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73、迎え


十五で婚約して、十八で結婚した。それから五年、シクル王国の王女が後宮に入る。


リュシアーナは、私室から月を眺めた。そろそろだ。


その日は、奇しくもカヴァニス公爵家が壊滅してから、ちょうど七年が経つ日だった。


後宮は女の園だ。何人もの青薔薇会の女たちが、入り込んでいる。皇帝を癒やし、子を為すための場所が、今や最も危険な場所に変貌していた。そのことに誰か気づいているだろうか。


公開処刑の一件以降、目立った事件は起きていない。ただ金翼騎士団にあらぬ噂が付き纏っていて、それに関して、皇帝や金翼の騎士たちは沈黙を保っている。時が経てば冷めるとでも思っているのだろう。


(出来ることなら、すべての悪事を表沙汰にしてから死んで欲しかったけれど……)


後から暴いたとしても、死人に口無しと言われるのがオチだ。


そんなことを考えていると、長い支度が終わった。


侍女たちが精いっぱいにリュシアーナを美しく映えるように整えてくれたのだ。青いドレスは、いつもよりも膨らみを抑えていて、動きやすい。ティアラは載せていないが、いつでも載せられるように黒髪が編み込まれて、低い位置でまとめられている。



私室のソファに座り、リュシアーナは届いていた手紙を開いた。


メルデンからの手紙だ。彼は、公開処刑の日、ブラド山岳地帯から飛び出した竜を調べに行っていたのだ。手紙には、その報告が書いてある。


(――巨大な穴……?)


ブラド山岳地帯の奥深くに最近掘り起こされたような巨大な穴があると書かれていたのだ。まるでそこから竜が出てきたようだという……ルカにしては手の込んだ演出だ。


それとも、本当に竜は存在していて、あの日、ファリーナ帝国から別の場所に飛び立ったということだろうか。


疑問に思ったが、今更どうすることもできない。リュシアーナは手紙を閉じて、抽斗に入れた。


そして、代わりに抽斗から、別の書類を取り出す。それを持って、リュシアーナは部屋から出た。そして、向かったのは、白狼騎士団の作戦室だ。


作戦室の前で待っていたステファンが、リュシアーナに気づいてにこりと笑う。


「お綺麗です。姉上」


手放しの褒め言葉にリュシアーナは微笑んだ。


そして、ステファンが扉を開け、中に入る。


「エヴァリスト様」


リュシアーナは、騎士たちと話し込んでいた夫を呼んだ。


第一騎士のレアンドロ・ピオヴァーニに、第二騎士リシャル・バウス、そして、第三騎士のルベリオ・シャンナ。証人もちゃんと揃っていた。


「どうしたんだい、リュシー。何度も言うが、この場所へはそう気軽に」


「どうぞ」


咎めるエヴァリストの言葉を遮って、リュシアーナはつかつかと進み、持っていた書類を突き出した。彼の眼前に。


「なんなんだ……」


気分を害したように眉根を寄せ、エヴァリストは書類を受け取った。


ブラド山岳地帯の宿でリュシアーナがエヴァリストの求めを拒否したこと、金翼騎士団に襲われた時にエヴァリストがリュシアーナを見捨てたこと……夫婦関係は亀裂が入ったままだ。


――だから、今、決着をつけにきた。


「婚姻破棄……?」


「はい、婚姻破棄の手続き書ですわ」


微笑むリュシアーナをエヴァリストは呆気に取られたように見ている。


「エヴァリスト様、離婚しましょう」


満面の笑みでそう宣言すると、余計にエヴァリストは間抜けな顔を晒した。


「は……?」


その場にいた白狼の騎士たちも全員、二の句が告げないでいるようだ。


「あなたは不要になりました。それでは」


リュシアーナは最後に一礼して、背を向ける。


「ま、待ってくれ!」


しかし、その腕を掴まれる。せっかく綺麗にしてもらったのに袖に皺がつく。


「いかがしましたか?」


顔だけそちらに向けると、エヴァリストは、無駄に口を開け閉めして、言葉を探している。


「突然なんなんだ……。いいかい? 私と君の結婚は政略結婚なんだ。こんな……一方的に破棄できると思っているのか?」


「父もステファンも同意の上です。もはや、第一皇子になんの魅力もありませんわ」


諭すように言うエヴァリストをリュシアーナは切り捨てる。その言い方にむかついたらしい。


「なんだと! 今からラウルに乗り換えると!? そんなことが許されると思っているのかっ!」


エヴァリストが書類を床に投げ捨てて、声を荒げる。掴んだ手に力が込められて、痛い。


「ああ、言い間違えましたわ。どの皇子にも魅力はありませんの」


リュシアーナは、掴まれた手を振り払う。そして、逆に距離を詰めた。


下からエヴァリストを覗き込むようにして、笑みを消す。


「――無能どもが次の皇帝だなんて、虫唾が走ります」


その言葉に空気が凍りついた。リュシアーナは、顔を離して数歩下がる。


「……はっ。君は……君は多少物を知ってるからと言って生意気だ! それとも! たまたま破閃を使えるから、調子に乗っているのか!!」


エヴァリストの顔が赤く染まる。彼は口泡を飛ばして、激昂する。しかし、リュシアーナには何も響かない。


「物を知らないご自身を省みては?」


「なっ!?」


逆にそう笑うと、エヴァリストが絶句した。もはや血管でも切れそうな勢いだ。


「……ひ、妃殿下、このようなことあなたの一存では決められぬはずです。一度、正式にボナート公爵家との場を設けて話すべきでしょう」


主君を心配したのか、第一騎士が割って入ってきた。第二騎士と第三騎士は、困惑して立ち尽くしている。


「必要ありませんわ。ボナート公爵家の総意ですから。それに子を産まぬわたくしを煙たがっていたのですから、そちらにしても良いお話でしょう?」


「そうだ! だけど、私は君を捨てないで慈悲をかけてやったじゃないか!」


エヴァリストがまた声を荒げる。彼は本気で理解できないらしい。


(本当に、愚かね)


「ボナート公爵家の後ろ盾が惜しかった。それだけのことでしょう? どうぞ、侍女でも妹でも好きにお迎えくださいませ」


「な、なんだと……! 本当にいいのかっ? 離婚された女は惨めだぞ!!」


どれだけ自分に魅力があると思っているのだろうか。リュシアーナは呆れる。


そして、踵を返した。ステファンが扉を開けてくれる。


「リュシー! これが最後だぞ! 本当にいいんだな!?」


その背中に叫びが浴びせられる。さて、戻ってくれることを望んでいるのは、どちらだろうか。


リュシアーナは、振り返ることなく、作戦室を出た。


そして、部屋の外で待っていた男に気づいて、微笑む。その男は膝をついて、リュシアーナに頭を垂れた。


「お迎えに参りました」


帝国騎士団の団長、セノフォンテ・クローチェ伯爵が、宣言通り迎えにきていたのだ。


「首尾は?」


「順調でございます」


セノフォンテは立ち上がると、リュシアーナを先導する。


「くそっ! リュシー、君を惨めな女にするわけにはいかないだろう! いいか、君を助けられるのは、私だけ……」


その時、作戦室からエヴァリストが飛び出してきた。リュシアーナを追ってきたようだ。


「なぜ、ここに……」


そして、騎士団長を見つけて、先ほどの勢いが萎んでいく。リュシアーナは振り返らなかった。


そのまま皇子宮を出て、用意されていた馬車に乗り込む。


動き出した馬車から、後を追ってきたエヴァリストが皇子宮を背に呆然と突っ立っているのが見えた。


(今となっては、わたくしに利用されて可哀想な男ね)


長く息を吐き、リュシアーナは頭を切り替える。不要な物は捨てたのだ。その肩は軽い。これから背負う物がどんなに重くなっても耐えられそうだ。


真夜中なのに皇宮は騒がしかった。篝火が焚かれていて、リュシアーナの通る道は、明るく照らされている。


暗殺が成功したのだろう。


何も知らない騎士や貴族たちが、これから叩き起こされて大騒ぎし始めるのだ。


騎士団長セノフォンテは、謁見室にリュシアーナを連れてきた。そして、彼自らその扉を開ける。


――その瞬間、騎士の礼がリュシアーナを迎えた。


父を含めた古参の貴族当主たちと帝国騎士団の騎士たちが揃って頭を下げている。その中には、青薔薇会の女性たちも混じっていた。


リュシアーナは、謁見室の中央を一人で歩く。真っ直ぐ見つめるその先には、玉座があった。


かつんと、リュシアーナのヒールの音だけが響く。


リュシアーナは玉座の前までくると、振り返った。顔をあげた人々の顔がよく見える。これだけの人がリュシアーナを待っていたのだ。


その中から、父であるボナート公爵が前に出て、膝をつく。


「新たな皇帝陛下の誕生をお祝い申し上げます」


その父の口上に他の貴族たちも一斉に追随した。


「「お祝い申し上げます!!」」


その声を受け止めて、リュシアーナは玉座に座ったのだった。






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