螢
「螢っていうのはさぁ、綺麗で悲しい生き物だよな。儚い命というか、暗闇の中で輝く一筋の光というか。」
「知らない。私は本物の螢を見たことがないから。」
「そうかい。哀しいねぇ、僕はこの世界に来た時に螢っていう自分の名前の意味を初めて知ったよ。とても……嬉しかった。1番ね。」
私は、死体の乗ったソファに座り続ける螢を、強く睨みつける。相変わらず梨里ちゃんの姿のままで話し続ける螢を、私は心底気持ち悪く思う。
「逆に、1番悲しかったのは、さっき君が僕に言った言葉だ。僕が、あの桃斬童子よりも弱いと言ったことだ。」
「事実でしょ。」
「僕と彼はライバルさ、互いに拮抗しているんだ。だから、彼が僕より強いこともないし、僕が彼より弱いこともない。……ありえないんだ。」
ならば……。
「なら、桃斬童子と同じ方法で殺してあげる。」
私はそう言って、私の無名の愛刀を左の腰に呼び出す。ゆっくりと鞘から刀身を抜き、ソファに座っている螢の頸に狙いを定める。
「甘いな。まるで、命の取り合いをしたことのないようだ。」
ノーモーション。この世界で、モーションを零にして攻撃することはほぼ不可能とされている。モーションが零ということは、動いていないということと同義であり、逆にモーションがあるということは、これから動くということに等しいのだ。
私は、確かに螢の身体全体を見ていた。モーションが少しでもあれば、私が見逃すはずはない。それこそ、零に等しい確率なのだ。しかし、私は見落とした。私が狙いを定めた瞬間、螢は私を蹴った。
蹴った。私の左側頭部を強く。私が反射的に右に飛んでいなければ、絶対に死んでいただろう。頭を狙った回し蹴りだった。勢いのあまり、止まることを知らないその蹴り足は、私が飛ぶと同時に私の頭があった場所を正確に撃ち抜いた。振り下ろした脚は当然のようにソニックブームを纏い、その風圧が四方に広がった。銃声のような音が響き、私は螢の圧倒的なスピードを思い知った。
「わかった?僕と桃斬童子の違い。」
「桃斬童子は、強くて、重くて、優しくて、遅い。そして、芸達者だ。」
「だけど僕は速いだけ。」
――そういう意味では、僕は桃斬童子よりも弱いかもね。
螢は一度脚を踏み出すと、綺麗に立体を走った。
「足場を壊すことはしないよ。僕の邪魔になるだけだ。」
梨里ちゃんを写し取っているであろうその脚で、どうやってそんな動きを再現しているのかはわからないが、およそ人体の目では追えない速度だ。
「下を噛み切らないでね。傷が残ると優愛ちゃんに怒られちゃうから。」
私はもう一度刀を構える。ただし、今度は刀を鞘に納めたまま、居合の構えを取った。技名を叫ぶことはしない。ただただ冷静に神経を尖らせて、螢を捕捉する。
「それは居合の構えだな?こいつを写すときに見た。確か、それを破るときにはより速く動けばいいんだったかな?」
ゴウッという音共に、私の身体は壁を突き破り家の庭まで蹴飛ばされた。受け身をとっても勢いが殺しきれず、私の服のあちこちが破れ、皮膚が草で切れる。身体の所々が出血し、肋骨も折れているようだった。息を吸っても肺から空気が漏れる音がする。吸っても吸っても、肺から空気が漏れて身体に酸素が回らない。
「うぅ……。」
「何寝てるの?早く起きてよ。」
そんな声と同時に、私の右の腹が蹴られて身体が宙に浮く。そして、それに私が気づくのと同時に、右の脇が蹴られた。起きてよ、と言う言葉通りに、私の身体は無理やり立たされた。
「さぁ、早く僕に攻撃してよ、僕は桃斬童子がうけた剣撃を受けたいんだ。」
螢は両の腕を大きく広げ、隙を丸出しにした。彼の超常的なスピードがなければ、そのまま斬り伏せることすら、私には容易だろう。
「ふ……ふふふ……。あははははは!」
私の口から大きな笑い声が溢れ出た。笑いが止まらない。戦いの全てが愛おしい。なぜ、桃斬童子の時に気づかなかったのだろう。こんなにも愛おしい戦いの喜びに。
緊張が。
成長が。
技術が。
音が。
光が。
肉が。
血が。
そして痛みすらも。――その全てが、愛おしい。
「肋骨は折ったはずだ。なぜ喋れる?なぜ、笑えるんだ?」
「さぁ、なんでだろうね?」
私はもう一度、刀を構える。
「クソが、下等生物ごときに遅れを取るなんてな。」
螢ももう一度――今度は掌底で構えた。
「いくぞ!」
螢はそんな、謎の宣言と同時にまっすぐに突っ込んできた。私はそれを半身になって躱して、その勢いのまま2階まで飛び、窓ガラスを突き破って2階へ侵入した。私は、さっき蹴られた右の脇腹を撫でる。傷はとっくに癒えて、服が破れてさらさらとした肌が露出している。2階は、どうやらそれぞれの自室があるようだった。部屋は左右に2つずつ、わかりやすい造りで、とてもじゃないが隠れるのには向いていないだろう。
私はそのまま廊下の突き当りにある窓を破って屋根の上に登る。そして、屋根の上から下へ斬撃を飛ばす、4つの辺それぞれに1回ずつ。
「よく逃げたな。人間は弱い。鬼という上級生物を前にしては、無理もないか。」
「さあね、思い込みかもよ?」
「……。一撃で仕留めてやる、構えろ。」
「そっちこそ、覚悟が足りないんじゃない?」
私には、試したいことがある。桃斬童子の時から疑問に思っていた。鬼に物理は効くのかどうか。私は刀を消して、両手を上げる。
「どうした、降参か?だが、僕は認めない!」
私は勢いよく両手を下ろす。それと同時に、2階部分が崩れた。ヒビが入り、大小交じる瓦礫が、私達と一緒に下へ落ちる。この土地の下には、水脈が流れている。それも、かなり大きな水脈だ。ちょうど、この家の1階部分がまるまる埋まってしまうほどの。1階は、そこに落とす。そして、その1階分まで、瓦礫と螢は自由落下で落ちる。私は崩すと同時に飛び、少しだけ、螢より遅く落ちるようにした。
1階分の水が、地表に流れ出て、瓦礫のすぐ下を流れている。私は、霊視で螢を探した。少し大きい瓦礫のすぐ下に、螢はいた。鬼にも物理は効くらしい。腕が折れ、強く打ったのであろう頭部からは、青い血が流れ出て、目は瞳を失っていた。
「さすがに、この状態の鬼を殺すのは忍びないかなぁ。」
私がそう呟くと、目がぐるりと戻り、螢は立ち上がった。
「あ、起きてたんだ。」
「この程度では鬼は死なない。……腕もすぐ治る。」
その言葉通り、腕もぐにゃりと動いて元の形に戻った。
「卑怯なことを考えるものだな。」
そう言いながら、蹴りと同じくらい速く、螢は掌底で私の蟀谷を打った。一瞬、視界が暗くなったが、私の霊力が体をすぐに再生する。視界が見えると同時に、私は螢の霊力源を手刀で貫いた。
「な……。」
一瞬の同様の後、螢はすぐに膝蹴りで反撃を試みた。私は手を抜き、後ろに引くことでそれを躱す。
「ああああああぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
長い長い叫びを上げながら、螢はまっすぐに、ただまっすぐに、拳を振り上げながら私の顔を、腹を狙う。右も、左も躱されたら、今度は脚で顔を狙う。横蹴りに蹴上げ、回し蹴り。その全てが、私の命を奪えるほどの威力だが、私には届かない。私はもう一度と飛んできた蹴りの軌道を変え、不完全な体勢のまま繰り出された左のフックを掴んで軸足を払い、宙に浮いた螢の身体を瓦礫を突き破るほど強く蹴り飛ばす。私も走って螢の身体に追いつき、もう一度、今度は反対側に蹴って身体を止め、思い切り、顔を潰す。
霊力源が失われているから、もう再生することはないし、こんなことをしなくても、じきに螢の身体は自然消滅しただろうが、私の中の何かが、そうさせなかった。梨里ちゃんに大して情があるわけでもないし、その家族になんて言うまでもない。ただただ、私の身体が勝手にそうした。――それだけだった。
ゆっくりと消えてく螢の体を私は見つめていた。悪い鬼じゃなかったなんて、人間視点ではとても言えない鬼だ。本来なら、もっと痛めつけてから殺したいくらいだった。
「よくやりますねぇ。藤樹さん?」
ふと、後ろから、いるはずのない相手の声が聞こえた。冷静に考えれば、一秒も立たずにわかったはずだった。お前は、ここにいないだろう、と。けれども、私は反射的にその声に答えてしまった。
「まあね。最強だから。朝も言ったでしょ?優愛ちゃん?」
私は後ろを振り向いて絶句する。そこにいたのは、優愛ちゃんだった。
朝と全く同じ服を着て。
朝と全く同じ声で。
朝と全く同じ笑みを浮かべた。
朝と全く同じ、野田優愛だった。
「なんで、あなたがここにいるの?」
「瑠衣ちゃんが気になって、ついてきちゃった。」
「違う。私が聞きたいのは、なんであなたが結界の中にいるの?ってこと。」
「そりゃあ、拒まれなかったからでしょ?結界に。」
違う。そうじゃない。私が正しければ、お前は拒まれるはずなんだ、結界に。そう思いながら、私はもう一度、紛れもない、私の頭の中の、今朝の優愛ちゃんと全く同じ、寸分狂わない優愛ちゃんを見る。そいつは、見れば見るほど野田優愛で、聞けば効くほど野田優愛だ。それでも、私にはわかる。
「お前は優愛ちゃんじゃない。お前は、あの時の応声虫だろ!?」
「バレちゃったか。」
それはぬるりと姿を変え、桃斬童子の姿を取った。
「さすがにさぁ、千年もつくと……っ。この姿が1番落ち着くんだよね。」
「……。」
「ああ、なんで俺が生きてるか、だっけ?」
私は静かにそれを睨みつける。それは、独り言に「ははっ」と笑って不気味に顔を歪ませながら続けた。
「答えはすごく簡単だよ。単純に、俺達を倒すには、ちゃあんと、手順を踏む必要があるのさ。もちろん、霊力源を潰してしまえば、そりゃあ……死ぬんだけどね。それは、独立していたら、の話。他の生物に寄生していたり、それが解けた直後とかは、特にね。」
「私は、宿主も殺したし、お前の本体がついていた腕は切り離した。それに、あの山の崩壊でお前の霊力回路も潰れていたはずだ。」
「それが、潰れていなかったから俺は今、ここにいる。確かに、奇跡のような確率だけど、ありえない話じゃあない。お前は、低級に分類されている俺を、殺しそびねたのさ。それも、ただの応声虫じゃない。鬼の、それも特別製の鬼を写し取った、最強の応声虫だ。今はお前に勝てないが、いつか俺はこの力を使ってお前を殺す。俺の相棒を殺したお前を、必ず殺す。」
表情もまだ細かくは動かせないのだろう。妙に笑っているようにも見える顔で、彼は力強くそう言った。
「自殺願望でもあるのか?それなら今、私が殺してやるよ!」
私は霊力を抜き身のまま呼び出して左から右へ薙ぐ。しかし、霧を切ったかのように一瞬、像が揺らぐだけで、血も流れなかった。
「無駄だよ、俺はこの世界にいないから。」
私は、それでもなお、刀を振り続ける。
「可哀想に、こんな言葉を理解する心もないのかい?それじゃあ、もう通信は切るから、じゃあね。研究所の皆さんにもよろしく。」
私の剣撃が止まる。なぜ、お前がそれを知ってるんだ?
「まあ、それどころじゃないかもしれないけれど。」
本編第二編「封鬼高校」第六話「螢」でした。お楽しみいただけたでしょうか?お楽しみいただけた方は、高評価、感想もぜひ、お願いします。作品の質を向上させるための誤字報告も、常時受け付けておりますので、見つけた方は報告してくれると嬉しいです。それでは、次のお話でお会いしましょう。




