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第一章:9◆それぞれの戦い

◆ 安井 誠一 視点


足が震える。手も震える。ホチキスのレバーが汗で滑る。

——情けない。でも、やるしかない。やらなきゃ、でんちゃんにエサをやれない。


「……でんちゃん、待ってろよ……」


自分でも笑ってしまうほど小さく呟いた。背広の内ポケットには読みかけの文庫。SFの佳境。あと三十ページ。あと三十ページ読むために、俺は今ここで踏ん張る。


目の前の化け物は、黒い鎧みたいな皮膚をギラギラさせている。揚げすぎた表面。ひび割れの奥に、ぐつぐつと煮え立つ油。

——狙うのは“目”か、“継ぎ目”。ホチキスの針が効くのはそこだけ。


「ほ、ホチキス・ショット……行きます!」


カシャッ。

針が飛ぶ。かすかな金属音。光の点が唐揚げ王の目の縁で止まる。ひと呼吸、巨体が鈍る。ほんの、ほんの一瞬。


(今のでいい。みんなの“間”になれば、それでいい)


次の装填——針のカートリッジが噛んだ。

やばい。カシャカシャ……入らない。焦るほどにレールがズレる。指もたつ。手汗がにじむ。


「落ち着け、俺……!」


深呼吸。針束をまっすぐに整える。指先に油煙がまとわりつく。熱い。喉が焼ける。

カチン、と正しい位置に噛み合った感触。レバーを引く——


カシャッ! カシャッ!

二連射。今度は顔面の“継ぎ目”。衣と衣がくっついた微妙な段差。そこに針が“楔”になって食い込む。


(いける……!)


左手にはコピー用紙の束。百枚。雑だが輪ゴムで固めて、簡易の“紙盾”にした。

利点:軽い。視界を邪魔しない。

欠点:油で湿るとすぐ“フニャる”。炎には最弱。

——でも、今はないよりマシ。


「前へ出るなら、紙盾、使ってください!」

自分でも驚くほど大きな声が出た。

ゆめが一瞬こっちを見る。頷き、紙束を受け取り、油の飛沫をはらうように使った。紙が焦げて黒く反り返る。臭い。だが、彼女の頬は守れた。


(よし……!)


電卓を引き出す。“=”キーを押すたびに短い電子音。

狙いと距離、針の落下を“なんとなく”頭で補正——いや、正しくは願掛けだ。だけど、俺にはこれが“戦術”だ。

ホチキス・ショット。カシャッ。カシャッ。

針がきらめき、唐揚げ王の“瞬き”を奪う。


「——たかし君、今!」


彼が投げた卵の光が、鎖みたいに胴へ絡む。

俺はさらに針で“結び目”を固定した。

鎖の締め付けがスコーし強まった……気がする。気がするだけでもいい。今は信じる。


(あと三十ページ読む。でんちゃんにレタスあげる。次の週末はサバゲー……いや、現実はもう十分なんだけど!)


息を吐く。深く。

震えは……おそらく、少し収まった。



---


◆ ゆめ 視点


熱い。拳が痛い。足の指が痺れる。

床は油で滑る。視界は油煙で白く歪む。

でも——私は止まらない。


(外は鎧。中は油袋。ゆうじの分析が正しいなら——“割って”“抜く”)


私は“段階”で動く。

小さな行動:足の角度。滑らないように、床の“ベタつき”と“ヌルつき”の境界を探す。

中くらいの行動:紙盾で油の飛沫を捌き、トレイで軌道を変える。熱が掌を刺す。金属がミシ、と歪んだ。

決定打:割れ目。ひびに拳を叩き込む。ただ闇雲じゃない。“音”を聴く。ガキン、ゴリン、ベキ。——いま、割れた。


「ふっ……!」


私の拳は小さい。力も、突出して強いわけじゃない。

だから“積み重ねる”。

たかしの卵が締める。安井さんのホチキスが止める。ゆうじの言葉が“正しい場所”を指す。

私の役目は、そこで“壊す”こと。迷わないこと。


唐揚げ王が吐き出した油の津波。

紙盾が焦げる。トレイの縁が赤く染まり、掌に鋭い熱が刺さる。

痛い。

でも、痛いのは“体が生きてる”証拠。


「たかし、右回り! 足、滑るから、重心低く!」


叫ぶ。届く。彼が頷く。

その背中が……怖い。無茶する。直球すぎる。だから、私が“曲げる”。

彼の直線を、勝ち筋に曲げる。


(藤広……あなたの目、見てる。震えてるのに、震えてない目。私は忘れない)


私は貼り付けるように前へ出る。

トングを拾った。惣菜用。長い金属。

利点:油に届く長さ。器用に“はさむ”。

欠点:軽い。撓む。受ければ手首が“負ける”。


「ふっ!」


トングで“割れ目”を開いて、拳を差し込む。

一瞬の“ゴリッ”が伝わる。砕けた。

中から、熱い蒸気。焦げた香り。唐辛子……? いや、違う。あれは酸化した油の匂い。

吐き気がこみ上げる。

私は吐かない。吐いたら負ける。


(あと少し。割る。抜く。倒す)



---


◆ ゆうじ 視点


熱には種類がある。

接触熱。対流。輻射。

——今、俺たちを焼こうとしてるのは“輻射”もでかい。皮の表面が赤外線の壁みたいに熱を投げてる。


なら、遮る。

アルミホイル。反射率高い。

棚から引きはがして、トレイの裏に貼る。

即席の“反射板”。利点:軽い・広い・瞬時。欠点:破れやすい。端で手を切る。俺の指から血が“にじむ”。痛い……が、平気。


「受けろ!」


ゆめの紙盾にホイルを重ねる。油の光が“反射”して、ほんの少しだけ熱が和らぐ。

ほんの少しでいい。その一瞬が命取りを避ける。


火には水を“かけない”。

油火に水は厳禁。跳ねる。爆ぜる。

でも“中身を冷やす”ことはしたい。

だから——“入れる”んじゃなく、“通す”。


ペットボトルの水を、トングの先で“霧”にする。

目標は“割れ目”。霧が内部に触れた瞬間だけ、温度差のストレスを与える。

利点:ピンポイントの冷却。欠点:外せば最悪。火の息が暴れる。


「たかし、次の卵、割れ目に“沿わせて”!」


彼の“バカ力”に、俺の“角度”を乗せる。

安井さんのホチキスが“止め”を作る。

ゆめの拳が“割る”。

俺は“通す”。


もう一つ。

重曹——NaHCO₃。清掃コーナー。油まみれの床で転がってる箱を拾う。

消火剤の代わりには“なり得る”。酸性に寄った劣化油を抑え、気化しながら“窒息”を誘う。

利点:そこそこ広がる。欠点:足場がさらに悪化。味方もむせる。


「行くぞ……!」


唐揚げ王の“腹”が膨らむ。

表皮がパキ、パキ、と割れる。

——あれは“吹く”前触れだ。


俺は“タイミング”を口に出す。

「三……二……一——今!」



---


◆ 藤広 慎二 視点


震える。汗が滴る。心臓が喉から飛び出しそう。

——演技はここまでで充分だ。誰も俺の目を見ていない。見ているのは、燃え盛る怪物だけ。


(俺は生き残る。どんな手でも使う。娘の七五三、見たいからな)


視線は冷たい。頭は冴えている。

棚の隙間、逃げ道、足場の“乾いている帯”。

味方——いや、“利用可能な駒”。

たかしは即反応。呼べば振り向く。優しさは“鈍い刃”。切れないが、絡まる。

ゆめは警戒。近づきすぎれば“殴る”女だ。効く。

安井は……使いやすい。囮に自らなる、タイプ。

ゆうじは読みすぎる。コイツの“計算”が時々、世界を救う。


(さて、俺は……俺の道を作る)


モップ。長い柄。床の油を吸わせる。

利点:距離が取れる。欠点:重い。滑る。

漂白剤。清掃コーナーのボトル。ラベルが剥がれて、成分なんて読めない。

——でも“刺激臭”は覚えている。鼻にツンとくる、あの匂い。


(やるぞ)


わざと手を滑らせる。ボトルが床に落ち、白い飛沫が空気に霧をつくる。

視界が白む。

たかしが咳き込む。ゆめが眉をひそめる。

すまんな。これは“俺の煙幕”だ。俺のための、逃走路。


「ひっ……ひぃい! ごめんなさい、ごめんなさい!!」


声だけは震えさせる。

俺は白い霧の中で、足の位置を一段下げ、熱の流れから外れる。

目は見開いたまま。

(——ここで死ぬか、次へ進むか。俺は後者だ)


ボトルを蹴る。転がる先は唐揚げ王の足元。

匂いにうめき、奴の顔がわずかに逸れる。

その瞬間——


(行け、たかし。お前は“見返りを求めない”。だから、今だけは“俺の盾”になれ)


胸の奥がチクリと痛い。

自己嫌悪? 違う。

これは“生きたい痛み”だ。



---


全体視点リンク


ズシィィィィン!!

唐揚げ王の腹が、さらに膨らんだ。

ひび割れは蜘蛛の巣。中から白い蒸気がキィィと鳴る。金属ではない“高音の圧力音”。


ゆうじの声が飛ぶ——「今!」

たかしの卵が割れ目をなぞり、光の鎖が深部へ潜る。

ゆめの拳がヒビを押し広げ、トングが“抜け道”をこじあける。

安井のホチキスが“結び目”を固定し、唐揚げ王の“瞬き”を遅らせる。

藤広の白い霧が視界と呼吸を削り、偶然のようでいて、確かに“向き”をずらす。


——一瞬、全てが噛み合った。


「おらぁぁぁぁぁ!!!」

たかしの叫びが空気を切る。

卵の光が、胴の中心へ食い込む。

内部の油が、わずかに“冷える”。

温度差のストレス。膨張と収縮。

——音が変わった。くぐもった腹鳴りが“裂ける音”へ。


ベキィィィィィン!!


裂け目が走る。

熱風。白煙。刺激臭。

床を這う油が、一瞬だけ“引いた”。


(いける!)


……だが、終わりじゃない。

裂け目は“新しい口”だ。

奥で赤い灯りが一瞬、明滅した。

コア? いや、単純な心臓ではない。

再加熱の“起動”。

——第二段階の前兆。


【ボス:形態変化 予兆】

青白いウィンドウが、無情に現れては消える。


「っは……まだ続くのかよ……!」

たかしが膝をつきそうになる。ゆめが支える。

安井は紙盾を新しく重ね、ホチキスの針束を交換する。

藤広は白い霧の“濃淡”を見比べ、次の逃げ道を測る。


「たかし」

ゆめが囁く。たった一言。

それで彼は立つ。拳を握り直す。視界の隅で、卵の残数がチラつく。

【在庫:3】

心臓がドクン、と跳ねる。足が重い。喉が痛い。

でも——前を見る。


ゆうじが短く言う。

「次は“芯”だ。吹かせる前に、抑える。俺が道を作る。……任せるぞ」


その言葉に、安井が笑った。緊張が解けるような、間の抜けた笑顔。

「ええ、任せてください! ——でんちゃんのためにも!」


ゆめが苦笑。

藤広の口角が、微かに動いた。皮肉か、感心か、自分でもわからない。


唐揚げ王の胴がまた膨らむ。

熱と匂いと音が、限界ぎりぎりで渦を巻く。

床の泡立ち。照明のチカチカ。汗の塩味。

耳の奥で、低い機械音——いや、鼓動。

世界がひとつの“フライヤー”になっていく。


——次の瞬間、全員が同時に動いた。


(たかし:投げる)

(ゆめ:割る)

(ゆうじ:通す)

(安井:止める)

(藤広:逸らす)


五つの意思が、たった一手の“矢”になる。

油煙の壁へ、まっすぐ。


赤黒い光が、視界を塗りつぶした——。


——続く。


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