76、逃亡者
十五で婚約して、十八で結婚した。それから五年、新皇帝の改革が始まった。
逃げ出した三人の皇子とその騎士団は、金翼騎士団とともに北上しているらしい。チェスティ王国を占領している副騎士団長と合流し、他の貴族たちに呼びかける狙いだろう。
ファリーナ帝国の全領地には、すでに先帝アルミロ・ファリーナの死と、リュシアーナが新たな皇帝となったことが知らされている。同時に各領地に改革を命じていた。
ほぼ全ての領地から課税を期間限定で取り払い、地力の回復を命じたのだ。無論、私服を肥やしていた領主からは財産を没収し、その資金を困窮した者たちに再分配している。
各地で抵抗はあったものの、帝国騎士団が全面的に協力してくれていることもあり、領主のすげ替えは概ね指示通りに進んでいる。また、多くの貴族は、課税が取り払われる魅力に負けたのか、しばらくは様子見する構えだ。
――リュシアーナが玉座に座って、二週間。驚くほどファリーナ帝国の改革は順調に進んでいた。
「ルカ」
リュシアーナは書類の山を一つ片付けたところで、ルカを呼んだ。ルカもまた書類の山に囲まれて、遠い目をしている。
「もう、仕事は嫌……」
先帝が残した負の遺産が多すぎるのだ。特に対外関係が最悪だ。クラリーサが濃い隈をつくりながら、近くで書類を捌いている。隈だけでなく、眉間の皺も酷い。
さらにその近くでは、資金の管理を頼んでいたシェリルが撃沈しており、復興計画を任せたアッシュリアも書類を枕に寝落ちしていた。
「魔法使いの国から連絡は?」
「特にないから、予定通り到着はひと月半後ってとこ」
ルカは、だらりと椅子に腰掛けた状態で、書類とペンを浮かせていた。もはや自分の手を使うのすら面倒らしい。
(……ひと月あれば、周辺諸国からの手出しがありそうね)
周辺諸国にもリュシアーナが新皇帝となったことは広まっているはずだ。今まで散々、理不尽な理由をつけて侵攻を繰り返していたファリーナ帝国だ。いつ報復されてもおかしくない。
「それにしては、動きが穏やかなのよね。あんた、何かしたでしょ」
リュシアーナが懸念していたことは、クラリーサも同じく気になっていたようだ。
「やったけど、それが何……」
ルカはやる気なくあっさりと答える。ふとリュシアーナは思い出した。
「確か……あなた、シャフラン王国と戦争を引き起こして、上層部を入れ替えたって言ってたわね?」
ファリーナ帝国とシャフラン王国は、三年前に戦争が起こっている。その後にシャフラン王国では、メルデンの父親が宰相についている。
「……今のシャフラン王国は、静観の構えね。ファリーナよりも他の海上の国を狙うのが今の方針よ」
クラリーサの説明にリュシアーナは確信する。
ルカは、リュシアーナにとって都合のいい方針をとる指導者にすげ替えたのだと。
確信はしたものの信じられない思いだ。何をどうやったら、他国の頭を変えられるのだ。
――ここでようやく、リュシアーナは理解した。
メルデンが変幻魔導師の動向を気にしていた理由、魔法使いの国主が縁もゆかりもないリュシアーナの後見人になる理由……。それは、ルカがただの強力な魔法使いではないからだ。表も裏も力も策も何もかもを制御して使い分けができる。
ルカはどんな願いでも叶えてくれる、万能の神器のような存在。
あまりにも非現実的だが、おそらくこれが本質だ。そして、一番恐ろしいのが、ルカの目的が見えないこと。一族の敵討ちだと思っていたが、あまり皇帝の暗殺に執着を見せなかった。ただ必要だったから実行した風なのだ。
「なに? 二人して無言で見つめないでくれない? 怖いから」
クラリーサに目線を送ると目が合った。弾き出した結論は同じなのだろう。
「みんな手が止まってるわ。お疲れなのね」
神妙な空気が流れかけたところで、ブリジッタがやってきた。彼女は、怪しい液体の入った瓶をトレーに乗せて、部屋に入ってきたのだ。
「うっ、俺いらない」
真っ先にルカが呻いて鼻を押さえる。ブリジッタが近くに来ると、強烈な匂いが漂ってきた。
「滋養強壮薬よ」
ブリジッタは、苦いような酸っぱいような匂いがする瓶をリュシアーナの卓に置く。見た目は真緑だ。
ブリジッタの鼻はもう機能していないのか、彼女は澄ました顔で瓶を配って回っている。そして、寝ていたアッシュリアを見つけると、彼女を揺り起こした。
「まだ寝させてくれないか……?」
ブリジッタは、寝起きのアッシュリアの鼻をつまむと、彼女の口に瓶をあてて、一気に傾ける。
「――――!?!?!?」
アッシュリアは目を見開いて、口を押さえ、ドタバタとどこかに走っていった。
「あら、元気になってよかったわ」
呑気にそんなことを言うブリジッタがリュシアーナはちょっと怖い。迷いのない鮮やかな手際だった。
身の危険を感じたのか、突っ伏していたシェリルが慌てて頭を振って眠気を飛ばしていた……。
――――――
――同じ頃、ファリーナ帝国北部。
第三皇子ゼノンは、混乱のままに兄たちと共に逃げていた。もともと皇帝の暗殺が知らされていたことから、謁見室を出てすぐに皇子たちの騎士たちと合流して、四つの騎士団が……およそ三百名ほどの騎士たちが、揃って北上していた。
北を選んだのは、騎士団長が逆賊に与していたのに、その弟である副騎士団長が、雪の国チェスティ王国に留まったままだったからだ。副騎士団長は、意図的に帝都から遠ざけられていて、逆賊に与していないことがわかる。だから、彼に協力を求めようと思ったのだ。
「ゼノン! おまえの騎士が魔力持ちだと気づかなかったのか!」
帝都から出て、一日目の野営で、第二皇子ラウルがゼノンに叫んだ。詰め寄るラウルを青剣の第二騎士アルト・クローチェが割って入って止める。
「第二皇子殿下にそれを責める資格はないでしょう」
ゼノンは、ただおろおろとするばかりだ。騎士に守られてばかりで情けないと、自分でも思っている。だから、ルカは自分に愛想をつかしたのかもしれない。
「なんだと!」
「ラウル、ゼノンに突っかかるのはやめなさい。リュシーにシェリル妃、自分の妻の企みに気づかなかった我々に言えた台詞ではないのだから」
第一皇子エヴァリストがラウルをたしなめる。エヴァリストは、ひどく疲れた顔をしていた。
兄たちも自分も、父親が暗殺されたことを知らされたと思えば、妻や部下に裏切られ、さらには、国を追われ……。夢ならば早く醒めてほしいと、切に願う。
「変幻魔導師……あれはなんだ? なぜリュシーについた……?」
「それだけではない! 破閃はいいとして、見たこともない秘技を使い、紅蓮魔導師を無力化したぞ」
エヴァリストとがぐしゃりと前髪を掴んでぼやき、ラウルが苛々した様子でその場を行ったり来たりする。
(ルカが変幻魔導師……。なんで僕の騎士になったのだろう?)
第一騎士のルカは、お調子者で軽薄なのに恐ろしいくらい優秀だった。どんな事態に陥っても冷静で頭が切れ、いつもゼノンを救ってくれた。
(本当に僕には勿体無い騎士だった……)
本人に一度、なぜ青剣騎士団を選んだのかと、面と向かって聞いたことがある。
『一番平民でも出世できそうだったからっす』
ルカはあっさりとそう答えていた。でも、それは嘘なのだろう。あれほど優秀な者が、ゼノンの側にいたことには何か意味があるはずだ。そこでゼノンは思い出す。
玉座を奪ったのは、第一皇子妃のリュシアーナだ。その場には、第二皇子妃のシェリルもいて、そして、ゼノンにはルカがいた。三人の皇子の近い位置に裏切り者がいたのだ。そこに意味があるはずだ。
「兄上たちは、義姉上たちに何か心当たりはありませんか? 欲しがっていたものとか、探していたものとかに」
ゼノンには、ルカが欲しがるようなものはわからなかった。だが、二人の兄の妃なら、何か手がかりを得られるのではないだろうか。
ゼノンの問いかけに兄たちは動きを止めて、考える素振りを見せた。
「…………委任状!」
そして、エヴァリストが、ばっと立ち上がった。
「皇位委任状だ! ラウル! 私が書いたものはどうなっているっ?」
エヴァリストは、ラウルに詰め寄った。
「皇子宮だ! 俺のはどうした」
「同じく私の皇子宮だ。もともとはリュシーの発案だったが、こういうことか」
「おい、ゼノン。お前は書いてないだろうな?」
どうやら二人は、互いに皇位委任状を書いて、交換していたらしい。おそらく協力が必要になった時に裏切らないように持っていたのだろう。
「書いてないです……。あっ」
ゼノンは書いた覚えはなかったが、つい最近、ルカに指摘されるがままに書類に署名したことがある。あの署名した書類の文面は、ちゃんと読んでいなかった。それが皇位委任状だった可能性があることに今更ながら気づく。
いくら正当性のないリュシアーナでも、三人の皇子が彼女を皇帝として認めたような書類があれば、玉座につけるのではないだろうか。性別に目を瞑れば、彼女はボナート公爵家の出身で、過去に何人もの皇族の姫が降嫁している名家だ。皇族の外戚と言ってもいい。
「……つまり、リュシーやシェリル妃、ルカの狙いは最初から皇位委任状だったということか。委任状の存在が公になる前に決着をつけないといけない」
エヴァリストが頭を抑えながら言った。だが、ゼノンはそうは思わなかった。
「僕は……このままでいいと思っています」
そう言うと、突然胸ぐらを掴み上げられる。
「馬鹿者が! 怖気付いたか! 父上の仇を取らないでどうする!」
ラウルだ。目の前で怒鳴られて、耳がいたい。アルトが止めようとラウルの腕を掴む。
「だって! 僕たちは皇帝の器じゃないじゃないか!!」
だが、ゼノンは彼が止める前に言い返した。
「仇打ちなんて、本気で言ってないくせに! ただ皇帝になりたいだけのくせに!!」
ゼノンは知っていた。与えられた元カヴァニス公爵領の統治に向き合っていると、あまりにもこの国は軍費に金をかけすぎていて、徴税の負担が大きすぎるのだ。
ゼノンは第三皇子ということもあり、酌量があったが、それでも課税が高かった。真っ当に領地の発展に投資することもできなかったのだ。
その上、多大な軍費をかけて、チェスティ王国に勝利したが、かの国には資源が少なく、かけた軍費以上のものは得られていない。これでは何のために高い税を取っているのか、真剣にわからなかった。
兄たちだって、同じ状況のはずだ。なのに、なぜ何も言わないのだ。
――父と同じく、兄たちも知らないのではないだろうか。領地に向き合っていないから。
『どの皇子も女に支えられて成り立っているくせに主張だけは激しいな!』
謁見室で、ルカが吐き捨てた言葉が思い起こされる。ゼノンはその通りだと思った。自分は役に立たない皇子だ。
「なりませんぞ。皇子殿下方がそんな弱気でいてどうするのです! そんなんことでは、皇帝陛下が浮かばれませぬ!!」
下を向いたゼノンだが、そこに金翼騎士団のサガン・レスター伯爵が声を上げた。
「当然だ。女が皇帝など、前代未聞だ。これでは他国に舐められるだけ。ファリーナ帝国は存続できないだろう」
それにエヴァリストが同意する。ラウルも大きく頷いた。周りを見渡せば、騎士も仇打ちに賛同して、熱に浮かされたようにリュシアーナやルカを非難し始める。
ただゼノンだけがその空気に違和感を覚えていた。
「とにかく副騎士団長と合流だ。先を急ごう」
エヴァリストの声に騎士たちが一斉に返事をして、支度に取り掛かった。
「……ゼノン殿下」
アルトに呼ばれて、後ろを振り返ると、青剣騎士団の面々が冷静な顔で佇んでいる。
「我々は、ゼノン殿下の意思を尊重します」
第一騎士が裏切って、彼らも困惑しているだろう。それでも、敵討ちの熱に浮かされずにじっと状況を観察しているようだった。
「僕は……賛同できないけど、兄上たちをこのまま野放しにするのは危ないと思ってる」
小さな声で言うと、彼らは静かに頷いたのだった。




