第3章 最初のプロポーズ
(辺境伯の娘アスティリア視点)
広い庭園を歩いたので、さすがに汗をかいて喉が渇いた。
それは王太子殿下も同じだったようで、四阿のベンチに腰を下ろすと、付き添っていたメイドに冷えたドリンクを持ってくるように命じた。
そして少し離れた場所にいる護衛騎士以外、周りには誰もいなくなったところで、突然王太子殿下が私の前で膝を突いて私に結婚を前提にした婚約の申し込みをしてきた。
オークウット公爵の令息で、幼馴染でもあるディズベルが予想していた通りになった。
「僕が貴女を必ず幸せにしますから、どうかこの申し込みを受けて下さい」
「幸せにするってどうやって?」
私がこう尋ねると、王太子殿下はこう答えた。
「僕が貴女を愛するのです。そうすれば貴女は幸せになれるでしょ?」
「殿下に愛されると私は幸せになれるのですか?本当ですか?
私の母は元婚約者に愛していると言われていたそうですが、結局婚約破棄されましたよ。
愛されるだけじゃ幸せにはなれませんよ」
「それでは、宝石やドレスを贈ります。女の人はみんな好きなのでしょう? 身に着けると幸せな気分になれると聞いています」
「ええそうでしょうね。
でもたとえ素敵な贈り物をされても、すぐにそれを汚されたり奪われてしまうのでは幸せにはなれません。むしろ不幸です。
それにそれが分かっているのにお礼を言うなんて馬鹿馬鹿しいですから、最初から要りませんわ」
「そんなことはさせませんよ。
嫌味や嫉妬や虐めからは、僕が守ってあげます」
「そんなことは無理でしょ! ずっと一緒にいるわけじゃないのだから。
それにこちらが苛められているのにもかかわらず、何故かいつのまにかこちらが虐めた側になってしまうかもしれないのでしょ?
そんな摩訶不思議な思いはしたくありません」
「貴女の言っていることの意味がわからない。
僕は本当に貴女だけを愛して、貴女を守るし、絶対に浮気はしない!」
「そんなことをいくら誓っても、人は真実の愛を見つけたら、その人しか愛せなくなってしまうものなのでしょう?
そして君のことは勘違いだったというのでしょう?
君を愛していると思っていたけれど違ったと。
私はそんな不確かな愛なんてものはいりません」
「やっぱり貴女が言っていることがさっぱりわからない」
「それに婚約破棄された後も、元婚約者の不幸になる姿を見たいという、浮気相手のいいなりになって、辺境の熊男と評判の男に嫁ぐように画策されるのはごめんです」
「意味がわからない」
「それに大体、陛下の元婚約者の娘が自分の息子の妻になるなんて、殿下のお母様が認めるわけはないし、嫌がられるに決まっているではないですか。
それがわかっていて婚約を申し込もうだなんて、ただ嫌がらせをしたいだけなのでしょう?」
王太子殿下は唖然となって瞠目した後でこう言った。
「凄くリアルな妄想だね。何か小説でも読んだの?」
だから私はこう答えたわ。
「妄想なんかじゃありませんよ。全部事実。実際にあったことです」
と。まあ、多少誇張していたり、少しだけ齟齬はあるけど、大筋では間違っていないからかまわないわよね?
一週間前にお母様から聞かされた話は、まるで小説や戯曲のようだった。私がそう呟いたら、実際にお母様をモデルにした小説が出されて大ヒットし、それを元にお芝居まで作られて上演されたのだという。
もちろんあくまでもフィクションだと銘打たれてあったので、お母様にはびた一文もお金が入らなかったそうだが。
その元ネタを誰がどのように入手したのかは不明のままだが、王宮勤めの使用人の女一人と、人気小説家、そして有名な脚本家がその後不審死したらしい。
おそらく使用人の女がその小説家と関係があって、その情報を漏らしたのだろうとお母様が平然と言ったので、私は恐ろしくて震えてしまった。
辺境騎士団の野営訓練で聞かされた、魔物に襲撃された時の話より数倍怖かった。
同じ襲われるにしても、相手が分かる方がまだマシに思えたわ。
「殿下は何も知らないのですね。きっと大切に育てられたのでしょう。あなたはとても優しくて良い人のようですし。
でもだからこそ、私はそんな方とは婚約いたしません。
だって素直で優しい人って、悪い人の話も疑うこともなくすぐに信じてしまうでしょ?
そして信じたら、絶対に疑わないでしょう? 誰が何を言っても、別の事実があったとしても。
愛する人に真実を訴えても信じてもらえないなんて、そんな辛いことに私は耐えられそうもありませんし、我慢もできないと思うのでお断りします」
「さっきの貴女の話が事実というのなら、僕の父は貴女の母上と婚約していたのに、僕の母と浮気をした。
その上虐めをしたという嘘をでっち上げて、婚約者を陥れて婚約破棄をし、真実の愛だと言って僕の母と結婚したということですか?
しかも、婚約破棄をして不幸にしたくせに、さらに追い詰めようと、元婚約者を辺境の熊男と無理矢理に結婚させたと」
「ええ、その通りです。殿下はとても理解力があるのですね。驚きました」
「しかし、そんな話は信じられない。まるで三流恋愛小説みたいじゃないか。テンプレ過ぎる」
「全くです。
十三年前にこの国の国民は、臣下だけでなく一般庶民に至るまで、そんな茶番劇を見せられて、みんな恥ずかしい思いをしたことでしょう。
しかもそんな三文芝居をした大根役者が国王になるだなんて、人々はさぞかし将来に不安を抱いたでしょうね。
でも、王太子殿下がこのことを今まで知らなかったというのなら、まあ、仕方のないことですけれど。
それにそもそもこの出来事は、殿下も私と同様に生まれる前の話なので無関係です。ですから殿下がご自分のご両親の代わりに罪を償う必要なんてありませんよ」
「僕が両親の罪を償うとはどういう意味かな?」
「殿下は気付いていなかったのですか?
それでは、何故殿下は見も知らない私との婚約を受け入れたのですか?
しかも私を愛する、絶対に浮気をしないと宣言するなんて」
「『昔、誤解から仲違いした幼馴染の女の子がいるのだが、その子は望まない結婚をして、今不幸な思いをしている。
友人として助けてやれなかったことを今でも心苦しく思っている。
だからその罪滅ぼしで、せめてその彼女の娘だけでも幸せにしたい』と父に頼まれたのです。
国王に頼まれては断るわけにはいきません。子とはいえ、国王には逆らえませんし、逆らえば臣下達に示しがつきませんから」
「やっぱり殿下は、素直で優しい人ですね。悪い人の話も疑うこともなくすぐ信じてしまうなんて。
人としては好感を持てますが、人の裏を読めないようでは、人に騙されて酷い目に遭いますよ、お父上の国王陛下のように。
そして騙された後に悔やんで、いつまでもそれを引きずる羽目になりますよ。
それって、周りが酷く迷惑なので、殿下もそうならないことを心よりお祈りしています」
不敬罪で逮捕されてもおかしくない発言をしつつも、私は恭しく頭を下げたのだった。
読んで下さってありがとうございました!