悪魔
私は、全力で走っていた。私の想像が正しければ、研究所は今大変なことになっている。あの悪魔のような応声虫が、私の想像通りのことをしたのであれば、優愛ちゃんの正体は……。
「みんな!無事!?」
「ん〜?どうしたですか?瑠衣さん。」
みんなはそこにいなくて、槿花ちゃんだけがそこでおはぎを食べていた。私は槿花ちゃんに詰め寄って、「みんなは!?」と聞き直す。
「空音ちゃんたちなら、奥の会議室で優愛ちゃんになんか尋問してますよ?」
槿花ちゃんはおはぎを食べる手を休めずにそう答えた。
「槿花ちゃん、落ち着いて聞いてね。桃斬童子の時の応声虫が、生きてるかもしれない。」
「それって……どういうことですか?」
「いいから、着いてきてほしい。詳細はあとで話す。」
私は槿花ちゃんのおはぎを食べていない方の腕を掴んで槿花ちゃんを引っ張って歩く。できる限りの速歩きで。食堂と会議室がそこまで離れていないのが幸いして、私達は30秒ほどで会議室に着いた。霊視しても大して変わったことはないが、むしろそこが問題なのだろう。私の予想が正しければ、ここには……。
「みんな!動かないで!」
私は霊力の球を指の先に創った状態で、扉を開けた。
「瑠衣ちゃん、どうしたの?」
みんながそれにざわついたのを見て、空音ちゃんがそう聞いた。
「優愛ちゃんが、憑かれているかも知れない。」
私は、霊力の球を優愛ちゃんの方に向けながら、そう言った。
「おいおい、そりゃあねぇだろ。第一、鬼は梨里とかいうやつのほうじゃなかったのかよ?」
紅玉くんがそう言ってきた。そりゃあ、そうなるだろう。そう、言いたくなるだろう。私達は昨日、その確認をしたばかりなのだから。でも、状況は変わってしまった。いや、変わってはいないのだけど、変わってしまった。その変化を起こしたのは私の独断行動なのだから、あまり褒められたことではないのだけれども、変わってしまったのは仕方がないのだ。
「確かに、梨里ちゃんは鬼だったし、本物は半年以上前に死んでいた。でも、私はその過程で、優愛ちゃんに化けた、桃斬童子の時の応声虫を見た。これで、わかるよね?」
「!!」
会議室中の空気が、一気に張り詰めた。その瞬間、みんなの位置が入れ替わった。非戦闘員の空音ちゃんと鷹清くん、そして井宗さんをかばうように、その周りに白さんと駿くんが立ち、紅玉くんと槿花ちゃんが、どこからともなく一対の双刀と一対の双剣を取り出し、槿花ちゃんは双刀を、紅玉くんは双剣を一振り、相手に投げた。鏡写しに刀と剣を握り、紅玉くんが優愛ちゃんの右腕を右足で、槿花ちゃんは左腕を左足で蹴り上げ、会議室のテーブルに手を誘導して踏みつけた。
紅玉くんは右手に逆手で握った刀で優愛ちゃんの右手首を抑え、左手で持った剣を優愛ちゃんの首の左側に押し付けた。
槿花ちゃんは左手に逆手で握った刀で優愛ちゃんの左手首を抑え、右手に持った剣を優愛ちゃんの首の右側に押し付けた。
「動くなよ。」
「怪しい動きをしたら、切りますよ。」
青白く輝く刃は、それだけで異様な存在感を放ち、威圧感を持っていた。
首の前で交差する剣は、洗練された角度で押し付けられたまま一切動かず、僅かな動きで優愛ちゃんの首の皮が切れて血が出るようなこともないが、逆に優愛ちゃんが少しでも動けば、彼女自身の力で切れてしまうだろう。
「優愛ちゃん、必要事項だけ答えて。」
私は、そうでないことを願いながら、優愛ちゃんに聞く。
「あなたは、野田優愛ですか?」
優愛ちゃんは……いや、そいつは、およそ似ても似つかない低い声で「ケヒッケヒヒヒヒヒッ」と笑って答えた。
「おう、俺は野田優愛だぜ。身体はなぁ。もっとも、中身は誰だか知らねぇけどよ。」
そいつは、ニヤニヤとした笑みを浮かべて、「けどよ」と続けた。
「これだけは言えるぜ。」
――俺は、お前らが探してるやつじゃあねぇ。俺は誰も殺してねぇからよ。
これはこれで、最悪の部類なのではないだろうか?
「特にそこのお前。」
そいつは、喉元に二振りの剣を突きつけられたまま、微動だにせずに誰かに言った。
「あの化物を倒したのは、俺じゃねぇぜ、少なくともなぁ。自分が何として生まれたのかくらいは、知っている。期待に添えなくて悪かったぜ。」
空音ちゃんが見たと言っていた、優愛ちゃんがどこかの怪異と繰り広げた、珍しい戦闘のことだろうか。
「必要以上に喋るな。」
「質問にだけ答えてください。」
冷静に、沈着に、紅玉くんと槿花ちゃんはプロの仕事をしていた。
「鬼の封印が解かれていたことと、何か関係はあるのか?」
紅玉くんは、そいつのことを睨みながら、すごみのある声でそいつに聞いた。
「ねぇ、とは言えねぇな。確かに、俺は鬼の封印を解いた。」
そいつは申し訳なさそうに目を泳がしながら答えた。
「やっぱり。」
紅玉くんと槿花ちゃんは、そう言って手を抑えている脚に力を入れた。そいつは「待て待て」といって抵抗した。
「関係がないだけで、俺が剥がしたとは言ってねぇ。剥がしたのはもう一人いた俺の仲間の方だ。あいつが、同胞を助けるとか言ってよ、俺は止めたんだぜ?面倒なことになるってよ。」
いかにもやれやれといったふうな表情で、そいつは言った。
「待って、あなたの仲間が他にもいるの?」
「仲間……つっていいのか知らねえけど、俺と同じ種族が3体と、応声虫だな。あの鬼も加わる予定だったけど、まあ死んだならしゃあないな。」
明るく、笑顔を浮かべながらそいつは言った。「弱かったってことだな。」と。
「死んで当然だよなぁ、弱えぇやつはよ。」
――鬼も、堕ちたよなぁ。あんなに強かったのになぁ。
少し下を向いて、懐かしむように、されど黒い歴史でも見るように、遠い過去を言うように、そいつはそう言った。そして、視線を上げて空音ちゃんをまっすぐに捉えた。
「あんたがリーダーなんだろ?俺をどうするつもりなんだ?」
空音ちゃんはいつも通りのテンションで答えた。
「まー、今から決めるしかないかなぁ。私も理解が追いついてないし。」
空音ちゃんは、右手の人差し指を前に出して、口を開く。
「とりあえず、大人しくしといて。」
低いトーンで放たれた言葉と同時に、空音ちゃんは人差し指の先を下に向ける。その動きと全く同じタイミングで、優愛ちゃんが泡を吹いて気絶した。白目をむいて前に倒れる優愛ちゃんの身体を、槿花ちゃんが機敏な動きで支える。いつの間にか槿花ちゃんの剣と刀は消えていて、紅玉くんも脚をどけて横で構えていた。
「優愛ちゃん、どうします?」
槿花ちゃんが、空音ちゃんに聞いた。
「とりあえず、訓練場で様子を見ようか。」
――未知数だし。
「でも、訓練場は瑠衣さんが壊しちゃったんじゃ……。」
「大丈夫、瑠衣ちゃんがなんとかするって。」
「私何も聞いてないんだけど……。」
「なんとかするって。」
責任とれってことですか。当然っちゃ当然なんだけれども、ここの研究所の壁は特殊だった気がするんだよなぁ。実験的な仮の建物だから、確か、石谷グループの傘下の会社が開発したあの素材が使われていたはず。
「必要だったらなんとかしてみせるけど……必要ないと思うよ?」
「どーだろうね。」
空音ちゃんが前を見ながらわからないよ?と言うふうにそう言った。
「あの〜。」
「なに?紅玉くん。」
「これ、俺達が連れてくの?」
「ちょっと重いんですけど。」
後ろを見ると、紅玉くんが頭、槿花ちゃんが両足を持つ形で優愛ちゃんを抱えていた。
「だってぇ、私も白ちゃんも、そういう訓練は受けてないんだもん。駿くんに持たせるわけにもいかないしぃ。」
「急に母音が聞こえてちょっとキモいんだけど。」
「紅玉はともかく、私じゃなくて鷹清くんでもいいじゃないですか。」
槿花ちゃんの抗議に、鷹清くんが「おれぇ!?」と驚いた。自分は関係ないとでも思っていたのだろうか。
「鷹清くんはダメだよ。鷹清くんの霊力越しに、未来が見られる可能性がある。敵に未来を渡すようなものだよ。」
「そんなこと、できるんですか?」
「少なくとも、石谷家はできる。もちろん、私もね。」
そんなことを話してるうちに、訓練場に着いた。私の予想通り、訓練場の内装は綺麗にに治っている。
「びっくり〜。こんなに早く戻るんだ、形状記憶素材。」
空音ちゃんが踊るように両腕を広げながら、訓練場に入った。
「本部の訓練場にも使われてるくらい優秀な素材だからね。」
蛇崎家が創った新システム、形状記憶素材。形状記憶の霊能を使って、どれだけ破壊しても分子構造に支障さえなければ、元の形に戻すというものだ。
「どっちらかと言うと、システムでしてよ?」
白さんが、少し遅れて訓練場に入ってきた。こんなときでも着物を着ているところを見る限り、白ちゃんの戦闘服は着物なのだろうか。
「縛ることをおすすめするわ。私の記憶が正しければ、あと数秒でやつは目覚めますのよ。」
「うがあああぁぁぁあ!」
数秒もなかった。紅玉くんと槿花ちゃんがあまりの動きに手を離す。地面に落ちる前に身を捻り、僅かな隙間で身体を着地させる。人間と言うよりも、もはや猫だ。
「お前ら、やってくれたなぁ。」
「えいっ。」
槿花ちゃんが可愛らしい気合を入れて、やつを地面に転ばせ、紅玉くんが抑える。
「私はね、1つ聞きたいことがあるの。」
私は膝を折って視線を合わせて、地面に抑え込まれているそいつに聞く。
「なんで、応声虫が優愛ちゃんの姿を採れるのかなって。」
そいつはふんと鼻で笑って答えた。
「そんなの決まっているだろう。今朝まで応声虫が同じこいつの中にいたからさ。」
――もっとも、間抜けなお前らは気づかなかったみたいだがな。
「黙ってて。」
空音ちゃんはそう言ってもう一度、やつの意識を落とした。やつが泡を噴いて気絶すると同時に、訓練場の仲に気まずい空気が流れる。
「一応聞くけどさ、応声虫って、桃斬童子のときのやつだよね。」
空音ちゃんが私にそう聞いた。
「うん。」
「はぁー。」
深い深いため息を、空音ちゃんは吐いた。
「ごめん、私もさっき知ったばかりで……。」
「瑠衣ちゃんを責めるつもりはないよ。ただ、面倒なことになったってだけ。」
「面倒って、一体どういうことですの?応声虫は、普通優愛ちゃんでも倒せるくらいの弱い怪異でしてよ?」
――話そうかどうか迷ってたけど
空音ちゃんはそう切り出して言った。
「応声虫は、一度寄生した宿主の身体を再現できる。そして、霊能界の大家、透石家の当主の座は、応声虫に奪われてから400年間、一度も変わっていないんだ。」
霊能物語第三編「悪魔」開幕です。第一話「悪魔」お楽しみいただけましたか?お楽しみいただけた方は、評価と感想もお願いします。それでは、また次の話でお会いしましょう。




