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第1話 秘密の場所

2024/09/01 修正「西→東」



扉は金属製で、所々が錆び付いていた。

表面が曇ったドアノブを握る。軽く力を加えれば、鈍く軋むような振動が伝わってくる。関節部に油が刺されていないのだろう。

黒板を爪で引っ掻いたような、眉を顰める感覚が腕を伝ってくる。生毛でくすぐられた様な(かゆ)さが肘の辺りに広がった。握る力を強めることで、気持ち悪さを押し殺す。


僕はそれなりに健康的な男子高校生だ。何かと体を動かす機会が多いから、身体能力も平均よりは上の方だと思う。だけど、腕の力だけで扉を押し開くことは難しかった。軽く体重を掛けることでやっと扉が動いてくれる。

一度動き出せば後は楽だ。扉は自分の重みで勝手に開いてくれる。そっと触れるだけで、最初の抵抗が嘘のように視界が広がった。


毎度のことながら、この抵抗感には悩まされる。蝶番の関節部が錆だらけなせいで、ずっと頑固なままだ。気を緩める気配は未だに感じられない。手入れがされていない証明だった。

そのことに、今日も僕は肩の力を抜くことができた。


開けて、閉める。


単純な動作を終えるだけで小さなため息が溢れた。口呼吸が必要な程度には、息が乱れている。最初の頃は肺と心臓が激しいダンスを踊っていたことを思うと、体が慣れてきたことが分かる。道中もなかなかにハードだから、体力の総量も増えているのだろう。

成長、という言葉が頭を過ぎるけれど、心に響いては来なかった。


「はぁ……ふぅ……」


手早く呼吸を整えて顔を上げる。視界に映るワンフロア。変わり映えのしない埃まみれの駐車場が、重い沈黙で僕を出迎える。

流石は「イチイ」。駅近くの大型複合商業施設なだけはあり、何十台も車が停められそうだ。やっぱり広い。でもいくら広くても、こうも寂れていては虚しさが勝つ。


一面に降り積もり、柱の側ではなだらかな小山を作っている砂埃。

四隅だけを残して他は破れている、壁に張り付くポスターの残骸。

どこからか紛れ込んできたのだろう、寂しげに咲く一輪のタンポポ。


「……3月にも咲くんだな、タンポポ」


まだ寒いのにと、どうでもいいことを考える。

軽く見渡すだけで、この場所の放置具合は察することができた。ここに車が停まっている所を、僕は見たことがなかった。


「イチイ」は2つの建造物が連れ添うように建っている。片方が商業施設で、もう片方が駐車場。両方ともに8階層あり、全ての階層に双方への連絡通路が繋がっている。目的の施設と同じ階層で車を停めれば、移動やら何やらが楽になる親切設計だった。

一応は現役の施設なのだけれど、今の「イチイ」は5階層までしか運用をしていなかった。エレベーターは6階以上のボタンを押せなくなっているし、エスカレーターは電源を切られて立ち入り禁止のテープが貼られている。屋内の階段も、5階でシャッターが下ろされていた。

高齢化、少子化、不景気、競合他社の存在……。

理由に興味はないけれど、「イチイ」は順調に衰退中のようだった。もうしばらくはこの調子で頑張って欲しいと思う。


左を向けば、1本の黒い線が目に入る。朧げで、形が掠れているけれど、確かに線だと認識できる。地面に浮かび上がるようにして、その線はあった。

一面に積もった埃と、それが一部だけ散ることで露出した床面。下地にある黒いコンクリートと白い埃のコントラストが、その線を描いていた。

ちょっと風が吹くだけで、気まぐれに形を変えてしまう。けれどこれまで、その線が消える事はなかった。


この線の生みの親は僕だ。いつも同じ場所を歩くせいで、自然とこうなったらしい。腕の同じ箇所を何度も何度も引っ掻いていると、いつからか赤い筋が浮かび上がる。それと似たようなものだろう。

いつ頃からあるのかは分からない。気がついたらこうなっていた。周りがあまりに汚いと、靴で踏んだ所の方が綺麗になるのだから面白い。


初めて見た時は流石に身構えた。ぼんやりと浮かび上がる線が心霊的だったからだ。その時は日の入り前の時間帯でこの場所も暗かったから、余計にだった。

今日もいつものようにその道を歩く。障害物は柱くらいのものだ。柱は動かないから邪魔にはならない。目的地はフロアの端っこで、真っ直ぐ歩くだけだから目を瞑っていてもできる。


到着はすぐだった。

まず鉄臭さが鼻に付く。僕の目の前、金属製のフェンスが原因だ。赤錆に侵食された姿は弱々しくて頼りない。海が4kmほど先にある。潮風が届くこともあるのだろう。劣化が激しい。適当な公園にあるお仲間よりも悲惨な姿をしている。


不衛生極まりないけれど、ここからの景色は悪くない。連なった山々と、晴れ渡った空が広がっていた。

「イチイ」はこの辺りで1番背の高い建物だ。視界が高くなるだけじゃなくて、広さも倍増されたように感じられる。遮るものはないし、邪魔もいないから。

ここの景色は好きだ。ほぼ毎日見に来るくらいには気に入っている。雨の日も風の日も、僕はこの景色の前に立ってきた。


広がった視界の隅に、文字が掠れた標識がある。昨日と変わりないようであれば、8Fと書かれている筈だ。全てを見下ろせるこの場所は、屋上のないこの施設での最上階だった。本来なら立ち入れないのだが、文字通りの抜け道が1つだけあった。


──「非常階段」だ。


施設の内部は厳重に管理されているけれど、非常階段は例外だった。ありがたいことに、1階から8階までしっかりと繋がってくれている。

ただし電気は繋がっていなかった。監視カメラの類も見当たらない。電源を元から絶っている可能性があった。当然、階段を照らすライトは無いし空調も回っていない。階段の周りはコンクリートに覆われているから外の光は入ってこない。緑の誘導灯──走る人間が扉から出ようとしているシルエットのヤツ──はあったけれど、ガワだけだ。灯っている所を僕は見たことがなかった。


無い無い尽くしだ。

階段は真っ暗で、スマホのライトで照らしても足元が覚束無い。空気はこもって湿っているし、掃除が全くされていないから埃っぽい。ゴミが捨てられていないのだけは救いだった。

不良だってもっとマシな溜まり場を見つける。ここと初対面の時に、僕はそう思った。


この場所は本当に誰も来ない。今までだってただの一度も、誰とも会うことは無かったのだ。

僕だけの「秘密の場所」と言ってもいいかもしれない。


視線を山から目の前のフェンスに移す。僕の腰より少し高いくらいの背丈は、8階という高層に取り付けるにしてはチビスケだ。錆が酷くて朽ちかけている部分まである。

このフェンスに背中を預けようとする人は誰もいないだろう。とても信頼できたものではない。


肩に引っ掛けていた冬服制服の上着が、軽く揺れた。このフロアは北と東に壁がない。吹き抜けの作りで風がよく通る。北は海側で、僕が立っているのが東だ。後ろから押されるような形で風がすり抜けていく。

寒いとは思わない。今日は3月にしてはまだ暖かい。風は穏やかだし、陽を遮る雲は1つもない。文句なしの快晴だった。


ここまで階段を登って来たせいで、体には汗が滲んでいる。4階辺りを登り終えたくらいには体は十分に温まっていた。上着を着たままじゃ辛いくらいで、むしろ風が気持ちいい。

風には歓迎だが上着を攫われるのも面白くない。上着を手元に引き寄せ、肩掛け鞄に畳んで入れる。僕は荷物をあまり持ち運ばない主義だ。筆箱や予備のハンカチ程度の小物しか中に入っていない鞄には、厚手の上着でもちゃんと畳めば素直に収まってくれる。

ストレスレスで気分がいい。

チャックを閉めて左足の側に置く。他に比べて多少はマシなその場所が、荷物置きの定位置だった。


慣れたなと、ふと思う。

そりゃなと、すぐに納得した。

この場所とは、もう半年近い付き合いになるのだから。


身軽になった体で手を伸ばす。

目の前の錆びついたフェンスに向けて、いつものように。


──ギギィッ


擦れるような金属音が鳴った。

僕はまだフェンスに触れていない。それに、音は後ろから聞こえてきた。

何度も何度も聞いた音だ。聞き間違えるはずもない。

いつまでも変わらない頑固者が、仕方なさげに人を招く音だった。


振り返る。

目が合う。


『……あっ』


ハモった。


女の子が、そこにはいた。

ここはもう、秘密の場所ではなくなったらしい。






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