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79、喪失


十五で婚約して、十八で結婚した。それから五年、後見人の到着を首を長くして待っていた。



からんからんと、何かが落ちた音がした。それも同時に複数箇所で……。


リュシアーナは、その音に書類から顔を上げた。同時にすぐそばにいた騎士団長がしゃがみ込む。


そこには、剣の鍔が持ち手ごと落ちていた。


周りを見渡すと、その場にいたすべての騎士たちが同じようにしている。


(何……?)


リュシアーナは妙な胸の騒めきがして、立ち上がった。


騎士団長は、腰から鞘を抜くと、そのまま逆さにひっくり返した。鞘からは、さらさらと砂が落ちてくる。まるで剣が一瞬で塵と化したかのようだった。


その剣は、破閃が使える特別製の剣だ。


リュシアーナは、嫌な予感がした。ルカの席を見るが、その席には変わらず青いドレスの人形が座っていて、まだ帰ってきていない。


受けた報告では、皇子たちは五百人前後の手勢で、魔導師であるルカが手こずる相手でもなかったはずだ。


「…………最後の方が、天に召されたようです」


帝国騎士団の騎士団長、セノフォンテ・クローチェ伯爵が、重々しい声で言った。


「どうしてそう言い切れるのですか……」


「クローチェ伯爵家に残る文献に、剣の一族が国に愛想を尽かしたその時は分かり易く去っていくと、記述されております。これが、そうでしょう」


クローチェ伯爵家は、カヴァニス公爵家に並ぶ建国当初からの家系だ。言い伝えが残っていても不思議ではない。


だが、なぜ今なのだ。リュシアーナは信じられない気持ちで、頭を横に振った。


「…………あの子が、また遊んでいるのでしょう」


ルカは悪戯好きだ。これも何か驚かせようとして仕掛けたのだろう。そうに違いないと、リュシアーナは嫌な想像を振り払う。


「代わりの剣を」


騎士団長は、それ以上は何も言わずに部下に指示していた。


書類に戻ろうとしたが、心臓の音がばくばくと鳴っていてうるさい。近くにいたシェリルとクラリーサから様子を伺うような視線が飛んでくる。


(大丈夫。大丈夫よ。わたくしは、まだ始まったばかりなのだから)


これからこの国を変えていくのだ。属する国は変わってしまったが、ルカには、リュシアーナが統治するファリーナ帝国を見てもらわないといけない。リュシアーナを選んで良かったと、思ってもらうのだ。


そう思うのになぜか胸のざわつきが治らない。


一度長く息を吐いて、外を見る。一面の雨雲が空を覆っていた。遠くでごろごろと雷の音がする。


リュシアーナはもう一度深く息をすると、無理やり書類に集中したのだった。



――それから、どれだけ経っただろうか。


夜通し書類を片付けていると、朝になったようだ。相変わらず空は曇っている。そして、どたどたと慌ただしい足音が響く。


「皇帝陛下! も、元皇子とその騎士団が、帝都に現れました!」


騎士の一人がそう報告した。リュシアーナは、ルカの席を見るが、まだ帰ってきていない。


「……門を開けなさい。誰も配置せず、犠牲を出さずにまっすぐここまで来させてください」


「はっ!!」


相手は攻城戦を仕掛けられる人数ではない。門を閉じて守りに入れば、確実に勝つ。だが、それでは、彼らは見境なく帝都に住む民たちを人質に取るだろう。


これ以上、民たちをくだらない皇位争いに巻き込むつもりはなかった。


皇宮にいたわずかな騎士たちが、謁見室に集められる。扉はすべて開け放たれていた。


「リュシアーナ、どうするつもり?」


クラリーサがこの状況に眉を顰める。今、謁見室にいるのは、騎士を除けば、青薔薇会の参加者と文官たちだけだ。


リュシアーナを支持する騎士や貴族たちは領地にかかり切りだ。改革を推し進めている以上、呼び戻すことはできない。


「問答無用で殺されはしないでしょう」


とりあえず糾弾から始まるだろう。うんざりするような糾弾が……。


答えると、クラリーサがますます嫌そうな顔をする。


「私、暴力は嫌よ」


「諦めましょう」


「やだ、この女帝。もうちょっと身の安全を考えなさいよ」


クラリーサが諦めたようにため息をついた。シェリルがそんな彼女の肩を叩いている。


そして、開け放たれた扉の先に皇子たちの姿が見えた。


「リュシアーナ・ボナート!!」


第一皇子だったエヴァリストが叫ぶ。


謁見室にやってきた狼藉者たちは、室内を見渡して、勝利を確信するように嫌な笑みを浮かべた。


「――わたくしに降る準備はできましたか?」


圧倒的にリュシアーナたちの武力は足りない。それでも、リュシアーナはにこりと微笑んだ。


「何を言うか!! まずは女狐の首を刎ねてからだ! そこの女どもも覚悟しろ!」


興奮したように話すのは、金翼騎士団の第一騎士、サガン・レスター伯爵だ。鼻息荒くこちらに近づいてくる。


だが、リュシアーナの手に短剣があることを見てとり、その足が止まった。


彼はリュシアーナが破閃を使えることを知っている。だが、サガンの足は再び動き出した。


「頼みの綱の変幻魔導師とやらは、死んだぞ」


そして、ひどく醜い笑みを浮かべた。リュシアーナは笑みを消した。


「だからなんだと言うのですか?」


冷たく睥睨すれば、サガンが呆気にとられる。動揺を誘いたかったようだ。


「いいか、貴様らは女が私に逆らうなんて……」


サガンが我に返って、侮蔑の言葉を投げかけようとしたその時、謁見室に眩い光が差し込んだ。


リュシアーナは眩しさに手をかざす、窓の外に目を向けると、雲が割れていた。そこから光が差し込んでいる。


そして、空から巨大な船が現れたのだ。


船が宙に浮いている。こんな非現実的な光景を生み出せるのは、一つしかない。


――魔法だ。魔法使いの国の国主が到着したのだ。


誰もがありえない光景に呆気にとられている。


「あら、お揃い?」


ルカの席に歌劇魔導師が突如として現れた。白髪に赤紫の瞳をした妙齢の美女が椅子に腰掛けている。


彼女は人形を片手に絹布を靡かせて、優雅に真ん中を歩く。その顔を知っているエヴァリストが一気に蒼白になった。


異様な雰囲気の美女にサガンは後退り、エヴァリストもラウルも動けないでいる。そこにはなぜか、ゼノンの姿がなかった。


よくよく見れば、エヴァリストたちも同じく剣が使えなくなったようで、騎士たちの中には木の棒や鍬を携えている者もいる。酷い有様だ。


「さてと、我が国主、雷帝魔導師を呼ぶわよ」


彼女の歩いた場所にはいつの間にか、ベスタ王家の紋章が敷かれていた。


そして、その紋章が赤紫に光ると、複数人の影が現れる。その先頭に立つ男を見て、リュシアーナは腰を落とした。一度、ルカに幻影で国主の姿を見せてもらったことがある。


「ご足労いただき感謝いたしますわ」


白髪に銀の瞳をした浮世離れして美しい男が、ゆったりと微笑み返す。その隣には、仙女のような小柄な美女がいて、さらに後ろには、大柄な男がいた。総じて白髪だ。


そして、おそらく全員が魔導師だ。彼らは一様に威圧感のある異様な雰囲気を纏っている。


「初めまして、新たな王よ」


エヴァリストたちに背を向けたまま、雷帝魔導師は言った。他の魔導師たちも後ろを全く気にていない。


「私は魔導帝国国主の雷帝だ。隣は妹の花薫。後ろは変幻だ」


魔導師たちは、紹介されても表情一つ崩さなかった。花薫魔導師は穏やかに微笑んでいる。


そして、リュシアーナは、変幻魔導師と紹介された大柄な男に目を向ける。彫刻のように整った顔をしていて、その目は、わずかに紫が混じる銀色だった。彼の纏う退廃的な雰囲気は、ルカとは全く違う。


(……どういうこと? 彼が変幻魔導師?)


リュシアーナが混乱していると、ラウルが口を挟む。


「魔法使いの国? なぜファリーナ帝国に来たのだ!」


雷帝魔導師は、今気づいたかのように彼らに目を向けた。


「あれはどうしようか?」


「今はおとなしくしていただきたいのですが、後で必要なのです」


「なら、そうしよう」


雷帝魔導師は、歌劇魔導師に目配せした。すると、どこからか現れた人形が、エヴァリストやラウルたちをとり囲んだ。顔のない等身大の人型の人形だ。その手は剣になっている。


装備が心許ない皇子たちとその騎士たちは、一気に威勢が萎んでいく。そのまま人形は、彼らを謁見室のすぐ外まで誘導し、扉が閉まった。


「ありがとうございます、雷帝魔導師」


リュシアーナは礼を言う。そして、頭を上げて問う。


「わたくしの後見人になってくださるとお聞きしましたが、そこに相違はありませんか?」


「ああ。その通りだ。変幻が出した条件だしね」


雷帝魔導師は、穏やかに言うと、大柄な男に目を向けた。変幻魔導師と呼ばれたその男は、あたりを一瞥して言った。


「あれは死んだか。つまらんな」


その言葉に心臓がどくりと跳ねる。


「……あれとは、ルカのことでしょうか」


生気のない目をしたその男は、リュシアーナに視線を移す。


「そうだ。同じ一族の縁で、力を貸してやったが、つまらんところで死んだな」


ルカが変身した姿ではないかと、演技しているのかと、リュシアーナは彼の仕草や言動をつぶさに観察していた。しかし、出た結論は、別人だ。


今まで姿を変えていても感じていた親しみのようなものが一切感じられない。クラリーサに目線を送るも、彼女も微かに首を横に振った。


「……あなたもまた、剣の一族だと? ルカは……どうして変幻魔導師と名乗ったのでしょうか?」


(待って、最初から違っていたの!? なら、あの子は誰だったのっ?)


リュシアーナは動揺していた。本当は雷帝魔導師と話を詰めないといけない。だが、この本物の変幻魔導師に聞きたいことがたくさんある。


「知らぬ。一族の者ゆえ、願いを聞いて力を貸した。それだけのことだ」


変幻魔導師の答えは素っ気ない。


リュシアーナに皇帝になれと、手を差し出してきたのは、誰だったのだ。リュシアーナたちに足りない武力を携えて帰ってきたその人は、どうしてこんなにも協力してくれたのだ。


しかも、こんな……リュシアーナが皇帝になったばかりで死んだのか。


「……お席を用意します。そちらでお話ししましょう」


混乱するリュシアーナに代わって、クラリーサが話を進めてくれる。


「それほど長居する気はないよ。来る途中、付き合いの長い国には君の後見人になったことを知らせてきた。この三人分の皇位委任状を持って、君をファリーナ帝国皇帝だと認めよう」


雷帝魔導師は、あっさりとしていた。彼は懐から取り出した書状を宙に浮かせると、リュシアーナの手元で広げて見せた。


しっかりと雷帝魔導師がリュシアーナの後見人になる旨が記載されている。


「しばらくは人手が欲しいだろうから、歌劇を置いていくよ」


「よろしくね」


歌劇魔導師が艶やかな笑みを浮かべて、手を振る。そして、魔法使いたちは、用は済んだとばかりに姿を消した。


歌劇魔導師だけを残して、変幻魔導師だと言う彼も消えていく。最後まで親しみは感じられなかった。


何もかもがお膳立てされていたようだ。これ以上ないほど好都合だったが、リュシアーナは釈然としなかった。


(――これがあなたの望んだ結末だったの……?)







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