13、ボナート公爵家
十五で婚約して、十八で結婚した。それから三年、父親であるボナート公爵から連絡があった。
辺境伯に嫁いだカリナに手紙を出した数日後のこと、リュシアーナは、父から話がしたいと連絡を受けていた。
ここ数日、リュシアーナはエヴァリストやルカの遠征について調べていたが、特に役立つ情報は得られていなかった。
リュシアーナはすぐさまボナート公爵家に向かったのだ。
実家の公爵家は、とても静かで、その様子は嫁ぐ前から変わらない。
「やぁ、元気そうでなによりだ」
のんびりと言うのは、父であるフェリクス・ボナートだ。白髪が混じり始めた黒髪をオールバックにしていて、鷹のように鋭い目をしている初老の男だ。
気圧される眼力とは裏腹に性格は穏健で、その差異に面食らう者が多いらしい。
娘であるリュシアーナには全くわからないが……。
「お久しぶりです。それでどのような話でしょう?」
ソファにもたれるようにして座る父は、リュシアーナの第一声に大袈裟に肩をすくめる。
「娘と何気ないことで語り合うことくらいはしたいのだが」
「ミレーユとすればいいかと」
リュシアーナは妹の名前を出した。一つ下の妹は、リュシアーナから見ても理解不能な生き物である。
「……あの子、今はどこにいるんだい?」
「知りません」
なにせ国外に飛び出して以来、行方不明だ。名声は聞こえてくるので生きてはいるのだろう。ファリーナ帝国には何の未練もないようで、帰ってきたことすらない。
「仕方ない。娘らしい会話を息子にでもしてもらおうか……」
哀愁漂う顔で父がおかしな事を言っているが、リュシアーナは無視した。
リュシアーナもミレーユも父に連れられて、青薔薇会に参加したのだ。下地を作ったのは父親なのだから、今更嘆かないでほしい。
「それより、どうして呼び出しを? カリナから返事がありましたか?」
「うん、あった。皇子宮に送るより、ここで読んだ方が良さそうだったんだ」
父は、雑務机に置かれている封筒を指差した。リュシアーナはすぐに手に取ると、近くにあった椅子に座って、封筒の中身を机に広げる。
一番最初の紙には、リュシアーナの問いへの答えが簡潔に記載されていた。
――ヒル砦は正面以外からなら、簡単に落ちる。
(やはりそうなのね。でも、そのヒル砦の裏側に潜り込む方法は?)
リュシアーナは、カリナの見解を読み進める。
チェスティ王国の防衛の要であるヒル砦は、難攻不落だ。ファリーナ帝国が三十年かけても落とせていない。
だが、ヒル砦さえ落とせば、王都攻略の足掛かりとなる。
ヒル砦は、その立地から正面からしか攻められないという特徴がある。
砦の背後に回るためには、無数の魔物が棲みつく峡谷を抜けなければならないのだ。いくら正規の騎士がいたとしても無限に湧いてくる魔物を振り切ることは不可能だった。
しかし、カリナは、ヒル砦の背後に回る方法も記載していた。地元では屍人の峡谷とも呼ばれている無数の魔物が棲みつく峡谷を進むようだ。
屍人の峡谷には、グールやアンデッドといった魔物が大量に棲息している。
「峡谷に棲みついているのは……アンデッド?」
リュシアーナから思わず言葉を溢した。
つい最近、その魔物の名を聞いたことがある。第三皇子率いる青剣騎士団の遠征は、ベスタ地方に現れたアンデッドの調査と討伐が目的だ。
「白骨化した死者の体から生まれる魔物かな。……あ、これだ」
リュシアーナの独り言を聞いていた父が、近くの本を手に取って読み上げる。
本の題名は、魔物図鑑。聞いたことがない。父の趣味だろうか。
「アンデッドは、屍の魔物である。死体が白骨化したあと強い魔力に晒されて発生したものと上位個体が精製したものの二種類があるそうだ。死体があれば、わりとどこにでもいる魔物だってさ」
(魔物が被ったのは、偶然?)
カリナの書類を読み進めると、古びた紙が一枚挟まっていた。
その紙には調査報告書と書いてある。この紙だけは筆跡が違った。
(屍人の峡谷、最奥の調査……?)
無限に増殖する魔物たちの奥に進んだ猛者がいたらしい。これがルカの言っていた武者修行していた者だろうか。
「…………エルダーリッチ?」
屍人の峡谷の最奥には、エルダーリッチという魔物がいると記載されていた。
「ああ、さっきのアンデッドの上位個体が、エルダーリッチというらしい。目撃された例も少なく、討伐記録のない伝説の魔物だ」
魔物図鑑を見ている父が言う。
どうやらエルダーリッチがいるから、アンデッドが無数に湧き出てくるようだ。
調査資料は遠目でエルダーリッチを見て引き返したようだ。最後に調査した者の名前が書かれていた。
(シュリヤ・フォルカ……)
リュシアーナはその名前を指でなぞる。カヴァニス公爵家の分家出身の彼女は、五年前のカヴァニス公爵家の壊滅と同時に亡くなっていた。
青薔薇会に参加した時には、リュシアーナに護身術を教えてくれたこともある。
非常に剣技に優れていて、女である故に騎士にはなれなかったが、カヴァニス公爵家最強の剣士だった。
リュシアーナは込み上げてきた懐古の念を振り払い、さらにカリナの書類を読み進める。
アンデッドやグールは、日の光を嫌う習性がある。それを利用して、晴れた日にその峡谷を突破することができるようだ。
チェスティ王国国境は、ほとんどが雲に覆われた天気であるが、稀に晴れる瞬間が狙い目だと、書かれていた。エヴァリストは、この晴れた日を狙っているのだろうか。
カリナの書類を読んで、リュシアーナは考えこむ。
「――お父様、アンデッドの発生条件をもう一度お願いします」
「死体が魔物化するのと上位個体が精製する、だが?」
「……ベスタ地方にアンデッドが発生したと、聞いたことはありますか?」
「うん? ベスタ地方? どうだっただろうか。元はベスタ王国があったところだろう」
父は魔物図鑑のページを捲った。
「いや、ない。ただあそこの元王都は、今や廃墟と化しているから、死体が転がっていてもおかしくはないな」
「そのようなことまでその図鑑に?」
魔物の分布図まで載っているのだろうか。
リュシアーナは不思議に思い、父の後ろに回って、図鑑を覗き込む。
アンデッドのページには、簡易的なファリーナ帝国の地図が描かれていて、発生場所に印が付けられていた。
「バレージ伯爵からもらったんだ。いいだろう?」
父が自慢げに言っている。
バレージ伯爵は、第二皇子妃であるシェリルの父親だ。
そして、シェリルは、父親の名を借りて、商会を起こしている。この本は、シェリルの商会が流通させているものなのだろう。
図鑑から目を離して、リュシアーナはさらに思考する。
(ベスタ王国が滅亡したのは、二十年前。アンデッドが目撃されたなら、確実にこの図鑑にも載っているはず。なぜ今になって、アンデッドが発生したの?)
リュシアーナは、あまりにもタイミングが良すぎると怪しむ。
「ベスタ地方にアンデッドか。まぁ、アンデッドくらいなら、すぐに帝国騎士団が討伐してくれるだろう」
考え込むリュシアーナに父が言った。
「討伐に向かったのは、青剣騎士団です」
「第三皇子の? まぁ、初めてなら、それくらいがいいんじゃないかい」
確かに側から見れば、妥当なのかもしれない。だが、この討伐は、エヴァリストが持ちかけたものだ。
(……待って。そもそも誰がアンデッドの発生を知らせたの?)
通常なら帝国騎士団のその地方の担当が、調査と討伐をして終わるはずだ。勿論、帝国騎士団内で報告されるだけ。
エヴァリストが帝国騎士団内に内通者を忍ばせていたとて、無理がある。それに青剣騎士団には、帝国騎士団の一部隊が貸し出されていた。
アンデッドの発見者が、帝国騎士団ではないとすれば……。
(最初からエヴァリストが仕組んだのね)
やはり青剣騎士団の遠征には、裏がある。
リュシアーナは、カリナの書類を片付けて、その場に置いた。持ち帰るわけにはいかない。
「なにかわかったのかい?」
書類を整理し始めたリュシアーナに父が問う。
「全容はまだです。書架に行きます」
チェスティ王国国境、屍人の峡谷のアンデッドとベスタ地方のアンデッドは、無関係ではない。
距離があるこの二つの場所には、何かがあるのだ。
屍人の峡谷は、魔物の巣窟で、シュリヤ・フォルカの調査資料以上のものは出てこないだろう。
そうなると、次は、ベスタ地方だ。
リュシアーナは、元ベスタ王国の歴史書を調べ直すつもりだった。
「そうか。やはり君は妃で終わるつもりはなかったか」
そういえば、父には何も言っていなかった。ルカが密かに伝えたのも青薔薇会の令嬢ばかりだ。
父にしてみれば、こんな風に夫の遠征について調べ回っているのは、奇行そのものだ。
「お父様、そのつもりです」
自分の領民を省みず、功績ばかり争っている男の妻で終わるつもりは更々ない。
リュシアーナは、まっすぐに父親を見て言った。
「うん、こうなる気がしていたよ」
父はあっさりと頷いた。昔から父は、リュシアーナに何かを強制させたことはない。
「そうそう。ベスタ王国といえば……二十年前、ベスタ王国の王族の子どもたちをカヴァニス公爵と私で亡命させたことがあるな」
「亡命ですか……?」
「他の王族は、ファリーナ帝国に降伏すると同時に自害したが、その遺児だけは、皇帝に隠れて匿った」
聞いたこともない話だ。ファリーナ帝国に負けた後、ベスタ王国の王族たちは、すべて処刑されたと歴史書には記されている。
しかも、子どもとはいえ、反乱の火種になるような危険な行為だ。
「その遺児は今どこに?」
「遺児は二人だった。だが、私は行方までは聞かなかったんだ」
遺児から情報を得られるかと思ったが、無理そうだ。
しかし、カヴァニス公爵家がわざわざベスタ王国の王族を逃したのは何故だろうか。
(わたくしの知らない歴史がある。それは、歴史書にも載っていないもの……)
リュシアーナは、書架に行くのを諦めた。何度も読み返した歴史書をもう一度読んだところで、何がわかるというのだろうか。
「あともう一つ」
「?」
書架に行く足を止めたリュシアーナに父が告げる。
「ステファンの白狼騎士団への入団が決まった」
弟のステファンは、見習い騎士をしており、もうすぐ卒業だ。
それを聞いたリュシアーナはすぐに閃いた。
「お父様、ステファンに伝言をお願いします」
リュシアーナは父に言った。次の一手が決まったのだ。




