第五十四話 前を見ろ
月夜の晩に、焦げ臭い臭いと共に明かりが灯る。
普段の平原は様々な草花が一年中彩りを絶やさず、人々だけで無く、動物やモンスターですらもその色鮮やかな景色に心を癒され、心を浄化されるような気分を味わえる。
広い街道に面し、行き交う行商人や旅の人々の目の保養としても重宝されている。
他にも、様々な地方の草花が多種多様に自生している為、多くの研究者の研究対象にもなっている。
そんな自然から多大な恩恵を受けた天然の楽園であるソナニウム平原は今――地獄そのものだった。
伯奇の鼻先から放たれた炎。
魔術の類であるそれは、待機中に含まれるマナを鼻先から吸い取り、それを高温の炎に変換して解き放つ。
鼻先から溢れんばかりのマナを吸い集め、それを一度体内に留める。
爆発寸前のエネルギーの塊の爆発を先延ばしにし、その後一気に解き放つ時の威力は想像を絶する。
放たれた一度目の火炎で、討伐隊の半数以上の負傷者が出た。
討伐隊の放った『複合版フル・ゴーカ』とは比べ物にならない威力のそれで、平原の草花は一瞬にして灰燼と化した。
燃えカスすら残らない、焼けた瞬間から灰となるその光景にアルベルにあの日のトラウマが蘇る。
村の民家が焼け落ち、人間の肉が焼ける吐きそうな程の異臭。
飛び散った血液すら焦げる炎の温度。
村の入口に倒れている致命傷を負った王国騎士団の団員。
震えるソーニャの手を引いて、お互いの父親を探している時の心臓の鼓動。
転移魔術『ワープ』を通り抜けた先にいた怪物と父親達。
父親達の一方的な戦闘の末、倒れた怪物。
勝ちを確信した次の瞬間に訪れた絶望。
その時の影響でただの扉ですら今や通り過ぎるのが躊躇われる。
「あ、あぁ………!!!」
脳みそが掻き回される。
目の前で人間が燃えていく。
目の前で仲間が倒れていく。
炎の魔術の情報は持っていた。
それなのに人が燃えて傷ついていく。
俺がいたのに――人が死ぬ。
「俺が……!!俺がぁ……!!」
アルベルは立ち上がる途中で膝をついて地面を見下ろす。
気配まで感じ取れるのに役に立たずして人が死ぬ。
簡単に勝てるかもなどと淡い期待を抱いたばかりに人が死ぬ。
俺がいるから――人が死ぬ。
しかし容赦の無い事実がアルベルに迫る。
目の前の光景に打ちひしがれているアルベルに伯奇の巨大な鼻が振るわれたのだ。
捕食者が捕食対象の事情など加味するハズも無い。
推定百mのそれは容赦無く風を押し退けながら迫ってくる。
「――!!」
俯いているアルベルは突然体が軽くなるのを感じた。
そして俯く視界では地面が遠ざかっていく。
するとやがて視界には伯奇の巨大な鼻が通り過ぎた。
地面は抉れ、岩の破片も飛び散る。
鼻が振るわれた風圧によって、現在より更に高く飛び上がる。
少しして地面の感覚が体に戻った。
アルベルを助けた誰かが着地したようだ。
最も、誰が自分を抱えたのか、それをアルベル自身は、声を聞く前から分かっていた。
「何をしている!!立たんか馬鹿者が!!」
女性らしいが、少し低めの声がアルベルを一喝する。
そう、アルベルはデルミアの脇に抱えられて救出されたのだ。
アルベルが自分を助けたのが彼女だと気づいたのは、彼女の現在の体型からだった。
先程まで雄々しい筋肉質の男性の見た目をしていたが、アルベルを助ける為に女性の姿に体を戻していた。
この戦場に、両の掌で腰を囲えてしまいそうな程腰が細いかつ、力が強い人間は一人しかいない。
「デルミア………」
アルベルは顔を上げる。
すると、半目だったアルベルの目が限界まで見開かれた。
その理由は、デルミアの息が上がり、片腕を押えているのが見えたからだ。
そこからは血が止まらずに流れ落ちる。
絶望に染まる目に拍車がかかる。
「――!!デルミアお前……血が……」
「これか。大した傷では無い、皮膚などヤツにくれてやる。」
デルミアは抑えている腕を隠すように体を動かした。
しかし、腕が動いた軌道上に数滴の血が残って落ちた。
「す、すまねぇ!……俺が……俺のせいで……」
アルベルの声は掠れ、震え、彼の胸を締め付けるように漏れ出した。
膝を地面につけたまま、彼はデルミアの腕から零れる血を見つめる。
それは地面に赤い花のように広がり、彼の心を更に深い絶望の沼に引きずり込む。
「……俺のせいで、人が死ぬんだ……!」
その言葉を聞いて、デルミアの眉が動いた。
彼女は短く息を吐き、表情に険しさを宿した。
そして、苛立ちを露わにしながら膝を曲げ、へたり込むアルベルに向き直った。
「聞け、アルベル。」
デルミアは静かに、だが凍てつくような冷たさを持った声で口を開く。
「死人が出たのは確かだ。だがそれが全てではない。全員が死んだわけじゃないのだ。」
「……だからって……死んだ人を簡単に「さようなら」ってして良い訳じゃ無ェ……」
アルベルは再び俯く。
目の前に広がる光景を見る勇気を彼は持っていない。
誰も知り得ない、彼が平和ボケした日本で育った、ただの青年だったという事を。
「だが我々には集団としての目的がある。それを遂行する為に仕方がなかったのだ。」
アルベルはその言葉に目を見開く。
"仕方がない"
そんな言葉で簡単に分類しやがる。
そんな思いがつい口から吐き出される。
「――っけんなよ……」
「アルベル――」
「ふざけんなよ!人が死んで「仕方がなかった」で済むと思ってんのか!?」
声を張り上げると、彼の言葉は戦場の喧騒の中でも異様なほど響いた。
「あのシャーフェリアの騎士や聖流一家の連中にだって未来があって、希望があったんだ!!そんな奴等を俺は知っているハズの情報を上手く使えず、その結果あいつ等が死んだんだ!!俺のミスが招いた結果なら、俺が殺したも同然だ!!それをやった俺を!俺は恨まずにはいられねェ!!」
デルミアは憤りを露わにするアルベルの事を黙って見つめる。
アルベルは震える拳を地面に叩きつける。
土埃が舞い上がり、その勢いでさらに言葉が紡ぎ出される。
「俺は……!俺はあいつらを助けたかった!俺がもっと早く動けてたら!もっと強かったら!あいつらは死なずに済んだかもしれねぇんだ!「仕方がない」なんて言葉で片付けられるなら、俺は一体何のためにここにいるんだよ!?俺に出来る事をやるだなんて大層な事言って何一つ出来やしねェ!」
一度は打たれた心。
しかし、何度励まされようが、現実にブチ当たれば実感せざるを得ない。
やはり己では何も出来ず何も変わらない……と。
「結局俺に出来る事なんてたかが知れてたんだ!どうせ俺は、弱くてちっぽけな無能だったんだよ!」
叫び終わったアルベルの前のデルミアが伯奇の方を見つめる。
伯奇は焼け焦げた草花や、たまたまその場に現れた動物を捕食している。
すると一つの言葉が宙を舞う。
「ならば――」
静かに歯ぎしりをしていたデルミアはアルベルの胸ぐらを掴んで持ち上げた。
そして己の顔とアルベルの顔を近づけ、鬼のような形相で叫ぶ。
「ならば、立って闘え!絶望に抗え!壊れた運命を受け入れるな!全てを拾おうとするのならば、肉片になるまで闘え!愛する者を失わぬ為、守り抜く為に闘え!!」
デルミアの怒声が胸を突き刺し、アルベルは息を呑んだ。
だが、彼の目はまだ虚ろで、地に縫い付けられたように動かない。
「あれを見ろ!」
アルベルはデルミアの指差した後衛にいる回復部隊の方に目だけをやった。
するとそこには体の至るところに火傷を負った者や、四肢の一部が欠損している者もいた。
「治療を受けた者、治療を今もなお受けている者、彼等の姿を目を逸らさずに見ろ!」
アルベルは恐る恐る彼等の方に目だけでなく顔も向ける。
きっと絶望に暮れ、炎魔術の回避指示が遅れた俺を恨んでいるに違いない。
しかし、実際目にした彼等の姿、その目には陰りが無かった。
「彼等はすでに、直接の戦闘を継続する事が不可能な者達だ!ある者は脚を失い、ある者は腕を失った。だが彼等の目はどうだ!希望を捨てているか?未来を諦めているか?……彼等はもう武器を持てないのか?武器を持たずにいられるのか?」
アルベルが振り返り目を向けた回復部隊の周辺では、薄汚れた布が負傷者たちの傷を覆い隠すどころか、滲む血で赤黒く染まっていた。
「――否!我々騎士の武器とは心の在り方だ!諦めず、下を向かず、最後まで敵を見据える勇気だ!群れる事を知らず、己の力ばかりを誇示している魔獣王には到底理解の出来ん、人類最大の武器だ!」
一人の回復部隊の者が、必死に回復魔術使い、手を止めることなく声を張り上げて指示を出している。
その横で、片腕を失った若い兵士が苦痛に顔を歪めながらも、震える手で仲間を励ますように何かを囁いていた。
そしてそこにデルミアの言葉も重なる。
「顔を上げろ!前を見据えろ!敵も味方も、殺す相手の事を億さず見続ける!直接闘えぬ彼等が諦めていないというのに、五体満足な我々が顔を逸らし、諦める事が許されるの理由がどこにあるというのだ!!」
デルミアはその言葉を言って、アルベルの胸ぐらから手を離した。
「人生に『たられば』は無い。我々は死なないように、守るために闘うのだ。それを踏みにじるのは同胞とて許せることではない。」
デルミアはそう言うが、力無く地面にへたり込むアルベルは小さく震えているままだった。
そしてしばらくして震える口を動かし始めた。
「……俺にだって、分かってるんだ……何も無しに何かを得ようとするのは間違いだって事は……」
アルベルはかすれた声で言った。
その手は未だ地面に置かれたままだが、拳を握る力が徐々に強まっている。
デルミアはその様子をじっと見つめ、静かに息を吐いた。
「分かっているなら、行動で示せ。お前の口だけの後悔に誰が救われる。何が変わる。」
デルミアの言葉は、冷たい刃のようにアルベルの心に刺さる。
だが、それはただの責めではなく、どこか叱咤にも似た力強さが込められていた。
戦場はなおも騒然としていた。
焦げた土と血の匂いが風に乗って漂い、足元には倒れた仲間達の剣や盾が転がっている。
近くにいた回復部隊の一人がこちらを見た。
その目には疲れがあったが、決して希望を捨てた色はない。
アルベルは無意識にその視線を受け止めた。
火傷を負い、包帯だらけのその者は、かすかに微笑んでいるように見えた。
「どうして……」
アルベルは震える声で呟いた。
「どうして、あんな目をしていられるんだ……」
デルミアは流し目でアルベルに言う。
まるでその言葉に間違いが無いと信じているかのように。
「単純だ。希望を捨てることが、戦場で死ぬよりも怖いからだ。あいつらは、命が尽きようと希望を武器に変えて戦い続ける。それが人の強さだ。そして、それはお前にもあるものだ。」
アルベルは顔を上げた。その瞳には、微かな光が戻りつつあった。
「……俺にも……?」
「ああ、お前にもだ。だが、それを使うか否かはお前次第だ。死者を悼むのは当然だ。だがなアルベル。死んだ者たちはお前に何を望むと思う。泣き言を吐き、膝をついてその場に崩れ、死んだ者への謝罪をし、最後には諦める。……死んでいった者達がそんな事を望んでいると思っているのか。」
その問いに、アルベルは何も言えなかった。ただ、歯を食いしばり、静かに首を横に振る。
デルミアはその様子に小さく頷く。
「そうだろう。ならば答えは簡単だ。立て。剣を取れ。我々がここで諦めてはそれこそ死者への冒涜だ。彼等の死を無駄にせぬよう、今我々が闘うのだ。」
デルミアが手を差し出した。
アルベルはその手を見つめ、迷いを抱えながらもゆっくりと手を伸ばす。
すると
「そろそろ来るぞ!」
伯奇を見ていた騎士が大声で叫ぶ。
死骸や燃えたものを一通り食べ終わった伯奇がこちらに迫ってくる。
アルベルはデルミアの手を掴むと、力強く立ち上がった。
その目には、かつての弱さの陰がまだ残っていたが、それでも一筋の決意が灯っていた。
「……やるよ。俺にできること……やってみる。」
デルミアは満足そうに笑い、アルベルの背中を軽く叩いた。
「それでいい。それが、生き残った者の務めだ。」
その場にいた部隊の者たちが、二人を見てざわめいた。回復部隊の一人が声を上げる。
「私たちも戦います!できる限りの力で!」
それに応じて、周囲の騎士達も次々と頷いた。
誰もが疲れ切っていたが、諦めてはいなかった。
その場に集まった者たちは、いつしか一つの意志を共有していた。
「なんや、兄ちゃんが落ち込んどるから声かけよぅ思たのに、全部ネェちゃんに持ってかれてもうたな……ってありゃ?最初っからネェちゃんやったっけ?あのゴッツイおっさんはどこ行ったんや……?」
伯奇の背から尻尾を伝って降りてきたバダロが戻りながら言う。
幸い彼等に怪我は無さそうだった。
「それ以上の詮索は御遠慮下さい。『エンリルの穴は底がない』程に深い事情があるので。」
ビンスの久しぶりの諺が出てきて、アルベルは少しだけ、心に余裕を取り戻した。
その後、アルベルは深く息を吸い込み、デルセロを握り直した。
そして、彼の視線は遠くに見える伯奇の姿を捉えた。焼け焦げた草原の中で、悠然と佇むその姿は、まるで絶対的な支配者のようだった。
「……デルミア。」
アルベルは低く言った。
「あいつを倒す。みんなで、生きて戻るために。エリナやメグはもちろん、ソーニャの心を救うために。」
デルミアは満足げに頷き、剣を引き上げた。
「その言葉、忘れるなよ。……総員――これより反撃を開始する!!」
デルミアが大剣を掲げ、その場にいる全員が同意の声を発した。
討伐隊の叫びが戦場を震わせたその瞬間、伯奇が咆哮を上げた。
伯奇の黒く光る体毛は濡れた地面と同化し、霧のように立ち込める瘴気をまとっている。
そして生き残った討伐隊、総勢402名――彼等の全力の反撃が今始まる。
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