第18話 *箸*
「きぃいやゃあああああああああ!」
向こうの部屋にいるユノさんの声が台所中に響いて、わたしは夕食後に頼まれ運んでいた器を落としてしまった。
慌てて戻ろうとしたわたしは、戸の前でタンザに引き戻される。
「ここにいて。もしもの時は、あっちから」
いつの間にか、つっかえ棒を手にしていたタンザが指差したのは、台所から外に続く戸だった。
ノーエちゃんとルーちゃんが川で採ってくれた魚が、軒先に網にのって吊るされている場所。
干した方がおいしいんよ、とユノさんが教えてくれた。
土間から框に上がったタンザが、そっと戸を開く。
隙間から、中を覗った途端、「なんだ」とタンザは力を抜いた。
タンザの背中の後ろから抜け出して、開いた隙間を覗き込む。
瞬間、喉がひゅっと引き攣った。
戸の向こうで、ユノさんがぼろぼろの衣を纏った、毛むくじゃらで泥だらけの大きな獣みたいな何かに捕まっていた。
かろうじて見えたユノさんの——青色の飾り布がついた頭が左右に振れる。「いや、もう、臭い、離して」と仕切りに頭を振っている。
「タンザ! ユノさんが!」
タンザの肩を叩いて訴えると、タンザは「いや、あれはほっといていい」とよくわからないことを言った。
まったく人さわがせな、とそのまま戸に背をつけて座り込んでしまったタンザを乗り越え、戸を開く。
「ユノさんから離れてください!」
まだ手に残っていた箸を投げつける。
投げた箸は獣に全然届かなかった。
ほとんどわたしの足元で落ちてしまって、ぱらぱらとむなしく床を転がっていく。
毛むくじゃらがユノさんから顔を上げる。重なる黒い毛の下で、こちらを向いた琥珀石の目が光って、わたしはすくみあがった。
「あれ。なんかユノちゃんが好きそうなかわいい子がいる」
ぬっと泥だらけの太い腕が伸びてくる。
同時に、タンザに頭から抱き込まれて、向こうでユノさんが毛むくじゃらを横蹴りしていた。
「こらああああ! 信じらんない!! シュリンちゃんが汚れちゃうでしょうがっ!」
「ちょ、父さん。ほんとやめてくんない!? そんな泥だらけでシュリンに触ろうとするの」
いたい、とくぐもった声で呻いて腰をさすった毛むくじゃらは、そのまま距離を取ったはずのユノさんの腰を掴んで引き戻していた
「きぃいやあああ」
ユノさんが、さっきと同じ悲鳴をあげる。
「クマ、臭い、汚れる、やめて」
訴えるユノさんの頭を、黒く汚れた大きな手が抱え込んでしまう。
わたしはタンザの腕に掴まったまま、泣きそうだった。
離してくれないタンザの腕を叩く。
「ユノさんを、食べないでください……! タンザ、ユノさん助けて」
揺らめき始めた視界の向こうで、ユノさんがぴたりと動きを止めた。
「いやうん。……大丈夫だから、シュリン。安心して」
タンザが肩を震わせて、けほこほと変な咳をした。
「まずい。母さんがかわいさと感動で打ち震えてる」




