蓋棺虚神の分身
蓋棺虚神の話は聞いたことがある。私が生まれるよりも前に、突如無から現れた、新しい神だったはずだ。蓋棺虚神に姿はなく、その体に触れたものはすべてが無に還ると聞く。存在そのものが無に還る。電子媒体、書籍、紙などの記録を残して、記憶から消える。その存在があらわになったのは、記録もしかり、家・職場等での痕跡がその存在を示したそうだ。
「蓋棺虚神に、姿はないって聞いたけど」
「本体は触れたものすべてを無に還すが、我は分身だからな、無への力は弱い。直接触れたものを任意で無に還すか、この短槍……アスコポスで攻撃したものしか無に還すことはできない」
――嘆かわしいことよ。
嘆かわしい。ということは、この分身も、本体と同じく無に還すことを目的としているということか。この分身はもしかすると、独立した思考を持たないのかもしれない。
「あなたには、あなたの意思があるの?」
蓋棺虚神は、少し身体を震わせたが、虚ろな表情はそのままに、不機嫌な声を発した。
「なぜそのようなことを聞く必要がある……」
「いえ、あなたの攻撃や意思が、あなたの本体とリンクしていたら、あなたと戦うことはできないから」
蓋棺虚神は、少し考えるような沈黙を置いた。
「今、本体とのリンクを切った。これでいいだろう?」
繋がっていたのか。一体どうやってこの分身を外へ出したのだろうか。甚だ不思議である。この件は、できる限り早く、所長に報告したほうが良さそうだ。
「早く始めようぞ。我は戦いたくて仕方がない……。1つでも多く、1人でも多く、無の世界に還さなければ」
「還らないよ、誰一人としてね」
私は、もう一度刀を構える。
「私の名前は藤樹瑠衣。世界最強の霊能力者だよ」
虚ろな表情はそのままだが、蓋棺虚神ももう一度、短槍を構えた。虚ろだが、確かな熱のある声で、同じように名乗る。
「我の名は蓋棺虚神。すべてを無に還す、無の神だ」
蓋棺虚神が名乗り終えた瞬間に、私達の間に緊張が走る。細い細い糸が、私達の間に張られているかのようだ。少しでも動けば、互いが敏感に反応する。それがわかった。だから、どちらも動かなかった。いや、動けなかった、というのが正解だろう。どちらかの緊張がとけた時、もしくは集中が切れた時に、一撃で仕留められる。それが互いにわかっていた。動いたなら、その時に終わる。この沈黙が、私達の戦いだった。
よく、テレビや漫画では、風が吹いてその風邪で動いた小石や葉が、2人の間を通って、という描写があるが、私達の沈黙が切れたのは、それほどロマンチックなものではなかった。
結界を張る時に取り残されたのだろう。1匹の蝶が、私達の間を横切った。ちょうど、視界を隠す形で、蓋棺虚神の前を横切った。私は一気に踏み込む。霊力を使って足音を消し、刀を横に構えて右に剣先を持ってきた。移動した時の体重移動で半身になり、蓋棺虚神の腹を突き刺す。確かな感触とともに、硬い音が響いた。
「嘘でしょ?」
刺さらなかった。今までどんな怪異だろうが刺して、切ってきた私の刀が、この神には通用しなかった。
「くだらないな。最強も、その程度か」
無造作に振り上げた短槍で、私は背を打たれた。鈍い音が、私の頭の中に響く。骨が折れたのだろう。私は打たれた衝撃で飛んだが、受け身をとれないままグラウンドに横たわる。
「最強がその程度では、この世界が終わるのも近いのかもな」
回復が遅い。槍の能力と関係しているのかもしれない。私は、霊力をより多く回復に使う。回復速度が上がり、瞬く間に骨が修復され、身体が自由になった。
「回復が遅い」
立ち上がった途端に、目の前まで来ていた蓋棺虚神に蹴飛ばされる。今度は肋骨が折れ、肺に刺さる感覚がした。運よく、校舎にぶつかって止まった。飛ばされている間に骨と肺の修復が終わり、私はすぐに構える。どうやら20メートルほど飛ばされていたようだ。少し先に、蓋棺虚神が見える。
「反応も遅い」
「え?」
瞬間移動かと見紛うほどの速さで、私はもう一度校舎に叩きつけられる。いや、一度ではない。2度も、3度も、何度も何度も叩きつけられ、その度に、私の身体では吸収しきれなかった衝撃が、校舎に伝わる。どんどんという鈍い音とともに、校舎に少しずつヒビが入る。何で叩かれているのかもわからない。私はただ、この連撃の隙を待つしかなかった。
「井の中の蛙だったか?」
私が再生しないように、右脚で腹を抑えたまま、蓋棺虚神は聞いた。
「何が?」
「お主のようなやつのことを表す言葉だよ」
確かに、その言葉は今の私にぴったりだ。結局私は、自分より弱いやつとしか戦ったことがなかったのかもしれない。
「いいえ」
「?」
だが、それでも私にはこいつに勝てる自信がある。
「私は最強だから。私を表す言葉は金剛不壊」
「!?」
蓋棺虚神も気づいたようだ。
「私は絶対に負けない。私が負けるということは、霊能界の敗北を意味する。私は絶対に、あなたには負けない。私は霊能界の未来だ」
私が蓋棺虚神の足を抑えていることに。私の身体が、脚を押し戻す形で回復していることに。
私は蓋棺虚神の右脚をつかみ、蓋棺虚神の身体を蹴って、引きちぎる。刀が通用しないなら、素手で戦うしかない。
「無に還れ。藤樹瑠衣!」
蓋棺虚神が、私の左腕を短槍で打った。折れる音もしないままに、私の左腕が消失する。痛みはないが、回復ができないようだ。傷口はなく、腕がなくなったようだ。私は飛んで距離を置く。
「できるかわからないけど」
私は刀を創り、一思いに左肩を切り落とす。
「あっつぅ……。けど、これなら治せるよね」
私は左腕を一気に回復する。骨が伸びていき、リンパがつき、筋肉がつく。血管が生えていき、肌が造られていく。服こそ着けていないものの、私の腕が元通りに生えていた。
「ほう……考えたな」
分身が、いつの間にか私の左に立っていた。音はしなかったはずだ。私の耳が、聞き逃すはずがない。
「まあね。これくらいは余裕だよ」
「そうか」
蓋棺虚神は、私の顔をめがけて蹴りを放った。けれども、そこに私はいない。
「もういいよ。あなたの攻撃には飽きた。死んでくれて構わないよ……」
私は、蓋棺虚神の背中を蹴る。蓋棺虚神がグラウンドの方へと飛ばされた。
「軽いなあ。……おっと、回復しなきゃ」
左足が消失している。どうやら、蓋棺虚神の体に触れた時に無に還されたようだ。私は刀で左脚を付け根から切り落とした。霊力を使って、脚を生やす。
「回復も楽じゃないんだけどね。今回ばかりは、仕方ないか」
さて、どうやって殺そうかな……。さすがに、死んじゃったら生き返れないしなぁ。爆弾でも創れば、多少のダメージは入るんだろうけど、私は爆弾創れないしなぁ。
「藤樹……瑠衣!逃げる気か!」
「逃げないよ……どうやって君を殺そうか考えてるだけ」
私は右手で今度は円形になった校舎の中心にある吹き抜けに落とした。すかさず、右腕を切り落として再生する。
「消えるまでに、タイムラグがあった」
てことは、触れた瞬間に、蓋棺虚神はこの手を消すことにしたということだ。ならば、それよりも速く、手刀や刀、足刀で蓋棺虚神を切り裂けば、倒せるということではないだろうか。
「やってみよう」
「藤樹……瑠衣、何度もふっとばしやがって」
やっと、円形の吹き抜けから上がってきたようで、蓋棺虚神がそう文句を言った。
「あなたが私を蹴った回数よりは少ないけどね」
私は、一気に距離を詰める。右手で手刀をつくり、下から切り上げる。
「遅いのう……」
私の手刀は、空を切った。空回りした手刀の勢いに引っ張られて、私は少し後ろに飛ぶ。
「お主の攻撃は、遅くてかなわん。我に触れても、攻撃する前に避けれてしまうぞ」
見ると、私の右手が消えていた。私はもう一度再生する。
「じゃあ、私の5番目に速い技、見せてあげようか」
「ほう」
オカルト同好会の部室で、空音ちゃんが見せた幻影の技。私なら、あれを現実に持ってこれる。
「紫雷」
「美しい……」
紫色の雷の間から見える虚ろな瞳に、少しの熱が見えたような気がした。表情は、虚ろなままなのだけれど。
「これから、あなたに放つ技は、私が依然避けた技。とある鬼族が私に向けて放った、当たれば消滅する雷だよ。速いあなたなら、避けられるよね」
こころなしか、虚ろな表情の口角が、少し上がったような気がした。
「さあな。我には、未来は見えぬ」
――ただし
「我もお主に敬意を表して、我にできる最高の技で迎え撃とう」
蓋棺虚神は、洗練された槍使いのように短槍を回し、ずっしりと腰を落として構えた。短槍を持った右腕をあげ、槍先を私の首元に狙いを定めた。
「我は、霊能で創ったこの短槍をただまっすぐに投げるだけ。おそらくは、お主の攻撃のほうが先に届くだろう。なに、避けることはしない。そのかわり、お主も我の攻撃を避けるなよ」
「わかった」
私は蓋棺虚神と違って、硬くはない。どうするべきか……。ジリジリとした睨み合いが続く。私は霊力の動きから、蓋棺虚神の隙を探し続ける。右手の紫雷を構えたまま、いつでも隙を討てるようにする。しかし、それは相手同じことだ。蓋棺虚神もまた、私の霊力から隙を読んでいる。感覚が、より鋭敏になる。普段は聞こえない空気の流れを聞き、降っていない雨の音を聞いた。虫の羽音を肌で感じ、風の目が見えた。
蓋棺虚神の呼吸音、霊力の流れ、瞳孔の開き具合に至るまで、私はそのすべてを感じた。膠着状態が3分は続いただろうか、その瞬間がやってきた。しびれを切らしたのか、蓋棺虚神が深く息を吸った。
「はっ!」
短いシャウトとともに、短槍が投げられた。私は、私と蓋棺虚神の間をまっすぐに飛ぶ槍と、その向こうにいる蓋棺虚神を狙って、雷を放つ。槍に触れた部分の雷は無効化しながら、槍は変わらない速度でまっすぐにこちらに来る。
私は左手で縄を創った。駿くんがいる方向に、縄を投げる。校門にいる駿くんを釣り、私と槍の間においた。
「あ、瑠衣さん、勝ったんですか?って、ええぇぇぇぇぇえええええええ!?」
情けない声をあげながらも、しっかりと駿さんは仕事をしてくれたようだ。
「ありがとうございます、駿さん」
お礼を言う私に、駿さんはいいづらそうな顔で、こう言った。
「助けに来てくれたわけだし、いいけど。あれ、なんとかしなくていいんですか?」
駿さんはあれ、と、肋骨より下を失った蓋棺虚神の分身を指した。
「おのれ、藤樹瑠衣……騙ったなぁ。恨むぞ……」
虚ろな表情はどこへやら、美しい顔を醜く歪めた蓋棺虚神が、恨み言を吐きながら、消えている。
「いいよ。蓋棺虚神は駿さんがこの戦いに参戦することを禁止しなかった。参戦してもいいってことだよね」
恨みを買おうが、卑怯な手を使おうが、私はこの戦いに死ぬ気で挑んだ。ルールにだって、違反はしていない。それでいいだろう。私は、蓋棺虚神の視線に合わせる。
「あなたがなんでここにいたのかは知らないけど、調べればわかるよね。あなたがどうやってここに来たのかも、どうやって研究所から抜け出したのかも」
蓋棺虚神は、反抗的な目で私を睨み、消えかけた口で最後の言葉を吐いた。
「退屈だなぁ、この世界は」
「退屈だったよ、この世界は」
霊能物語本編第三篇「悪魔」第九話「蓋棺虚神の分身」でした。お楽しみいただけたでしょうか。お楽しみいただけた方は、高評価とコメントをお願いします。ブックマークまで押して頂けると嬉しいです。誤字等の報告は、ログインに関係なく受け付けているので、見つけた方には教えていただけると助かります。
こんな小説を書いてほしい等のリクエストは、InstagramのDMで常時受け付けておりますので、parsy.storeをフォローして、リクエストをお願いします!




