番外編其ノ五 蛇崎家
「はぁー。」
蛇崎家当主蛇崎斑は、自室で深い溜息をついた。というのも、今日は長年の友人である村田終夜と飲みに行く約束だったのにもかかわらず、蛇崎家に居座る貧乏神――彼がそう呼んでいるだけで、その実は甥なのだが――のせいで、断るしかなかったのだ。それも、終夜が飲み屋についたと連絡をくれたときに、だ。終夜は快く受け取ってくれたが、この年になるともう、なかなか友人と会う機会もない。ましてや、全員が国の機密に近い存在である自分らが、こうも気軽に会えるのは、年に数回あればいいほうだ。
(仕方がない、歴代当主の日記でも読もう。)
やることが終わった斑は、気晴らしに数代前の当主の日記を手に取った。
―弐拾肆代目の日記―と書かれたそれは、約1000年前のそれだった。おそらくは、日本語や歴史の研究者にでも渡せば、それなりに価値のあるものだろうが、まだらにそんな気は更々なかった。なにか、あの貧乏神を大人しくさせる方法は無いものかと、そっちのほうが、斑にはよほど興味のあることだった。
霊能界の大家の中でもトップの歴史を誇る蛇崎家は、かの透石家よりもよほど長くこの業界にその身を血を投じてきた。蛇崎家は遺伝不可の霊力を、遺伝させる方法を編み出した最初の家系だった。その歴史が証明するのは、蛇崎家が流してきた血の量であり、己が先祖の努力であり、そして己の両肩にかかるプレッシャーの数だった。
斑は、パラリ、と音を立て古い紙をめくり、最後のページを開いた。
蛇崎家当主の日記が四冊を超えることはほとんど無い。その歴史の中で、四冊を超えて日記を綴ったのは、この弐拾肆代目ただ1人。当主になってからの日記だから、そこまで詳しく当人のことを探ることは出来ない。更には、書いてあることもだいたい同じで、霊能のこと、家のこと、そして当主交代のこと。しきたりにルール。この日何があったかはもちろん、当人に迫りくる死の恐怖まで。
こと細やかに、そして生々しく――。どんな小説よりもリアルに、どんな映画よりも現実に即して描写されるその日記は、斑に人生の終りが近づいていることを、何よりも忠実に示していた。どんな数字より、斑にとってはこの日記の厚みが、そしてそれに日に日に近づく自分の日記が、斑にとっては怖かった。
誰だって、積極的に死にたくはないはずだ。それこそが、斑の座右の銘だった。自殺を願うものにも、安楽死を願うものにも、必ず理由があって、つまりは人生が楽しい間は、積極的に死のうとは思わないだろう。決めつけかもしれないが、少なくとも斑には、一番しっくりくる言葉だった。
斑は日記を置き、硯に向かう。墨を擦って墨汁を作る。当主になってはや20年。霊能界のあの悲劇の直後から当主になって毎日のように書き続けた日記は、おそらく歴代当主の中で最も多いだろう。歴代当主からしてみれば、もう十分すぎる程度には自分が生きていて、羨ましくすらあるだろう。それでも行きたいのが人間で、せめて孫の顔は見たいと思うのが年寄りだ。
「ふぅ、こんなものか。」
書きたいことを綴れるようになり、もはや一発で書けるようになってしまった日記は味気なさすら醸していて、そしてどれだけ頭を捻っても、これ以上の文章が出てこない自分の頭に、能力に、成長の限界を感じる。――もう、自分は年をかなり食っているのだろうと、鏡のないこの家で、自分の年を感じるのは、人間の変化と体調の変化だけだ。
文房四宝を整え、新しく書いた日記を持って妻のところへ持っていく。神棚に日記を供え、手を合わせる。本来ならば妻が手直しを入れ、それを清書するのだが、妻のいない自分は、こうやって毎日のように日記を供え、妻に見せる。もはやその動作は習慣化され、20年たった今、斑の中に妻の声はなかった。「奥方様も喜んでいます」などと、霊力すら持たない傍系の者たちが言うが、私の目に、肌に、ピットに、妻の姿はない。
妻は20年前の蓋棺虚神の出現に巻き込まれ、村田終夜らの到着の前に死んだ。――否、消滅した。
それ以来、私は妻と何を話したのか、妻がどんな人間だったのか。何一つ、思い出したことがない。
蛇崎家の当主は、蠱毒によって選ばれる。家系譜上の同一世代を年に関係なく集め、8度結界の張られた1つの土地の中で最後の一人になるまで戦わせる。もちろん、始めこそ建物も、食い物もあるが、終わるまでに丸1月を要することもあるその戦いの終了頃には全てがなくなり、食人を強いられることもある。
運よく斑は戦わずして生き残ったが、蠱毒の王としての呪は彼に降りかかり、呪いの詩を聞きながら、20年あまり、生き続けた。
ヘタレで臆病、戦わない霊能者、蛇崎家の恥当主。彼に日々降りかかる自身の贄たちの恨みは、彼の精神を蝕み続ける。祈りを捧げるこのときだけは、呪いの詩も止み、彼と一緒に祈りを捧げる。
だから斑は毎日祈る。妻の声も顔も性格も、何一つ、思い出すことは出来ないが、彼はそれでも毎日祈り続ける。ただ一息の、休息を求めて。
斑が祈りを捧げていると、部屋の襖がノックされ、「失礼します」との一言の後に静かに開かれる。そこに座っているのは、傍系の家の男だった。
「当主様、お食事のご用意が出来ました。」
「あぁ、わかった。部屋に運んでおいてくれ。」
「かしこまりました。」
再び静かに襖が閉じられると、斑は妻の位牌に目を向ける。大して信心深くない斑はこうしていると、地獄や天国などというものはまやかしに過ぎないのではないかと思えてくる。藤樹瑠衣や石谷空音、そして村田終夜なら、その答えを知っているのかもしれないが、少なくとも他の世界を見通すことの出来ない斑にとって、おおよそ地獄と呼べるものは当主選抜のときの蠱毒の中だった。
「斑、私の話を聞いてくれないか?」
ある日、村田終夜と飲んでいたとき(彼は泡立てた麦茶とかいう、気持ちの悪いものを飲んでいる)そう切り出した。今思えば、彼にはこのとき既に結末が見えていたのかもしれない。
「何だい?」
「新しい研究所の支部を作りたい。」
「それは、作ればいいんじゃないか?」
別に、一介の霊能者に相談することでもないだろう。彼が長なのだから、上で決めればいいことだ。
「普通ならそうするところだが、今回は、理由が違う。新世代の育成を目的とした、若い研究所さ。」
「若い?」
「そう。若者だけで構成した研究所。新世代の育成を行うための、教育現場としての研究所さ。」
正直、狂っていると思った。教育など、大家においては家で行うし、野良の霊能者の育成など、それぞれの研究所で行えばいいことなのだ。もしくは、そういうカリキュラムを本部で作ればいいだろう。
「違う違う。私が目指すのは、若人たちの若人たちによる全く新しい研究と制度だよ。今の霊能界じゃあ、来たるべき日に備えられていない。」
「蓋棺虚神の、脱走か……。」
20年前からずっと、霊能界で囁かれている悪夢の再来。いつ起こるかもわからない日に、上層部は備えていない。それは、我々の怠慢であり、惰性だが。現状打つ手がないというのも事実、それに備えるというのは、途方もない話だった。
「そう。現状、将来的に蓋棺虚神に届くのは、藤樹瑠衣……私の教え子。と陸奥守駿と石谷空音、そして私と斑だけだ。」
「透石偉黎はどうした。」
「あれは、数えられないだろう。――犯罪者なんだから。」
「それもそうだな。」
犯罪者は数に入れられまい。
斑はその考えに至ったところで、抹茶を一気に飲み干す。温かい感覚とともに、上品な苦みが口の中を満たす。そして鼻から抜ける茶葉の香りが、彼になんとも言えぬ満足感を与えた。
「つまりは何だ、その面子に匹敵する人間で、かつ同世代のやつを蛇崎家からだせとな?」
「そういうことになるな。研究所と仮にでもそういうのなら、そういうやつを集めなければなるまい。」
「管理者はどうする。」
「井宗に任せようと思っている。彼なら、安心だからな。」
「なるほどな。」
だせる人材がいない、といえば嘘になる。1人、斑の娘である白は、いずれは彼ら彼女らに匹敵する逸材だろう。正直、彼女の霊力回路が出来たとき斑は恐れ慄いた。今まで見たことがないほどの美しさすらをもはらんだ、最高傑作の霊力回路。その美しい霊力回路から放たれる霊能は、村田終夜のそれに非常に似た、とても美しい霊能だった。だが、威力は到底及ばないし、人工ゆえの危うさも常に持っていた。それでも、斑は白が石谷空音や陸奥守駿に劣るとは、思っていなかった。むしろ、圧倒さえするだろう――、と。
「後々、連絡しよう。考えておく。」
「期待しておくよ。」
終夜は、静かに立ち上がり、丁寧な、されど何かに対して勇んだ足取りで部屋を出た。
終夜が部屋を出た後、斑は大急ぎで白を偉黎の下から呼び戻した。
「わかりました。つまり、偉黎様の下からその新しい研究所へ所属を変えるのですね。」
「あぁ、すまない。霊能界の大家として、我々がこの動きに乗らないわけにはいかなくてな。」
「いえ、当主様の御指示とあれば、私はいつでもその通りに動く所存です。」
「そうか。さすがは、今代のエースだな。ぜひ、次期当主まで上り詰めてくれよ。」
「えぇ、そのつもりです。」
白はそう言って、斑の部屋を後にした。
蛇崎家当主は、実の子に対して親として関わることを禁じられている。蠱毒に、無駄な操作を行わないようにするためである。斑は白の背中を見るたびに、妙な感慨深さにとらわれる。普段は会えないがゆえに、その大きさは会うたびに増していく。
ああ、またこんなに大きくなって。
ああ、俺もそれをお前のそばで見ていたかったな。
そうか、そんな事があったのか。
ああ、当主でなければ、娘ともっと一緒に入られたのだろうか。
白の成長を、見れたのだろうか。人生を、共に歩めたのだろうか。
当主でなければ、蛇崎家でなければ、霊能者でなければ――。
白に会うたびに、そんな想いが斑の中で蜷局を巻く。斑は何度も、自分が父親なのだと言いそうになった。その度に、死人が斑に語りかける。
「お前が当主の規則を破ったら、俺達はどうなるのだと。」
その言葉一つで、斑は何も言えなくなる。いくら恥晒しの当主といえども、せめて死に様と生き様は、自分が殺した者たちに胸を張れるようなものでありたい。――いや、そうでなくてはならない。殺したものが、快楽殺人者では、殺されたほうが哀しい。殺したものが、真っ当なものであれば、幾分かは納得できる節もあるだろう。だからせめて、斑は彼らに胸を張れるような生き様をしようと、良き当主であろうと努力する。
たとえそれが、実の娘に会えないものであろうとも。
たとえその生き方が、生き様が、己の中で蜷局をまこうとも。
斑は正座し、目を閉じる。そして、思いだ出す。あの、蠱毒の日を。その日斑は、大量殺人を犯した。
「現当主、蛇崎蛇牙様がお亡くなりになりました。そのため、これより次期当主を選定いたします。」
その一言で始まった蠱毒は、歴代最速で終了した。
開始直後、結界が閉じられるのと同時に、バラバラの場所に置かれた蛇崎家の現役霊能者たちは、地獄を見た。なにか大きな霊力を感じて、周りを見渡したら、その異変には数秒気づかなかったけれども、何かが落ちてきて、地面が何だが柔らかくなってきて。各々が気づいた。斑の微笑みに。
空から
土から
壁から
服から
掌から
手の甲から
耳から
爪から
靴から
足から
脚から
脛から
太腿から
髪から
小さな小さな、それはそれは小さな、
青大将が
縞蛇が
地潜りが
山楝蛇が
日計が
白斑が
蝮が
高千穂蛇が
湧き出て潜って噛みついた。そうしてできた傷からは、また小さな小さな蛇が生まれて、湧き出て潜って噛みついた。
血なんて出ない。
斑は平和が好きだから。
血なんて見れた、もんじゃない。
湧き出て潜って噛みついて、指数関数的に増えていく小さな小さな蛇たちが、結界の中を満たすのにかかった時間が15分。異変に気づいた役員が、結界の中を見るまでが15分。そして、斑の狂った笑い声が響き渡ったのも15分。
当主決定の蠱毒。
歴代最速の15分。
どうしても生きたい男、斑の狂いに狂った策略。
生きてなんぼのこの世界
たくさん生きたい斑が取った
狂いに狂った願望は
やはり斑を狂わせて
生きたい斑は死を望む
二羽のうさぎを望んだ者は
やっぱり一兎も取れなくて
零と壱の間で踊る
だけど斑は諦めない
狂いに狂った願望を
今でも抱いて踊ってる
今日も今も踊ってる
無限の部屋で踊ってる
「失礼します。」
白は、研究所に行く前に父の部屋を訪れていた。白蛇は、日本では神の使いと言われている。神に愛されている蛇崎家では、生まれながらに白蛇をだせる白は天才と呼ばれた。
愛されて
尊敬された
初めて会ったときに、白は直感していた。この男が私の父だと。この男が、私に白蛇を与えた人間だと。それと同時に白は決めていた。いつか必ず、この男を殺そうと。それは、いつでもいい。でも必ず、この男が誰かに殺される前に、必ず自分の手で殺そうと。他の誰かに自分を祝福した人間を殺される前に、必ず自分の手で殺そうと。
それがたとえ、彼自身であっても。
「白、準備はできたのか?」
「はい、つつがなく。今日の昼には、ここを発つ予定です。」
「そうか。新しい場所でも、白なら巧くやると信じてる。」
白には見えていた。彼の首を絞める、大きな大きな幽霊が。彼に殺された、大きな大きな怨念が。彼が死にたがっていることも、白にはやっぱり見えていた。
一日一回は、毒を吐かなきゃいけないから。
今日の毒は、パパに使ってあげる。
生死を望んだ狂人に
望んだ死をあげたのは
やはり狂ったその御子に
己があげたその力
最後まで
己が親とは言えずとも
やはりその子は知っていて
親に牙を向いたとき
心の臓に牙をたて
一思いにしとめたり
結びに一言言いたるは
おやすみと
己が親を労って
心残りなく
送りけり
傷一つなく、綺麗に死ねるように作った白の霊能は、とても綺麗に父を殺した。白は、その死体をとても満足そうに見ていた。そして、何もない場所に語りかける。
「残念だったね。君たちに、パパはあげないよ。だって――。」
パパは私だけのパパだから。
番外編「蛇崎家」です。お楽しみいただけましたか?今回は詞混じっているので、かなり雰囲気が変わったと思います。好評だったら、今後も番外編で取り入れていきたいなと思っています。面白かったら、高評価とコメントと高評価もしてくれると嬉しいです。




