閑話 義弟として2
ステファンが悩んだ挙句に手にとったのは、魔道具だった。魔道具は魔力で動く摩訶不思議な力を秘めた道具だ。
ステファンは、置き鏡の形をした魔道具の前に座った。そして、こっそりと倉庫から拝借してきた魔石を魔道具の窪みに置くと、鏡面が波打つ。
この魔道具は、対になる置き鏡を繋ぎ、離れていても会話できるようにするのだ。
一時期、ある男から渡されて使用していたもので、この一年は埃かぶっていた。それだけに相手もなかなか出ない。
(……私のことも用済みか)
何を期待していたのかと、ステファンは顔を上げた。いくら悩んでいると言ってもあの男に相談するのは、血迷っている。
「……何? 俺のことバレた?」
諦めかけていたところで、鏡に男の顔が映った。茶髪に透き通るような紫の瞳をした男だ。一年前までルカという名前でファリーナ帝国に潜入していた得体の知れない魔法使いでもある。
「まだ知られてない」
彼は、死んだことになっている。ステファンもそう聞いていたが、なぜか彼は生存していたことをひっそりとステファンに伝えてきたのだ。正直、彼の素性は煙に撒かれていて、全くわからない。
ステファンは、ずっとルカのことをリュシアーナに黙っている。彼が今後、皇帝となったリュシアーナにどんな禍福を齎すかわからないからだ。
「じゃあ、何?」
そんな男に相談しようというのは馬鹿だとわかっている。だけれど、ステファンには、彼しか思いつく相談相手がいなかった。
「……姉上は、皇帝として完璧だ。おまえなんかもう必要ない」
「で?」
前置きしておくと、ぞんざいに先を促された。
「だが、私も必要ないのかもしれない……」
「はあ?」
深刻な顔でステファンが吐露すると、鏡の中の男が盛大に顔を歪めた。
「少し前なら、私は姉上の理解者として、姉上のそばで力になれた。だが、次期ボナート公爵としてだと、姉上を近くで支えることができず、姉上もまた……私以外の理解者がいる」
「え、今、人生相談されてる? 俺に? まじで?」
「まじだ」
大きく頷くと、ルカが面倒そうに肩肘をついた。
「姉上姉上ばっかりで、正直、気色悪い。そんなに近くにいたいなら、その地位を捨てて、文官の筆頭にでもなってみろよ」
そして、吐き捨てるように言われた。普通は不快に思うところだが、逆に少し安心する。ステファンの地位だと、相談しても本音で話してくれる人はいないし、養父に話すのも気恥ずかしい。
「文官か…………」
ステファンはこれまで騎士として過ごしてきた。公爵家の後継者としての教養はあるが、文官としてはどうだろうかと、己の能力を真剣に分析する。
「悩むな。おまえにそんな才能ねぇよ」
だと言うのに、勧めた本人が即座に切り捨ててくる。
「別に今のままでいいだろ。実家に裏切らない味方がいるってだけで安心材料だ」
そして、彼はそう続けた。確かにボナート公爵家を盛り立てていくことで、リュシアーナの勢力は安定するだろう。
「いや、だが……」
だが、それだけでいいのだろうか。そうステファンは言葉を濁す。
「ならなに? 麗しの姉上に縋りつかれてあなたがいないと生きていけないの! って言われたいわけ?」
「いや……」
「けっ。俺は男の相談に乗るほど暇じゃねぇよ」
煮え切らないステファンにルカがやさぐれる。
「そもそもだけど、おまえは、リュシアーナのことは姉だと思ってんの?」
「無論だ。私の敬愛する姉上だ」
即答する。だが、同時にもう一人の姉の姿が脳裏に過ぎった。理解不能な姉の方は、おそらく芸術の道ではそれなりに立派なのだろうが、人として共感はできない。
「おまえの近くにいたいってやつ、どうも好きな女の力になりたいって風に聞こえんだけど」
ため息まじりにそう言われて、ステファンは、目を瞬かせた。
「…………いや、姉上は……姉上では?」
「人生相談じゃなくて、恋愛相談かよ。切るぞ」
止める間も無く、魔道具の鏡面が元に戻った。久しぶりだというのにルカはあまりにもそっけなかった。
ステファンは、愕然としながら、徐に立ち上がった。そして、落ち着かない気分で、部屋の中を行ったり来たりする。
(姉上の力になりたい。それは、普通のことだろう?)
ルカの言葉が頭の中をぐるぐると回っている。好きな女。その一言が離れない。
(私は……養子の私に優しくしてくれる姉上が不当に扱われるのが許せなかったし、だから、姉上の力になりたいと思った。それなのに……)
ステファンは、足を止めて、顔を覆った。
「……好きな、女……」
そう言われて、思い浮かぶのは、リュシアーナが楚々として微笑む姿だ。
(姉上が好き……。敬愛ではなく?)
ステファンは頭を振った。
(姉上は私のことを義弟と思って、信頼を寄せている。それなのに私が姉上をそんな目で見ることなど……許されないだろう!)
そもそもルカに相談したことが間違いだったのだ。ルカなんて気まぐれか気狂いかわからないような性格をしているのだから。
「ごほん!」
その時、わざとらしい咳払いが聞こえて、はっと顔をあげた。養父が部屋の扉を開けて立っている。その近くに使用人たちも困った顔で佇んでいた。
「考え事をしているところ悪いが、君に客だ。ステファン」
「は、はい。すぐに向かいます」
人の気配にも気づかないほど深く考え込んでいたらしい。ステファンは、恥ずかしさを押し隠して、部屋を出た。
「ステファン、いつでも私を呼んでいいからね」
足早に客室に向かうステファンの背に父がそう声をかけた。そういえば、客の名前を聞いていない。
聞きに戻るのも決まりが悪く、ステファンはそのまま客室に向かった。声をかけて中に入ると、そこには、一人の男が待っていた。
その姿を見た瞬間、ステファンは水をかけられたように心が冷え込んだ。その男は、十数年と顔を合わせることもなかった実父、ダン・ボフマン元子爵だった。
「用件は?」
ボナート公爵家を訪れるにしては薄汚い格好で、無精髭を生やしたおいぼれを見て、ステファンは冷たい目を向ける。
「……あ、ああ、ステファンか! 大きくなったなぁ」
男はステファンを見て、嬉しそうな声をあげた。そして、立ち上がって、ステファンに近寄ってくる。
ステファンはそれを無視して、椅子に腰掛けた。
「用件はなんだ?」
そして、再び問う。この男の母に対する所業は、忘れていない。
「父に向かってその目と言葉づかいはなんだっ」
「ただの平民に相応しい態度だ」
すでに貴族ではなくなった実父にそう吐き捨てる。
新皇帝の改革により、三月前にボフマン子爵家は取り潰しになっている。所有していた領地は、近隣の領地に統合されて、今はまともな領主の統治を受けているのだ。
領主の資格なしと放逐された実父は、当然の報いを受けたと思っている。女遊びしかしない領主など、不要だ。
父はステファンの態度に腹をたてているようだったが、それを抑え込み、足元に縋り付いてきた。
「な、なぁ、ステファン。すごいじゃないか。ボナート公爵家は今や皇帝を輩出した貴族筆頭! その後継になるおまえはさぞ輝かしくも贅沢な生活をしているのだろう」
ステファンは、縋り付く父をただ浅ましいと、見下ろした。
「だから、父たる私にもその贅の一部を分けてくれないか……? 育てた恩を返しておくれ」
なんて図々しいのだろうか。ステファンが覚えている父は、母に当たり散らして、知らない女の肩を寄せる姿しかない。まともに会話したことだってない。
それに、ボナート公爵家に引き取られる際に、謝礼として多額の金が支払われたはずだ。
「育てる? 私を育てたのは、母と、このボナート公爵家の方々だ。間違っても貴様ではない」
父を見据えて、ステファンは言った。同情の余地はかけらもない。
父はわずかに怖気付いたようだが、気持ちの悪い笑みを浮かべ直す。
付き合ってられない。そう思ったステファンは、強引に足を振って、父を引き剥がし、立ち上がった。
「二度と私に近づくな。この家に引き取られた時から、縁は切れている」
「す、ステファン……」
父はまだ諦めていなさそうな顔をしていたが、ステファンは私兵たちに命じて、父をつまみ出したのだった。




