6、出立
十五で婚約して、十八で結婚した。それから三年、夫が長期の遠征に出発する。
早朝、リュシアーナは眠気を堪えて、エヴァリストの執務室に向かう。その道すがら、夫から聞いた話を思い返していた。
雪の国、チェスティ王国。
ファリーナ帝国とは比べ物にならないほど、小さな国だ。一年のほとんどが雪に覆われており、国力も豊かとは言い難い。
そんな小国が、ファリーナ帝国に付け狙われて尚、敗北していないのは、ひとえに地理的有利を取り続けているからだ。
リュシアーナは、チェスティ王国の歴史を思い出す。
チェスティ王国ができたのは、今から三百年前。国ができてからは、ほとんど領土の拡大も縮小もない。
それは防戦に適した要塞が、要所のことごとくを抑えているからだ。
特に問題なのは、ヒル砦だ。ここを落とせば、チェスティ王国攻略の足がかりになるのだが、見晴らしの良い高台にあり、幾度となくファリーナ帝国を追い返している不落の砦だ。
厄介なことにヒル砦は、正面の一方からしか攻められない。
砦の背後に回るためには、無数の魔物が棲みつく峡谷を抜けなければならないのだ。いくら正規の騎士がいたとしても無限に湧いて出てくる魔物を振り切ることは不可能だった。
地の利が相手にあり過ぎている。
それ故に、現皇帝が即位した三十年前から開戦してはいるが、一度も砦を落とせたことはない。
だからこそ、リュシアーナは疑問に思う。
(なぜチェスティ王国を選んだの?)
第二皇子と功を競っている以上、攻略されたことのないチェスティ王国を狙うよりは、他を探した方が良いのではないだろうか。
とはいえ、今のリュシアーナには、エヴァリストがチェスティ王国をどう攻略するのか、別の目的があるのかすらわかっていない。
エヴァリストが執務室に残した資料を見てもそれがわかるようなことは記載されていなかった。
この執務室は、エヴァリストが、貴族とのやり取りや領主としての仕事をするための場所だ。白狼騎士団と何かを為すための場所ではない。
エヴァリストの目的を知るためには、白狼騎士団の作戦室に行かなければならない。
同じ皇子宮内にあるが、リュシアーナには、縁のない場所だ。
(騎士たちに差し入れと言っても、夫の不在時にやることでもないわ。騎士が案内につくだろうし、ましてや妃が作戦室に入ることは出来ないでしょう)
リュシアーナは息を吐いた。出来ることが少なすぎるのだ。
考えている内に朝日がよく差し込んでくる。リュシアーナは立ち上がり、自室に戻ることにした。
隠し通路を出て、誰にも見られていないことを確認する。
そして、温室を歩いていると、向かいから誰かがやってくるのが見えた。白の制服を身に纏っていることから、白狼騎士団の騎士であることが窺えた。
この温室では、離宮に飾る花を育てている。時には、小さなお茶会を開くこともあった。
やってきたその人は、白狼騎士団の第二騎士、リシャル・バウスだった。温室には似合わない人物だ。
彼は、リュシアーナを見て、道を開けるように横に逸れる。そして、礼儀正しく一礼した。
「バウス卿」
「……妃殿下、早朝に如何なさいましたか?」
リュシアーナが声をかけると、リシャル・バウスは、そう応えて、頭をあげた。
その拍子に少し崩れた赤い髪が、くすんだ青い目にかかる。
「早く目が覚めたので、散歩をしていたのです。バウス卿こそ、こんなところでどうしたのですか?」
リュシアーナは、にこりと微笑んだ。花々が管理されている温室に似つかわしくないのは、リシャル・バウスの方だ。
「私も散歩をしておりました。温室が物珍しかったものですから」
リシャル・バウスは、子爵家の出だ。そして、温室を所有しているのは、金のある高位貴族だけ。筋は通っている。
冷たい美貌に動揺はなく、ただリュシアーナに問われたから、答えたと言わんばかりだ。
「まあ、そうでしたの。存分に楽しんでくださいね」
リュシアーナはそれ以上探りを入れるのを諦めた。リシャル・バウスに軽く礼をして、温室を出る。
(第二騎士が花好きだとは聞いたこともないけれど)
白狼騎士団に所属して長く、花に興味もない彼にリュシアーナは警戒を強めた。
自室に戻る頃には、起き出した使用人たちが慌ただしく駆け回っていた。
――今日、エヴァリストと白狼騎士団は、遠征に出立する。
リュシアーナは、見送りをするために身支度を整えた。派手さのなく、シンプルな青色のドレスを選び、侍女に髪を結ってもらう。
「リュシアーナ様、睡眠は大切ですよ」
付き合いの長い侍女のランには、リュシアーナが深夜まで起きていたことはお見通しのようだ。小言をもらう。
いつもより時間をかけて化粧を施してもらえば、準備は完了だ。鏡の中に写るのは、どこにでもいる従順な貴族の女だ。
リュシアーナはエヴァリストのもとへ向かった。侍従に聞けば、すでに門の近くにいるらしい。
門の前には、多くの騎士が集まっていた。白狼騎士団は、白の制服に身を包み、出発の準備をしている。
「エヴァリスト様」
呼びかけると、騎士たちに指示を出していたエヴァリストは、すぐにリュシアーナに気づいた。
「リュシー。わざわざ来てくれたのかい?」
「はい、エヴァリスト様が無事にお戻りになられることを願っております」
「勿論だとも」
エヴァリストは、とても機嫌が良さそうだ。
今まで打開できないでいたチェスティ王国の侵攻に臨むのなら、もっと固い雰囲気が漂っているのではないだろうか。
周りの騎士たちを見ていても、気負う様子はない。
「二月後には、きっといい知らせを持って帰ってくるよ」
エヴァリストはそう言って、リュシアーナの頬を撫でる。
(いい知らせ? 何の確信があるというの?)
やはり何かがおかしい。
エヴァリストがチェスティ王国に向けて、遠征に行くのかどうかさえ、怪しくなってくる。
「楽しみにお待ちしておりますわ」
疑問に思うものの、リュシアーナはそれを押し隠して、微笑んでみせた。
「――殿下」
エヴァリストと話している最中に声がかかる。体格の大きい精悍な顔つきの騎士が、エヴァリストを呼んだのだ。
彼は、第一騎士のレアンドロ・ピオヴァーニ伯爵だ。
「リュシー。見送りはここまでで構わないよ。じゃあ、行ってくる」
エヴァリストは、リュシアーナの額に口付けた後、騎士たちの元に戻って行った。
リュシアーナは少し下がって、エヴァリストの出立を待つ振りをしながら、周囲を観察する。
リュシアーナと同じように少し離れたところに第二騎士のリシャル・バウスがいた。そして、その隣には、なぜか、第三騎士もいた。
(第三騎士が、エヴァリストのそばにいない……?)
リュシアーナは驚いた。第三騎士は、エヴァリストのそばに付いているのが常だ。
その第三騎士は、ルベリオ・シャンナ子爵。白髪に薄い紫の瞳をしている。少し神経質そうな雰囲気があるものの、目鼻立ちがよく整っていた。
表向きにはなっていないが、第三騎士は、魔法使いだ。
魔法使いという存在は、このファリーナ帝国では、馴染みがない。
魔法使いは、魔力をその身に宿し、魔法を扱う者を指す。魔力を身に宿す影響か、魔法使いは総じて白髪だ。
そして、最大の特徴は、自身の個性に合わせた魔法を使うこと。扱える魔法の能力は、千差万別だが、大抵は一種類だけだ。
例えば、ルカは、変身魔法を扱う。
会ったことのある人物であれば、寸分違わずその人物に成り代わることができる魔法だ。性別も骨格も色合いも、ほくろの位置すらも完璧に模倣できる。
ルカは常に別人に姿を変えているので、魔法使いの特徴がない。リュシアーナがいつも見ている茶髪の青年は、ルカの本来の姿ではないのだ。
魔法は、まさに人智を超えた力だ。
第三騎士が何の魔法を扱うかは知らないが、その重用ぶりから、エヴァリストにとっての切り札であることは確かだった。
「リュシー」
リュシアーナが考え込んでいる間に準備が整ったようだ。エヴァリストが、リュシアーナに手を振ってから馬車に乗り込む。
エヴァリストの乗る馬車が動き出したが、第三騎士は動かなかった。それどころか、一礼して主人を見送っている。
(第二騎士だけでなく、第三騎士も置いていくのね)
リュシアーナは、小さく手を振り返して、馬車が見えなくなるまでその場にいた。
「情報が足りないわ」
リュシアーナは小さく呟く。
エヴァリストはこの遠征で何をしようとしているのか。そんなことも知らないで、皇帝になどなれるものか。
リュシアーナは、情報を持っていそうな友人たちに会う算段をつけたのだった。




