統一暦437年/レテ新暦308年、いつかの出会い
涼やかな風の吹く季節のとある日、いつものように外に遊びに出ようとしていた少年は、母親から呼び止められた。
早く遊びに行きたいのにと不満顔の少年が連れて行かれた先には、年若い夫婦らしき男女とその後ろに隠れるようにしている亜麻色の髪の子どもがいた。
少年の母親の説明によると、最近この辺りに引っ越してきた親子らしい。
「まだこの辺りに慣れていないから、一緒に遊んであげなさい。あんたの方が年上なんだから、ちゃんと面倒見るのよ」
「はーい」
母親の言いつけに素直に言葉を返しながら、首をかしげてその子の方を見る。
その子は相変わらず親の背に隠れてもじもじとしているようだったが、その背から少しだけ見える亜麻色の髪が陽に透けてキラキラと光るのをなんとなく眩しく見つめた。
「ごめんなさいね。前の家ではあんまり年の近い子もいなかったから、人見知りしちゃったみたいで……ほら、挨拶、できる?」
その子の母親が困ったように苦笑しながら、その子の背に手を置いて、少年の方に押し出しながら促した。
「……ん、と……ルーナ、です」
「……ん。ソラール。よろしく」
ようやく真正面から見ることのできたその子は、少年――ソラールよりも少し背が低く、透き通るような肌をしていた。
ルーナと名乗った少女は、ちらりとこちらを見上げ、今の季節の風のような涼やかな声で名前を言うと、また恥ずかしそうにうつむいた。
ほんの少しだけ目が合ったそのときに見えたはちみつ色の瞳が、どうにも甘そうで、今まで接したことのない、つくりもののようにきれいなその姿に、照れくさくなって少しつっけんどんな言い方をしてしまう。
「ほら。行くよ」
ソラールのその言動が照れ隠しだとわかっている母親からの微笑ましいものを見るような視線が恥ずかしく、その子の細い手を取って走り出す。
「ぁ……うんっ」
少しびっくりしたような声を出したルーナも、手を引かれれば、弾んだ声でついて来る。
つくりものみたいにきれいな子だけれど、この辺りに住む他の子どもと同じように、きっと楽しく遊べそうだと、その弾む声を聞いて思った。
そうやって手を引きながら少し駆けて行ったその先、いつもの遊び場である、開けた空き地のような場所にたどり着く。今日はまだ誰もいないらしい。
自然のものなのか、子どもたちが遊ぶように置いてあるのか、いくつかある少し大きな岩のうちの一つによじ登り、その上に座る。
ソラールの走りが少し速かったのか、手を引かれながら走ってついて来たルーナは肩で息をしていた。
「座ったら? そこ、登れる?」
「んっ」
近くにある少し低めの岩を指し示して言うと、まだ息が切れているのかこくりとひとつうなずいて、そのまま岩によじ登ろうとする。
慣れていないのか、腕の力だけで無理やり登ろうとするのを見かねて、口を出す。
「ほら、そこ。出っ張りに足引っかけて」
「ん……できた!」
少しの助言で無事に岩の上に登れた少女は、人見知りしていたことも忘れたように、にっこりとソラールを見て笑った。
真正面から笑顔を向けられて、少し顔を赤くしたソラールは、ふいっと横を向いて、そのまま岩の上から遠くを見た。
「今日はまだ、誰も来てないみたいだな」
近くの道からこちらへと駆けて来る子どもの姿も見えない。
「いつもはたいていここで遊んでるんだけど……」
「ふーん……?」
自らの座る岩の上から、横にある少し低い岩の上に座った彼女をちらりと見ると、首を傾げた彼女と目が合い、またにこにこと笑いかけられる。
そのはちみつ色の瞳が光を受けて溶けるようにきらめいた。
「……もうすぐお祭りだし、その手伝いとかかな。ほら、来月は清風の季節の三の月だろ」
「清風の季節の、三の月?」
きょとりとまばたきをする彼女がソラールを見上げる。
「そう。知らないのか?」
「でも、だって、今は女神様の影の月で……」
「何言ってんだ。今は清風の季節の二の月で、来月は清風の季節の三の月だろ」
少女は驚いたように目を見開いた。
「じゃあ、清風の季節は十二月まであるの?」
「んなわけないだろ。ばっかだな~。清風の季節は四の月まで。そのあとは夜と闇の季節が来て、それが四の月まで終わったら次は陽の季節。知らないのか?」
ソラールは同い年の仲間たちと話すときのようにからかい混じりの言葉で笑ったが、自分の教わったことを間違いだと言われた年下の少女にとってはその言葉は傷つくものだった。
「だって、女神様の月は十二か月あるんだもの」
泣きそうな顔の少女を見て、いつもの仲間相手とは勝手の違う反応に、少年は慌てて取り繕うように言葉をかけた。
「その……女神様の十二か月ってのはどんなのなんだ?」
今にも泣きだしそうに涙をこらえていた少女は、それでも少年の問いには答えようとして、言葉を探す。
「えっとね。今は女神様によって影が生まれたから、女神様の影の月でね……」
そう言って少女は歌うように月の呼び方を諳んじる。
そういえば、エミネンシアと呼ばれるこの村も含めたレテス国のほとんどはレテの民が住んでいるのだが、最近は帝国の方から女神教というものを信じる人々が移り住んできているという話だった。
その女神教を信じる人々はレテの民とは別の文化をもっているのだと聞いたことがあった、と、少女の言葉を聞きながら思い出す。
ソラールは、泣きそうだった彼女の意識をうまくそらせたとほっとしつつ、少女のその歌うような言葉を、きっと覚えやすいように歌うような言い方で教わったのだろうなと思いながら聞いていた。
「あとね、あと……」
指折り数えながら月の名前を諳んじていた少女は、その途中で言葉に詰まる。あともう何か月かの月の名前が出てこなくなったようだった。
ふと気づいた少年が言葉をかける。
「なあ、女神様の始まりの月はなんていうんだ?」
「始まりの月……? あ! そう! 始まりの月はね、女神様が誕生したから、女神様の祝い月! それで、次が……」
おそらく始まりの月から順番に覚えていたのだろう。今の季節の月の名前から順番に言っていたために、最後の月の名前まで言ったあと、十二か月に足らない分の残りの月の名前がわからなくなったのだろう。
少年から促されて始まりの月の名前を口にしてからは、また順番に歌うように少女は月の名前を口にする。
そうして、少女は十二か月分の月の名前を諳んじた。
「すごいな。十二か月、全部覚えているのか」
「うん。こないだね、ようやく覚えたの」
ソラールの感嘆するような言葉に、少し照れたような嬉しそうな顔をしたルーナは、はにかんで微笑む。
泣きそうだった顔には、もう、涙は見えなかった。