36、人柱
十五で婚約して、十八で結婚した。それから三年、リーリエン港に持ち込まれた魔物の卵を探していた。
「行くぞ!」
メルデンが後ろにいた仲間たちに声をかける。すると、仲間たちが次々と船に乗り込んでいった。彼らの動きは俊敏で、あっという間に抵抗していた船員を拘束し始める。
――統率の取れた動きだ。
リュシアーナは、騎士の手を借りて、遅れて船に乗り移った。
船に乗るとより一層、悪臭が酷くなる。
抵抗していた船員たちを見てみると、服は質素なのだが、その体つきに違和感を感じる。彼らは拘束されて、甲板に転がされていた。
「お嬢さん! こっちだ!」
リュシアーナは、メルデンに呼ばれて、船内に足を踏み入れた。
「面倒なことになったぞ」
メルデンは、船底に向かっている。
「面倒とは?」
「この船は間も無く沈む。船底に穴が開けられてやがった」
「卵を移動できないと言うことですか?」
「半分は海に浸かってしまって、駄目になってやがる。そうなると、ワームは卵が死んだこの場所に留まり続ける可能性が高い」
(あの数のワームをどう対処すれば……)
リュシアーナの背にひやりとしたものを感じた。すれ違う男たちが、酷い匂いの箱を抱えて甲板に上がっていく。
「ここだ」
船倉には、大量のワームの卵があった。そして、リュシアーナの足首までが海に浸かってしまっている。
卵を木箱に入れて運ぶ男たちとは別に、数人が船倉の奥に集まっていた。
「それと、一人の男がここに拘束されてた。誰だか知らないが、仲間割れかなんかだろう」
奥に倒れている男の顔を見て、リュシアーナは声をあげた。
「クライフ男爵!?」
カトリン侯爵に会いに行ったはずのクライフ男爵が、ぐったりと倒れている。
「男爵? この港の?」
「すぐに手当てをお願いしますわ」
リュシアーナの言葉にクライフ男爵は男たちに背負われて、船の外に出されていく。男爵は完全に意識がないようだった。
「切り捨てられるのは……リーリエン港」
リュシアーナは思わず呟いた。カトリン侯爵は、ただ皇帝に利用されて自領を犠牲にするのかと思っていたが、違うのだ。
――クライフ男爵とリーリエン港を身代わりにする気だ。
まずいと、頭の中で警鐘が鳴り響く。このままでは、皇帝が望んだ通りになる。
リーリエン港がワームにより大打撃を受け、それをシャフラン王国の仕業だと捏造して、開戦の理由にするだろう。
じわじわとリュシアーナに焦りが広がっていく。戦争をする資金と人材がどこにあると言うのだ。デュラハンの噂のせいでただでさえ、ファリーナ帝国は攻められやすい。
今、北ではチェスティ王国を相手にしている。さらに南でシャフラン王国を相手にするなんて……いくつの戦線を構えるつもりだろうか。他国が便乗すれば、さらに戦線が増え、収集がつかなくなるのが目に見えている。
――なぜそんなことにも気づかない者が、皇帝なのだ。
リュシアーナは、思考が飛躍しかけたところで頭を振る。
(目の前のことに集中しましょう)
今は、クライフ男爵領の被害を少しでも抑えなければならない。
「できる限りのワームの卵を運び終えたら、この船は完全に沈めてください。メンデンさん、ついてきていただけますか?」
リュシアーナは男たちに命じたあと、メルデンに目を向けた。
「どこに向かうんだ?」
「ハインリヒさんと合流して、男爵の館に。夫の第一皇子がそこにいるので、対策を練ります」
「わかった」
リュシアーナとメルデンは、船倉を出て、船を降りる。すると、ちょうど組合長のハインリヒがやってきていた。
彼は運び出された男爵の様子を見ている。その隣には、町医者らしき男が男爵を手当てしていた。
「容態はどうでしょうか?」
男爵の顔色は真っ青で、まだ意識が戻っていないようだ。
「長く冷たい水に浸かっていたので、体を温める必要があります。ですが、命に別状はありません」
医者の言葉にリュシアーナは安心した。
「男爵は館に運びましょう。ハインリヒさんも一緒に来てください」
リュシアーナは空を確認する。雨雲はすぐそこまで迫ってきていて、もう時間がない。この港街に到達するまで、半刻もないだろう。
リュシアーナは、クライフ男爵の館へと戻った。
すると、館の前でエヴァリストが待っていた。馬車が準備されていて、白狼騎士団の騎士たちも全員が外に出ているようだった。
「リュシー! 危ないじゃないか! 早く馬車に乗るんだ」
エヴァリストが手を差し出す。リュシアーナはそれを無視し、クライフ男爵の私兵と思われる男に話しかけた。
「クライフ男爵を見つけましたが、しばらく安静が必要です。住民の避難はどこまで進んでいますか?」
遅れてクライフ男爵が乗った幌馬車が館の前にたどり着く。
「もう間も無く完了します。早馬を出し、帝国騎士団を呼んでいますが、あの数では……」
私兵たちは男爵不在でもしっかりと動いていた。リュシアーナはそのことに安堵する。使えないのは、白狼騎士団とその主人だけだ。
「リュシー!」
その時、エヴァリストが肩を掴んでくる。リュシアーナは振り返ると、にこりと微笑んだ。
「――わたくしのことは捨て置いていただいて構いません」
「は? そんなわけにはいかないだろう」
(鬱陶しい。この状況を前にして逃げ出す者が次期皇帝になりたいだなんて……)
今はエヴァリストの相手をしている暇はないのだ。その時、担架に乗せられたクライフ男爵が館に運ばれていった。エヴァリストが怪訝な顔になる。
「……ここで逃げれば、クライフ男爵はエヴァリスト様に失望なさるでしょうね。そして、第二皇子殿下を支持なさるかも。もしくは第三皇子殿下を」
リュシアーナは肩にあった手を払いのけて、下から夫を覗き込む。そして、笑みを消した。
「――それでも、逃げますか?」
「……え、いや……それは……」
エヴァリストはたじろいで言葉に詰まる。
「……妃殿下」
その時、館の中から第二騎士のリシャル・バウスが出てくる。彼は手紙を差し出してきた。
「先ほど混乱に乗じて、怪しい者が侵入しておりました。その者がこれを」
それは帳簿だった。素早く中身を確認すると、それは、密貿易の品目と取引額が記載されている。
――密貿易もワームも、すべてをリーリエン港とクライフ男爵になすりつけるつもりなのだ。
リュシアーナはそう確信する。
「エヴァリスト様、どうぞこれを」
呆然としているエヴァリストにリュシアーナは帳簿を押し付けた。
その帳簿は重要な証拠になる。エヴァリストにそれをきちんと扱えるとは思えないが、彼だけは安全な場所に逃げるだろうから、物証は確保できる。
「皆様、中に入りましょう。どうかこの港を守るために知恵と力をお貸しください」
リュシアーナは、館の前に集まっていた組合や商会の人々、私兵たちに向かって、頭を下げたのだった。




