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統一暦450年/創世救国暦5年、これが、報いだ

 その日、聖女は地方への慰問に訪れていた。


 普段は首都にある大神殿にいる聖女だが、時折、各地を回り、その場所にある神殿で怪我や病気の人々を癒していた。


 レテの民との交戦状況が激しい時期などには長老会から止められることもあるが、聖女の求心力を利用して国民の支持を得たい神殿や長老会にとっては、聖女が地方を慰問で訪れることは、彼らにとって有益な行為とみなされるため、比較的、許可の下りやすい活動だった。


 今回訪れた場所は首都から少し離れた土地で、到着した今日はそのまま休み、明日から神殿内の場所を借りて人々を癒すことになっていた。


「――お休みのところすみません。明日からの予定について説明させていただきたく」


 この地の神殿で今回の聖女訪問の対応を担当しているのだろう神官の青年が、聖女の居る部屋まで訪ねて来ていた。


 長老会の関係者が共に来て地方の有力者と会談するようなときは、聖女も同席してその地の有力者と会うこともあったが、今回はそのような予定もなく、部屋で休んでいたところだった。


「明日のことですね。こちらへ」


 応対するために部屋に備えられていたテーブルと椅子のある場所へと移動する。神官の青年を部屋に通した世話係の女性がお茶を淹れる準備をしていた。


 聖女の衣装のままだったため応対に問題はないが、今日はもう外に出る予定がなかったため、いつも身に着けている髪を隠す衣装と顔を隠すベールは外していた。


 神殿内でもベールを身に着けていることの方が多いため、神官であっても聖女の顔を知っている人は意外と少ない。


 聖女の顔やその亜麻色の髪を見る若い神官の青年の顔には物珍し気な表情が浮かぶが、それも一瞬で、すぐに淡々とした態度で事務的な話が行われた。


 いつもの地方への訪問と特に変わりなく、この地の人々を癒すために神殿内で使う部屋の説明や、予定される時間などが説明される。


 町の中にある病院を回る場合もあるが、今回は神殿内での活動のみの予定になっていた。


「では、明日からよろしくお願いいたします」


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 そう言って、神官の青年が部屋を出て行く。


 地方を回る際、ときには聖女への好意的な感情を表に出すものや、自らの権威に利用できないかと値踏みする視線を向ける有力者がいることもあるが、今回のあの神官は終始淡々とした様子だった。


 その様子はどこか、感情を抑えつけているようにも見えた。




 * * *




 神殿内で町の人々を癒して数日。この地での活動も最後の日となり、明日は大神殿へと戻るための移動日の予定だった。


 怪我や病気を抱えていた人々も、聖女の癒しによって回復したものが多く、最終日の今日は神殿を訪れる人もそう多くはなかった。


 そんな少し穏やかな雰囲気の中、いつも通り聖女は一人ひとりの症状を聞き、癒しの力を使っていく。


 予定されていた時間で最後の一人まで癒し終わり、神殿内の泊まる部屋へと戻る。


「部屋に戻ったら荷物も片付けておかないとね」


「はい。明日は朝から移動になりますので」


 大神殿からこちらまで一緒についてきていた世話係の女性と話しながら歩いていると、向かいから神官の青年が歩いてきていた。今回の訪問で取りまとめとして対応していたあの青年だった。


「聖女様、ですよね」


「はい。今回の訪問では、ありがとうございました。何かありましたか?」


 数歩前まで来たところで確認するように問うてきた青年に答え、何か用事があっただろうかと聖女は少し首をかしげた。


 いつも通り、聖女の顔にはベールがかかっており、聖女からは青年の姿が見えているが、青年からは聖女の顔は見えていないだろう。


「そうですね……」


 聖女に応対するときはいつも淡々としていた青年の表情が崩れ、口角が少し上がったように見えた。


 そして数歩分の距離を詰めると、体当たりをするように聖女にぶつかる。


 抱きしめられそうなほど近づいた距離で、青年が言葉を発した。


「これが――あなたがやってきたことの報いだ」


 聖女の身体には青年が持っていたナイフが刺さっていた。ナイフの刺さったその場所から血が滲み、いつも清潔な聖女の衣装を汚していく。


 刺されたときの衝撃で聖女の身体が揺れ、ふわりと浮いたベールの隙間から普段は見えない顔の下半分が、すぐそばにいた男には少しだけ見えた。


「ええ。わかっていますよ」


 そう言った彼女は、常と変わらぬ声音で、緩やかな笑みを口元に浮かべていた。


 小さなその声は男にしか聞こえなかっただろう。


「……っ。おまえっ……!」


 聖女の変わらない様子に、その笑みに、男が怒りを露わにする。


 だが、もう一度刺そうとしたそのときに、周囲の神官たちに取り押さえられた。


「ふざけるなっ! お前の、お前のせいでっ……!」


 神官の青年は、取り押さえられたまま、聖女を射殺しそうな目でにらみつける。


 聖女は世話係の女性に支えられ、少しふらついた様子で立ち、男の言葉に何の反応も示さない。


 再びベールの下に隠れた顔にどのような表情を浮かべているのかはわからなかった。


 聖女の怪我の手当てに他の神官たちも駆け寄って来る。


 取り押さえられ拘束された青年はその場から引き離され、それ以上、聖女と言葉を交わすことはなかった。




 * * *




「こんにちは。――こんばんはの方が合っているかしら」


 床に座り込んだ青年がいる部屋、鉄格子を挟んだ向こう側にフードを被った人影が立った。フード付きのマントの下には神官服が見えていて、聞こえた声は女性のようだった。


 その人影の少し後方には神官服の青年が立っている。


 そこは、神殿の中にある窓のない部屋で、牢屋のような場所だった。聖女を殺害しようとしたことで、青年は拘束されていた。


 青年はそれまで立ち入ることがなかったため知らなかったが、神殿内にはこの部屋のように罪人を拘束できる牢屋のような場所があったらしい。


 窓のない部屋では時間がわからないが、夕方は過ぎ、夜に入ったくらいの時間帯のようだった。


「誰ですか」


 フードで顔の見えない相手に尋ねる。


「今はまだ秘密です」


 フードで陰になった顔の前に人差し指を示して見せ、楽し気な女性の声が話す。


 青年は、その女性の声になぜか聞き覚えがあった。


 女神教――特に今の長老会で力を持っている派閥――では、女性は男性よりも一段低い位置に置かれているため、神殿にいる女性の神官の数は少ない。それらの女性の神官の中の誰かであるなら、わかるはずだった。


 そうであるにもかかわらず、聞き覚えのあるその声は、知っている女性の神官の誰とも違っていた。


 無意識に眉をひそめ、座ったままその人影を見上げる。


「手短に行きましょう。あなた、私たちの仲間にならない?」


「はあ?」


 訝し気な声で聞き返すが、フードの人影は気にした様子もなく話を続ける。


「パハロ・アギーレ。恋人はレテス国の人なのね。聖女を刺したのは、女神教によるレテの民への迫害への抗議ってところかしら?」


「……そうだとしたら、なんですか?」


 ちらりと背後に控えている神官服の男性を見たあと、フードの人影を睨むように見上げる。


「そうね。女神教の上層部――長老会に打撃を与えたいなら、聖女を殺すことなんて大した効果はないから、方法はもっと考えた方がよかったわね」


「は? 今は聖女が一番上でしょう。レテの民への迫害の指示も聖女が出している」


「あらあら。長老会の広報戦略は随分とうまくいっているのね。――聖女あれはただの傀儡よ。長老会の操り人形」


 くすくすと笑いながら、聖女のことを嘲るように言葉を発する人影に、青年はさらに目つきを鋭くする。


「私たちの目的は、長老会の上層部から実権を奪い取って、レテス国への侵略、レテの民への迫害、虐殺……それらを止めること」


「……」


 青年はフードの人影をじっと見つめ、その言葉の真意を探る。部屋の弱い明かりの下でフードの中は陰になって、相変わらずその顔は見えない。


「聖女を殺そうとしたあなたなら、裏切ることもないだろうし、目的は一致しているでしょう? ちなみに、あなたの仲間とはもう協力を取り付けたわ」


「…………はあ。他が同意しているなら、私に否はないですよ」


 女性のその言葉を聞いて、男性はやれやれといった風にため息を吐く。ちらっと背後に控えている神官服の男性を見て、軽くうなずく動きを返したのを見て、青年がそう答えると、フードの人影は満足そうにうなずいた。


「交渉成立ね。――これから、よろしく」


 そう言って、顔を隠していたフードが後ろに下ろされる。


 パサリと落ちたフードの下から現れた顔を見て、息を吞む。そして青年は一瞬で険しい顔となった。


「……裏切ったのか」


 牢屋の中から鋭い目で、フードの人影の背後に控えるように立っていた神官服の男性を見据える。


 その言葉に答えたのは、目の前にいる人影――フードを下ろして顔を見せた女性の方だった。


「彼が裏切ったんじゃないわ。裏切っているのは、私」


「は……?」


 どこか笑みを含んだ声で告げられた言葉に、牢屋の中の青年は唖然とした声を漏らすしかなかった。


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