……いや、たぶんとか言ってる場合じゃ——」
「前見て」ゆめが短く制す。トン、と肩を叩く。
白波翔が合図を送ってきた。結束バンドで束ねた包帯と、簡易ヒーターを床に置く。
「配布。優先は指先死んでるやつ。時間ない。要点だけ」
短い。実務だけ。目の下に青い影。疲れているが、筋は通っている。
対面。
倉科ジンが手を振る。笑顔。
「はいはい物資交換〜、こっちは花火とスリングの替えゴム。そっちはヒーターと——あ、ついでに地図、もう一枚」
床を滑るパッケージ。カサ、カサ。
鬼頭が片膝でチェックする。
「ん。……おい。これ、ヒーターの芯、一本抜けとるやないか」
ジンは肩をすくめる。「悪く取るなよ。安全確認だよ、安全確認」
白波の声が低く落ちる。「返せ」
「返す返す、もちろん。ほら」ジンは芯をひょいと戻す。にや。
ゆめの視線が一度だけ鋭く刺す。が、言葉は飲み込む。「今は進む」
松永燈子は黙っていた。タブレットに線を重ね、冷風ドローンの巡回周期を示す。
「ここから東二本目の通路。渦の“目”が連続する区間がある。交差は三十秒ごと。ルールを守れるなら同行を許可。守れないなら個別行動」
声に温度はない。だが正確だ。
進行。
シャッ、シャッ。
白い粉が靴底で鳴る。冷風が頬を撫で、耳が痛む。
《段差注意:右前方、5センチ》
《視界不良:列から離れない》
囁きが、足の運びを整える。たかしの喉も、さっきより楽になっていた。
角を曲がる。
ドローンの青い目が、すぐそこに現れた。ブゥゥン……。
白波が腕を上げる。「止まれ」
全員がぴたり。
——一人だけ、影がふらつく。肩を抱えられた青年だ。足が流れる。
冷風が寄ってくる。危ない。
《体温低下:遮蔽物》
スマホの一行が、たかしの視界に走る。
「俺、行く! ——たぶん!」
「待って!」ゆめの制止が半拍遅れた。
たかしは滑る。
膝、床。いってぇ。
でも、台車が視界の端で輝いた。
「借りる!」
白波のパレット台車。たかしはそれを押し、青年とドローンの間へ突っ込む。ギィィ。
金属音。青い風。台車が鳴く。体の芯が冷える。
「カウント!」ゆめの声。
「吸って四、吐いて六——」松永の無機質な声が重なる。
鬼頭がラムネ瓶を構え、ビー玉を弾く。パアン。炭酸の白が霧を割る。
ゆうじの反射板が一条の光を作る。ドローンのセンサーがそちらへ向く。
今だ。
「たかし——」
心で合図が重なった気がした。息も声も、まだ完璧じゃない。
でも、胸の中の輪郭が、ぐっと熱を持つ。
「ご、——ご飯食べたの?」
たかしの声が掠れる。
不完全。同期は68%のまま。
エッグチェーンが、半歩だけ伸びる。ビュ。
ドローンの外殻を掠め、青い目が一瞬だけ瞬く。が——不発。
「わっ、やべ——!」
冷風が逆流。たかしの肩が凍える。歯が鳴る。カチ、カチ。
《痛覚分散:耳たぶをつまむ》
囁き。
つまむ。イタ。意識が戻る。
その瞬間、誰かの声がぴったり重なった。
「たかしご飯食べたの?」
ゆめ。
鬼頭。
白波まで。
短い言葉が、冷気の中で一つに響いた。
胸の輪郭が爆ぜる。
会心。
エッグチェーンが、卵とは思えない重みで回る。光の弧。ヒュン。
ドローンのファン軸に絡み、金属音を鳴らして止める。ガギィン。
青い目が消え、冷風が弱まる。
静か。
白波が青年を抱え直す。「助かった」
その言い方はそっけないが、礼だ。
鬼頭はたかしの肩を叩く。「ようやった。調子は?」
「い、今のは……たぶん、当たり」
息が白い。膝が笑う。
ゆめが近づいて、手袋越しに手を握る。あったかい。「次は“たぶん”抜きで行く」
倉科ジンが指をひらひらさせる。「いやぁ、いいもの見せてもらった。連携って大事だね。ところで、さっきの台車、貸し出しってことで——」
白波が無言で台車の取手を引く。ギ、ギ。
ジンの笑顔が一段薄くなる。「はい、実務最優先」
小さな軋みで済んだ。
裏切りの種は蒔かれたが、爆発はしなかった。
松永が言う。「次の交差まで二十秒。進む」
連合は、薄い信頼と厚い損得で、ぎこちなく動き続ける。
スマホの囁きは短い。やさしい。
たかしの画面だけ、時おり極端に振れるバーが出る。会心か不発。中間がない。
「俺、いける。たぶ——いける」
言い直して、前を見る。
氷の通路が続く。
階層の奥に、見えない“関門”の匂いがした。




