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第2話 羽織

 タンザが荒れた森を走り抜けると、真昼の空が待っていた。

 安堵と同時に汗が吹き出し、息が切れる。

 今抜けてきた場所を振り返ると、布を巻いた頭から瓦礫の屑がぽろぽろと思い出したように降ってきて目が痛んだ。

 静まり返った森の奥の方から、また廃墟の崩壊音が聞こえた気がして、知らず背筋が冷えた。

 よく切り抜けられたよなぁ、と己の強運を神に感謝した途端、足から力が抜けた。

 尻餅をついてしまい、落ちてしまわないよう、懐の内を咄嗟に両腕で抱え込む。

 羽織を広げると、襟元で大樹の洞の中にいた少女がすぅすぅと寝息を立てていた。

 自分よりもいくらか歳下だろう。

 それでも十代の半ばには届いていそうなのに、あどけない寝顔も、睫毛の影が落ちるまるい薄紅の頬も、いとけなさすぎて、殊更小さな子どものそれだった。

 身じろぎとともに、少女の雛鳥の産毛みたいにやわらかな黒髪が、タンザの首元をくすぐる。

 頭に挿さるいくつものかんざしが重そうで、ひとつふたつ、みっつよっつと取り去ってやれば、少女の黒目がちなまなこがわずか開き、あっと思う間に閉じた。

 敷布を手繰り寄せるように襟元をひき掴まれて、タンザは項垂れる。

 うっかり支え直してやれば、彼女からは今いた森そのものの清廉な香りがした。

 近しい体温も、重みも、小柄な身体の奥にある骨の硬ささえ、人であるのはまず間違いなさそうなのに、この少女が精霊や何かの類だと言われても、信じてしまえる気さえする。


「……しまった。かわいい」


 さすがにこれを売るわけにはいかない。

 

「いや、どうしろってんだ」


 本音を吐いてしまってすぐ、我に返りますますタンザは項垂れた。


 旧都に伝わる昔語りだ。

 かつて前王朝が戦の果てに滅亡の危機に瀕した折、当時の王の願いを叶え他国の兵を退けた守りの宝珠があったという。

 類稀な美しさを誇るその宝珠は、神の元へ納められ、王朝の守りのかなめとなった。

 しかしいつしか宝珠の存在は形ばかりのものとなり、王が幾たびも代替わりした頃、占者に従い都を移したその王朝は、遷都したその先でほどなく滅亡した。

 時同じくして宝珠が祀られていた旧宮城も森に飲み込まれたそうだ。

 だからこそ前王朝の滅亡は神の祟りであったとも森にほど近い旧都では伝わっていた。

 そうして、王朝の守りの要であった美しの宝珠は今も朽ちた宮城で眠っているのだ、と。


 年寄りの語るうさんくさいよもやま話だ。


 それでもそのうさんくささに縋らねばならないほどタンザの家は困窮していたし、確かに宮城らしき廃墟は昔語りの通りにそこにあった。

 さらには朽ちた宮城の奥の間の開かれた一角に


『はぁーい! こここそが神に捧げられた宝珠が祀られている場所ですよ!』


 と言わんばかりに主張して光る銀の大樹があり——樹洞に包まれこの少女はいた。


 ただ、目にした瞬間、自分はひどく動転してしまったのだと今ならわかる。

 本来あんな場所に人がいるはずがないのに、人が倒れていると単純に思った。

 焦って抱えあげた結果、急に辺りが崩れた。

 元々朽ちていた宮城は、最後の支えを失ったように屋根も壁も次々崩落しはじめたのだ。

 あとはもう必死になって、訳がわからぬまま、ここまで逃げてきたにすぎない。


 宮城の瓦礫に見えそうな石屑と森の蔦葉と一緒に、ちょっと綺麗げな石でも持って帰り、これがかの宝珠であるとうそぶけば、物見遊山で旧都にやって来る物好きな金持ちが、高い値で買い取ってくれるだろうと踏んでいたのに、完全に当てが外れてしまった。

 宝珠の代わりの石ころどころか、これ見よがしにこちらを目がけて降ってきた宮城のかけらすら拾い損ねてしまった。

 身体についた粉塵くらいでは、さすがに誰も信じてくれないだろう。

 溜息をついて、タンザは眠る少女に目を落とした。


(いや、うん、このはこので、高く売れそうな感じはするんだけど……なぁ?)

 

 改めて見ても、少女の顔は滅多にお目にかかれないくらい整っている。

 それはそれはとんでもなく高い値がつくだろう、とつい思ってしまい、あんまりな考えにタンザは気が悪くなった。

 追い詰められているとはいえ、自分でも反吐が出る。


 タンザは、汚れた自分の指の爪が際立つ程、くすみのない薄卵色の額をなぞる。

 袖から粉塵が零れたのか、咎めるように、花色の唇から、また一つ、くしゃみが出る。

 すんませんでした、とタンザは眠る少女に心のうちで謝罪した。


「借金どうしよ」


 ふり仰いだ空は迷いなく澄んだ青に染められていて、諦めを促すようにタンザの腹の虫がぐぅと鳴った。

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