二重人格
二重人格は、その正式名称を解離性同一性障害という、精神疾患の一種だ。そのほとんどが小児期に強いストレスにさらされることで発症するという。患者数が少なく、事例も他の疾患に比べて少ない。また、精神疾患の特性上、歴史的に宗教的意味合いが強く現れており、医学的な介入も遅れた。解離性同一性障害は、医学的に新しい病と言える。
けど、私達の世界では違う。歴史的に発見されたのが新しくても、存在したのははるか昔からなのだ。だから、発見のなのだ。霊能の世界において、解離性同一性障害は利用されてきたという負の歴史がある。見てくれが不思議なものであるため、霊的な力が宿っているに違いないと勘違いした輩に、儀式側の人間として宮殿や神殿にいれられた。
本人たちに霊力がないから儀式が成功するわけもなく、偽物として耐え難い処罰を受けたという記録もある。だからこそ、負の歴史を繰り返さないために、今、私達は慎重にならなくてはならない。
「そうですか……。」
「ごめん、もっと早く気づいてあげられなくて。」
「無理もないですよ……こんなド田舎に封印されてる鬼に気づかなくても。」
そう言っても、目には薄っすらと涙が浮かんでいる。無理もない、彼女たちは親友だったのだから、親友たる梨里ちゃんが、自分の知らないところで殺されていて、その遺体も放置されただけでなく、死してなお、屈辱を受けていたのだから、悔しいし、悲しいだろう。
私達は今、優愛ちゃんの状態がしばらく安定したこと――空音ちゃんがもう一方の人格を眠らせたから――を受け、梨里ちゃんの家に来ている。とはいっても、私にとってはついさっきまでいた場所だから、これと言って目新しさはない。強いて言うなら、改めて見て、崩壊具合がなかなか――2階建ての1階が地下に沈んでいる――なので、やっちまった感がすごい。
「じゃ、ちょっと行ってくる。」
私は優愛ちゃんにそう言って、羽織っていたコートを脱ぐ。まだ9月で暑いのにコートを着てきたのは、これからその地下に潜らなければならないからだ。私は陥没部分に近づいて、少し地下から出ている部分を殴って穴を開ける。深く息を吸って、そこに体を入れて中へ入る。
地下水だから普通に細菌類が繁殖していて水は汚い。だから、普通の人がはいったら、それこそ霊能力者でも駿くんや鷹清さん、槿花ちゃんと紅玉くんあたりまでなら、普通に死ねる。水は冷たいし、心地いいけど暗くて、何より息継ぎができない。私は霊力を使って身体の循環系を動かせるから、まだいける。何もしなければ30分、活動してても10分までならなんとか動ける。
私は霊力で光の玉を4つだす。それぞれを自分上において、少し明るくする。それからもう1つ出して手元に置く。そこに生活があったときのように明るくなったリビングには、潰された遺体があの時のまま置かれている。後数日もあれば、もう原型がなかっただろう。私は遺体の周囲を優しく包むように霊力で膜を作る。
(たぶんこれで2人分……。)
あと1人、探したほうがいいのだろうか。それとも、引き返して確保できた分だけでも上にあげたほうがいいのだろうか。私は目を閉じて、体内の状態に意識を向ける。少し息が詰まるような感覚がある。どうやら、引き返したほうが良さそうだ。私はゆっくりと浮上して、天井に穴を開ける。ちゃんと、衝撃が向こうに抜けるように力を調整しているから、遺体にその衝撃が伝わることはない。もっとも、霊力で包んでいる時点で、それはないのだけれど。
私は天井の穴を広げて、遺体の面積より少し大きいくらいに調整する。水から上がって、大きく深呼吸してから、水中からゆっくりと遺体を引き上げる。モザイクが掛かりそうなほどに状態の悪い遺体は、どう考えても優愛ちゃんに見せるのは酷というものだ。私は少し2階を見て回る。
寝室。
自室。
書斎。
ちょうど、書斎に本棚があった。木材の質を見るに、かなり高そうな本棚だ。少し硬い。私は霊力を使ってネジを取り、金具を外す。板を箱型に固定し直して、少し厄払いのお咒いをする。さすがに、即席の棺桶なわけで、霊も居心地が悪そうだ。私は、遺体がこれ以上崩れることのないように、そっと棺桶の中に入れる。
「……やっと、供養できた。気づかなくてごめん。」
私は、遺体の向こう側に立っている2人に謝る。影のない2人は、そんな事ないと言わんばかりの笑顔で、頭を下げる私を止めるように私の方に手をおいた。
「私達は、あんな死に方をしたけれど、それを後悔したことはないのよ。」
「見ず知らずの私達のために戦ってくれてありがとな。」
梨里ちゃんと、その母だろう。2人は私に優しく微笑んでそう言った。
「優愛をよろしくな。瑠衣ちゃん。」
梨里ちゃんは旅立つ直前に、そう言って満足そうに笑った。
私は即席の棺桶に蓋をして、壁を壊して外に出た。優愛ちゃんが私が戻ってきたのに気づいて、どうだったかと聞いてきた。
「無事、回収できたよ。」
「見せて。」
「ダメ。見ていい状態じゃない。」
「そんなの瑠衣ちゃんが決めることじゃない。」
不満そうに言われても、あんなの普通の人の精神を持っている優愛ちゃんが見たら、気持ち悪さに吐いてしまうだろう。いや、吐くだけならまだマシかも知れない。最悪、一生物の心の傷を負うことになる。それだけは避けなければならない。
「私はこういうの、たくさん見てきたしたくさんの怪異をこういう姿にしてきたけど、優愛ちゃんはまだ慣れてないでしょ。まだ、こういうのになれる段階じゃないし、私と違ってあなたにはその必要がないんだから、無理して見る必要はない。」
優愛ちゃんは、「はぁー」と深い溜息を吐いた。
「空音ちゃんからちょっと聞いてたけど、ここまでとは……。」
「なにが?」
「瑠衣ちゃんは、まだ感情のことを何も理解してない。」
――たとえ、どれだけ痛ましくても
「友達と……親友と、家族の最後は、死体を見ない限り、認めたくないものなんだよ。」
なるほど、と思ってしまった。確かに、その考えはなかった。自分に直して考えてみれば、わかりやすくもある。例えば、槿花ちゃんや駿くんが死んだとしたら、それを認めるには死体を見るまで認めたくはないだろう。空音ちゃんが死ぬのは想像できないけど、それも同じだろう。
「そういうことならいいけど、覚悟しててよ。」
私は、即席の棺の蓋を開ける。中が霊力で満たされているから、腐敗臭はないけど、腐敗臭を想像できてしまうほどの腐り具合だ。それに、足跡や踏み潰された跡がはっきりと残っている。彼女らの死体が、どのような扱いを受けたのかは、想像に難くない。
「……。」
もう、服を除いて彼女らの区別をすることは出来ない。優愛ちゃんは、まじまじと彼女らの遺体を見つめている。
「ありがと。」
2分ほど、見つめて手を合わせた後、優愛ちゃんはそう言った。彼女の目は薄く腫れている。やっぱり、見せるべきではなかったかもしれない。それでも、自分の意志で見たのだから後悔はないだろう。
「やっぱり死んでたかー。薄々そう思ってはいたけど、認めたくなくてさ。」
帰り道、優愛ちゃんは私達の間に広がっていた沈黙をそう言って破った。まだ悲しみも言えないだろうに、気丈に振る舞う彼女は、そういう性格なのだろう。
「親友だから、嘘でも生きていてほしかった。例えそれが怪異でも、初めての親友だから、その嘘にすがりたかったんだ。」
――相手が怪異だって、妖怪だって知ってたのに。
「助けてあげられなかった。救って……あげられなかった。」
彼女の声は、口を開くごとに震えていく。その感情が、今の私には痛いほどに響いた。青い空が、今では憎く思えるほどに、彼女の苦しみが、悲しさが、私の心に訴えかけられる。
「救いたかった。もっと早く、私が気づいていれば、もしかしたら助けてあげられたかもしれないのに。あの時、あの札を受け取らなければ。私が、悪魔をちゃんと管理できていれば。」
なまじ力を持ってしまった人間は、その範囲が広いだけに、後悔が大きい。自分には出来ないことだと割り切ることが許されない。今の私には、彼女から伝わってくる感情を、どう処理すればいいのかわからなかった。私の目からも、涙がこぼれた。次々と溢れるそれが、涙だと気づくのに、私はしばらく時間が必要だった。涙だと気づいた時、私の手は自然と彼女の背中を叩いていた。
「大丈夫、大丈夫だから。」
今の私達は、周りからどう見えているのだろう。涙と鼻水で、ぐしゃぐしゃになった顔は、きっと、いつにもまして汚いに違いない。とても、人に見せられる顔じゃない。そう思っても、私は目から流れる水を、止めることが出来なかった。私は無力だ。結局のところ人間なのだ。神の世界に行けるだけの、ただの人間だ。
知らないことは知れないし。
見えないものを見ることはできない。
全知でもなければ、全能でもない。
結局のところ、私は彼女の苦しさを肩代わりできないし、梨里ちゃんを蘇らせることもできない。私にできることと言えば、優愛ちゃんと一緒に泣くことと、大丈夫というフレーズを繰り返すことだけだ。彼女の苦しみは計り知れない。
だから。
裏の彼女が生まれたのかもしれない。
「何が大丈夫なんだよ。ダッセェな。」
不意に、そいつに代わった。きっと、彼女のストレスが溜まったのだろう。私の涙は、突然の言葉にピタリと止まった。それまで、優愛ちゃんの内側を回っていた膨大な霊力が、今は外側に少しずつ、漏れ出ている。
「誰かと思えば、最強さんじゃねぇか。期待外れだぜ。」
優愛ちゃんは、こいつのことをなんと表現していただろうか。
「悪魔……。」
「そうだぜ。悪魔だぜ。そうは言っても、悪魔っつー種族じゃなくて、厄介者って意味だけどな。」
悪魔は、そう言って私の手を背中から外す。
「俺は、優愛のストレスを引き受けるために生まれた人格なんだぜ。」
――ストレスを怒りとして、元凶にぶつけるために生まれたんだぜ。
「暴れることが、俺の価値だぜ。最強さんじゃあ、暴れきれねぇじゃねぇかよ。」
チッと、彼女は舌打ちした。つまるところ、私と争う気はないのだろう。まあ、懸命な判断と言える。おいつは、私に勝てないわけで、負け戦だ。
「ちと話でもするか?」
「何の?」
「俺の経歴。」
「興味ない。」
そういうのは、空音ちゃんが聞きたがりそうだ。イメージだが。
「そうか。」
悪魔は不満そうに唇を尖らせる。私は、その様子に少し可愛そうだと思った。
「ちょっとなら興味あるかも。」
「そうか?」
あからさまに明るくなる。そんなに話したかったのか、声も高揚している。
「俺が初めて俺外に出たのは、この身体が10の時だったんだぜ。こいつの親は両方ろくでなしでな、毎日酒に溺れるわ喧嘩はする。正直、離婚しないのが不思議だった。身体の中で見ているときも、それはそれは醜い。」
――だから。
「外に出た時、俺は台所から包丁を取って。」
――刺したんだぜ。
「もっとも、急所には刺さらなかったから、1ヶ月後には両方家に帰ったらしいけどな。」
――俺は裏人格だから。
「表の優愛からしてみれば、いきなり親が入院して、帰ってきた頃には、別れたって印象さ。」
――それで良かったんだぜ。
「霊力に気づいたのは中1の時さ。同級生が、優愛のこといじめたらしくてな。孤児差別ってやつさ。そん時は、さすがに死ぬって思ったぜ。」
――霊力がたまたま体の外に出てきて。
「同級生を倒したんだぜ。正直、あれは幸運だった。悪魔だけどな。それからも、いろんなやつを」
――倒したんだぜ。
「さっきの、双子もそうさ。あそこまで霊力を解放できたのは初めてだったぜ。」
――気持ちよかったぜ。
「それは、わかるかも。霊力使うのって、超気持ちいよね。」
「わかるか?あれは最高だぜ。この身体を使えて、1番良かったって思うのは、霊力だぜ。特に、あれを倒した時は最高だったな〜。何だっけ……あいつ。えーっと……。そうだ。」
――美倉鈴を殺した時は、滾ったぜ。
霊能物語本編第三篇「悪魔」の第三話「二重人格」。お楽しみいただけたでしょうか?今回は、二重人格という症状を扱うにあたって、医学的な話を冒頭にさせていただきました。それも含めて、読んでいただければなと思います。今回のお話をお楽しみいただけた方は、ぜひブックマークと高評価もお願いします。番外編のリクエストも、Instagramの方で常時受け付けておりますので、リクエストがある方はフォローして、ぜひリクエストもお願いします。




