64、気まずい馬車
十五で婚約して、十八で結婚した。それから四年、夫との関係に取り返しがつかない亀裂が入っていた。
翌朝の馬車の空気は、最悪だった。
エヴァリストはあからさまに不機嫌で、同乗している騎士二人が気まずそうな顔をしている。
「私はもう少し調査して帰るが……。エヴァリスト、手柄を独り占めしようとは考えないことだ。昨夜のうちに伝令を送ってるからすぐにばれるぞ」
第二皇子のラウルが、馬車の中にいるエヴァリストに向かって言った。昨日見つけた宝剣は、座席の下に保管されている。
「わかっている」
エヴァリストは、不機嫌な表情のまま答えた。
「ふんっ、女に断られたくらいで辛気臭い顔だな」
「なっ!?」
だが、このラウルの言葉にエヴァリストは目を剥いた。
「あれほど大声で叫んでいれば嫌でも聞こえる」
リュシアーナがエヴァリストを袖にしたことは、宿全体に広まっているようだ。部屋の扉を開けたまま話したのが不味かったか。
「おまえには関係ないだろう!」
いきり立つエヴァリストを鼻で笑って、ラウルはリュシアーナを見た。
「第一皇子妃、昨日はいい働きだった。こいつに捨てられたら、私が拾ってやるぞ」
どちらも嬉しくない。リュシアーナは、微笑み返すだけに留める。
ラウルは馬車の中の空気をさらに悪くして去って行った。
「……なぜ断らない?」
ゆっくりと動き出した馬車の中で、エヴァリストが、リュシアーナを睨む。
リュシアーナはこんな狭い馬車の中で、口論する気はない。巻き込まれる第二騎士と第三騎士が不憫だろう。
「君は、私の妃だろう!」
だが、エヴァリストはつっかかってくる。
「はい、欠陥品の妃ですわね」
リュシアーナは面倒になって、それだけ言い返した。同乗するルベリオとリシャルが、身じろいだ。
「それはっ……実際にそうだろう。君がいつまで経っても子を産めないから……! だが、私は捨てる気はないと言っているんだ。なのになぜ拒む!?」
「おそらく、エヴァリスト様には理解できない理由です」
無能の子どもなど、誰が欲しがるものか。
「なんだとっ」
「わたくしの処遇は好きに決めて構いませんので、話は皇子宮に戻ってからにしませんか?」
そう提案すると、エヴァリストは、気まずそうなリシャルとルベリオに気づいたようだ。みるみる威勢が萎んでいく。
(お父様になんて言おうかしら)
夜を拒んだら、離婚されそう。父なら面白がって、出戻りを許しそうではある。
だが、問題は、出戻ったリュシアーナとは誰も交流は持とうとはしないだろう。貴族との繋がりがなくなる。
クラリーサやシェリルが、今回の宝剣にどれだけ絡んでいたのか、それは確かめないといけない。
「あの……恐れ入りますが、妃殿下は魔法使いの知人がいますか?」
躊躇いがちにルベリオが、リュシアーナに尋ねた。
「何を聞いてるんだ」
エヴァリストが不機嫌そうに言う。
「あの魔力の濃い空間でも妃殿下は最後まで平然としていました。魔力への耐性が高い証拠です。もし知り合いの魔法使いがあるのなら、騎士団に引き込む価値はあります」
ルベリオの問いをリシャルが補足した。魔法使いが近くにいると、魔力に慣れて免疫がつくこともあるのだと、ルベリオが言っていたことを思い出す。
昨日足を踏み入れた坑道の中は濃い魔力に侵されていたと、ルベリオは言う。だが、たしかにリュシアーナが気分が悪くなることはなかった。
帰り道、何人もの騎士たちが、青い顔をしていたのを思い出す。
「婚姻前に青薔薇会に通っていたからでしょう。そこで、二人の魔法使いに歴史を教えていました」
リュシアーナは、思い出す。カヴァニス公爵家の双子を。双子は二人とも白髪の魔法使いだった。
「ただ、エンリケ・カヴァニスとルドヴィカ・カヴァニス。その二人はすでに亡くなっています」
「そうだったのですか。不躾なことをお聞きしてすみません」
引き下がるルベリオとリシャルにリュシアーナは微笑んでおく。
まだ、ルカが生きている。そのことは、絶対に知られてはならない――。
多少の空気の悪さに目を瞑ると、馬車は順調に帝都へと向かっていた。帝都までは、二日かかる。日が落ちると、白狼騎士団は、野営することになった。
少し寄り道をすれば、宿はあるのだが、宝剣という貴重な物を持っているからと、野営を選んだらしい。
(わたくしに断られたことを思い出すから……ではないといいのだけれど)
そうだとしたら、あまりにも器が小さいなと、離れたところにいるエヴァリストを見て思った。
「妃殿下、何かご不便はありませんか?」
扉を開けたままにした馬車の中にいたリュシアーナをリシャルが気遣う。
急な出発だったため、侍女は置いてきた。身の回りを世話してくれる者がいないため、不便なのはそうなのだが、一日くらい我慢すればいい。
「ありがとうございます。大丈夫ですわ」
リュシアーナは笑みを浮かべて、答えた。リシャルは、そのまま下がっていくかと思ったが、まだ少し言葉に悩んでいるようだった。
「昨夜は迷惑をかけてしまいましたわ。ですが、わたくしとエヴァリスト様の問題ですから、お気になさらぬよう」
丸一日、馬車で気まずい思いをしたのだ。リシャルやルベリオにとっては、いい迷惑だったことだろう。
「いえ……私は妃殿下が心配です。妃殿下がいなければ、宝剣を探し出すことなど到底無理でした。領地も妃殿下がいるからこそ安定した収益を得られています。ですが、それを殿下はわかっておられない……」
リシャルは、ボナート公爵のおかげと思うのではなく、ちゃんとリュシアーナ自身を見ているようだった。
思えば、彼は最初からリュシアーナ自身を気にかけてくれていた。冷たい容貌からは見えないが、温かい人だ。
「そんなことを言ってはいけませんわ。バウス卿は、エヴァリスト様の騎士なのですから」
妃でありながら、最初から子を儲ける義務を放棄している。そんなリュシアーナに言えた義理ではないが、リシャルを諌めた。
「……ですが、殿下が妃殿下を手放せば、白狼騎士団は力を失うことでしょう」
「それは買い被り過ぎですわ」
そこまでリュシアーナの力を買っていたのかと、嬉しく思う。青薔薇会以外から、こんな風に能力を評価されたことはなかった。
その時だ。騎士たちがざわめく声が聞こえてきた。
何事かと思って、視線を移す。すると、篝火の向こうに大鷲の胸章がきらめくのが見えた。
リュシアーナは、立ち上がり、馬車の外に出る。近寄って見てみると、金翼騎士団の騎士がいた。
騎士の数は、六人。小隊のようだった。その内の一人が、すぐに離れていく。
「何事だ?」
リシャルが近くの白狼の騎士に問う。
「任務中の金翼騎士団が、立ち寄ったようです。なんでもこの付近に現れる賊が、ベルティ辺境伯の残党かもしれないようで……」
騎士の返答にどくりとリュシアーナの心臓が脈打つ。
(こんな、帝都の近くに賊……)
リュシアーナの背後には、ブラド山岳地帯がある。リュシアーナは胸騒ぎがして、ひっそりと拳を握りしめた。




