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15、暴走


ロゼが持ってきた特注魔道具は、青い薔薇の幻影を生み出していた。一年前、リュシアーナが王冠を戴いた日が脳裏を過ぎる。あの日もこんな風にルカが青薔薇の幻影を作っていた。


(綺麗ね……)


だが、すぐにリュシアーナは、その懐古を振り払い、前を向く。幻影を囮にミゲルの視線から逃れると、ステファンに合図を出した。


リュシアーナは、一か八かの身代わりを用意していた。


妹のミレーユをステファンに言って、ファリーナ帝国まで連れてきてもらったのだ。リュシアーナとミレーユは、顔も背格好も双子かというくらいによく似ている。


そして、ミレーユも破閃が使えるのだ。


ただ、破閃はルカの死と共にファリーナ帝国からは失われた。リュシアーナの予想だが、失われた範囲は、ファリーナ帝国に限定されていたと思うのだ。


当時のミレーユはファリーナ帝国にいなかったため、おそらくまだ破閃が使えるだろう。


ミレーユはリュシアーナと違って身体能力が異常に高い。あの妹ならば、ミゲルを制圧できるのではないかと、賭けに出たのだ。


――それしか、魔法使いに対抗する術はなかった。


すぐに側近のランが、ミゲルが一人で庭園に向かったことを報告にくる。


(ここまでは計画通りね)


ミゲルはミレーユのいる庭園に向かわせた。皇配に関することだと言えば、一人で抜け出していくと思った。


リュシアーナは、ランを連れて、会場のすぐ近くにある別室に向かう。ミゲルから離れた瞬間を狙って、絵の修復を生業にしていた魔法使いであるヨエルを拘束したのだ。


「陛下」


別室に着くと、ヨエルを拘束した騎士団長が一礼する。拘束と言っても客人のため、この別室に隔離する程度になる。


「わたくしから話しますわ」


ヨエルは、ファリーナ帝国皇帝を前にして、緊張した面持ちで唾を飲み込んだ。


「黒に赤目の絵画は、どこに仕掛けたのですか?」


リュシアーナは、ヨエルにまっすぐにぶつけた。まだ残っている絵画を回収するために彼を拘束したのだ。


彼は冷や汗をかきながらも口をつぐむ。


「あなたの妹もまた、昏睡状態なのでしょう。しかし、ミゲル王子に協力したところで、すでに治癒魔法の使い手であるシルキィ王女は亡くなっています」


「…………」


何も喋るなと言われているのか、ヨエルは緊張で体を震わせるだけだ。


「このままファリーナ帝国に大きな被害が出れば、わたくしはあなたを許すつもりはありません。あなたの妹にも影響がないとは言えないでしょう」


ミゲルもヨエルもファリーナ帝国で処罰する。他国で工作した報いは受けさせるつもりだ。


ヨエルはそれを聞いて、さらに体を震わせた。下を向いてぶるぶると震える。


(何か……様子がおかしい)


震えたヨエルは、口を押さえた。緊張しすぎて、吐きそうなのだろうか。


「――オマエ、チガウ」


ヨエルからこぼれ出た言葉に場が凍りついた。


「陛下!」


騎士団長がリュシアーナの前に立って、リュシアーナを下がらせる。同時に別室にいた騎士たちが、剣を抜いてヨエルを取り囲んだ。


ヨエルの目は焦点が定まっていない。頑なに手で口を押さえていたが、その手が黒く染まっていく。黒い靄が噴き出し始めた。


みるみるうちにヨエルの顔にも黒は伝播していき、半分が真っ黒に染まる。


「天使サマ……ドオシテ、ワタシヲミテクレナイノ?」


黒く染まった半顔の目が、赤く光った。


周囲に放つ黒い靄は、取り押さえようとした騎士たちを昏倒させる。


(何が……起きているの!?)


リュシアーナの眼前で、ヨエルは化け物としか呼べないようなそんな姿に成り果てた。人が化け物と化していく様子にリュシアーナは驚愕して声が出ない。


ヨエルは足を踏み出した。


騎士団長が、リュシアーナを下がらせて別室から後退して出た。ヨエルは一歩、また一歩と歩き出し、リュシアーナに向かってくる。


だが、別室から出たところで、行き先を変えた。


「天使サマ。マッテタ……ヤットアエル」


黒い靄を吐き出しながら、ヨエルが向かっているのは、夜会の会場だ。


リュシアーナは、叫ぶ。


「止めてください!!」


あの黒い靄は、人を昏倒させる。会場にいる賓客たちが危ない。


だが、どう止めればいいのだ。指示したものの、すぐに思いつかない。


「陛下、しかし……」


騎士団長も残った騎士たちに出す指示を考えあぐねている。近づけば昏倒してしまうのだ。ただ距離をとって剣を向けているが、ヨエルは気にした様子もなく、進み続けている。


「会場のクラリーサにこのことを伝えてください。万が一には避難を!」


一人の騎士がすぐに走っていく。だが、この化け物を止めなければ避難するにも間に合わない。


(何か……何かないのっ!?)


リュシアーナは必死に考えた。


「絵を! シエラ・カヴァニスの絵を持ってきて!」


もし絵画から夢魔が出てきた時に使おうと準備していた絵を思い出す。まさかヨエルがその夢魔のように変じるとは思わなかったが……。


ヨエルの歩みはそれほど速くない。ヨタヨタと一歩ずつ進んでいる。


騎士が絵を持って戻ってきたのは、会場の扉が見えたところだった。


騎士たちが会場の扉の前に絵画を滑り込ませる。シエラ・カヴァニス以外が黒く塗り潰された絵画を――。


ヨエルは黒い手を伸ばした。


「天使サマ……!」


その手は絵画を押し倒して、会場にもつれ込んでしまう。会場にいた人々が悲鳴をあげた。


「私ヲナデテ。私ダケニホホエンデ……」


ヨエルは周りの様子に気づいていない。絵画の中のシエラを見ていた。やがて黒い靄が絵画を包み込んでいく。


そして、黒い靄はすべて絵画の中に入って行ってしまった。


残されたヨエルがばたりと倒れる。ヨエルも元に戻っていて、誰もが異様な光景を固唾を飲んで見守っていた。


そして、一人の騎士がヨエルに近づいた。ヨエルは完全に沈黙しているようだった。


(終わったと思ってもいいのよね……)


リュシアーナは、深く息を吐いた。


「お騒がせして申し訳ございません」


会場にいた賓客たちにリュシアーナは声をかける。彼らは突然のことに驚いていたが、出入り口から離れたところにいたため、幸いなことに昏倒者はいないようだった。


「……彼はシクル王国の者だな?」


賓客の中から、芸術の国の女王ラクシュミが進み出てくる。


「何か暴れておったが……リュシアーナ帝がいち早く察知してくれたようだ。破閃はなくともリュシアーナ帝の手腕があれば盤石だな」


にこりとラクシュミは笑う。彼女につられるようにして、会場の空気が緩んだ。被害がなかったことから、客人たちは再び談笑に戻っていく。


リュシアーナはその隙に騎士たちに命じて、ヨエルを連れ出させたのだ。


最後に絵画が運び出されたが、絵は完全に真っ黒に塗りつぶされていたのだった。



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