表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/114

34、男爵の不在


十五で婚約して、十八で結婚した。それから三年、カトリン侯爵の密貿易が戦争のきっかけに利用されることを危惧していた。



かちゃかちゃと、静かな食卓に食器類の音だけが響く。


昨夜からクライフ男爵が不在であるため、エヴァリストとリュシアーナの二人だけで食卓を囲んでいる。向かいにいるエヴァリストは不機嫌そうだった。


相談を持ちかけた張本人が急用でいなくなったのだ。クライフ男爵に軽んじられたとでも思っているのだろう。


クライフ男爵は、昨夜からカトリン侯爵に密貿易を取りやめるよう直訴しに行っている。隣の領なので、それほど時間はかからないはずだ。夕方頃には戻ってくるだろう。


リュシアーナは、密貿易の件をエヴァリストに伝えるか、迷っていた。この件をどう収めるべきか、考えあぐねていたのだ。


ただカトリン侯爵が密貿易で得られる利益に目が眩み、独断で推し進めているのであれば、侯爵を糾弾すればいいだけだ。


しかし、リュシアーナの予想通り、皇帝が戦争を望んでおり、そのためにカトリン侯爵に密貿易を命じていた場合、無断で密貿易を取り止めれば、皇帝の不興を買う。また適当な理由で南部全体の課税が重くされるかもしれない。


だが、このまま続けていても、南部にワームが集まるばかりだ。いくら小型とはいえ、魔物なのだ。その存在が身近に迫っていると知れば、領民たちは恐怖を感じることだろう。それに幼い子供や老人にとっては、ワームでも十分に脅威である。群がってきたワームに体を食いちぎられて死んだ例は、いくらでもあるのだ。


(皇帝が表立って批判できないように、尚且つ、密貿易していたことを隠す方法はないかしら)


リュシアーナは、そっとエヴァリストの様子を伺った。


「……そういえば、昨日は君が港街に出たと聞いた。外に出るなら、ちゃんと護衛をつけないと危ないだろう」


食べ終えたエヴァリストが、言った。先ほどまでの不機嫌さは隠れ、まるで妻を心配する夫のように見える。


「久しぶりに帝都の外に出たので、少しはしゃいでしまいましたわ」


リュシアーナも食事の手を止めて、エヴァリストに恥ずかしそうに微笑んだ。


事実、帝都から外に出るのは、結婚して以来、初めてのことだ。


結婚した当初は、エヴァリストの治める領地を見てみたいと強請ったこともあった。しかし、彼は後継争いに必死で、いつの間にか忘れさられていた。


「だとしても、男爵が魔物が増えたとも言っていただろう? 駄目じゃないか」


「気をつけますわ」


リュシアーナは、微笑みを絶やさずに素直に従った。実のところ、エヴァリストが、本当にリュシアーナを心配してるとは思っていない。


普段からリュシアーナの行動を気にすることはないからだ。


(わたくしだけ街で観光しているのが気に入らないのかしら。器の小さい男ね)


内心で毒を吐きながら、リュシアーナは話題を変える。


「エヴァリスト様の方はどうでしたか? 状況は深刻なのでしょうか?」


「……心配しなくていい。特に問題はなかったよ」


返事に間があった。そういえば、ワームの調査は、第二騎士に一任すると言っていた。


「それは良かったです。でしたら、今日はわたくしと街へ行ってくださいますか? こちらの海はとても綺麗でしたの」


街に誘うと、エヴァリストは、一瞬目を泳がせた。


「ああ、君と行くのもいいだろうね。行こうか」


「では、準備してきますわ」


エヴァリストの反応が変だが、リュシアーナは席を立つ。


港街に出られたなら、それでいい。適当な理由をつけて、別行動してもいいのだ。


リュシアーナには、まだ調べたいことがある。


カウス港に向かうはずのワームの卵がどうやってリーリエン港に紛れ込んだのか。それが誰の仕業なのか、見落としていることはないのか。


いざという時のためにも証拠を固めておくべきだ。少なくともクライフ男爵が共犯にされる可能性は消しておきたい。


手早く侍女たちに身なりを整えてもらい、エヴァリストに知らせに行く。


少しして、エヴァリストが迎えにきた。


「行こうか、リュシー」


いつもと変わらない騎士服を着ていて、護衛には第一騎士と第三騎士を含め、数人の騎士がついていた。


(……今日も目立ちそうね)


リュシアーナはにこりと微笑んで、差し出された手をとった。


お昼を過ぎた頃、港街は一番賑わっていた。空は快晴で、日差しが強い。


少し物々しい雰囲気を纏う一行は、港街にたどり着いた。そこで、リュシアーナはふと思った。


「エヴァリスト様とこのようにお出かけするのは、初めてですね」


出かけるというと、昼食会や夜会といったパートナーを必要とする場がほとんどだ。


「そうだったかい?」


リュシアーナが皇子宮から出ないのもあるが、買い物なども一人で帝都の店で済ますことが多い。


所詮、リュシアーナとエヴァリストは、政略結婚なのだ。


「エヴァリスト様はどこか寄ってみたいお店はありますか?」


リュシアーナは、夫に問う。


「特にないな。帝都に比べるとそこまで良い店はないようだし……君の好きなところに行きなさい」


その言葉を待っていた。


「まぁ、ありがとうございます」


リュシアーナは笑顔で礼を言うと、進路を変更した。歩みを早めて、運河に向かう。


運河は、カウス港方面からリーリエン港の船着場へと流れている。運河に出くわしたところで、リュシアーナは上流に向かう。


その際にいくつもの船とすれ違った。


少し歩くと、街並みが変わる。上流へ向かうにつれて、質素な家が立ち並んでいた。


ここまでに関門はなく、運河の脇は民が使う生活道路だ。行き交う人は、リュシアーナたちを見て、驚いた顔をしながら遠巻きに通り過ぎている。


(……街中でワームの卵を投げ入れるような真似はできないでしょう)


リュシアーナは、そのまま上流を目指す。


「リュシー、どこに向かっているんだい?」


「わたくし、港街の外も見てみたいと思っておりますの」


リュシアーナは適当に返事した。エヴァリストはなんとも言えない顔をしている。興味はなくても、面と向かって拒否する気はないのだろう。


やがて街並みを出た。運河は海沿いに伸びている。海とは逆の方向は、雑木林が広がっている。ここからは人もいなくて、舗装もされていない道が続いていた。


港街を一歩出れば、そして、船員に気づかれなければ、簡単に荷物を投げ込むこともできそうだ。


(そこまで雑な仕事をするかしら。ワームの卵の運び手だって、危険性はわかっているでしょう)


人通りのないところで、ワームに追いつかれてしまえば、助けは期待できない。こそこそ身を隠している相手なら尚更だ。


海沿いを歩いていると、海の中に建物を見つけた。


「あれは……?」


海辺からは少し離れた海中に建てられた円柱に近い形をした建物だ。


「……灯台、だろうか」


隣で同じものを見つけたエヴァリストが言った。


遠くからだとよく見えないが、建物の下の方は緑色になっていて、手入れはされてない。


「二年前、シャフラン王国との開戦のきっかけになった灯台でしょうか?」


シャフラン王国籍の船が追突した例の灯台だろうか。


「なんだいそれは?」


しかし、エヴァリストは問い返してきた。把握していないのかと、リュシアーナは内心で呆れる。


「父から聞いただけで、詳しくは知りませんの」


リュシアーナは呆れを押し隠し、笑って誤魔化した。


これ以上進んでも何もないだろう。戻ろうと声をかけようとした時だった。


――雑木林から一斉に鳥が飛び立った。


バサバサと音を立てて、林にいたすべての鳥が空へと羽ばたいている。その大きな音にリュシアーナの肩が跳ねた。


(ずいぶんと広範囲ね……)


鳥たちは、リュシアーナたちの頭上を通り、海の方へと消えていく。


リュシアーナは雑木林の向こうから、黒い雨雲が迫ってきていることに気づいた。


「雨が降りそうですね」


「そのようだ。帰ろうか」


館へ戻ろうと、踵を返す。後ろをついてきていた騎士たちが、道を開けた。


「ルベリオ?」


だが、ただ一人、白狼騎士団の第三騎士ルベリオ・シャンナが、雑木林の向こうを見続けている。


「殿下……」


ごくりとルベリオの喉が動いた。


「雨雲でありません、あれは……ワームの大群です!」


リュシアーナはばっと雨雲を見た。


その空を覆うほどの黒い雲が、すべてワームなのだとしたら、今までとは比べものにならない数だ。


黒い雲はまっすぐに港街に迫ってきていた――。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ