統一暦455年、ある日の話
人目を避けたとある部屋の中。四人の人物がいた。
ジャヌーラの街にほど近い小さな町の少し寂れた女神教の神殿内の一室だった。
昔は町の人の集まる場所だったが、すぐ近くのジャヌーラの街に大神殿ができてからはそこに行く人の方が多くなり、少しずつ人の姿が見られなくなった結果、設備は整っているのに人気のない場所となった神殿だった。
その部屋の中にある少し古いテーブルの片方には黒髪で左眼に眼帯をした青年が座り、その後方に茶髪の男が立っていた。
テーブルの向かいにはベールをまとい、頭もすっぽり覆う衣裳――ディーシス国の聖女として有名な姿――の人物が座っていた。
「パハロ。書類をもってきてもらえるかしら」
聖女が後ろに控えていた神官服の青年に声をかけると、言われた青年は顔をしかめる。
「――わざとですか?」
「何のことかしら?」
「……はぁ。少々お待ちください」
パハロと呼ばれた神官の青年が、テーブルの向かいにいる二人に断って部屋を出て行く。入れ替わりのように女性が部屋に入り、お茶を出す。
この場は、ディーシス国とレテス国の和平交渉のために秘密裏に設けられた場だった。
黒髪で眼帯の青年と茶髪の青年はレテの民――レテス国の代表であり、向かいに座る聖女と今は席を外している神官の青年はディーシス国の代表としてこの場に来ていた。お茶を出している女性もディーシス国の人間だ。
何度か間に人を介して交渉を重ね、ようやく直接両者が対面することになったのだが、お互いに敵が多いことから、このような人目を避けた場所で会うことになったのだった。
警戒しているのか、眼帯の青年は出されたお茶に手を出さない。
「よければ、お茶をどうぞ。……安心して。もし、私が裏切ったら、さっきの彼が私を殺すわ。以前に私を刺したこともあるくらいだもの」
なんでもないことのように軽々しく聖女が口にした言葉に、眼帯の青年は顔をしかめた。
「それが本当なら……なんでそんな奴をそばに置いているんだ」
レテス国側にとっては、レテの民への迫害の中心人物と見られていた聖女が和平交渉をもちかけてきたこと自体が、何らかの裏があるのではないかという可能性を考えざるをえないものだった。
そんな疑いの目を向けていた聖女から言われた予想外の言葉に、青年は思わずそのまま言葉を口に出してしまう。
「本当かどうかは調べればわかることよ……あなたたちにとっては都合がいいことでしょう? 彼は神殿内の和平派の中でも影響力があるわ」
神官の青年が席を外しているのをいいことに、言いたい放題だ。
「その言葉を鵜呑みにはできないな」
「ええ。それでいいわ。私を信用するかは置いておいて、ひとまず必要な話を片付けましょう」
書類を手に戻って来た神官の青年の姿を見て、聖女が話を変えた。
眼帯の青年にとっては少々気になる話題ではあったが、いったん棚上げにするしかなかった。
とはいえ、話自体は問題なく片付いた。
あらかじめある程度の話がついた状態だったこともあり、細かい内容をお互いに確認し合い、書類に署名をする。
他の邪魔が入らないように、もともとこの場でほとんどのことを決めてしまうことにしていたが、数日後には大々的な調印式も行う予定だった。
対外的にはその場が両国の和平交渉の最終結果となる予定だ。民衆に対する周知の意味でも大々的なそのような場は必要とされていた。
「それじゃあ、私は先に行くから、あとはよろしくね。……次は調印式で会いましょう」
前半を神官の青年に向けて、後半はレテス国の二人の青年に向かって言い、お茶を出していた女性を伴い聖女は部屋を出て行った。
廊下で護衛の神官と合流し、この神殿を訪問した表向きの理由――町の人々の病気や怪我を癒す活動をしに行くのだった。
もうほとんど話は片付いていたため、レテス国の二人は人に見られない時間を見計らって出て行くだけだった。
少しの沈黙が部屋に広がり、残された三人の青年がお互いに様子をうかがうようにしていた中で、口を開いたのは眼帯の青年だった。
「あんた……あの聖女様を刺したんだって?」
「どこからそんな……ああ、あの聖女サマが話したんですね」
言われた言葉に少し目を見開いた神官の青年は、その話をしたであろう存在に思い当たり、呆れたように溜息を吐いた。
「ああ。あんたら、どういう関係なんだ?」
片目を眇めた眼帯の青年が尋ねる。あとで裏付けを取るにせよ、この場で聞ける話は聞いておくべきだという判断だった。
「今は協力関係ですよ」
「いずれ裏切る、と?」
互いの真意を探るように言葉が行き交う。
「たとえそうだとしても本当のことは話さないでしょう」
平然と返された言葉に、眼帯の青年は苦々しく口元を歪める。腹芸は不得意らしい。
その顔を見て苦笑した神官の青年は、すっと雰囲気を改めた。
「信用できなくても仕方ないでしょうが……あの方は本気ですよ。……本気で、この地に平和を築こうとしている」
「その言葉を信じていいのかって話なんだがな」
「それはお互い様でしょう。……簡単に信じるには……血が、流れすぎた」
「……確かにな」
手続き的にはほとんど終えている。残りは対外的な調印式で和平を結んだことを示せば、現実に両国の間に和平が結ばれるはずだった。
それでも、これまでの出来事が、お互いにお互いを信じさせることを難しくしていた。
* * *
書類上はすでに秘密裏に和平が結ばれた数日後。
帝国の仲介を受ける形で、レテス国とディーシス国との和平条約の調印式が行われた。
もともとはレテス国の首都であり、数年前にディーシス国が建国とともに首都として宣言した街でもあるジャヌーラにある少し開けた広場のような場所で、このときのために設けられた他よりも少し高くなった簡易的な舞台の上に両国の代表が立っていた。
レテス国の代表は黒髪で左眼に眼帯を身に着けた青年で、ディーシス国の代表はいつもと変わらない髪を覆う衣装と顔を隠すベールを身に着けた聖女だった。
それぞれが署名をして、それを集まった民衆に示すように掲げる。
少し前に戦闘は停止していて、街中には女神教の信者もレテの民もどちらの姿も見られた。まだ完全に打ち解けた雰囲気とはいかず、争いを避けるために緩やかに二つの集団は分けられていたが、それでも和平を祝う雰囲気が広場を満たしていた。
* * *
聖女はベールの下でひそやかに息を吐く。
ようやくたどり着けた和平だった。
まだやるべきことは山積みで、選択を間違えればまた争いの日々が始まるだろう。けれど、一つの結果をつかむことができたのだ。
調印式は無事に終わり、舞台を降りる。簡易的な台を降りるために足を進めたときだった。
ひどく軽い破裂音がした。
傾いていく視界とともに最後に残った感覚では、指先はひどく冷たいのに、身体の内側はひどく熱く感じた。
(あつくて、つめたい――)
最後に残った思考はそれだった。
ベールの隙間から、驚いたように見開かれた青空色の瞳が、見えた気がした。