40、忠告
十五で婚約して、十八で結婚した。それから三年、リーリエン港の沖で朝を迎えていた。
灯台の炎は一晩中燃え続けていて、リーリエン港の上空にいたワームのほぼ全てを引き寄せてくれた。そして、特注魔道具の効果により、イーライの葉の匂いが拡散し、ワームたちは共喰いを始めたのだ。
朝日が昇る頃には、ほとんどのワームが共喰いにより、海へと落ちた。長かった夜が明けたのだ。
(終わったわ……)
組合長のハインリヒの船とメルデンのグリフォン商会の船は、船着場に戻ってきていた。まだ僅かにワームが残っていたが、私兵たちで十分に対処できる数だ。
船を降りると、どっと疲れが押し寄せてきた。それにまだ足元が揺れている感覚がする。
(……なんとか、港の被害を最小限に抑えられたわ。あとは、この件をどうおさめるか)
カトリン侯爵の船は、まだ沖で揺蕩っている。今、私兵たちが連携して、新たな船を編成していた。武装して、侯爵たちを捕えるのだ。
密貿易を指示したのが皇帝である以上、誰かが割を食うしかない。共犯であるカトリン侯爵に押し付けたいところだが、それで南部全体が皇帝に目を付けられても困る。また密貿易を再開したいなどと注文をつけられたくもない。
頭の痛い問題だ……。
詳しい事情を調べなければならないし、クライフ男爵や他の家臣たちと相談が必要だろう。
リュシアーナは、朝日に照らされた港街を見渡した。
(ひとまずは、領民たちに被害がなかったことを喜びましょう)
「――お嬢さん」
今回の功労者に呼ばれて、リュシアーナは振り返る。
途中から甲板で寝てしまっていたメルデンが起きたようだ。顔色の良いメルデンを見て、魔力は体力に似ているのではないかと、リュシアーナは思った。
「此度の協力、誠にありがとうございました。おかげでリーリエン港が守られましたわ」
リュシアーナは改めてメルデンに礼を言って、深く頭を下げる。
「畏まらないでくれ。これは、うちの過激派も絡んでたんだ。こちらこそ、お嬢さんの協力がなければ、戦争のきっかけになっていたかもしれない」
メルデンはリュシアーナの肩に手を置いて、そっと頭をあげさせた。
「――ありがとう。そして、改めてうちに来ることを考えてくれ」
昨夜、グリフォンの上で言われたことは、本気だったようだ。ありがたいことだが、リュシアーナの心はすでに決まっている。
――リュシアーナが手をとった魔法使いは、メルデンではなく、ルカなのだ。
微笑んだままのリュシアーナを見て、メルデンが頭を掻く。
「あーあ、やっぱり来ないか。でも、俺は本気だ。気が向いたら、その面倒な夫を捨てて来いよ」
メルデンは、耳につけていた耳飾りをリュシアーナに渡した。珍しい黄金色の真珠がついている。
「使う機会がなくてよ」
「そう言うな。お嬢さんと縁を繋いどくのも悪くないだろ。手紙送っていいか?」
メルデンがにっと笑う。確かにそうだ。おそらくシャフラン王国の高官に近い立場のメルデンと縁を繋いでおくのも悪くない。
「ええ。ボナート公爵家宛でしたら、検閲もなくわたくしに届きますわ」
「実家に送るんだな、わかった。俺はグリフォン商会宛に送ってくれよ」
互いに取り決めると、メルデンはリュシアーナに右手を差し出した。リュシアーナもそれに応じて、握手する。
「末長くよろしくな。リュシアーナ」
「ええ、メルデン」
親しげに呼ばれて、リュシアーナも彼の名を呼びかえした。どちらからともなく手を離すと、メルデンが自分の船へと背を向ける。
しかし、数歩歩いたところで振り返った。
「あの灯台に出てきた狼、あれには気をつけた方がいいぞ」
リュシアーナが呼んだルカの配下のことは、やはり怪しまれていたようだ。詳しく聞いてこなかったものだから、リュシアーナも話題に出さなかったのに――。
「――変幻魔導師のそばにいたのを見たことがある」
その言葉にリュシアーナの笑みが強張った。
今までリュシアーナが変幻魔導師であるルカと手を組んでいることは、ばれていない。青薔薇会の先生たち以外は誰にも……。
「気をつけろよ。変幻魔導師は頭がイカれてる。詳しくは、ステラ国のルリ島を調べてみてくれ」
「ええ」
メルデンは最後にそう忠告を残すと、船に乗り込んで行った。
(ステラ国のルリ島……?)
砂浜の国ステラ国は、ファリーナ帝国からは、遠く離れている。逆を言えば、魔法使いの国に近い。
リュシアーナはその忠告を心に留めておくか、迷った。
(大丈夫。ルカは、わたくしの味方よ……。あの子は幼い頃から見てきたもの)
胸の内に少し不安が広がったが、そう言い聞かせたのだった。
クライフ男爵の館に戻ると、男爵が目を覚ましていた。何かエヴァリストと話していたため、リュシアーナは先に身なりを整えていた。
侍女のランには、裾がぐちゃぐちゃになったドレスを見て、どれだけ無茶をしたのだと、嘆かれた。
軽く体を拭き、着替え終わる。客室に戻ると、エヴァリストが待っていた。
リュシアーナはうんざりしたが、顔には出さなかった。
「リュシー、座りなさい」
「はい、エヴァリスト様」
笑みを浮かべていつも通りの態度をとると、エヴァリストがややたじろいだ。
「君は何をしたか、わかっているのかい? レアンドロやリシャルから全て聞いている」
「ええ。リーリエン港を守りました」
「…………いや、そうじゃないんだ」
はっきり告げたリュシアーナにエヴァリストが歯痒そうに言葉を詰まらせる。
「私が騎士に指示を出したから、ワームが去ってくれたものの、外は危険だっただろう」
白狼騎士団が分散したワームは全体の一割ほどだ。しかし、地下に篭っていたエヴァリストにとってはその認識なのだろう。
二人の騎士を派遣したら、ワームが去っていたと――。
本気で思っているのなら、正気を疑う。馬鹿なのではないだろうか。
リュシアーナは喉まででかかった言葉を飲み込んだ。
「まぁ、エヴァリスト様は街を守るためにわざと残られたのだと思いましたの。ワームが海を超えられないのはご存知でしょう? ですから、わたくしは船で避難していたのです」
代わりにでたらめな辻褄合わせを並べ立てる。エヴァリストが一瞬気まずそうな顔をした。無知を突かれて罰が悪くなったのだろう。
「……そ、うだ。しかし、それはそうとしてちゃんと伝えて行きなさい」
リュシアーナの話は、守っただの避難しただの、おかしなところばかりだ。しかし、エヴァリストは無知を隠すことに気を取られて、気づいていないようだ。
「次からはそうしますわ」
にこりと微笑むと、エヴァリストはそれ以上何も言わなかった。
「では、わたくしはクライフ男爵のお見舞いに行って参りますわ」
リュシアーナは楚々と一礼して、客室を出る。
クライフ男爵の元に向かうと、ちょうど私兵たちが男爵のいる部屋から出るところだった。彼らは、リュシアーナを見て道を開けると、頭を下げたのだ。
リュシアーナは、敬意を向けられて、不思議な気持ちになりながら、真ん中を歩く。
部屋に入ると、クライフ男爵は体を起こしていた。顔色も戻っている。
「妃殿下」
「お加減はいかがでしょうか?」
「おかげさまで、生きてここに戻ることができました」
そして、クライフ男爵は丁寧に頭を下げた。
「一部始終を私兵たちに聞きました。この港のためにお力を貸していただきありがとうございます。ボナート公爵があなたを遣わした意味がわかりました」
彼は穏やかな笑みを浮かべ、リュシアーナに温かい眼差しを向けていた。
「この国の貴族としては当然のことをしたままです。ですが、まだ問題は残っております」
カトリン侯爵が、皇帝の指示で密貿易を行っていたこと。それは、ワームの大群で南部領地に打撃を与えて、その犯人をシャフラン王国に仕立て上げることで、開戦する大義名分を得るために仕組まれたことだ。
そこで一つ、リュシアーナは提案した。
その提案をクライフ男爵は、静かに聞き入れてくれたのだった。




