41、破綻寸前の国
十五で婚約して、十八で結婚した。それから三年、クライフ男爵領から帝都に戻ってきていた。
帝都に戻って数日、カトリン侯爵の密貿易の話を聞くことはなかった。
クライフ男爵は、リュシアーナの提案を進めたようだ。リュシアーナは、密貿易をなかったことにしてはどうだと提案していたのだ。
密貿易は、皇帝とカトリン侯爵の間で進められたものである。そして、本当はカウス港がワームに襲われる手筈だった。しかし、悪知恵の回るカトリン侯爵は、皇帝の意図を見抜き、カウス港ではなく、リーリエン港に独断で標的を変更したのだ。
ワームの大群の事件の後、クライフ男爵は、他の家臣たちに事のあらましを全て伝えて、カトリン侯爵に隠居を迫った。
平然と家臣の一人を犠牲にするカトリン侯爵に他の家臣たちも愛想を尽かしていたのだろう。表向きには、病の悪化だと理由をつけて、強制的に隠居させたのだ。
そして、元がついたカトリン侯爵と皇帝の接触を断ち、密貿易をしていたことをなかったことにした。すべてを知らぬ存ぜぬで通すのだ。
新たなカトリン侯爵は、彼の息子をひとまず代理として、家臣全員で代理を支えていくようだ。監視の目が多いとわかれば、皇帝もまた密貿易を持ちかけてくることはないだろう。
(どうにかなりそうでよかったわ)
話を聞いたリュシアーナは、ほっと息を吐いた。
「……これもすべて、リュシアーナ様のおかげです。父を含め、カトリン侯爵家臣全員に代わりまして、お礼を申し上げます」
カトリン侯爵領のことを伝えてくれたのは、クライフ男爵家の三女プルメリアだ。四つ年下の彼女は、青薔薇会の参加者でもある。
非常におっとりとした見た目と仕草をしているが、彼女は抜け目がない。カトリン侯爵の愛妾になっていたということだが、それもすべて怪しい動きをしている侯爵を監視するためだったようだ。
「あなたは、これからどうするのですか?」
「カトリン侯爵代理の愛妾になりました。彼はとても真面目な方です」
父の愛人が、息子の愛人になるとすれば、眉を顰められる行為だ。だが、カトリン侯爵の家臣たちがそれを認めているのなら、彼女がただの愛妾ではないと知られているのだろう。
彼女は、彼女で自分の地位を築き上げているようだ。
「頼もしい限りですわ」
リュシアーナは微笑んだ。
「リュシアーナ様には敵いません。……そろそろお時間ですね。本日はこれでお暇させていただきます」
プルメリアはこの後、運河の船に乗って、カトリン侯爵領に戻るのだ。最後に領地の名産を持ってきたという籠を置いて、彼女は去っていった。
彼女を見送って自室に戻ると、侍女のランが、籠の中を並べていた。入っていたのは、資料の束だ。
領地の収益や地図、領民の数に至るまで、カトリン侯爵領のここ数年の動向が記載されていた。リュシアーナは、それをすぐに読み込む。
(飢餓により、難民化した領民が、南諸国に流出……。尋常ではない数よ)
リュシアーナは、想像以上に酷い状況に眉を寄せる。カトリン侯爵は、私利私欲に満ちた人物だ。領地を省みることがなかったのだろう。
(河川の氾濫により収穫量の低下。修繕した形跡はなし。穀物の徴収量は増加の一方……)
一通り読み込んだリュシアーナは、資料をランに渡す。ランは心得たように奥まった棚に片付ける。
リュシアーナが、協力を求めてから、プルメリアだけでなく、各地にいる青薔薇会の一員たちが届けてくれた資料が、そこには収まっていた。
棚のほとんどが埋まっていて、リュシアーナはファリーナ帝国の半分の領地についての状況がわかっていた。
そして、そのほとんどの領地が破綻寸前だった。
破綻していないのは、領主が苦心して貯金を切り崩しているか、領民に無関心な徴税を行っているかのどちらかだ。両方に未来はない。
――もはやファリーナ帝国は、砂上の楼閣に等しい。
(なぜ、ここまで放置したの……?)
この内部事情が周辺諸国に知られれば、ファリーナは無事では済まない。まして、ファリーナ帝国はことあるごとに理由をつけて、周辺諸国に侵略を続けていた。時には難癖やでっちあげも……。
恨みと大義名分は、十分なほどだ。
「リュシアーナ様」
考え込んでいたリュシアーナにランが声をかけた。
「クラリーサ様がお越しです」
「今行くわ」
リュシアーナは、少し乱れた髪を直して、客室に向かう。
「あら、酷い顔ねぇ」
クラリーサは、リュシアーナの顔色を笑った。
「……あなたは知っていたの?」
「この国の現状を? 知らないけど予想できるわ。もうずっと悪くなるばかりだもの」
クラリーサは面白そうに笑っている。
カヴァニス公爵がいなくなって、内政には誰も目をかけなくなった。悪くなるに決まっている。けれども、数年以内に国が潰れるほどだとは思わなかったのだ。
「貧乏くじを引かされたとは……思わないの?」
クラリーサが問う。
リュシアーナが皇帝になった折には、この問題が降りかかってくる。急ぎ内政を立て直さなければならない。
「思わないわ。いえ、そのためにわたくしが選ばれたのでしょう」
それは、リュシアーナの得意分野だった。
今のように皇帝の座を奪う策を巡らせるよりもずっと……リュシアーナは、簒奪者よりも統治者としての能力が高い。
「あら、割り切ってるのね。そんなリュシアーナにプレゼントよ」
クラリーサは、机に置いていた資料の束を押し出した。
「これは……?」
「今わかってるだけの周辺諸国の状況」
クラリーサの夫であるパルマ侯爵は、外交を担っている。夫について行った先で仕入れた情報なのだろう。
周辺諸国といってもファリーナ帝国は、様々な国に囲まれている。北は雪の国、北東は鉱石の国、南は真珠の国、西は荒野の国……。これらは、もれなくファリーナ帝国が侵略を仕掛けた国々だ。
軽く流し読めば、どの国もあまり良くない動きをしていることがわかる。
リュシアーナは眉間を揉んだ。頭の痛い問題ばかりが降りかかってきそうだ。その時、クライフ男爵領で出会った魔法使いの忠告が脳裏をよぎった。
「クラリーサ、ステラ国にあるルリ島は知っているかしら?」
その魔法使いメルデンは、変幻魔導師には気をつけろと、言っていたのだ。
諸外国の情報を持つクラリーサなら、何か知っているだろうか。
「ルリ島?」
リュシアーナは、侍女に命じて、地図を二つ持ってこさせた。
「ここよ。古い地図には島があるのだけれど、新しい方からは消えているの」
ステラ国のルリ島は、最新の地図からは消えているのだ。
リュシアーナも自分で調べたのだ。と言っても地図くらいでしか確認できなかったが……。
「ああ……ここね。三年前だったかしら、当時は話題になったわよ」
クラリーサは何か知っているようだった。古い地図のルリ島を指差す。
「シャフラン王国が侵攻して、ステラ国が降伏したの。そして、戦利品として、この島を引き渡すよう言ったのよ」
「どういうこと? それなら、島はシャフラン王国領になっているでしょう?」
地図から消える意味がわからない。
「交渉の場で、悪あがきとしてステラ国が魔導師を雇ったのよ」
「それが、ルカだったの?」
クラリーサは頷いた。
「変幻魔導師が呼ばれたらしいわよ。その頃はわたしもあの子が変幻魔導師とは知らなかったから、特に注目していなかったけど」
「それで、ルリ島は……?」
妙な胸騒ぎがした。
「――沈んだそうよ。交渉中、どういう流れになったかは知らないけど、変幻魔導師が島を丸ごと沈めたの。そこにいた住民ともども海の底だそうよ」
「…………」
リュシアーナは、その話が信じられなかった。
それほどの力がルカにあるのか。あったとしても、そんな馬鹿げたことをルカがするとは思えなかった。
「人伝に聞いた話よ。信憑性は低いし、そもそもあの子は、夢と現実の狭間からすべてを欺く変幻魔導師。何が本当かまやかしか、分かったものではないわ」
「そうね……」
幼少期からの付き合いなのだ。リュシアーナとクラリーサは、ルカの本質を知っているつもりだ。理由もなく、理不尽の権化のような行いはしないだろう。
「それで……リュシアーナはこれからどうするつもりかしら」
クラリーサが話題を変えた。彼女に問われて、リュシアーナは思考を切り替える。
(ルカは三人の皇子の皇位委任状を得るのと引き換えにわたくしの後ろ盾を用意すると言ったわ。皇帝には一切触れていない……)
なぜ皇帝に言及しなかったのか。答えはすぐにわかる。
――排除すべき人間だからだ。
(上に立ってはいけない人間が、今の皇帝ね)
国の状況を鑑みることなく、民に負担を強いて、自作自演も含めた無茶な理由で侵略を繰り返す。愚かだと言うほかない。
「排除するわ。その上で条件を満たす」
リュシアーナがそう答えると、クラリーサが書類の束から一枚の紙を引き抜いた。
「あの子に言われたのは、この人と組むこと。すでに話は通っているの」
クラリーサが指差したのは、鉱石の国の第一王女だった。そこには、彼女の経歴が記載されている。
シルキィ・フォード・シクル。歳は二十五歳で、鉱石の国であるシクル王国の第一王女にして、魔法使いだ。使用する魔法は、治癒魔法。あらゆる外傷を無かったことにするらしい。
同母兄である第一王子を補佐し、死なない軍隊を作り上げ、二十歳にして将軍となっている。武闘派のようだ。
(シクル王国も後継争いが酷かったはずよ。それなのにファリーナ帝国に手を貸すの?)
リュシアーナは、読み進めて、ある一点で目を止めた。
七年前、ファリーナ帝国との戦争中に第一王女の婚約者が捕虜となる。婚約者は、拷問の末に獄中死し、骸となって祖国に返された。
「…………ファリーナ帝国に強い恨みを持っているようね」
婚約者が殺される前と後で、彼女の行動ががらりと変わっている。内地で兄の補佐をしていたのが、軍隊を作り上げて内戦を繰り返すようになっているのだ。
「当時、捕虜を扱ったのが金翼騎士団。そして、骸を返却したのがカヴァニス公爵。国ではなく、一個人に恨みがあるわ」
クラリーサの補足にシクル王国の第一王女は、皇帝に強い恨みを持つのだと気づいた。ファリーナ帝国そのものを滅ぼすつもりではないと信じたい。
そして、クラリーサは、次の瞬間、驚くべきことを言った。
「――この王女を後宮に入れる。意味はわかるわよね?」
リュシアーナは目を見開いて、クラリーサを見返したのだった。




