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閑話 貼り紙

これは、リュシアーナが領主代行になったばかりの頃の一幕――。




リュシアーナは、妙なものを見かけて、立ち止まった。


皇宮の庭園で昼食会に参加した帰り道、木陰の柱に貼り紙があったのだ。景観を損なうため、貼り紙の類は、すぐに処分されるはずである。


普段なら気にもしなかったが、立ち止まったのは、あまりにも貼り紙の字が綺麗だったからだ。癖が削ぎ落とされていてお手本のように美しく整った字には、見覚えがある。


(ルカの字だわ)


ルカは小さな頃から字が目を見張るほど綺麗だったのだ。


「リュシアーナ様?」


侍女のランが怪訝な声をあげて、同じように貼り紙を見た。


「新人腕試し大会……? 今年、正式に騎士になることが決まった新人が腕を競い合うようですね。しかも、主催は青剣騎士団です」


ランが貼り紙の内容を読み上げた。リュシアーナは何を企んでいるのかと、少し眉を寄せる。


「……行ってみましょう」


その新人腕試し大会とやらは、あまり使われていない皇宮の訓練場で行うようだ。幸いここから遠くない。


それに「応援に来てね!」なんてふざけた文言があるため、見物人も歓迎しているのだろう。



リュシアーナが訓練場にたどり着くと、すでにその大会は始まっていた。


しかも、かなりの盛況だ。新人たちが木剣を打ち合わせるたびに歓声が上がっている。


大会には、たくさんの見物人が集まっていた。着飾った貴族もいるが、多くは皇宮で働いている者たちのようだ。


(思ったよりも人が多いわ……。皇子妃が見ても大丈夫かしら?)


リュシアーナに気づいた何人かがぎょっとした顔をするのが見えた。


「……えーっと、第一皇子妃殿下」


引き返そうかと考えた時、遠慮がちに呼びかけられた。


振り向くと、青剣騎士団の濃紺の制服を着た男が立っている。夫のエヴァリストよりも少し年上で、細かい傷跡のある精悍な顔立ちと日焼けした肌から前線に立つことが多い騎士に見えた。


「私は、ジラルド・デルネーリと申します。青剣騎士団の第三騎士です。よろしければ、あちらのお席を用意できますが……」


名乗りを受けて、リュシアーナは微笑んで礼を返す。


デルネーリといえば、男爵位だ。代々騎士の家系で、目の前の彼が今代の当主でもある。帝国騎士団内でも実力派と名高い。


「まぁ、突然来てしまったのに、よろしいのですか?」


「はい。ただ、先客がいるので、専用の席ではないのですが……」


彼はむず痒そうに言って、席に案内する。あまり貴族同士のやりとりに慣れてない感じがした。


(……良い人選ね。権力はなくても、帝国騎士団内での求心力と実力がある騎士を引き入れたのは大きいわ)


リュシアーナは、ひっそりとルカの手腕に感心する。相変わらず抜け目がない。


案内された席は、周囲からの視線を遮るように衝立が置かれていた。また、大きな布が吊るされていて、日差しが遮られている。


リュシアーナは先客を見つけて、にこりと微笑む。すると、外向きの笑みが返された。先にいたのは、第二皇子妃のシェリルだ。


険悪な雰囲気にならなかったことを確認し、青剣騎士団の第三騎士は、安堵して離れていった。


「奇遇ね、リュシアーナ」


「貼り紙を見かけて来たの」


シェリルの侍女が席を空けてくれたので、リュシアーナは、ランにも近くに座るように言い置いて、シェリルと同じ卓についた。


「リュシアーナは義弟に賭けるのかしら?」


シェリルに言われて、リュシアーナは首を傾げる。


「何のこと?」


「これよ」


シェリルは卓に置かれていた冊子を広げて見せた。どうやら新人たちの情報が記載されているようだ。新人の名前と出身、本人の一言が添えられていた。


義弟であるステファンの名を探すと、すぐに見つけた。


ステファン・ボナートの名前の下には、ボナート公爵子息と、誰でもわかる一文だけの出自の紹介がある。さらにその下には、「白狼騎士団配属予定」と、素っ気ない一言が添えられていた。


「一番人気は、アルト・クローチェよ。次にステファン・ボナートになっているわ」


まだぴんとこないリュシアーナを笑いながら、シェリルは、今度は少し離れたところにある席を指差した。


驚いたことに第三皇子ゼノンが、新人たちの試合を見ている。


「まぁ、ゼノン殿下もいるの」


「見るべきはその隣よ」


おそらくゼノンの死角になるところに紙が張り出されていた。そこには、新人の名前が並んでいて、その横に配当金と倍率らしきものが並んでいる。


「……賭け試合をしているのね」


リュシアーナは呆れた。試合の勝敗で、配当金が支払われるらしい。


「ほら、胴元が来たわよ」


シェリルが言うと、ルカが小さなワゴンを押して現れた。


「誰に賭けますー? 大穴狙いが良いっすよ」


へらへらと笑って、ルカが適当な敬語で尋ねてくる。そして、卓に隠れるようにして、シェリルとの間にしゃがみ込んだ。


「リュシアーナも来たんだ。金持ってる?」


そして、小声でそんなことを言う始末だ。残念ながらリュシアーナには持ち合わせがない。


「……口止め料では足りなかったかしら?」


先日、ルカは白狼騎士団の第三騎士を脅して、かなりの額の口止め料を手に入れていた。すでに金はルカに渡してある。


「これはもともと用意してた金策。口止め料は臨時収入ー」


「わたしに集らなくても当てがあったの?」


シェリルが口を挟んだ。ルカがぺろっと舌を出して誤魔化す。


どうやらルカは青剣騎士団の資金を稼ぐためにこんな大会を開いたようだ。そして、シェリルにはあらかじめ参加を呼びかけていたのだろう。


シェリルは、商会を営んでいる。この場で一番資金力があるのが彼女だ。


「まあまあ。お茶でも飲んで落ち着きなよ」


ルカがシェリルを宥めて、ワゴンに乗っていたカップにお茶を注いで差し出す。ついでにリュシアーナにもお茶が出された。


シェリルが物言いだげにしながらも先に口をつける。


「ごほっ。なにこの苦さ……」


そして、咽せた……。それを見たリュシアーナは持ち上げていたカップをそっと置いた。


「俺が淹れてみた。味見はしてない! いたたっ」


胸を張ったルカの耳をシェリルが引っ張る。口をつけなくて良かった。


「それでよく一人で旅ができたわね」


ルカは一族を失った後、たった一人でファリーナ帝国を出て暮らしていた。


(……どうやって生きていたのかしら)


ルカは公爵家の子どもだ。身の回りの世話をしてもらって当たり前の貴族が、市井に放り出されて生きていけるものなのだろうか。


「魔力が全て解決してくれるのさ」


ルカがよくわからないことを言いながら、耳を取り戻している。


――その時、一層大きな歓声が上がった。


訓練場に目を向けると、濃紺の騎士服の青年が、尻餅をつく騎士の眼前に木剣を突きつけていた。


「あ、準決勝終わったな。どうする? 決勝はアルトとステファンだけど」


リュシアーナは少し考えて、人差し指に嵌めていたシンプルな指輪を渡した。


「ステファンに賭けるわ」


「わーい。これ、参加賞。ステファンが優勝したら配当金が出るから」


ルカはワゴンから白色のリボンを取り出して、手早くリュシアーナの手首につける。


甘い顔立ちのルカが跪いてリボンを結ぶ様は、妙な気分にさせる。


視線を外せば、シェリルの手首には深緑のリボンがあり、他の人々も色とりどりのリボンをつけていた。


「じゃ、お楽しみくださーい」


ルカは立ち上がると、台車を押して去っていく。リュシアーナの手首には、白色のリボンが綺麗に蝶結びにされていた。


(字といい結び方といい、手先は器用なのにお茶は淹れられないのね)


思い返せば、昔から食には興味がない方だったと、リュシアーナは懐かしくなる。そして、カヴァニス公爵家でも、こんな風に私兵たちがよく試合を行っていたことも思い出す。



視線の先で、ステファンが訓練場に上がった。対戦するのは、アルト・クローチェ、青剣騎士団の第二騎士になったばかりの青年だ。


ステファンは善戦したものの、アルトの方が素人目にもわかるくらい上手だった。わずかに体勢を崩したところを突かれて勝負がつく。


「よし!」


シェリルが小さく拳を作った。彼女はアルトに賭けていたらしい。


勝負がつくと、人々は賭けの結果に様々な反応を見せたが、ほとんどの人の表情は明るく、楽しんでいるようだった。


「リュシアーナ、私は配当金を貰ってくるわ。またね」


「ええ、またお茶会で会いましょう」


立ち上がったシェリルに微笑んで、リュシアーナは少しだけ賑やかな空気に浸る。


カヴァニス公爵家の私兵たちの試合は、もっと盛り上がっていた。最後には、剣を放り出して、体術でもなんでもありの無法地帯になっていくのだ。


(……昔も、ルカは参加しないで見ていたわね)


ルカは優勝したアルトになにかコメントを求めているようだ。嫌そうな顔をされている。


「この紙はなんだ? なんでアルトの横に数字があるんだ?」


その時、第三皇子ゼノンの声が聞こえてきた。張り出された賭けの配当表を不思議そうに見上げている。


「殿下……。うち貧乏なんです。見なかったことにしてください」


そして、ゼノンは、第三騎士に背中を押されて帰っていく。何とも言えない気持ちになったリュシアーナは、手癖で前にあったお茶を飲む。


「けほっ」


ルカが淹れたお茶は、とてつもなく苦かった……。





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