第7話 事件の真相に辿り着く話
「これはオレと、そして牡丹の問題だ」
屋上の風が強くなる。彼女の短い髪が、僅かになびく。
「首を突っ込もうってんなら、痛い目見るぞ。悪魔」
「嫌な言い方ね。ツバメって呼びなさい」
「……どうでもいいんだよ」
足を肩幅まで開く。松浦の時のように、隙は突けない。
人気のない屋上に呼んだことを悔いた。たとえ死体となっても、人が来る前に腐り果てるような場所。
唇をきつく結んだ。それでも、恐れを表面には出せない。
「関わるなと言われたら、しゃしゃり出たくなるのがサガなんだけどね」
「だったら、ぶん殴られても文句は言えねえよな」
ホタルは指を鳴らした。一瞬でも目を逸らせば、床に叩き付けられそうな威圧感。
「やる気なの……っ!?」
こちらも応戦するしかない。ツバメが身構えた、その刹那。
言葉にできない、魂が揺らぐ感覚。体勢が僅かに崩れ、額から滝のような汗が流れ出る。
嫌な気配。不意に手足が動き、身体が自由になった。
「まずい、時間切れね」
「……はあっ?」
その言葉を最後に、ツバメの存在は跡形もなく消え去った。
ゆっくりと辺りを見回す。こちらが声を出しても、それに応じて姿を現す気配がない。
逃げ道の消えたこの窮地で、憑依が切り離されるなんて。
「ちょっとツバメ、いきなり何で……」
「ゴチャゴチャうるせえなぁ!」
「うあっ!?」
このままではまずい、と顔を上げた直後、眼前に迫ったホタルと視線が衝突した。
真っ白な壁に、小さな拳がめり込んでヒビを加える。
「どうせお前も、復讐は何も生まねえとか思ってるんだろ?」
衝撃で血が滲んでいる。それでもホタルは眉一つ動かさず、壁から腕を引き抜いた。
少し狙いを外せば、頭が粉砕されてしまうほどの力。
悲鳴すら出せなかった。ただ腰を抜かしながら、その場に崩れ落ちる。
「……そ、そんな、こと」
「殴られたらブチ殺す。それがオレたちにとって、欲望を満たすための一番の近道だ」
昼休みの終わりを告げる、チャイムが辺りに反響した。この先のことなんて、とても考えられない。
情けだと言わんばかりに、ホタルは静かに背を向ける。
日芽野だった頃、可愛らしいとすら思えたその後ろ姿は、今やその影すら恐怖の対象でしかない。
「正義とか道徳の話を持ち込むんなら、二度とこっちに関わるんじゃねえ」
自分は何もできずに、相手が扉を閉めるのを見届ける。
雲の合間から差した太陽が眩しい。右手で塞ごうとしたが、腕はまともに上がらなかった。
声が掠れる。本当は、あいつを殺す勢いで叫びたいのに。
「誰もしてねえよ……そんな話」
再び動けるようになるまでは、気の遠くなるほどの時間がかかった。
日の落ちた自宅のリビング。冷蔵庫のジュースを啜ると、ようやく不快なビジョンが頭から消えていく。
「何でトンズラしたの、バカ悪魔」
家に戻ると、ツバメは何事もなかったかのように現れた。
苛立ちながらスマホを弄る。うまくいったと思ったら乗っ取られ、喧嘩だけ売って逃げるなんて。
笑顔で正座をする律義さが、尚のこと気持ち悪く思える。
「契約者でない人間に憑り付くのは、二分が限界なのよ」
「ならそう言えば良かったでしょ。後付け臭い」
「聞かれなかったから言わなかったの。まあ、今回ばかりは私の不手際だったわ」
思い返してみれば、ツバメが松浦を殴った時も、いつの間にか身体の自由が戻っていた。
契約すれば、ホタルのように悪魔の憑依が自由になる。
質の悪いサブスクのようだった。鬱陶しくなり、頭にかかった前髪を振り払う。
「過ぎたことは取り返せない……とはいえ、あいつの悪魔が分かったのは収穫だったか」
関われば、殺されるかもしれない。分かっていても、前に進むことを躊躇えなかった。
自分を舐めたあの悪魔を、どうにかしてぶっ飛ばしてやる。
「それ、何見てるの?」
「被害者の名前と出身地、あと部活なんかでアカウントを特定してみたの。プライバシーって、掘ってみたら案外ダダ漏れだしね」
「やるわね、流石はインターネットネイティブ」
七割は鍵が付いていた。だが、アイコンの写真とプロフィールがあれば必要十分。
フォロワーとして、互いに繋がっている者も多く見られる。
「高校も趣味も活動範囲もバラバラ。そう考えると……中学の線が濃いかも」
次第に情報が繋がってきた。被害者たちのアカウントを載せたスクリーンショットと簡単な推理を、登録した日暮のラインに送り付けていく。
メッセージの既読と喜びのスタンプが来たのは、送信が完了した数秒後のこと。
「ちゃんと読んでんのか、こいつ?」
「あの子が事件を起こしている理由が分からないわね。本人に聞こうにも、多分無理そうだし」
「殴られて終わりでしょうね、誰かさんのせいで」
門前払いは確実だと思える。接触するのは、今ではない。
ネットニュースを探った。地域で絞れば、該当の事件が山のように出てくる。
現場を見れば、搬送先の病院もある程度は察しが付く。
「気が進まないけど、聞けそうな奴を探ってみるか」
ジュースを飲み終え、コップを置く。力を入れたら破れそうなティッシュに、口の汚れを押し付けた。
西田和馬。掲げられた名札を探り、病室を開ける。
「……失礼、しまーす」
「ん、君は?」
「初めまして。三組の赤月っていいます」
首を傾げられる。同じクラスの名前ぐらい覚えろよ、と怒鳴りたくなったが、ぐっと堪える。
ベッドの隣にあるテーブルには、先客が置いたらしい花と、全く使いどころのない千羽鶴。
「松浦君の友達です。お見舞いに来たんだけど、同じ病院に三組の子もいるって聞いて」
「そっか、あいつに女子の知り合いが……」
愛想笑いを浮かべる。松浦の病室は別の階。接触は無いだろうと推測したのが、功を奏した。
視線を横に移す。ツバメは、ドアの前で待たせている。
「火事、だったっけ?」
「ああ。正直、こんなことになるなんて思わなかったし、ひょっとしたら……無理かも、って思った」
「やっぱり、すぐには忘れられないよね」
松浦よりも話ができる。そう思ったが、頭を横に振った。
外面はそうでも、日芽野の前ではどうせ違う。怪物であるという可能性を、捨ててはいけない。
一歩引いた距離のまま、自分は言葉を紡ぎ続けた。
「……あっ、ごめんね」
「や、これはそうじゃないんだ。そうじゃ、ないんだけど」
「んっ?」
歯切れの悪い言葉。両手が小刻みに震えたまま、一歩を踏み出そうとしない臆病な表情。
自分の動き次第で、情報が引き出せる所まで来た気がする。
頭を捻った。揺れ動く今の西田に、最も効くような言葉は何なのだろうか。
「……代わろうか?」
「そういうのだけは早いわね、あんた」
振り向いて小声で話す。気付けば、待たせていたはずのツバメが目の前まで来ていた。
「もし暴れたら、容赦しないからね」
二分。それまでに、西田を懐柔できるかは分からない。
それでも、僅かな可能性に賭けてみる。自分の知らなかったことを、掴むことができるなら。
右手を伸ばす。彼女の透けた指と、ほんの僅かに重なった。
「大丈夫。誰にも言わないから、安心して」
ベッドに歩み寄る。彼と目線を合わせ、その頭を撫でた。
耳を澄ませても、病室に人は来ない。しばらく、二人きりの時間が流れていく。
「……何、を?」
「松浦君が事故に遭ったって聞いて、私すっごく辛かったの。何もできなかったし、力になれなかったから」
嘘と本当を織り交ぜ、自身の表情に芯を持たせる。
手を握り、震えを止めた。視線は片時も外さず、不安に満ちた表情を少しずつ和らげる。
「……だから、同じ人を放っておけない」
「赤月さん……」
「西田君の秘密は、私が絶対守るから」
もう一度、笑顔で頷く。互いに呼吸を交わし、数分の沈黙。
視線が泳ぎ、何度も瞬きをする。感情が溢れ出たのが、零れ落ちる涙で見て取れた。
そして、それは西田自身の力では止めることができない。
「ごめん……こんなこと、おかしいって分かってるのに」
おかしくなんてないよ、と励ました。ようやく開いてくれた心を、塞ぐことはできない。
「知り合いが、みんな事故に遭ったんだ。火事の時……いや、今も、もしかしたら、誰かが見ている気がして」
「……でも、火事は」
「有り得ないって、本当は分かってる。でも、一つだけ心当たりがあるんだよ」
きっと、近しい知り合いには話せなかったのだろうと思う。
悪魔は赤の他人には見えない。誰かに憑り付いたとしても、その証拠は残らない。
解決する力を持つのは、同じように悪魔を持つ者のみ。
「こんな所で死にたくないんだ。頼む、俺を守ってくれ」
それが、自分とツバメが望んだ通りの答えだった。
続く




