第13話 新しい友達ができた話
長く退屈な、四限の終了後。昼食を囲むよりも先に、周りの同級生たちはスマートフォンを取り出した。
「おおっ、めっちゃ動画出てるじゃん!」
「いいねしとこ。なあ、みんなで観ようぜ!」
「クラスラインにも、リンクを送って……と」
声を人工知能に読ませれば、何でもでっち上げられる時代。
卑猥な言葉を言わせたり、流行りの曲を歌わせたり。夜畑の動画で最も伸びていたのは、君が代の歌だった。
トレンドは親の手を離れ、原型を留めない程に擦られる。
「……世も末ね」
「そう? 私には、花火に見えるけどな」
フォロワーは今も増え続けていた。意味のない言葉を発するだけで、大勢の人間が見てくれる。
「あいつは不登校……ここまで来たら、騒いだ者勝ちだよ」
自分には関係の無い場所で、一人の人間が堕落していく。
水筒のお茶を啜りながら、弁当の白米を頬張る。心なしか、味が美味しくなったような気がした。
「そうだ。事件も片付いたし、日暮さんに……」
「何も片付いちゃいねえよ、バカタレ」
「……ん?」
しかし、前方に向き直ろうとしたその矢先、机上に勢いよく飲料缶が置かれた。
一息つくには相応しい、甘くて優しいカフェオレ。
鋭い声に顔を上げる。目の前に立っていたのは、日芽野牡丹の身体を借りたホタルだった。
「ツラを貸せ。逃げたら半殺し、分かってるな?」
言い訳も聞き返しも受け付けない。言葉だけを残し、風のように立ち去っていく。
「行っても殺されそうだなぁ、まったく……」
せめてその勢いには負けないように、小さな声で呟いた。
「そいつは牡丹の奢りだ。感謝しろよ」
「……ありがとさん」
桜並木の見える、大きな公園。春を過ぎたこの季節は、その影も見せずに緑が生い茂る。
前触れも無く、ホタルが立ち止まる。カフェオレの缶を片手に、年季を伺わせる木のベンチに腰かけた。
騒がしい通行人の声は消え、そよ風だけが耳に届く。
「殴らないの?」
「あん……?」
「忠告を無視したんだよ、私は」
敵意は、全身の毛が逆立つ程に伝わってくる。しかしその表情に反し、攻撃の気配は見られなかった。
「オレは……殴りたい。だが牡丹がそれを望まない以上、意地でも穏便に済まさなきゃなんねえ」
一度振り上げた拳を、震えながら下げて力を抜いた。
もう一口、カフェオレを飲む。心を掴むまでは叶わずとも、懐に入ることはできたと見るべきか。
前髪が風でなびく。向こうの方から、視線を合わせてきた。
「お前の魂胆は何だ。ネットなんざ使って、あいつを潰すために無茶苦茶しやがって」
「っ……」
「おおっ、私と同じ質問じゃない」
目元だけ、ツバメの方に向ける。飛び出しかけた言葉をぐっと飲み込み、首を傾げて深呼吸。
「……そうだね。もし日芽野さんが本気なら、私もこんな無茶苦茶はしなかったかな」
「ああん?」
「人は簡単に、白黒なんて付けられないってこと」
蒸し暑い風が、頬を掠める。前髪がほんの一瞬だけ乱れ、小さく首を振って向き直った。
身を滅ぼしても望みを叶えたい想いと、自分を失うことへの恐怖。矛盾だと分かっていても、目を背けられない。
固く閉ざしていたホタルの表情が、初めて揺れ動いた。
「お前に、牡丹の何が分かる」
「逆だよ。にわかの私に負けて、恥ずかしくないの?」
飲み切った缶を、わざと音を立ててベンチに置く。
一人が間に座れるぐらいの距離。木漏れ日が明るくて、解放感もあるけれど、どこか落ち着かない空気。
「自分のエゴを擦り付けるなんて論外……悪魔っていうのは、契約者の望みを叶えるのが仕事なんでしょ?」
口を引き結んで、力を込めて言葉を紡ぐ。ヒュッと、息を吸い込む音が聞こえてきた。
「調子に乗るなよ、ネットでしかイキれない分際でっ!」
張り上げた声に、木に留まった小鳥たちが逃げていく。
立ち上がったホタルが、手を広げた。首根っこを掴まれる、と気付いた時には、眼前。
しかし小刻みに震えながら、ふと動きを止めてしまう。
「……っ、牡丹?」
一歩、ホタルが後ろへと下がった。明後日の方向を向きながら、目に見えない誰かに語りかける。
歩み寄ったツバメが、神妙な面持ちで目を細めた。
「何が、起きたの?」
「抗ってるのよ。契約者、日芽野牡丹がね」
「へえ、すんごい気力……」
逆立ちしても、自分は止めることなんてできなかった。
細い眉と艶やかな唇が僅かに動き、何かを話そうとしては、また正気に戻っていく。
芯のある眼差し。怒りというよりは、悲しみを感じる。
「君が出てくる必要は無い。オレの力で十分なのに……くっ」
彼女を守るのか、その意志に背くのか。固唾を呑んで、声を出さずにその場を見守った。
「……仕方ねえ。危なくなったら、すぐ止めるからな?」
苦々しい表情で出した答え、そして、身体から力が抜ける。
次に顔を上げた時、その鋭さは優しさに代わっていた。
「後悔はない。私もあの時までは、そう信じていたのにね」
吊り上がっていた目は丸く、声はほんの少しだけ高く。
しめた、と心の中で親指を立てる。目に見えなくても、それが自分の知っている牡丹だとすぐに分かった。
「あの時、って?」
「叶芽ちゃんに、付箋を渡された時だよ」
抱えた鞄から、小さく折り畳まれた付箋が取り出された。
捨てたって構わなかったのに、汚れ一つ付いていないそれをこちらに手渡してくる。
調子が狂う。破り捨てることもできず、黙って受け取ることしかできなかった。
「いざ終わりが見えてきたら、今までの人生を思い返そうって考えるようになったの。そしたら、足りないものがあったことに気が付いた」
「やっぱり、あったんだね」
「そう。私に足りないのは、友達だった」
目元が潤んでいた。誰の視線も浴びない木陰で、ベンチに座り込んで啜り泣きを見せる。
小鳥のような、微かな声。近付いて覗き込めば、ようやく聞こえるぐらい小さかった。
「私には、本当の意味で心を預けられる人がいなかった。そんなの要らないっていう人もいるけど……何も持たずに終わるのは、やっぱり怖いなって」
「でも、今までは見ないフリを?」
「そうだよ。バカだよね、今更欲しがるなんて」
「……」
「でも、結局分からなくなっちゃった。友達なんて、願って湧いてくるものじゃないし、人を傷付けてきた私に、そんな資格なんてない……」
人を傷付けるのは容易い。しかし信頼を得るには、絶え間ない関わりと見えない絆が欠かせない。
とても、他人事のようには思えなかった。狐につままれた感覚を味わい、その場に釘付けになる。
「いやだよ……友達もいないまま、消えるなんて」
力が抜け、牡丹が俯く姿を見て、自分はふっと息を吐いた。
「私は、まだ傷付けられてないよ」
「……えっ?」
「私なら友達になれるって、そう言ってんの」
屈んで視線を合わせ、数枚のティッシュで涙を拭き取る。
意外にも牡丹は動かなかった。不思議そうな顔をしながら、されるがままに身を任せている。
泣きじゃくった子供を、あやしているような気分だった。
「でも、私は……」
「何もないのは私も同じ。一人の力で何もできなくても、補い合えば生きていけるんじゃない?」
「そんな、そんなこと」
全てを備えている人なんて、本当はどこにもいないと思う。
持っていないから他人に縋る。もし誰かに求められたら、気が向いた時に適当に助ける。
駆け寄ろうとするツバメを手で制した。拙い言葉だったとしても、ここは最後まで自分の力で。
「私を、受け入れてくれるの?」
「嫌いだったら、こんなこと言わないよ。良い所も悪い所も全部ひっくるめて、私は日芽野さんと生きていきたい」
「……っ!?」
「誰かに心を預けるって、そういうことでしょ?」
辺りを見回し、手を広げる。どうしようかと躊躇いながら、目を腫らした牡丹を軽く抱きしめた。
自分よりもさらに一回り小さい身体。誰かに頼られたこともない、弱々しい背中。
やはり、全てが小動物のようで、可愛らしく思えた。
「おかしいよ。私なんかのために、そこまで……」
「そうだね。でも、これが私のやりたいことだから」
誰かのためじゃない。人を助けるのも、蹴落とすのも自分のためにやり遂げる。
肩をポン、ポンと叩く。少し暑くなってきたことに気付き、一歩離れて顔を合わせる。
「すぐに答えは出さなくて良いからね。気持ちが落ち着いたら、文芸部の部室に来て」
呆気に取られた表情。思っていた通り、この学校の誰よりも整った顔立ちだった。
「私、待ってるから」
翌日。ラインで事前に連絡した通り、日暮隼人と文芸部の部室で落ち合う。
「礼を言おう。君の立てた作戦のお陰で、学生のフォロワーが大きく増えた」
「私は私のために、やっただけですよ?」
印を押した入部届を机に置き、向きを変えて差し出す。
彼がそれを受け取り、戸棚に入れる。届が受理されれば、正式に部員と認められたことになる。
新入部員となった自分に、改めて日暮は頭を下げた。
「君はこの部活に、何を求めるんだい?」
「暇潰しです。人の本心を暴いて、本性を晒し上げる。それがこの世界で一番、楽しい遊びだから」
彼は小さく微笑みを浮かべる。まるで、最初からその答えが出るのを知っていたかのように。
驚かれると思っていたのに。ほんの少しだけ、肩透かし。
「……そうか。個性的な動機だが、歓迎するよ」
「ありがとうございます。不束者ですが、これからよろしくお願いします」
「ああ。そこにいる悪魔も、よろしく頼む」
ツバメの肩が震え上がる。日暮は自分ではなく、誰もいないはずの方向を向いていた。
視線は微妙に合っていない。あくまで、推測による出任せ。
姿が見えない、言葉も届かないことを承知の上で、彼女は自分の意志を告げた。
「別に……私は叶芽ちゃんの意思に従うだけよ」
「こんな私で良いなら、一生ついていきます、って」
「ちょっとぉ!」
「ははっ。そいつは何とも、頼りがいがある」
彼女と合わせても部員は三人。一年経てば、二人に減る。
活動を続けるための目下の課題は、事件解決のための人手を増やすこと。
「まずはもう一人。新入部員を増やすことを目指して、頑張っていこうか」
運動場からの声が騒がしく。窓を閉める。周りから隔絶された、異空間のような感覚。
先の見えない中、文芸部での新しい日々が始まりを告げた。
続く




