第11話 運命の日、作戦決行の話
翌日。学校に着くと、まず日芽野と夜畑の教室に向かった。
現状、互いに行動を起こす気配は見られない。自身の席に腰を下ろし、まずは昼休みを待つ。
「ツバメ、向こうの状況は?」
「あの子は教室にいるよ。あと、夜畑神楽も動きはないわ」
「いいね。それじゃあ、作戦決行で」
「オーケー。楽しみにしてるわよ、叶芽ちゃん」
軽快にスキップしながら、ツバメは生徒たちの間を潜り抜ける。誰も、彼女とは目を合わせなかった。
食べ終わった弁当箱を片付け、掛けていた鞄に放り込む。
少し遅れて席を立ち、先程の彼女は逆の方向に歩き始めた。
「……叶芽ちゃん」
「大丈夫。今日はあんたと、戦う気はないから」
「ふふっ、そんな気張らなくても、私は何もしないよ?」
人の輪からは、孤立した空気。日芽野も同じように、一人で昼食を終えたばかりだった。
壁に寄りかかり、腕を組む。幸運なことに、ホタルが傍にいる気配は見られない。
「仮に目的を果たして、その後はどうするつもり?」
「牢屋だろうね。今の生活には戻れないけど、未練はないし」
「そっか。そうでもなきゃ、事件を起こそうとしないもんね」
「大切な人もいない。あの男が生きている姿を眺めるぐらいなら、最後に華を咲かせてみせるよ」
にわか雨が降り始める。運動場に出ようとしていた生徒たちが、慌てて教室へと戻り始めた。
断続的に、水の滴る音。傘も持たずに右往左往する姿は、外から眺めれば滑稽に見える。
「なら、どうして私に声をかけたの?」
「……えっ?」
「どうせ終わると思ってるなら、誰とも関わらない道もあったはずなのに」
彼女の表情が移り変わった。全てを諦めた瞳に光が燈り、顔を上げる。
「何となく、話が通じると思ったからかな。シンパシーを感じた、っていうか」
「私とあんたが……? あまり、実感はないけど」
「勘みたいなものだよ。でも、もうすぐ会えなくなるのは、今思えばちょっと寂しいかな」
嘘ではないが、全て本当とも言えない。あの悪魔の言っていたことは、やはり的を射ていた。
日芽野には未練がある。全てを曝け出した、その奥深くに。
視線を合わせながら、右手をこっそりと動かした。やはり、自分はこのまま黙っていられない。
「元気でね。短い間だったけど、私は叶芽ちゃんのこと、忘れないから」
周りを見つめる。自分たちの近くに誰もいないことを確認し、その懐に近付いた。
「勝手に、終わらせないでよね」
「はっ……?」
「私はあんたの、本当の気持ちを知りたい」
他の人には聞こえない、囁き声。その後に、日芽野の胸ポケットに一枚の付箋を入れ込んだ。
「こ……れって?」
すぐに取り出した彼女は、その中身をじっと見つめる。
数秒、意味が分からず首を傾げた。しかし言葉の意味が分かり、慌てて顔を上げようとした刹那……
「いい加減にしろよ、このゴキブリ女がっ!」
ドアが蹴破られた。叫び声と共に、男子生徒が入ってくる。
「えっ……?」
「な、何!?」
衝撃と、ガラスの砕ける音。何も知らずに、教室で過ごしていた生徒がどよめきの声を上げる。
一瞬、何かの悪ふざけだと勘違いした通行人たちを、彼は視線一つで黙らせた。
余計なことをすれば、叩き潰されるような異様な殺気。穏やかだった教室は、困惑と恐怖で埋め尽くされていく。
そして彼女もまた、金縛りにあったように動きを止める。
「夜畑、神楽?」
彼の視線は一点……日芽野牡丹の方へと、向いていた。
「お前がやったんだろ……俺の友達を、あんな目に遭わせやがって!」
同級生たちが教室の外へ逃げていく。その波に乗じて、自分も日芽野から距離を取った。
入れ替わるように夜畑が歩み寄り、彼女の胸倉を掴む。
動きは止まったが、圧迫される程の力はない。スマホを構え、周りが写り込まない位置でビデオを起動した。
「何の、こと……!?」
「とぼけんじゃねえ。虫みてえにチョロチョロしやがって、目障りなんだよ!」
「お、お願い、助けて」
耳元で罵声を浴び続ける日芽野。困惑の表情を浮かべながら、その瞳は涙で潤み始めた。
先生は職員室に引き上げている。見かねた一人の男子生徒が、生徒たちを退かして立ち塞がった。
「何やってんだ……やめろ、夜畑!」
「汚え手で、俺に触ってんじゃねえよ!!」
しかし、日芽野から手を離した彼が、一歩先に懐に入る。
腹部に思い切り、拳を叩き付ける。蹲った男子生徒に足を振り上げ、その身体を蹴り飛ばした。
全身がほんの一瞬、宙を舞う。横に倒れたまま、何の抵抗もできずに壁に吹き飛ばされた。
「ぐうっ、かはッ……!?」
衝撃で、起き上がる力を奪われてしまう。一部始終を目にした生徒からは、次々と悲鳴が上がる。
「女ってのは良いよな。そうやってウジウジ泣きゃ、誰かが助けに来てくれるんだからなァ!」
怒りは尚も治まらない。眼前にあった椅子を蹴り飛ばして退かし、夜畑は再度日芽野に詰め寄る。
彼女の頬のすぐ傍を、拳が通り抜ける。風が吹いた直後、壁に穴が開く程の衝撃が響いた。
「待ってよ、どうしてこんなことするの!?」
「遊び相手には丁度良いと思って優しくしてやったのに、調子乗りやがって。お前みたいな陰キャは、黙って言うこと聞いてりゃいいんだよ!」
「ひ……ひど、いっ」
牡丹は大粒の涙を零し、目の前の恐怖にただ泣き崩れることしかできない。
これがクラスの人気者なら、夜畑を殴ってでも止めに入る者が現れたのだろうか。
でも、現実は誰も勇気を出そうとしない。自分も、あの男子生徒のようになると考えると、とても。
「何がひどい、だ……お前、一発ブン殴られなきゃ分かんねえらしいな!!」
血を滲ませた拳が構えられる。標的は、頬のど真ん中。
「わかんないよ。いきなり捨てて、殴ってきて、私に、何をしてほしいの?」
しかし、彼女はホタルを呼び出そうとはしなかった。
自分の瞳で、自分の意志で相手を睨み付ける。非力な力で為せる、精一杯の抵抗を見せる。
「生意気な。お前みてえな奴が……」
「これ以上、私を傷付けないでっ!!」
夜畑の肩を突き飛ばす。意表を突かれた彼は、一瞬だけ体勢を崩して転んでしまう。
生じた隙を突き、牡丹は廊下に飛び出す。生徒たちが何か声をかけようとしたが、決して振り返ろうとしない。
そのまま階段まで走り、屋上の方へと走り去った。
「……チィッ!」
次に起き上がった時、彼女の姿はもうどこにもいない。
雄叫びのような声を上げながら、夜畑は逆上して机を振り上げた。教室の壁を殴り、備品を壊していく。
「ちょっと、これヤバくね?」
「先生、早く呼んだ方が……」
下の階からも生徒が集まっていく。静止よりも、面白がってカメラを構える野次馬が多数。
一人の生徒の暴走は、学校中まで騒ぎが拡大し始めた。
しかし、そこから十を数えない間に先生が到着した。
「おい、一体何をやってるんだ!?」
怒鳴り声と共に、生徒たちが道を開ける。しかし先生が教室を覗き込んだ時、夜畑の身に異変が起きる。
彼は何かの拍子に、凍り付いたように動きを止めた。脱力して机を取り落とし、視線は明後日の方向へ。
その場の時間が止まる。次に目を開けた時、彼は困惑の表情を浮かべていた。
「あれ……僕は一体、何を?」
今目の前に広がっている光景が、理解できない。まるで、今まで意識を失っていたかのように。
その光景を見届けた後、回していたビデオを止めた。
「……ぶっつけ本番だったけど、中々の出来だね。ツバメ」
動画時間は一分と三十秒、想像していた通りの出来。
注目は現場に集まっている。存在を消し、誰の視線も受けていないまま、背を向けてその場を立ち去った。
続く