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第5話 濁り

 


「やっぱり……」


 教室には既に3人の生徒がいた。男子が1人。女子が2人だ。


 1番奥。つまり左端列先頭。そこに座る男子。

 彼はクラスの中でも比較的早く登校する1人だ。勉強熱心なようで、教室に入るなりイヤホンを耳に刺して参考書と睨めっこの毎日だ。でも早起きは苦手なのか、これまでの登校時間にはバラツキがあった。今日は無事に起きられたようだ。

 名前は確か向井(むかい)君。190cm近くある長身と、ヒョロっとした体型が合わさって弱々しい印象を受けるのが特徴だった。


 これまで、彼とは教室で2人っきりになることが良くあった。でも特に話したことはない。お互いに不干渉な関係だ。


 教室の真ん中。隣り合って座る談笑中の女子2人。

 この時間に登校しているのは珍しい。バスケ部の(みなみ)さんと、水泳部の雪平(ゆきひら)さん。所謂クラスのトップカースト女子だ。

 もう1人、美術部の(さかき)さんがいつも一緒にいる。姿が見えないということは、まだ来ていないのだろう。仲良し3人組と言っても、登校時間まで一緒とはいかないようだ。


 向井君はともかく、出来ることなら女子2人には居て欲しくなかった。

 一度深呼吸を挟んでから、扉に手を掛ける。


「……おはよう」


 腕を横に動かしながら小さな挨拶を溢す。扉が開く音で声の上書きを狙った。

 ──ガラリッ。

 パッと振り返る女子2人。あっさりバレた。慣れないことはするもんじゃない。

 目が合った。彼女達の表情はすぐに陰った。


「ああ、うん。おはよう九重君」


 僕の声が聞こえていたようで、挨拶を返してくれる南さん。さっきまでの笑顔が嘘のようだった。正解の表情が分からずに、視線が右往左往している。


「……ッ」


 南さんの挨拶に、小さな舌打ちが紛れ込んだ。雪平さんだ。もう顔すらこっちに向けていない。ガン無視の姿勢だった。

 南さんが焦ったように、雪平さんの肩に手を添える。


「ちょっ、やめなよ茉莉(まり)ぃ」

「別に良いでしょ。私、彼のこと嫌いなのよ」

「いや、思う所あるのは知ってるけどさぁ……」


 聞こえてるんだよなぁ。

 例え小声でも、人の少ない教室では丸聞こえだった。


 南さんは同じ中学出身だ。それなりに付き合いもある。ただ雪平さんは別だ。これといった関わりはない。なのに僕は嫌われている。気づいたらそうなっていた。

 クラスメイト。僕と彼女の関係はその一言で完結する。それ以下はあっても以上はない。だから彼女のことは何も知らない。邪険にされる理由は幾つか思い浮かぶものの、推測の域を出ないものばかりだ。結局は放置しか出来ていなかった。


 知っている男子()を一方的に嫌う友人(雪平さん)。目の前でバチリと弾ける火花。今1番気まずいのは間違いなく南さんだ。申し訳ない。


「良いでしょ彼のことは。本人も気にしないわよ」

「えぇ……」


 南さんがチラチラと目線を送ってくる。プラプラと手を振り返す。気にしていないことは伝わったようで、彼女は1度目を逸らした後に苦笑を1つ溢した。


「そういえばこの前……」

「ああ、うん……」


 雪平さんが話題を切り出して、南さんの注意を引き戻す。2人の視界に僕はもういない。それなのに、肩を抑え込まれるような感覚は無くならない。

 この感覚が嫌いだから、いつも早朝に登校しているのに。首は絞められるし舌打ちはされるし。既に帰りたい気分だった。


 足早に自分の席を目指す。

 左端列1番後ろ。「主人公席」として何かと取り上げられる場所だが、そんなのはフィクションだ。鶴高においてこの席は忌み嫌われていた。

「雑用席」と、そう呼ばれている。

 ネーミングの原因は、すぐ後ろにある備品用ロッカーだ。これは教師が授業終わりに使用するのだが、その時に1番近い席の生徒()に雑用を頼むことで有名だった。


 教師は思い出したように仕事を振ってくる。そのせいで、休み時間が何度潰れたことか。

 断れない僕にも原因はあるのだろう。けど自分のことくらい、自分でやってくれ。

 大人なんだから。


 無言の愚痴を呟きながら席に座り、荷物を仕舞い込む。教科書類はロッカーや部室に保管しているから、持ち運ぶ荷物量は少ない。手早く済ませ、授業に必要な教科書が揃っていることを確認する。

 問題ない。これで準備は完了だ。

 でもまだ気は抜けない。他の人がいることを忘れてはならない。


 鞄から本を1冊引っ張り上げて、机の中から黒縁のメガネを取り出す。

 両眼の視力は1,5。何の不自由もない。むしろ良い。眼鏡は本来不要だ。

 つまりこれは伊達だった。


 縁が太くてレンズも大きい。ガラス面は薄くグレーに着色されていて野暮ったい。学生のファッションとしては不向きだろう。寂れた商店街で見つけたセール品に、センスを期待するがそもそもの間違いだ。

 けれど愛着がある。それ以上に感謝があった。

「あるもの」を隠す為に重宝しているからだ。


 隠すのは、僕の瞳だ。


 特殊な外見をしている訳ではない。オッドアイだとか獣の目をしているだとか、尖った個性は持っていない。虹彩の色が薄くてグレー掛かっている。特徴といえばその程度。探せばどこにでもある普通の目だ。

 ──普段は。

 問題は、僕が気を抜いた時に現れる。


 半年ほど前。その変化を自覚した。

 集中した時。深く考え込む時。現実逃避する時……。そんな、他人への注意が疎かになった時にそれは起こる。

 どうしようもなく、瞳が濁るのだ。


 黒い瞳孔と、グレーの虹彩。この2つは、普段なら円の中にしっかりと収まってくれている。他人に意識を向けている時は、どこにでもある瞳のままだ。

 ふと気を抜いてしまうとダメだった。

 虹彩の外縁が、真ん中の黒丸に向かって溢れるように溶けていく。まるで剥がれ落ちていくように、ボロボロと、ドロドロと。

 指摘されて初めて自覚した。それが半年前だ。トイレの鏡で確認してみれば、確かに濁っている。

 とてもじゃないけど、綺麗とは言えない瞳だった。


 その日の内に眼科に行った。でも無駄だった。

 検査をしたお医者さんは、首を傾げて「健康ですよ」と言うだけ。必要のない目薬を買わされて診察は終了した。

 唯一ハッキリしたのが、日常生活に支障がないことだけだった。


 それから何度か検証した結果。幾つか分かったことがある。

 視線を感じる時や、周囲に対して気が張っている時。つまり他人を意識している時に、僕の瞳は沈黙を貫いている。素知らぬ顔で周囲に同化している。

 転じて誰もいない時や、何かに集中してしまった時。瞳は酷く濁る。


 グレーの虹彩がここで悪さをしてしまう。

 虹彩と瞳孔。両方黒色なら濁ったところで大した変化ではない。きっと自覚することもなかった筈だ。

 僕の場合はグレーと黒。その色関係は夜空に浮かぶ雲に近い。微かな月の光に照らされているだけなのに、闇の中で動く雲は簡単に見つけられる。僕の2色も同じだった。


 だから伊達眼鏡を掛ける。コントロールは無理でも、隠すことならできるからだ。

 集中せざるを得ない読書中や授業中には欠かせない。もはや必需品だ。

 そうやって半年、この瞳とは付き合ってきた。


 どうしてこんなことになってしまったのか。原因解明は最初の1月で諦めた。お医者様でダメだったことが、学生にどうこうできるとは思えなかった。

 都合よく相談できる相手もいない。こんな摩訶不思議なこと、どう話せば良いのかも分からない。お手上げだった。

 直接的な危害が無いせいで、危機感も生まれない。もう慣れてしまっていた。


 このまま隠し通して行けばいいと、そう思っていた。

 でもある時ふと、理解した。本当に急に。

 秘密ではなくなってしまったあの場所で、3ヶ月程前に唐突に。


 年を越える前だった。肌を指す寒気と、チラつく粉雪。音の消えた空間で、四方と下から吹き付ける風。分厚い雲が辺りを暗くしているのに、怖くない。そんな日だった。

 天啓、閃き……そんな形だ。前触れもなく答えがポンと落ちて来たのだ。

 濁りの理由を、僕はその時理解した。


 それから、何かと気が楽になったように思う。あの場所に立つようになってから、無駄に心がざわつく事も少なくなった。まさに精神安定剤だ。

 階段を登る労力は必要だけど、お金は必要ない。そのせいでついつい通い詰めてしまっている。

 今日の帰りも、きっと立ち寄ってしまうのだろう。

 いつものように。今まで通りに。


 今までと、異なる点が1つ。

 あの女の子の存在だ。

 何故かあんな場所に現れた、僕と同い年くらいの女の子。最初は嘘をつき合って、最後は約束を交わした相手。

 たった一度。30分にも満たない交流相手。だけどとても忘れられそうにない。


 あの子には強烈なインパクトがあった。桃瀬さんの豹変っぷりが相手にならない程の衝撃が、脳裏に強烈に焼き付いている。今でも鮮明に思い出せる。

 最後の別れ際。振り返った彼女とはしっかりと目が合っていた。夕陽のお陰で表情もハッキリと見えていた。

 だから確かめることができた。


 彼女の瞳が、濁っていることを。


 淡い琥珀色の虹彩と、その中央に収まる赤黒い瞳孔。場所や状況が違っていれば、きっと宝石のように綺麗な瞳だと感じた筈だ。

 けれどあの場所で出会った彼女の瞳は、笑みを浮かべた時でも濁ったままだった。

 きっと、最初から最後まで。

 声を掛けてきた時も、ハンカチのやり取りをした時も、扉を閉めるその時も。

 僕の瞳と同じように、彼女の瞳は濁っていた。


 全く同じ、という訳ではない。記憶を掘り返してみると、濁り方が違っていた。

 剥がれ落ちていくようだと言われた、外から内に向けて濁る僕の瞳。彼女は逆だった。

 綺麗な琥珀色の外縁に、黒い丸から泥が漏れ出る。そんな、蝕まれるような濁り方。

 ──侵されいている。

 そんな印象だった。


 あの瞳のせいで、つい「次」なんて約束を口にしてしまった。「もしかしたら」を考えてしまっていた。諦めの悪さにため息が出そうになる。

 スンデのところで歯を食い縛る。ため息は喉奥に押し込んでしまう。

 口内で擦れる音が鈍く響いた。無理に空気を逆流させたせいで、喉が熱い。

 それでも、この期待を無かったことにする気は起きなかった。


 彼女のことは、何も分からない。名前も、年齢も、何も知らない。正真正銘の赤の他人だ。

 それでも確信していることが1つある。


 あの場所に現れた、同じ濁った瞳を持つ人間。

 彼女との約束は、きっと果たされる。












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