第5話 部室に招かれる話
「……えっと、日暮さん?」
呼びかける。余程集中しているのか、返事がない。
「何してるんですか、日暮さん?」
「……」
もう一度声をかけた。呼びかけには応じず、金属を擦る音だけが虚しく廊下に響き渡る。
急いでいる時は絡んできたのに、本当に都合のいい奴。
考えるよりも先に足を動かし、まさに彼が今開けようとしていたドアを勢いよく蹴り飛ばした。
「ちょっと」
想像より遥かに大きく鈍い音が響き、自身も少し狼狽える。
「……ああ、君か」
「驚きました。貴方には病院よりも、刑務所の方がお似合いだったようですね」
「待て待て。これにはちゃんとした理由があるんだ」
観念したように両手を上げ、日暮は徐に立ち上がった。
「調査だよ。一昨日、このクラスの生徒が一人、火災に遭って病院に搬送された」
首を傾げてふと考える。そういえば松浦に関する噂の裏で、窓際に一つ空席があったような気がする。
突き出した足を収めた。無意識に受け流していた情報の点が、繋がって一つの大きな線となる。
「ああ……それならニュースで見ましたが」
「おかしいと思わないかい? ここ最近、白鷺台とその周辺高校の一年生だけが、立て続けに病院送りとなっている」
「そう、なんですか?」
出まかせだと言いかけた口を抑え、言葉を飲み込む。
怪しんでいたのは自分も同じ。誰かが調査を行っているなら、それに乗れば真実に辿り着けるかもしれない。
鋭かった視線を和らげ、きつく結んだ唇を緩める。
「これは口外無用だが、僕は連日の事件……目に見えない悪魔の仕業だと考えている」
「っ……!?」
本来なら、取るに足らない妄想とも呼べる推測。だがこちらの表情を覗き込み、日暮は確信も持っていた。
「その反応。やはり君には、悪魔の説明は要らないようだね」
どうして悪魔のことが、と聞こうとした口を、人差し指で軽く封じられる。
彼は日陰に立っていた。そして自分は、まだ日向。
これ以上先に踏み出せば戻れなくなる。数秒息を吸い込んで、意を決した。
「……その話、詳しく」
「いいだろう。これが終わったら、部室に来てくれないか?」
「開けますよ。私持ってますから」
断続的に、吹奏楽の音が上から聞こえる放課後の廊下。
暗く閉ざされた鍵を静かに開け、自分は少しだけ、悪いことに加担し始めた。
三組の教室での探索を終えると、次は文芸部の部室。
「足元には気を付けて。踏んだら危ないから」
まず飛び込んできたのは、紙の匂い。読みかけの本は床に散乱し、捨てられたお菓子のゴミも併せて、さながら自宅のようだった。
窓の縁には、一転して穏やかな日暮の写真が飾られている。
「……これは?」
「中学時代、和歌山に行った時のやつ。いい写真でしょ?」
「そうですね、日暮さんの変な笑顔以外は」
日の出の映る砂浜に、自惚れの入ったスマイル。綺麗だけど綺麗と言えない、奇怪な一枚だった。
「取り敢えず、情報を整理しよう。火災に遭ったのはサッカー部の西田という男で、自宅から逃げる際に左腕を火傷、その他煙を吸い込んだことで、病院に搬送された」
「……それと昨日は、松浦という男も事故に遭いましたね」
探索の戦利品は、机に入っていた県大会のパンフレット。
松浦が野球部だと考えると、兼部していない限り、その方面での共通点は見られなかった。
「火事の原因を作ったのは近所の煙草だが、当事者から事情を聞いたところ、よく覚えていないと証言したらしい。そして、トラック事故の運転手も同様の証言をしている」
取りに行ったスマホで検索をかけた。実名は出ていないものの、火災の経緯は事細かに記載されている。
「一連の事件の犯人はそれぞれ違う人物だが、全員が犯行のことを記憶していないんだよ」
「それが、悪魔のことだと?」
「推測だけどね。悪魔が憑依した時の状態と、よく似ている」
シャーロックホームズ、緋色の研究が本棚で光る。まさか、自分が推理をする立場になるとは思わなかった。
「今までの被害者は、みんな白鷺台の一年生でしたっけ」
「そうとも限らない。出身は揃ってこの地域だが、学校や部活動も一致していないんだよ」
何か彼らに共通点があれば助かるのだが、と日暮は唸る。
水筒のお茶を一口。白鷺台高校に白鷺北高校、野球部にサッカー部と、集めた資料に一貫性は無かった。
地図に記されたバツの印。事件現場も、散らばっている。
「……ものすごく今更な質問ですが、何で悪魔の調査を?」
「文芸部は職員連中を誤魔化す仮の姿。僕の本分は、悪魔の研究とその事件解決だからね」
「はぁっ!?」
危うくスマホを落としかけた。天井に吊るされた紙は、書道の筆で文芸部と書かれている。
騙くらかしのハリボテにしては、やけに手の込んだものを。
「悪魔は先生や両親、警察にすら手に負えない存在だ。誰かがやらなければならないのなら、僕がやってみせる」
彼は自分を欲深いと言った。ともすれば、その背後に控えていた存在を知っていたかのように。
もしかして、ツバメが見えているのか。聞きたかったが、その勇気は出せなかった。
「今までの被害者たちだ。もし君の知り合いがいたら、些細なことでもいいから情報が欲しい」
「はぁ……お役に立てるかは分かりませんが」
聞き馴染みのない名前が連なる。持ち帰って卒業アルバムと照合でもすれば、ヒントになるだろうか。
「でも、流石にこれは目障りですね」
日暮に歩み寄ろうとして、ふと自身の足元を指差す。
丸められた資料と埃を被った書籍。そして、無意識に目を背けてしまいそうな生ゴミたち。
この部室でまず必要なのは、思い切った整理と掃除だった。
部室を綺麗にし、帰路につくと、彼女はようやく口を開く。
「彼……悪魔と契約してるわね」
夕焼け、石造りの階段を下りる。授業の一時間と、動き回る一時間の流れは違うのだと気付かされる。
急な坂が平らに変わった後、ツバメの方へ振り向いた。
「ん、やっぱりか」
「どんな奴かは分からない。まあ、あんまり信用しない方が身のためだと思うけど?」
「分かってるよ。日暮さんも、まだ全部喋ってないと思う」
アスファルトに映る真っ黒な影は、自分一人だけ。
「向こうがこっちを利用するなら、こっちも向こうを利用すればいい。私が欲しいのは、暇潰しだから」
椅子に座って、何も知らずに、黙って人の話を聞くのは酷。
自分の手を汚さずに全てを暴き、人の上に立てるなら、この上ない幸せだろうと思える。
周りに踊らされるのではなく、こちらが周りを踊らせる。
「あんたもね」
「ふふっ……契約してくれるなら、お好きにどうぞ」
ふと、被害者を記したノートを歩きながら開いてみた。
男にしては整った字と、筆圧の濃さで掠れた黒。自身の指が汚れないように、ゆっくりと捲る。
「ま、顔見知りもあんまりいないけど……」
自分の結論は出た。視線を上げ、ほんの少し足を早める。
「何となくスジは読めたから、ちょっかいぐらいはかけてみようかな」
頭の中で目星を付ける。新たな暇潰しに向かって、風変わりな一日がこれから始まった。
続く