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第3話 早朝

 


 秘密の場所を失って、同時に約束を結ぶことになった日。

 その翌日。

 僕は歩いていた。今日はまだ水曜日。学校が呼んでいる。内申点を人質に取られたからには、従う他ない。足取りは重たかった。


 学校の側にはお城がある。日本一背の高い石垣と、日本一小さな天守閣をセットで持つ世にも珍しいお城だ。観光客の姿を見るのは稀だけれど、県民らしき人達の散歩姿はよく見かける。きっと、地域に愛されたのんびりスポットなのだろう。


 城をグルリと囲うようにして深い堀がある。水が流れ込んで深い池を作っていた。水源が何処なのかは知らないけれど、この池が枯れた所は見たことがない。時々、思い出したように鯉が跳ねる。名残惜しげに残る波紋が沈むように消えていく。それ以外には波のない、落ち着きのある池だった。


 堀に沿うようにして歩けば、目的地がチラリと姿を現した。もう飽きるほどに見た姿だった。

 1年生の時には物珍しく感じた通学路も、回数を重ねれば慣れてしまう。希少な筈のお城も今ではただの背景だ。それは校舎も変わらない。少し遠回りをすれば桜を見られるけれど、朝からそこまでする気は起きなかった。


 この辺りは車が滅多に走らない。横道だからだ。2本隣の大通りとは距離がある。おかげで車の走行音も響いてこない。偶に、池に降り立っている鳥の鳴く程度だ。とても静かだった。

 のんびりできるこの時間が、僕は好きだった。


 トロトロと歩いていると、校庭に植った松の木が姿を見せる。校内と道路を遮る石垣越しに、今日も僕を出迎えてくれる。

 まだ新芽を出していない松の葉が輝いている。3月でも朝露は残るようだ。日の光に照らされてキラキラと光っている。桜とはまた違う「春」を感じた。


 松の木の更に上。校舎の壁に埋め込まれたレトロな時計を確認する。時間は朝の7時ジャスト。いつも通りのぴったりの時間。今日の登校も無事終了した証拠だ。

 何事もなく。変わり映えもなく。


 後ろを振り返る。


「はぁ……」


 ため息が漏れた。車も歩行者も、誰もいない道。冷たい沈黙の空気が名残惜しかった。

 けれど戻る訳にはいかない。もし一歩でも戻ってしまうと、そのまま消えてしまう自信があった。内申点は確実に削られるだろう。それは痛い。


 また、今日も振り返ってしまった。人には見られたくない姿を晒してしまった。誰とも会わない時間はいつも気が緩んでしまう。もう校舎は目の前だ。気を引き締めなければならない。

 いつどこで人と会っても可笑しくはないのだから。


 右手を軽く握る。顔の高さに持ち上げて、拳の甲で額を何度か叩く。子供の頃から続けているおまじないだった。ルーティーンというヤツだ。

 少しだけ、気が楽になる。

 一度小さく息を吐いて、入り口に足を進めた。


 ウチの高校──香川県立丸鶴高等学校、通称「鶴高」は、朝のHR(ホームルーム)が8時40分から、授業の1限目は9時からのスタートだ。だから僕の登校時間はフライング気味だった。


 早朝登校の理由No. 1に挙がりそうな「部活の朝練」は、この学校では禁止されている。意味があるかは不明だがルールはルールだ。生徒手帳にもキッチリと記載されていた。

 破った所で利益は何もない。むしろリスクの方が大きい。違反行為は刹那の快楽を与えてくれるけれど、それに倍するしっぺ返しを懐に隠している。見え見えのヤツをだ。


 大学進学が基本路線のこの学校は、はぐれ者に向ける目がとても厳しい。普通に生活する分は問題ない。でも半歩でもラインの外に出た途端、急に冷たくなる。教師はもちろん、生徒や親御さんも態度が急変する。

 皆して「右へ倣え」がお好きなようだ。


 頭の硬い教師に目を付けられるのは特に痛手だった。内申点はもちろん、いざという時に見捨てられる危険性もある。

「高校は義務教育から卒業した環境だ。だから甘えるな」という理屈で、教師は簡単に優しさを捨ててしまう。異端者相手には特に顕著だった。誰だってそんな風に接して欲しいとは思わない。


 この時間に生徒を見かけたことは1度も無い。リスクに見合った理由を学校が潰しているのだから当然だ。

 だから僕はこうして登校している。


 どんな場所でも、利用者がいない門は閉ざされる。開けっぱなしだなんて不用心はない。だから正面玄関前にある北口の校門も鍵がされていた。いつものことだ。


 校門の横を通り過ぎる。少し先が目的地だ。

 5メートル程先に背の高い石柱がある。そこに片開きの門が引っ付いている。石柱の半分程度の大きさで、僕といい勝負ができる。

 ここは朝早くから鍵が開いている。生徒会や業者、用事のある生徒の為だろう。僕は生徒会に所属していないけれど、ここの生徒ではある。校則的にも法律的にも問題はない。たぶん。

 勝手にそう解釈して、半年ほど前から利用していた。


 鶴高の校舎は2年前に改修工事をしたばかりだ。外見的には真新しい。130年以上の歴史があるとは思えない程だ。だからと言って、全部が全部ピカピカという訳でもない。

 校庭や学校の外壁は昔のままなのだとか。

 松の木の前にあった石垣なんて、まさにそう。積み重なった岩を苔がビッシリと覆っている。青々としているのに、古臭かった。


 歴史を感じさせる外観を保ちたいのだろう。近くにお城があるせいだろうか。

 北口の校門は特に厳かな作りをしている。重厚感があって、何処かじじ臭い。

 目の前にある勝手口も似た気配を放っている。中世的とでも言えばいいのか、細みに仕上がった片開きの鉄格子。小さいのに、重々しい。


 ──キィ……


 見かけによらず、手入れはしっかりとされている。おかげで門を開けるのに力は必要ない。見た目と違った軽くて細い音が擦れるように響いた。


 開けて、閉める。


 顔を上げる。

 石柱にへばり付いた黒光りする監視カメラ。静かに目を光らせて僕を見ている。彼は24時間働き詰めらしい。雨の日も風の日も、学校で最初に僕と目を合わせるのはいつも彼だった。警備員室に即座に伝えていることだろう。


 監視カメラがある以上、僕の早朝登校は周知の事実の筈だ。けれど未だに注意を耳にしていない。施錠された勝手口の前で立ち往生する経験だってなかった。誰にも迷惑が掛かっていない証拠だ。つまり問題はないのだろう。このまま見逃していて欲しいものだ。


 敷き詰められた紺色の玉砂利に足を着地させる。すんなりと入校を終えてしまった。砂利同士が擦れて、独特の摩擦音が響く。ジャラジャラとした乱雑な音が耳触りだった。


 この玉砂利は外観を統一させる為と、防犯も兼ねている。足を踏み出すたびに鳴る音が人の侵入を教えるのだ。よく通る音は、この時間帯では大き過ぎる。騒音の域だ。

 僕は正規の人間だ。だから悪者ではない。足音だって不可抗力だ。だから悪いことをしている訳ではない。いくら言い聞かせても、この1歩目はいつも僕を責めてくる。

 だから嫌いだった。


 3歩横にズレて、砂利道の横に添えられた煉瓦の上に移動する。人1人がギリギリ通れるくらいの細道だけれど、静かに歩けるなら十分だ。

 後20分もすれば他の生徒が登校し始める。早めに教室に行って、いつものように本でも読もう。


 ──ジャリッ


 砂利の音。足元ではない。少し離れた所から聞こえた。僕から見て左側だ。用務員さんでもいたのだろうか。

 一応、挨拶はするべきだろう。気づかないフリをしようにも、流石にこの音を聞き逃す耳は持っていない。誤魔化した所で絶対にバレる。それに挨拶は正しいマナーだ。疎かにする訳にはいかない。

 一拍置いてから、ゆっくりと振り向く。


 視界に映ったのは作業着姿の初老の用務員さん、ではなかった。


 そこには、女の子が1人立っていた。

 明るい茶髪が良く目立つ。その髪よりも2トーンは深い焦げ茶の瞳と目が合った。距離はまだ離れている。なのに見上げられているような違和感。まるですぐ側にいるかのようだ。思わず眉を顰めてしまう。


 彼女は小柄ではあるけれど、背が極端に低い訳ではない。幼い印象を受ける彼女の所作が、距離感をバグらせる。人好きのする笑顔からは、人の懐に入り込むプロの気配が滲み出ていた。


 僕と同学年の彼女は有名人だ。知らない生徒はまずいない。何せ学校のNo.2就任が決定している。つまり生徒会副会長。エリートなのだ。

 可愛らしいルックスからも人気は高い。それにあのコミュ力だ。権力と外見と話術が揃っている。彼女が味方に困るところは想像できない。

 名前は確か桃瀬(ももせ)さん。下の名前は知らない。


 こんな所で会いたくはなかった。あまり関わりたくないのだ。彼女のような存在は、僕とは纏う空気が違い過ぎる。

 水と油だ。彼女達が水で、僕が油。混じりたいとも思えない。僕の方から声を掛けたことなんて一度もない。

 でも環境がそれを許さなかった。僕と彼女は昨日、知人になったばかりなのだ。


「おはよう!」


 彼女は小走りで近づいて来る。砂利の音が軽やかに響いて、耳の奥をしつこくノックする。両手で塞いでしまいたいけれど、彼女がそれを許さない。

 目の前で立ち止まって、はにかむ。可愛らしい。けれど憎らしい笑顔だった。

 1人の時間は完全に潰された。僕は半歩身を引く。煉瓦の道幅はそこが限界だった。


「……おはよう」


 まるで低血圧だ。覇気を込める気にもならなかった。

 それでも挨拶は返す。筋は通なさいとダメだ。


九重(ここのえ)君、ホントに朝早いんだね!」

「それは桃瀬もだよね。荷物もないし、来たの僕より早いんじゃない?」

「確かに! 私の勝ちだね〜。言っても今日だけの特別だけど!」

「へぇ」


 生徒会の仕事だろうか?

 昨日は卒業式だった。年に1度の大イベント。後始末は必定だろうし、量も多い筈だ。翌日に引きずることだってあるだろう。

 流石は現役生徒会書記"兼"未来の副会長様。こんな朝早くからご苦労なことだ。放課後に回せば良かったのに。


 知人といっても直接話したのはこれで2度目。近所のおばさんにも完敗だ。絞られた接点の中で、人となりを知る機会は皆無だった。

 明るい。それとあざとい。その程度だ。

 彼女との初対面。僕は初めて萌え袖というやつを見た。とりあえず、萌えないことだけはよく分かった。気づきといえばそれくらいか。


 9割9部が他人。それが僕たちの関係性だった。

 早く解放してくれるとありがたい。


「ちょっとだけ、時間いいかな?」


 いやです。ないです。と言えない僕は情けない男だった。


 僕の身長は176cm。身長差は20cm近くある。緩く腰を折った彼女を見下ろす形になった。

 チラリと見えるピンク色。どうやら彼女、髪を染めているらしい。淡い桜が首元で息を潜めている。

 ピンクか赤か紫か。どれとも思えるしどれでもいい。インナーカラーというやつだ。結び目の中に押し込んで誤魔化している。巧妙な隠し方だ。


 鶴高は普通に髪染めNGである。

 生徒会。良いのかそれで。


「予定は、ないけど」

「良かった! なら生徒会室で話せないかな? ほら、外だとまだ肌寒いし」


 良いとは言ってないんだけどね。


 確かに肌寒い。だから早く教室に行きたかったのだけれど、その選択肢は彼女が潰した。話をすることが前提だし、ホームグラウンドに引き摺り込む気が満々だ。移動を促す理由もバッチリ。

 流石に手慣れていた。逃げ道を防ぐ術を心得ている。


「生徒会の手伝いかな? 放課後に時間作るとかでもいいけど」


 放課後ならむしろ歓迎だ。でも今はやめて欲しい。モタモタしていると他の人が登校し始める。

 逃げ道を作るとしたら、これがラストチャンスだ。


「んっと、それは困るかな。放課後だと他の人が来ちゃうから、2人っきりで話せないでしょ?」


 ああ、そういうこと。


 ピンと来た。この様子だと生徒会室に他の役員は居ないだろう。

 邪魔の入らない個室で僕と対面する。その為に朝早くから待ち伏せしていたわけだ。

 僕の登校は決まって7時。事務員さんに聞けばすぐバレる。他の生徒はまずいない。彼女が向き合う課題は早起きくらいだろう。


 ため息。


「……早めに済ませてね」


 彼女は軽く目を細めた。


「ありがとう!」


 一歩下がって、満足そうに口角を上げた。

 彼女は振り返ると、砂利の音を奏でる。さっきより早いテンポだ。振り向くことなくズンズンと進んでいく。

 その足は第一体育館を向いている。本館の西側に連れ添うように立っている建物だ。生徒会室はその半地下に居を構えていた。

 通常、戸締りがされている時間帯だ。でも彼女の足取りに迷いはない。鍵を持っているのだろう。

 役員とはいえ、鍵の確保は教員への事前申請が必要だ。昨日の今日でここまでスムーズに動いているのだから、用意周到だった。


 2人っきりに心が躍っているのか、彼女は鼻歌まで歌い始めている。アップテンポのソプラノ。砂利の音で台無しだった。


 こういうことを避けるための早朝登校なのに。まさか裏目に出るとは。


「……はぁ」


 断言できる。浮ついた話には絶対にならない。

 接触の理由には察しが着いていた。


 砂利の上に足を下ろす。耳障りな音が膝を伝って骨を震わせた。

 一度深く深呼吸。目を閉じて、肺を膨らませる。

 覚悟は決まった。

 なるべく大股で、小さくなった彼女の背を追った。










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