32、おまじない
十五で婚約して、十八で結婚した。それから三年、リーリエン港で魔法使いの商人に出会った。
グリフォン商会の船は、汚かった。悪臭がするのも頷けるほど散らかっている。
組合の男たちがいくつかの荷を甲板にあげて検分し始めた。その荷を覗くと、スパイスのようなものが詰め込まれていた。他にも日持ちのする食品が多そうだ。
「食料品を売っているのですか?」
リュシアーナは、検品を見守っているメルデンに尋ねた。
「……まあな。頼まれたらなんでも運ぶけどな」
「顧客が見せないようにと指示した積荷は違法性のあるものですか?」
「そんなもんは受けねぇよ。捕まりたくないし」
「ではどういったものを?」
「なんだよ。そんなに俺に興味ある?」
質問し過ぎだようだ。メルデンが、リュシアーナの顔を覗き込む。悪戯っぽい黄金色の目がリュシアーナを捉えた。
「わたくし、結婚してますの。あなたにではなく、荷物に興味がありますわ」
「へー、珍しい。ファリーナの女は、家から出ないだろ。特に高貴なお嬢さまほどな」
メルデンはすぐに顔をあげた。
「そうですわね」
ファリーナ帝国の貴族女性は、子を産むための道具だ。外出する機会は限られる。微笑んで返したつもりだが、メルデンは片眉をあげて尋ねてきた。
「港を嗅ぎ回ってるようだが、探し物でもあるのか?」
「そのようなところです」
「……まぁ、なにかの縁だ。特別に手伝ってやろうか?」
メルデンは腰につけていたコンパスを取り出して見せた。黒い針のついた簡素なコンパスだ。
その行動の意味が分からず、リュシアーナは目を瞬かせる。
「俺は、しょうもない魔法が使えるんだ。魔法使いって知ってるか?」
「ええ……」
白髪は魔法使いの証だ。メルデンは白髪なので最初から魔法使いだとわかっている。
「魔力量も少ないし、想像しているような派手な魔法は使えないから期待すんなよ。手を貸してみな」
メルデンはリュシアーナに手を差し出した。リュシアーナはその手に自分のそれを重ねる。
メルデンは、リュシアーナの手をとって、コンパスの上に乗せた。
次の瞬間、コンパスから黄金色の光が放たれる。
「妃殿下っ」
護衛の騎士が声をあげて、割って入ろうとした。リュシアーナはもう片方の手でそれを制す。
黄金色の光は、優しくリュシアーナの手を包み込んでから消えた。メルデンが、リュシアーナの手を離す。
すると、コンパスには、先ほどまではなかった黄金色の針が現れていた。
「これは……?」
「探索魔法だ。この魔法の針の先にお嬢さんが探してるものがあるのさ。まぁ、おまじない程度のざっくりとした魔法だがな」
メルデンは、リュシアーナにコンパスを握らせた。黄金色の針は、港街の方を指している。
「針はせいぜい一刻しか持たない。記念にコンパスはプレゼントしてやるよ」
リュシアーナはハインリヒを一瞥した。検品は順調に進んでいるようで、問題がある訳ではなさそうだ。
「ずいぶん気前がよろしいのですね」
先ほどから護衛の騎士が妃殿下と呼んでいるため、リュシアーナが一般的な貴族ではないと気づいているだろう。だが、メルデンは、徹底して聞かなかったふりをしている。
商人の処世術だと言われたらそれまでだが、彼はどうにも場数を踏んでいるような気がした。
「お貴族さまには親切にしないとな。無礼だって、首を切られちゃ堪らない。ほら、戻るか?」
そんなことを気にするのなら、最初から言葉遣いを改めたはずだ。
「ええ」
不思議な魔法使いだと、リュシアーナは思った。
ルカのように親しみやすい雰囲気だが、ルカはすぐに子どもっぽくなったりと不安定なのに対して、彼は落ち着いている。
またメルデンに腕を引いてもらいながら、リュシアーナは渡り板を越えて、地面に足をつけた。
「じゃあな。俺の魔法、あんまり期待すんなよ」
「ありがとうございます」
リュシアーナは微笑んで、一礼した。
礼を受けて、メルデンが居心地悪そうな顔をする。それにもう一度笑って、リュシアーナは踵を返した。
メルデンと別れたリュシアーナは、黄金色の針が指し示す方向へと進む。
街を示しているのかと思ったが、街に入りかけたところで見ると、針が逆方向を向いている。
(倉庫のどれかを指しているの?)
思ったよりも近い場所を示しているようだ。リュシアーナは慎重にコンパスを見ながら歩いた。
そして、たどり着いたのは、看板が掲げられていない倉庫だった。搬入口も閉まっている。
リュシアーナは、裏口らしき扉を見つけて、ノックした。だが、特に反応はない。
思い切ってノブを回そうとした時、中から扉が開いた。
「な、なんだ?」
リュシアーナを見て、出てきた男は驚いていた。
「こちらの倉庫を見学させていただけませんか?」
リュシアーナが微笑むと、ますます男は混乱する。男の身なりを見ると、港で働く男たちとは違っていた。文官のような服だ。
「え……? いや、こんなところ、何もないですよ」
そして、扉の向こうから悪臭が漂ってくる。この港で何度も嗅いだ匂いだ。だが、この倉庫が一番強烈だった。
男がまごついていると、さらに中から声がした。
「――入ってきてもらいなさい」
その声には聞き覚えがあった。クライフ男爵のものだったのだ。
リュシアーナが中に通されると、クライフ男爵が、倉庫の中で木箱を見ていた。倉庫内には、鼻につく刺激の強い悪臭が充満している。
「妃殿下、なぜ港まで? 港街になら、帝都には及びませんが、多少の店は揃っているかと」
「そうですね、クライフ男爵」
リュシアーナは、適当に返事をしながら、悪臭を放つ原因を確認する。木箱の中に入っていたのは、ドロドロした膜に包まれた卵だった。
鶏の卵と同じくらいの大きさだが、緑色の膜に包まれていて、明らかに普通の卵ではない。
「なんの卵ですか?」
「……ワームです」
クライフ男爵の答えにリュシアーナは彼を見返した。
クライフ男爵領に発生し続けているワームは、この卵が原因ではないだろうか。ワームは卵を中心に巣を作るのだ。
卵がここにあるのなら、ワームが寄ってきて当然だ。
リュシアーナの持つコンパスは、この卵を指していた。リュシアーナが探したかったのは、クライフ男爵が相談を持ちかけた理由だ。
このワームの卵が原因なのだとしたら、誰かがクライフ男爵領に魔物の卵を持ち込んだというのか。だとしたら、それは……。
「――カトリン侯爵からこれを押収したのですか?」
卵を見つめていたクライフ男爵は、そこで初めてリュシアーナを見た。
「……証拠はありませんが、おそらくは。これは、カウス港に運ばれるところ、手違いがあったのか、運河でここまで運ばれてきました」
魔物の卵をカトリン侯爵が持っていた理由はなんだろうか。
魔物を活用する方法は、何かあっただろうかと、リュシアーナは考えて、すぐに思いついた。
――海を超えた先にあるシャフラン王国は、魔物を調教する術がある。
有名なのは、グリフォンだ。大鷹と獅子を混ぜたような魔物なのだが、シャフラン王国の戦士は、それに騎乗して海戦では空を制してきた。グリフォンは、卵から孵して調教すると、人に手懐けられると聞いている。
(シャフラン王国が、ワームの卵を欲しがっていてもおかしくはないわね)
だが、シャフラン王国との間に国交は結ばれていないのが、問題だ。小康状態とはいえ、戦争中の国である。当然、交易は許可されていないのだ。
「カトリン侯爵は、シャフラン王国と密貿易をしていると?」
「私も密貿易だと思っていました。しかし、事はそう簡単ではないのです」
クライフ男爵は、懐から手紙を一つ取り出して、リュシアーナに差し出した。
「娘からです。プルメリアは、今、カトリン侯爵の愛妾なのです」
プルメリア・クライフ男爵令嬢。リュシアーナも青薔薇会で顔を合わせたことのある令嬢だ。クライフ男爵家の三女だったと記憶している。
その令嬢からの手紙を読んで、リュシアーナは、息を呑んだ。




