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8、側妃エステル


十五で婚約して、十八で結婚した。それから三年、夫の母親が約束もなく訪ねてきた。



第一皇子の母親であり、側妃のエステルは、数人の侍女と騎士を引き連れて、リュシアーナの前まで歩いてくる。


彼女のすぐ後ろには、金の装飾が施された制服を着た騎士が二人控えている。皇帝の金翼騎士団の騎士だろう。側妃が後宮から出るためには、監視が必要だ。


「なんてことなの」


挨拶しようと頭を下げかけた時、エステルの第一声がそれだった。


リュシアーナは、聞かなかったことにして、改めて一礼する。


「ご機嫌よう。エステル様」


リュシアーナに続いて、シェリルとブリジッタも同様に挨拶をした。


「どういうことなの?」


しかし、エステルは挨拶を返すどころか、シェリルを睨みつけている。


「何がでしょう?」


無礼な行動を疑問に思うリュシアーナは、エステルに問い返す。


「なぜ第二皇子の妃がここにいるのか。そう聞いているのよ」


エステルは、閉じた扇子で、ぱしんっと手のひらを打った。


(何をそんなに苛立っているの? 貴族としての礼儀は弁えている方だと思っていたのに)


「わたくしが招待したからです」


リュシアーナは微笑んで答えた。エステルのこめかみがひくつく。


「ええ。リュシアーナ妃に招待されましたのでここにおります。何か問題がありましょうか?」


シェリルも外向きの笑みを浮かべて肯定する。


エステルは、顔を引き攣らせた後、大きくため息をついた。


「あなたたちは何も知らないのね。……いいこと? エヴァリスト皇子殿下が跡を継ぐと言うのに第二皇子がそれを邪魔しているのよ。あなたたちがこんなことでは困るわ」


皇子たちに倣って、妃同士でも敵対しろということだろうか。リュシアーナは、表情を変えずにエステルの後ろに視線を送った。


皇帝直属の騎士たちは、何の反応も示していなかった。ただ無遠慮にリュシアーナたちを見ている。


皇帝は、まだ皇太子を指定していない。そして、好き勝手に皇太子について言及すると不機嫌になる。場合によっては、牢獄送りだ。


エステルの発言は、非常に危険なものだった。


皇帝の騎士たちが反応しないなら、エステルに買収されたのか、女の戯言と流されたのか。


「……エステル様。どうして私たちを叱るのですか? エステル様を招待しなかったことをお怒りに?」


このまま騎士が流してくれているうちに話題を変えようとしたところ、先にブリジッタが言ってくれた。


ブリジッタは、何も理解できないふりをして、眉尻を下げている。


「いえ、そうではなくて……」


エステルがため息をついて、こめかみを押さえる。


「夫からもこの招待をお受けして良いと言われております。夫が許可を出したものなのに駄目だったのでしょうか……?」


ブリジッタはさらにおろおろと視線を彷徨わせた。異様に演技が上手い。


貴族の女性は、夫に従順であることこそが美徳とされる。


「わたくしもエヴァリスト様から許しをもらっておりますが……」


「わたしもです」


リュシアーナとシェリルもそれに乗った。実際、小規模のお茶会を開くとは言ってある。エヴァリストがその参加者まで把握しているかは知らないが……。


自分の息子が許可を出したと知り、エステルの頬が引き攣った。しかし、すぐに扇子を開いて隠す。


「……そういうことでしたらいいのよ」


よくわからないが、無礼で危険な言いがかりは、終わったようだ。リュシアーナは、エステルに席を勧めて、座らせた。


全員が席についたところで、リュシアーナは切り出す。


「エステル様、今日はどうしてこちらに? 事前に知っていましたら、しっかりおもてなしをさせていただきましたのに」


「あなたに良い話を持ってきたのよ」


リュシアーナは、約束もなく訪ねたことを暗に皮肉ったが、エステルは気づかなかったようだ。すぐに話を切り出してくる。


「良いお話とはなんでしょう?」


「遠縁の親戚に年頃のご令嬢がいるのよ。明るくて気立ての良いご令嬢なの。帝都で行儀見習いをさせたいから、あなたの侍女にどうかしら」


唐突な話だった。リュシアーナは、笑みを浮かべたまま一瞬硬直した。


「……お名前をお聞きしても?」


正直、リュシアーナはボナート公爵家の出身だ。高位貴族らしく、侍女も侍従も実家から手配された者たちで事足りている。


わざわざエステルに世話をしてもらうことではない。それどころか、子爵家の出のエステルが世話をするということ自体、ボナート公爵家を侮っているのと同義だ。


それに気づいているのか、気づいていないのか。エステルは、続ける。


「アイリスよ。アイリス・ヘキセン子爵令嬢」


ヘキセン子爵家は、新興貴族だ。一代前、戦争で手柄をあげた騎士に爵位が授与されたことから始まる。今代の子爵は、騎士になったものの、特に活躍はなく、帝都から半月ほどの距離に小さな領地を治めていた。


リュシアーナは、爵位からその経歴を思い出す。エステルの実家であるメラーニア子爵家とは何の親戚関係にもないはずだ。


(利害関係が裏にあるのかしら?)


リュシアーナは、困ったように返した。


「そのような方がいらっしゃるのですね。しかし、今の侍女たちに不満はありませんし……。お名前を聞いただけでは判断できませんわ」


「あら、この私が直々に紹介するのよ?」


エステルは、当たり前のように無茶を通そうとしてくる。


その言葉を聞いて、シェリルがくすりと笑った。


「…………」


すぐにエステルがシェリルを無言で睨む。


「失礼。わたしたちの侍女とは幼い頃から築き上げた信頼関係があるものです。その子爵令嬢とリュシアーナ様は、名すら知らない関係。いくらエステル様の言葉といえども無茶では?」


シェリルは、伯爵家。ブリジッタも侯爵家の出身だ。高位貴族は、得てして代々その家に仕えてきた分家から侍女を選ぶことが多い。


エステルのメラーニア子爵家は、それほど大きな家ではなく、分家もない。今は彼女の兄が当主を務めているが、経営があまり芳しくないと小耳に挟んだことがある。


「…………口を挟まないでちょうだい」


このシェリルの当て擦りには、エステルも気づいたらしい。


「私たちのお茶会に割り込んだのは、エステル様かと思われますが……。そのようなお話をするのなら、あらかじめリュシアーナ様と約束を取り付ければ良かったのではないでしょうか」


淡々とブリジッタが言った。無茶苦茶な話に演技する気すらなくなったらしい。


流石に分が悪いとは気づいたようで、エステルは席を立つ。


「とにかく、アイリスのことは言っておきましたから。また明日、話をしましょう」


そう言い捨てると、挨拶もなしに温室から出て行ってしまった。


「………………リュシアーナ、あれに言われっぱなしなの?」


エステルとお付きの者たちが完全にいなくなったことを侍女のランが確認した後、シェリルが問う。エステルをあれ呼ばわりだ。


「あれほど無礼なのは初めてよ」


約束もなく会いにくることも、ここに滞在するようなことを言っていたのもすべて初めてだ。


「態度が急に大きくなったなら、公爵家並みの後ろ盾がいるか、リュシアーナが失脚する前兆があるように見えているのね」


冷静にブリジッタがエステルを分析する。リュシアーナはエステルが来てからずっと考えていた。


「エステル妃のメラーニア子爵家とアイリス・ヘキセン子爵令嬢に縁戚関係はないわ。それでも勧めてくるのなら……」


リュシアーナは言葉を一度切った。


エステルは、リュシアーナを子が産めない女だと、断定したわけだ。そして、子を産めない女は出来損ないと同義。敬う理由もない。


「……愛人候補ね。わたくしの侍女にして、その後に見染めたことにしようとしているのでしょう」


以前、エヴァリストがエステルに愛人について相談していたと聞いた。


(わたくしの侍女が愛人に選ばれたのなら仕方ないでしょう……とでも、言うつもり?)


浅はかでリュシアーナを見下した策に思わずカップを握る手が震える。


「うわ……屑ね。うちはたくさん愛人もどきがいるけど、さすがにわたしの近くからは選ばないわよ」


シェリルが嫌そうな顔で、内情を暴露する。公式的に第二皇子に愛人がいるとは聞いていないので、一夜限りの関係だろう。


「シェリル、あなたのとこも相当よ。……それで、言われるがままなの?」


ブリジッタがシェリルを嗜めて、リュシアーナに尋ねる。


リュシアーナは息を吐いた。今、自分が使えるカードは何なのだろうか。


本来、エステルの言うことを聞く義理はない。だが、あそこまで見下されているなら、エヴァリストがそういう風に印象付けたということだ。


いくらリュシアーナが拒否しても夫の命令になれば、従うほかない。無理矢理押し込んできた侍女が愛人になれば、ボナート公爵家の顰蹙を買うことは確実だ。


リュシアーナの実家に悪印象を与えてまで愛人を迎え入れたいのか、そうではないのか。


エヴァリストとエステルの考えはどこまで一致しているのか。


リュシアーナは、二人の普段の言動、嗜好を思い返す。


「言いなりになるつもりはないわ」


リュシアーナが芯のある声で答えると、シェリルとブリジッタも笑みを浮かべたのだった。








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