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第9話 温泉

 祖母のグーナを見送ってすぐ「温泉に行こう」と言い出した母のユノに、タンザは「は?」と返した。


「なんでいきなり温泉?」

「手っ取り早く幸せになるには、とりあえず温泉よ。でしょ?」

「いや、うん、母さんのその思考、わからなくはないけど。……いいの?」

「こんな日くらい、いいでしょ。お湯番のトナとカイさん、うちの事情聞いて、まけてやるからおいでって言ってたし、甘えちゃいましょう」


 タンザはどうしようか迷い、頭をかいた。


 二十年ほど前に、井戸の掘削工事中に偶然掘り当てられたという旧都の街中まちなかにある温泉は、普段なら確かにタンザたちのような市民でも毎日入れるほど安価ではある。

 だが日々の入浴代は「まずここから切り詰めよう」とユノ自身が泣く泣く取り決めたもののうちの一つでもあった。


 おんせん、とどうもよくわかっていないまま自分たちが口にした言葉を繰り返している少女は、相変わらずかわいらしい。

 それでも青ざめていたあの時の名残がその頬に残っているようにも見え、あのやたらとほこほことした湯と湯気に囲まれた場所に、少女を連れて行くのは名案にも思えた。


「あんたはどうする?」


 問いかけてきたユノが、商品を入れている行李こうりの蓋を開け、一番上等にできたと言っていた衣一式を布に包みだした。

 母を見ながら、タンザは「うううん」と唸る。

 このところずっと水で濡らした冷たい布で身体を拭くだけで我慢してきたので、行きたい気持ちがないと言えば嘘になる。

 温泉でほこほこした後の彼女も間違いなくかわいいだろうし、正直見逃さない手もない。


(どっちにしろ明日の飯の具、減ってるだろうし、行きたいと言えば行きたいけど)


「ね。あんた、あのかんざし


 タンザが声をかければ、少女は黒めがちな目でこちらを見上げてきた。

 そ、と襟のうちに手を当てたところを見るに、そこに簪はあるのだろう。


「預かる。それ、きれいに銀色で塗装してあるけどさ、木でできてるでしょ。その木、多分、ものすごく湿気に弱いと思う。湯気があたるとよくないんじゃない?」

「よくない、ですか?」

「そう。後々たわむと思うんだよね。大事なもんなら、持ってかない方がいい。壊れたら困るでしょ?」


 わざわざこのうち狙って入る奴もいないだろうから置いて行っても大丈夫だとは思うけど、大事なもんなら万が一があっても困るだろうし、とタンザは言い添える。


「この前みたいに預かっといてやるから、ゆっくり温泉つかっといで。グーナ婆の言ってたこと、おれにはあんま、わかんないけどさ。あんたが、ずっとあそこにいたのは確かなんだろ? なら、まだ温泉だって見たことないでしょ。あんね、すっごくおっきいお風呂だよ。あったかくて、いい気持ちになるよ。とーってもいい場所だよ」


 な、とタンザは少し屈んで、誘うように手を差し出した。

 目の前の少女の視線が、タンザの顔と手を行き来する。


「預けたら、タンザがおんせん(・・・・)に行けないのではないですか?」

「また今度行くから気にすんな。ほら、母さんも待ってるし、さっさと貸しな?」


 タンザがなおのこと手を突き出すと、彼女は俯いた末、襟元から四本の簪を引き出し、タンザの手の上に置いた。

 りん、とどこからか清廉な音が響く。


「よろしく、お願いします」

「確かに」


 律儀に頭を下げた少女の黒髪をタンザは、よくできました、とかき撫ぜた。


「楽しんどいで」


 きょとりと少女は顔を上げて。

 破顔したタンザは、簪を大事に収めた懐を叩いてみせた。

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