第4話 彼の頼られ方
「ほらほら、入って入って!」
片手で扉を押さえる桃瀬さんが、満足げな笑みで入室を促す。
校門と同じで古臭い扉。歴史を感じさせる生徒会室の扉は見た目相応に重たい。開きっぱなしにしておくのは疲れるだろうに、彼女は一向に中に入らない。
不退転の意思を感じる。僕が先に入らない限り、彼女はその場を動かないだろう。
「……失礼します」
一礼して、入室。
ムワッとした空気が顔を撫でる。暖房が効いていた。半地下という立地上、空気がこもりやすい。洗濯物の生乾きに似た、すえた匂いが鼻を突いた。思わず眉を顰めてしまう。
後ろから、笑い声。
「堅いよ~! 職員室じゃないんだし、もっと肩の力抜いていいんだよ?」
「一応、礼儀かと思って」
「真面目か!」
ノリが若い。僕も同い年だけども。
どうしてそうも楽しそうなのかが分からない。ついさっきとは比べ物にならないご機嫌振りが、むしろ怖い。
ケラケラと笑い声を漏らしながら、彼女は扉から手を離す。
扉が動く。ゆっくりと、重たげに。いっそ焦ったいほどに。自重に従って静かに閉じていく。蝶番の擦れる音が鈍く響いていた。
「えいっ」
短い掛け声。桃瀬さんが扉に背を預けるようにして体重を掛けた。動きが加速する。
バタリッと、思ったよりも大きな音を叫びながら扉が閉まる。
──カチャリッ
紛れ込んだ軽い音。鍵を閉められた。
そんなことをしなくたって、逃げたりなんかしないのに。
「とりあえず、パパッと本題いこうか!」
「話が早いね」
「お茶挟んだ方が良かった?」
「いや……むしろ歓迎かな」
鞄を置く間も無く話が進む。早く済ませたいのは僕も同じだ。
渡りに船だった。
「そっか! じゃ、そうだね~」
背中側で手を組んで、軽く腰を折って近づいてくる。1歩毎にスカートが小さく揺れる。布切れの動きすらも計算されていそうだ。見上げながら動くのに慣れ過ぎている。
演出だと分かっていても可愛いものは可愛い。でも出来れば他の子にして欲しかった。
──ガッと。首元に圧が掛かる。
「グッ……!」
襟元を握られた。前方に引っ張られる。重心を後ろにズラして耐える。綱引きのようになってしまい、余計に首元が圧迫された。
散歩に引き摺り出される犬はこんな気持ちなのか。なんて不憫なんだ。
呑気に構えていたせいで、彼女から伸ばされた手に反応できなかった。肩に掛けていた鞄も滑り落ちてしまっていた。
引っ張る力には彼女の体重も乗せられている。つまり首が痛い。けど抵抗を緩める気にはなれなかった。
犬だって抵抗する。なら僕だって良いはずだ。
いつまでも屈まない僕に業を煮やしたのか、桃瀬さんが顔を寄せてくる。
さっきまでの笑顔は影も形もない。
あるのは1月の夜だ。冷たい無表情の中で、三日月が鋭く光っている。
「昨日のこと、誰かに言ったら許さないから」
ドスを効かせた声が小さく呟かれた。
ああ、やっぱりか。
期待通りに、期待外れだった。
「期待」だなんて。
「ふッ……」
「何笑ってるの?」
「息が詰まっただけだよ」
まだ「もしも」を夢見ている自分がいることに、笑えた。
それにしても。
「許さない、か」
「私の言いたいこと、分かるよね」
「たぶん」
「……焦らないんだ」
「これでも思うところはあるよ」
「殺す」でも「死ね」でもなく「許さない」。随分と弱い言葉だ。元々の声が可愛らしいせいもあって、インパクトに欠けている。怖くない。つまり焦りと動揺は今の僕に必要ない。
声の衝撃よりも首の方が痛い。跡が残ってしまいそうだ。
「もしかして私のこと、舐めてる?」
「急だったから。表に出てないだけ」
「平気そうな顔だけど」
「元々こういう顔だ。表情が乏しくて悪かったね」
彼女の豹変ぶりは確かに強烈だ。けれど僕の心の隙を突くことは出来ていない。160km/hの豪速球も、来ると分かっていればキャッチ出来る。彼女が何か仕掛けて来ることは分かっていた。用意周到に待ち伏せされたら嫌でも分かる。心構えは出来ていたのだ。
それに、備えだってしておいた。胸ポケットのスマホが、このやりとりを録音している。
ここに来るまでの道中。桃瀬さんは前だけを向いてご機嫌に歩いていた。すんなり僕の身柄を確保出来て嬉しかったのだろう。足音はハイテンポだった。砂利の音がよく響いていたわけだ。
彼女は脅しを実行した。アプリの起動音は隠密に成功したのだろう。周りに人の目がないからこそ取れた手段だった。普通ならまずバレる。
僕は早朝登校のせいで彼女に捕まった。けれどそのおかげで身を守れているわけだ。
焦りようが無い。
「とりあえず、手を離して貰って良いかな」
「誰にも言わないって約束してくれたらね」
「言わないよ。僕に得がない」
「私に仕返しできるでしょ」
名声に傷をつけるくらいは、確かに出来るかもしれない。
唾を付けとけば治る程度の傷だろうけど。
「それ、桃瀬が敵になって終わりじゃん」
「そうだね。でも、私の敵を増やせるかもね」
疑い深いな。
「あのさ。誰もまともに取り合わないって分かるだろ? 僕と君じゃ価値が違う」
彼女と僕では言葉の重みに差がありすぎる。次期生徒会副会長様の彼女と違って、僕は重要な人間ではない。今日急に居なくなったって、誰も困らない。
言いふらしたところで、無意味な独り言になるだけだ。「言葉」は何を言うかよりも、誰が言うかの方が重要だと、僕はとうの昔に学んでいる。
彼女は僅かに視線を逸らす。
一拍の間。そして舌打ち。
「……ふんっ」
荒々しく手が離され、圧迫感がなくなった。僕は3歩後退する。
彼女はその場を動かずに腕を組んでいた。面白くなさそうな顔でこちらを見ている。僕の反応が気に食わないのだろう。
知ったことか。望んだリアクションが欲しいのなら演劇部を呼んで欲しい。
襟元に指を引っ掛けて気道を確保する。広がった首元にヌルリと空気が入り込んだ。
湿気ていて気持ちが悪いけれど、圧迫感がなくなればそれで良かった。
「離してくれてありがとう」
「何、嫌味?」
「違うよ……そう聞こえたのならごめん」
「そんなことはどうでも良いの。絶対誰にも言わないでよね」
「分かってる」
良い加減、しつこい。大丈夫だと納得したから手を離したのだろう。ならもう解放してくれ。
「昨日はごめん。次はしないから」で終わる話だろうに。こうも神経質になる理由が分からない。口止めが必要とは思えない。
彼女にとって、そんなにも大事なのだろうか。
ただ約束を破っただけなのに。
──3月5日 火曜日 11時55分
201X年度の卒業式が、無事終了した。
卒業生、総勢280名は既に退場を終えている。今頃は記念撮影の会場に移動している頃だろう。
数分前まで熱烈な拍手を送っていた僕たち在学生は、パイプ椅子に腰を下ろして待機していた。来賓や保護者が移動し終えるまで、後10分程度の我慢だ。
たった10分のタイマーを前に、彼らは「待て」をさせられた犬のような具合だった。教師の監視がお喋りこそ抑制しているものの、キョロキョロと動く視線や貧乏ゆすりを止めることは出来ていない。落ち着きのない様子だ。
「エサ」があるのだ。
卒業式の仕上げとして、一大イベントが予定されていた。
それが楽しみで仕方がないのだろう。さっきまでボロボロと涙を流していた女子生徒も、一転変わって笑顔を浮かべている。
イベント会場は第一体育館だ。式場でもあったここ第二体育館よりは小さいけれど、空調設備は高性能だ。まだ肌寒い時期に、和気藹々とした交流を行うのにはピッタリな場所だろう。
イベントは「繋火式」と呼ばれていた。学生主体で行われる催しだ。卒業生側も在学生側も双方自由参加で、規模はそれなりに大きい。
別れを惜しんだ在学生が、卒業生との最後の思い出を作るために開催している。そんなお祭りのようなものだった。
「では、2年1組より順番に移動を開始しなさい。まだ撮影の途中だろうから、廊下では静かにするように」
生徒顧問の声がマイク越しに響く。保護者の退室も無事終了したようだ。
声に従って、クラス単位で順番に移動を開始する。僕の所属クラスも同じくだ。
でも、僕は座ったままだった。
足が痺れている訳でも、繋火式に参加しない訳ではない。僕にもお世話になった先輩はいるし、最後の交流はしておきたい。移動できない理由があるのだ。
僕以外にも、座ったままの生徒がチラホラと散見していた。ここから目に入る生徒は、揃って顔を顰めている。不満がありありと見てとれた。
在学生席の前に立った生徒顧問が全員を軽く見渡して、満足そうに頷く。
「ちゃんと残ったな。よし、よし。 それじゃさっそく、持ち場に分かれて作業を開始してくれ!」
端的な指示が飛ぶ。彼はその言葉を最後にあっさりと退出していった。卒業生の写真撮影に混ざりに行くのだろう。
生徒達も動き出す。その殆どが体を重たそうに持ち上げていた。貧乏くじを引かされた気分なのだろう。誰だって後始末は嫌だ。
片付けが必要な場所はここ以外にも何箇所かある。「誰」が「どこに」の短いやり取りだけを各々で交わして、バラバラに散っていく。
1分も経てば第二体育館に残ったのは僕ともう1人、桃瀬さんだけとなった。
ここは本館を除けば鶴高で1番大きな施設だ。人員が2人だけの筈がない。当然、この後増援が予定されている。流石に誰もいない状況はまずいとのことで、割り振られたのが僕達だ。貧乏くじの中でも更にハズレを引かされていた。
増援組には次期生徒会長も含まれる。彼らは現在、第一体育館で繋火式の最終準備に取り掛かっている筈だ。プログラム的には20分後に式が始まるから、その最初の挨拶を終えてから合流する形になるだろう。
つまり今から最低でも30分は2人で片付けを行うわけだ。
めんどくさいというのが本音ではある。けれど事前にお願いされていたからにはやらなければならない。「はい」と答えたからには嘘にしてはならない。
それに、孤軍奮闘ではないのだ。多少は気が楽だった。
上着を脱ぎながらなけなしのやる気を振り絞る。
増援が来る前に出来ることをやる。それだけに集中する。
仕事は主に片付けで、掃除が少々。対象は全部で3つ。整列したパイプ椅子。卒業生を引き立たせた絨毯。最後の難関が、お祝いでばら撒かれた紙吹雪。
パイプ椅子だけでも1000個を軽く超えている。絨毯は長くて分厚い。これを撒き直しながらパイプ椅子も運ぶとなると、かなりの重労働だ。何より紙吹雪が面倒だ。片付けのことを考えずに好き勝手ばら撒いているせいで、かなりの広範囲に紙屑が落ちている。
これは根気のいる作業になるなと、腕まくりをしながら息を吐く。
頑張れば頑張った分だけ早く終わる。増援と協力すれば言わずもがな。そうすれば先輩への挨拶にも間に合うだろう。そう考えれば終わりも微かに見えてくるというものだ。
「……やるか」
いざ1つ目のパイプ椅子に手を添えたタイミングだった。
桃瀬さんから声を掛けられたのは。
「ねぇ、ちょっといいかな?」
「え、うん……えっと」
この時はまだ初対面で、名前が朧げだった。
察してくれたようで、彼女の方から自己紹介をしてくれる。
「私、桃瀬。そう言えばちゃんと話したことなかったね。よろしくね」
「ああ、うん。僕は九重だけど……どうかした?」
「ごめん。悪いんだけど、私、少しだけ席を外してもいいかな?」
「……は?」
彼女は顔の前で両手を合わせて、ちょこんと頭を下げている。
何を言ってるんだ。目の前の仕事量が理解できていないのか。
最初は耳を疑った。けれど彼女が現役の生徒会役員であることを思い出す。何かしら仕事が増えたのかもしれない。そう考えた。
「もしかして、何かあった? 」
「うん……ちょーと、第一の方に緊急の用があって」
第一体育館ということは、やっぱり繋火式関連のようだ。他の生徒会役員から、フォローの連絡でも来ていたのだろうか。式全体への影響も考えられる。これは引き止められない。
「急ぎみたいだし構わないよ。戻っては来るよね?」
「もちろん! ちょっとの間だけお願いね!」
彼女は明るく笑うと、「それじゃ!」と言って姿を消した。
口約束とはいえ、約束は約束。僕は安易に考えて、1つ目のパイプ椅子に手を掛けた。
──それからおよそ1時間50分。
帰ってくると言った桃瀬さんも、増援に来るはずだった他の生徒会役員も、教師ですらも、誰も姿を見せることはなかった。
結果として、僕は1時間40分の時点で全ての片付けを終えていた。単純作業ばかりだったおかげで、慣れればなんてことはなかった。腕に痺れを感じる程度で収まっている。腕を軽く揉みながら10分ほど待機して、誰も来ないことを確認してからその場を去った。
教師に報告すべきだったのかもしれない。でも誰に?
生徒顧問は行方不明。彼を探す体力は残っていなかった。他の教師は来賓対応に追われているか、繋火式に参列しているだろう。僕が行って、もしそこで桃瀬さんに会おうものなら最悪だ。楽しい交流の場に水をさすことになってしまう。空気を読むくらいは僕でも出来る。
誰もいない教室に戻って、荷物を掴み、帰路についた。
その後、桃瀬さんがいつ戻ってきたのかは知らない。どうやって事実を誤魔化したのかも知らない。
正直どうでも良かった。僕にとっては「いつものこと」だったからだ。
いつもと違っていたのは、お世話になった先輩に不義理を働いたことだろう。
こんな形で間違いを犯すだなんて、思ってもいなかった。
だから昨日も、僕は秘密の場所に足を向けていた。
──本当に、どうやって誤魔化したのだろう。
どうでもいいと思っていたことも、改めて思い起こすと気になってくる。
彼女が他の役員と合流するのに、せいぜい15分。片付けを終わらせるのには非現実的な時間だ。「合流前に終わらせた」という誤魔化しは通用しない。
こうして警告して来たのだから、彼女には焦りがある筈だ。どうやってか誤魔化すことは出来たけど、違和感を完全には無くせなかったのだろう。
僕が口を滑らすことで、その違和感が確信に変わる可能性を危惧している。そう言うことなのだろう。
心底どうでも良い。やっぱりそう落ち着いた。
もう終わったことだ。それに、この学校では特別酷い事でもないだろうに。
「とりあえず、話は終わりだよね」
「九重君が誰にも言わないのなら、終わりかな」
ニコリと微笑む。
器用な顔だ。笑っているのに、笑っていないのがよく分かる。
気持ち悪い。
「なら問題ない。もう行くよ」
「うん。今開けるね」
鍵を開けて、顔だけ外に出した彼女が左右を確認する。誰もいないことをチャックしてるようだ。最後まで入念なことだ。
納得がいったのか、扉から手を離してこちらに振り返る。
「今日も、昨日も、何も無かった。そうだよね?」
「ああ、僕と君は話すらしなかった。今日も、昨日も」
彼女は満足そうに頷いた。剣呑な気配がスルリと引っ込む。やっと安心したらしい。
横にどいて、扉への直線ルートを開けてくれる。さっさと帰れということだ。少なくとも僕はそう受け取った。
鞄を拾い、扉に向かう。別れの挨拶は、さっきので十分だろう。
もう用は済んだ。お互いに視線すら合わせない。
開けて、閉めようとして。
──バタンッ!
扉は勢いよく僕から離れ、施錠の音が外まで響く。
「……同じ勢いで開けられなかっただけマシか」
拒絶するように閉ざされた扉を視界から外す。行き場を失った手で鞄を肩に担ぎなおした。
半地下特有の籠もった空気感が身を包む。体が少し重たくなった。
左腕に着けている腕時計を確認する。7時34分。もう他の生徒は来ている時間だ。
耳を澄ませば微かに話し声が聞こえる。1人の時間は完全に潰されてしまったらしい。
「……」
思わず吐きそうになったため息を我慢する。電車が遅延した時と同じだ。あの時も1人の時間は無くなった。けれどそれは仕方のないことで、文句には何の力もない。今日だも同じだと思うことにした。
彼女も満足しただろう。明日はきっと大丈夫。
半地下を出ると、朝日の眩しさに目を細める。元々光に敏感な質だ。目が痛い。
視線を下げながら教室に向かう。
ちなみに生徒会室を退出する時、もちろん一礼はした。礼儀だからだ。
彼女から、感謝も謝罪も貰わなかったけど。
それもまた、いつものことだった。
「はぁ……」
今度のため息は、我慢する気も起きなかった。




