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冬の幻灯

瑠璃の姫君と鉄黒の騎士

 雪が降り積もったある冬の日のことでした。


 フェリシアは、暖かい部屋で休んでいました。ふかふかのベッドの上には可愛らしいおもちゃが並んでいます。美味しいごはんや大好きなおやつにだって不自由はしません。なんとお部屋の中には、フェリシアだけが使える特別なブランコだってあるのです。


 まるでお姫さまのような優雅なお部屋。けれど、フェリシアはちっとも幸せではありませんでした。なぜなら部屋にいるのはフェリシアだけ。屋敷にはお父さまやお母さま、お兄さまやお姉さまだって一緒に住んでいるのに、フェリシアの相手をしてくれるひとはひとりもいないのです。


 思い出せないくらい遠い昔。かつては、確かにみんながフェリシアと遊んでくれました。暖炉の前でおままごとをしたり、屋敷の中を追いかけっこしたり。近くの麦畑で寝転がってみたり、雨上がりに水たまりに飛び込んでみたり。みんなが変わってしまったのは、いつからだったでしょうか。


 気がつけばいつの間にかみんな、フェリシアに会いにきてくれなくなりました。お部屋の中にはフェリシアの機嫌をとるようにいろいろなものが置いてありますが、一番大切な家族はいないのです。ほんの少しだけ開いている窓の隙間から外をのぞけば、フェリシアを抜きにして楽しそうにしているみんなの姿があります。


 時折、寂しくなったフェリシアはお部屋を駆け回ります。その場でぐるぐる回り、床の上を飛び跳ねて勢いをつけたら、壁から天井まで一回転することさえできるのです。ついでに大声を出せば完璧です。


 フェリシアがこんなお転婆をする理由はただひとつ。大騒ぎをすると、誰かがフェリシアのところに来てくれるからです。けれど、そんなときみんなはひどいしかめっ面をしています。


 それでも、みんなの顔を見るとフェリシアはほっとします。たとえ、誰も部屋の中には入ってくれなくても。フェリシアにだってわかっています。フェリシアが起きているときに部屋の扉が開かれることは決してないのでしょう。フェリシアはこの部屋を出ることさえできないのです。


 とても素敵なお部屋に住んでいるのに、フェリシアは悲しくてたまりません。一体どうすれば、フェリシアの寂しさはなくなるのでしょうか。



 ***



 今日もフェリシアは、窓の隙間から外を眺めています。ぐいぐいと頭を隙間にねじ込むようにすれば、縦に分割されていない綺麗な空を見ることができます。


(とても寂しいわ。どうして誰にも会えないのかしら)


 寂しくて、心もとなくて、フェリシアは歌を口ずさみました。


 フェリシアは歌が得意です。もうずいぶん昔に、誰かに褒められたような気がします。それはとても優しい女の子だった気がするのですが、彼女の名前を思い出すことができません。


 それでも懐かしいメロディは、後から後からあふれてきます。祈るように。願うように。声は高らかに響き、天へと昇っていきます。


 ――フェリシアは、お歌が上手ね――

 ――本当に可愛いお姫さまだこと――

 ――ずっとずっと一緒にいようね――


 そう約束をした女の子は、どこへ行ってしまったのでしょうか。苦しくて、切なくて、けれどその悲しみは言葉にならず、ただ歌声となるばかり。


 一心に歌い続けていたフェリシアですが、誰かが足早に近づいてくる音に気が付きました。はっとフェリシアは口をつぐみます。とても悲しいことに、フェリシアの家族はフェリシアの歌が嫌いなのです。


 みんなの気を引きたくていたずらをしているときならともかく、歌を歌ってお仕置きされるのはまっぴらごめんです。


 このままでは、暗くて狭い場所に閉じ込められてしまうかもしれません。大慌てでベッドの中に潜り込むと、フェリシアは寝たふりをしました。部屋の外では大きな音が聞こえているようでしたが、毛布にすっぽりとくるまれていればやがてそれも聞こえなくなりました。



 ***



 ――ねえ、フェリシア。ずっとここにいていいのよ――


 フェリシアのために花冠を作ってくれている女の子が、微笑みながら言います。女の子は青い花ばかりを選んで花冠を編んでいるようです。どうして青にこだわっているのでしょう。少しだけ不思議に思ったフェリシアでしたが、その理由にすぐ気がつきました。女の子の瞳は、空を写し取ったかのように綺麗な青色をしていたからです。


 そこでようやく夢の中にいるのだと、フェリシアは気がつきました。だって綺麗なお花畑で優しい女の子と遊んだのは、もうずっと昔のことだったからです。


 とても仲良しだったのに、どうして女の子と遊ばなくなってしまったのでしょうか。

 とても大切だったのに、どうして女の子のことを忘れてしまっていたのでしょうか。


 思い出せなくて、フェリシアは両手をばたつかせて叫び声を上げたくなりました。けれど、夢の中のフェリシアは当たり前のように女の子に頬を寄せています。女の子も嬉しそうにフェリシアの頭を撫でてくれました。


 ――でもね、もしもあなたがまた旅をしたいと思ったなら、そのときは正直に言ってね。どこにいても、あなたはわたしのお友だちよ――


 優しい声とともに、女の子の姿がどんどん薄れていきます。まだ、女の子の名前も思い出していないのに。


(待って、置いていかないで)


 女の子の手から離れた花冠が、ぽとりと地面に落ちました。



 ***



 フェリシアは自分の声で目を覚ましました。


 ゆらゆらと部屋全体が揺れています。川に流されているような、雲を渡っているような不思議な感覚です。ゆっくりと辺りを見回すと、フェリシアは小さな悲鳴を上げました。何ということでしょう。見たことのない場所にフェリシアはいるではありませんか。


(誘拐かしら?)


 なんと不埒なやつでしょう。フェリシアが近づいてきた相手を睨み付けると、ぼやき声が聞こえました。


「ようやく目が覚めたのか、寝坊助が。お前みたいな不細工な奴、夢の中でひいおばあさまに頼まれなければ誰がさらうものか」


 失礼な物言いで事情を説明してくれたのは、ひどくつまらなそうな顔をした男の子でした。真っ黒な髪は長いこと水浴びをしていないのか、どことなくべたついています。ろくにご飯も食べていないのでしょう、頬や首筋、薄汚れた袖口から見える手首はとても細く、骨ばってきました。


 フェリシアは家族から無視されていますが、ご飯だけはたっぷり食べることができます。だから目の前の痩せぎすの男の子を見て悲しくなりました。お腹が空いているのは辛いもの。フェリシアは黙って、先ほどまで部屋にあった果物をわけてあげたのです。


 喜んでくれると思ったのに、男の子はどこか怒ったような顔をしました。果物を地面に叩きつけようとしてしばらく固まり、悲しそうに首を振ると、座り込んで食べ始めました。


「お前が俺の幸せを全部奪ったのに。お前だけが俺に優しくしてくれるんだな」


 よくわからないことを言われて、フェリシアは少し腹を立てました。


 せっかく果物をあげたのに、男の子は投げ捨てようとしたのです。なんて罰当たりなことをするのでしょう。その上、フェリシアが男の子の幸せを奪っただなんて。


「大叔父たちに家も土地も全部取られてしまった。そのまま俺のことも追い出してくれたら良かったのに、自分たちの悪事が見つかることを恐れて、俺は奴隷扱いで屋敷に閉じ込められている」


 快適だけれど、檻のような部屋に閉じ込められているフェリシアも似たようなものです。何となくフェリシアは、男の子のことが気の毒に思えてきました。おそるおそる男の子に近づけば、そっと頭を撫でられました。


「深窓のお姫さまとして暮らしていると聞いていたんだ。声しか聞いたことのないお前が、憎たらしくてたまらなかった。でも、籠の鳥のお前も幸せではなかったなんてな」


 男の子はなんだか懐かしい瞳をしています。初めて会ったはずなのに、初対面だとは思えないのです。フェリシアにはそれがとても不思議でした。


 一生懸命考えました。フェリシアの小さな頭では、難しいことや昔のことは思い出せません。でも、男の子はとても似ているのです。


 そうです、夢に出てきた女の子です。疲れ切ったフェリシアのことを助けてくれた優しいあの子です。


 だからこそ、男の子を見てフェリシアは悲しくなりました。


 大好きなあの子によく似た男の子には笑ってほしいのです。かつて女の子が泣いていたときのことを思い出しました。


 あの時は、一体何をしたのでしょうか。


 お星さまがきらめいたように、フェリシアの記憶もよみがえりました。そして迷うことなく、男の子に一本の青い羽を差し出したのです。そして、よたよたと倒れてしまいました。


 驚いたのは、男の子の方です。


「違う、そういう意味じゃない。お前に八つ当たりした俺が悪かったんだ。本当にごめん。絶対に守ると約束したのに」


 あの子によく似た空色の瞳から、ぽろぽろと涙があふれてきます。フェリシアは、また胸が痛くなりました。男の子を泣かせたかったわけではないのです。笑ってほしかっただけなのです。そのためにもう残り一本だけになっていた羽を引き抜いて差し出したのに。


(ねえ、願って?)


 男の子は、泣きながら言いました。


「ほら、今すぐ鳥籠の扉を開けるから。頼む、起き上がってくれ。お前には大切なお役目があるんだろう? こんなところで終わっちゃいけないんだ」


 その瞬間、フェリシアには硝子にひびが入ったような音が聞こえました。そして、かつて優しい女の子が話していた言葉を思い出したのです。


 ――あなたの羽とわたしの瞳は、同じ空の色をしているわね。きっとあなたは、青い鳥。幸せを運ぶ妖精なのね――


 ぱらぱらと何かが崩れ落ちる音がしました。



 ***



 ようやくフェリシアは思い出しました。


 どうしてこの土地にやってきたのかを。

 どうしてこの屋敷に住んでいたのかを。

 どうして記憶を失ってしまったのかを。


 フェリシアは、幸せを運ぶ妖精なのです。特別な役割を持つ妖精は、世界中を旅し続けなければなりません。


 例えば四季を告げる妖精も、世界を旅します。さもなくば、季節がうまく回らないからです。ひとつの国がずっと常春で、また別の国が常冬では、住んでいるひとは困ってしまいますからね。


 他にも雨の妖精や、風の妖精なども、世界を旅します。冷たく乾いた風になったり、暖かく湿った風になったりしながら、彼らは国々を回っているのだとか。


 そして幸せを運ぶ妖精のフェリシアは、他の妖精たち以上に、休むことなく世界を回り続けなければいけませんでした。


 春の妖精を捕まえようとする輩がいるように、幸せを運ぶフェリシアを手元に置きたがる人間は星の数ほどいるのです。ぼんやりしていると、瓶詰めにされてしまいます。


 美しく、珍しい上、世界中に届けるはずの幸せを独り占めできるのですから、悪いことを考えてしまう人間に出会わないように、あるいは出会った人間が悪いことを考えてしまわないようにしなければいけなかったのでした。


 けれど、フェリシアは終わりのない旅暮らしに疲れきっていました。四季を告げる妖精たちもしばらくはそれぞれの国を楽しみます。土地の人々に祀られたり、花の妖精などの仲間たちと優雅に過ごすのです。


 風の妖精は国々をあっという間に通り過ぎますが、雨の妖精が常に共にいます。雨の妖精は時々雪の妖精と交代しながら、風の妖精の旅に彩りを添えているのです。


 それなのに、幸せの妖精であるフェリシアの旅はひとりきり。誰とも話すことはなく、ずっと歩みを進めなければなりません。


 すっかり嫌気が差したフェリシアが、ふらふらと迷い込んだ森の小さなおうちで出会ったのが夢の中に出てきた優しい女の子だったのです。


 女の子は貧しい村の村長の娘さんで、フェリシアのことを匿ってくれました。フェリシアが女の子と暮らすうちに、村はどんどん豊かになっていったのです。


 そのうち女の子は、フェリシアに旅を再開しなくていいのかと尋ねるようになりました。フェリシアもそうすべきであることは理解していましたが、女の子と離れたくなくて、出発を先延ばしにしていました。


 その間にいろんなことがありました。


 人間はフェリシアが想像していたよりも脆くて儚い生き物でした。簡単に流行病や事故で命を落とします。恐ろしい天災で家や畑が駄目になることもありました。


 女の子が悲しむような出来事が起こるたびに、フェリシアは羽を渡しました。そうすれば、幸せの力で女の子が望む未来が訪れるからです。もちろん、それはあまり良くない力の使い方です。幸せの妖精のお仕事として考えるなら、落第点でしょう。それでもフェリシアは良かったのです。女の子が笑顔でいてくれるなら。


 けれどいつの間にか、女の子は笑ってくれなくなりました。それどころか、フェリシアを見るたびに悲しそうな顔をするようになりました。


 ――わたしは、あなたから幸せを奪い取るために友達になったのではないの――


 そんなことくらい、フェリシアは知っています。女の子は一度だって、自分からフェリシアに幸せをねだるようなことはなかったのですから。ただ、フェリシアが女の子のためにやってあげたかっただけなのです。


 やがて、優しい女の子はフェリシアをおいて、天に召されてしまいました。


 ――ずっと一緒にいたかったけれど、ごめんなさいね。フェリシア、どうか、自由に生きて。いつかまた必ず会いにくるから――


 自由って一体何なのでしょう。大好きな女の子がいなくなった今、再び世界中を旅することがフェリシアにとっての幸せとなるのでしょうか? まだらになった羽を広げて、フェリシアはため息をつきました。


 そんなフェリシアの前に現れたのが、今、フェリシアと一緒に住んでいる家族たちでした。彼らに乞われるがまま羽を渡し、願いを叶え続けていたフェリシアは、いつの間にかほぼすべての力を失い、羽がほとんどない醜い小鳥になってしまっていたのでした。


 そして自分の心を守るために、記憶を封じ、夢うつつの中を生きるようになっていたのです。



 ***



 男の子の手によって、鳥籠の扉は開きました。けれど、フェリシアの身体はもううまく動きません。最後の羽を抜いてしまったのだから当然です。


(だいたい、お役目を投げ出していたのだから仕方がないわ)


 フェリシアのことを両のてのひらで包んでくれたのでしょう。心地よい温もりとともに、身体がふわりと浮き上がりました。


「もっと早く助けに来れば良かったんだ。俺が意地を張ったばっかりに」


 男の子が泣いています。


(どうして、泣くの? あなたは何にも悪くないのに)


 幸せの妖精の役割を忘れて暮らしていたのです。愚かな妖精の末路としては、上出来なのではないでしょうか。ひとりぼっちで消えるのではなく、別れを惜しんでくれる相手がいるのですから。


(ああ、あたたかい)


 あふれ出た涙が頬を伝い落ち、空から降る雨のようにフェリシアの身体に吸い込まれて行きました。


「全部、お前に返すよ。だからまた、あの綺麗な歌を聞かせてくれ。そして、お前と一緒に俺も旅に連れていってくれないか。これからは、俺がお前を守るから」


 そのときです。くたりとしていたフェリシアの身体が光輝きはじめました。あまりのまぶしさに男の子が驚いていると、やがてゆっくりと光が和らいでいきました。そしてそこには、美しい女の子が立っていたのです。


「優しい願いをありがとう」


 なんということでしょう。美しかったお屋敷はあばら家に、豊かな麦畑が続いていた場所は草も生えない荒れ地になっているではありませんか。遠くの方で、老婆と老爺が何かを抱えて泣き叫んでいるのが見えました。


「ねえ、怒ってる?」

「どうして?」

「私があなたたちに分け与えていた幸せをすべて返してもらったから」


 おずおずと問いかけたフェリシアに、男の子は小さく首を横に振りました。


「もともとあの豊かさは、全部お前のおかげだ。度を過ぎた幸せをむしりとったから、罰が当たったんだ」

「差し出した私がいけなかったのに?」

「そんなことはないさ。思いやりを忘れた人間が悪いんだ。ほんの少しなら、神さまだってお目こぼししてくれていたはずなんだ。それに幸せというものは、富だけを指すものじゃないだろう?」


 男の子のどこかさっぱりとした笑顔は、あの女の子によく似ています。


 久しぶりに見た広い青空は、どこまでも遠く澄みわたっています。閉じ込められていた鳥籠から出てきたフェリシアは、本来のお役目を果たすために空に飛び立つのです。


 旅をしているときには先の見えなさに疲れ果てていたはずなのに、今はなぜか胸が高鳴ります。


 人間を知ることができたのは、女の子のおかげです。やっぱりフェリシアは女の子のことが大好きなままでした。自然とお礼の言葉が口から出ます。


「ありがとう、クリス」

「別に礼を言われるほどのことじゃないさ。でもなんで俺の名前を知っているんだ?」


 クリスは、男女どちらにも使える愛称です。あの女の子と目の前の男の子が同じ名前だと知って、フェリシアは嬉しくなりました。


(あなたはちゃんと約束を守ってくれたのね)


 そして、男の子に手を差し出して言いました。


「さあ、じゃあ準備はいい?」

「え?」

「何を驚いた顔をしているの。あなたも一緒に行くって言ったでしょう?」

「本当について行ってもいいのか? 神さまから預かったお役目だろう?」


 フェリシアはにこりと笑って答えました。


「あなたと一緒なら、私はどこへだって行けるわ」

「でも、俺のせいでお前は」

「あなただって、私のことを許してくれたじゃない」

「それとこれとは話が違うだろう」


 戸惑う男の子に、フェリシアは言いました。


「何かを始めるのに遅過ぎるということはないのよ。痛みを知ってからやり直すことだってできる。自分のことを省みることさえできるなら。私たちはそれを学んだばかりでしょう?」

「ありがとう。今度こそ、ちゃんと守ってみせるから」


 フェリシアの手を男の子が取ると、ふたりはまるで春風のようにふうわりと飛び立ってしまいました。あとには、ぼろぼろになった小さな鳥籠がひとつ残されているだけです。



 ***



 とある国、とある村はずれの荒れ地には、あばら屋が一軒立っています。そこには、自分たちのことを金持ちの貴族だと思い込んだ老夫婦が住んでいました。


 ずいぶん前に子どもたちを相次いで亡くしたせいでしょうか、奇妙なことばかり口走るようになってしまいました。気の毒なひとたちなので、村のひとたちも気にかけて面倒を見てくれています。


 けして豊かとは言えない土地ですが、互いに肩を寄せあい慎ましく暮らしている村のため、それなりに過ごしやすい穏やかな場所なのです。


 ただ、しかめっ面をしている老夫婦には、残念ながらそれがわからないようなのです。優しい隣人がいることにも気がつかないまま、彼らは今日も夢の中をさまよい続けています。


 一方、大陸のあちらこちらで、幸せを運ぶ妖精に出会ったという話が聞こえてくるようになりました。美しい姫君と逞しい騎士だったというひともあれば、コルリとカラスの姿をしていたというひともおりました。


 幸せが一か所に集まらないようにするために、ずっと旅をしなければならないはずの妖精たちは、不思議なことにとても幸せそうに見えたそうです。


 幸せは失ってからでしか、幸せであったことに気がつかないもの。幸せの妖精は自分が司っているものを心から理解しているのだろうと人々はうなずきあいました。


 やがて多くの人々が、世界中を旅するようになりました。かつて荒れ地の上にあったあばら家もいつの間にか土に還り、たくさんのひとが歩く大きな道の一部となっています。


 時折、誰もいないはずなのに甘く華やかな香りがすることがありませんか。優しい歌声が聞こえることがありませんか。そんなときは、ゆっくりと目をつぶってみてください。運が良ければ、幸せを運ぶふたりの姿がまぶたの裏に映るかもしれません。

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i000000 バナークリックで、 『旦那さま、冷たいあなたも素敵だけれど、さすがに疲れてしまいました。離婚して出て行ってもいいかしら?』に飛びます。 2023年12月28日より一迅社様から発売されます、「お飾り妻は冷酷旦那様と離縁したい!~実は溺愛されていたなんて知りません~ アンソロジーコミック」収録作品です。 何卒よろしくお願いいたします。
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