日常2:近くて、遠い
普段本を読まない母も、毎月一度は購読している雑誌を買いに、近くに書店へ行く。
そんな母が、「面白そうな本があったから、買ってきた」と、ビニール袋から、ろくに中身も確認してないであろう本を押し付ける。
雑誌はすでに取り出されており、ブックカバーのかかったエナドリサイズの本が一冊だけ。
一緒に入っていたレシートには、「世の中のすべては数字でできている」:税込み2420円と「天然生活」:590円と書いてある。
「母よ、自分が読みもしない本を人に勧めるのはやめとくれ。あと、こんな本買ってくるんじゃなくて、2500円分俺のお小遣として渡してくれよ。」
「そんなことしたらカードやらゲーム機やら買って無駄使いするでしょ。お金だって無限に沸いてこないのよ。それよりほら、面白そうじゃない。この前買ってきた「文章は3行で撃て!」も面白かったし。」
「たしかに面白かったけど、お母さん読んでないじゃん…」
そうじゃないんだよな、と心の中でぼやく。
これをいっても、母には伝わらないからだ。
本を読むことは嫌いじゃないし、むしろ好きな方。
だが、読んだ後の余韻を楽しむよりも、同じものを読んだ人と思いを共有する事の方が、俺は好きなのだ。
たとえ感想が違ったとしても、同じものを共有したいと思う。
だってそれは、俺とは違う「解釈」を持ち、違う現実を知ることができる機会だから。
本を読むのだって、「知らないを知れる」ところが、一番の理由だし、要因である。
「読んだら内容教えてね。」
「自分で読みなさい。」
この会話も何度目か。
棚に並ぶ面白タイトルの数だけ繰り広げた気がする。
未だ片づけられていない炬燵の上におかれた魔法瓶からケーブルを引き抜き、玄米茶のティーバックが入った小分け袋を一枚取る。
裏面にかかれた「今日の俳句」が、俺の小さな楽しみだった。
今日の俳句:「ふきげんな、河豚に負けじと、にらめっこ」by神奈川県横浜市在住・14歳。
年相応の和やかな俳句だ。
それと当時に、ついこの前みた上原の顔が、頭に思い浮かんだ。
(上原も顔真っ赤にしてて、河豚みたいだったな。)
本人の前でこれを言ったら、きっとハリセンボンに進化するだろう。いや、進化ではなく突然変異だな。
マグカップにお湯を注ぎ、二階の自室へと向かう。
昔は高いと感じた階段を、2段飛ばしで上がっていく。
中学受験を理由に妹と別になった部屋は、今も一人部屋のままだった。
時折、扉のゆっくりと開けて「今、暇なんだけど」と、遊んでほしそうに尋ねてくる妹も、今は友達の家に遊びに行っている。
静かな空間に、お茶の香りが部屋を満たしていく。
絶好の読書日和だった。
「これで明日が休みなら文句なし、かな」
ペラ、ペラと、紙のこすれる音だけが聞こえる。
誰にも邪魔されない部屋はほんの少しだけ、こすれる音の感覚を早めるのだった。
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「ふあぁぁぁぁん。。。」
疲れ目をこすり、黒板の文字をひたすら書き写す。
頭に入ることなく、食品製造工場のライン作業のように、左から右、また左から右へと無心で筆をはしらせる。
約1ページ分の板書を書き写し、この時間のノルマを達成すると同時に、机へと突っ伏した。
勢いよく顔からダイブしたため、「大丈夫か?」と前の席のやつが声をかけてくる。
多分、これが3回目となる会話の返答が「おう、寝不足でな」で終了した。
次の授業までの、わずかな休憩時間。
今の疲れた体を回復するのには足りない。
だが、このあとに待ち受けているのは「学活」もとい「席替え」だった。
入学当初から変わらなかった、あいうえお順に並んだ座席。
「篠崎」はやや左寄りの後ろから2番目の座席を示す名前であり、前の席は「相模」とか言ってたはず。
短い休み時間が終わっても、教室の中は席替えの話で盛り上がっていた。
こういうところは、高校生になっても変わらないらしい。ちょっと前のことなのに、とても懐かしい気分になった。
「席につけ~、さっそく席がをはじめるぞ~」と、担任の先生が名簿順にくじを引くよう、指示を出す。
お菓子箱の蓋に入った、不揃いな30枚の紙の束。
前から順に1番、2番と机が並び、5番まで繰り返した来たところで、前から再び折り返す。
「あいうえお」で始まる苗字の生徒が先に並び始め、その先頭の女子の後ろに、「上原」がいた。
くじを引き、その席番を確認することなく、静かに席に座り、文庫本を開く。
(あいつ、宝くじなんて絶対買わないんだろうな。)
年末恒例、ジャンボ宝くじを買う人の行列を眺め、「お金の無駄」とか思ってそう。
根拠のない偏見だが、どこか確信めいたものがある。
順番が回り、ゆっくり席を立つ。
少し数の減ったくじを、しゃかしゃかと振る先生。
「どれがでるかな~」と、夏祭りのくじ引き屋みたいな口調だった。
箱の隅に挟まった紙を引き抜き、番号を確認する。
「30」と書かれた番号は、引きたかった1等当選番号。
(やった!これで寝ていても、簡単にはばれない!)
内心で大きくポーズをとる。
バク転と4回転アクセルも交互に繰り返した後、全員がくじを引き終えたことで、座席移動が始まった。
左後ろから右後ろへとスライドするだけなので、移動は手短に終わる。
ふと、昨日の本の内容が浮かぶ。
《《世の中のすべては数字でできている》》
この本の中で、人間の世界は数字によって成り立っていると、語られていた。
年齢、身長、体重など個人を表すステータスから、国道の番号、住所の番地等の身近なものまで、すべてが数字で成り立っている。
ことクラス内の座席順も、数字の上に成り立っていた。
中でも面白かったのは、「人間の心の距離は、数字で成り立っている法則」。
仰々しい法則だが、距離と時間に相対性があるという意味らしく、一言でうと「昔の友達 < 今の友達」ということらしい。
(この法則に当てはめると、真ん中の席は友達沢山ってことになるのか?)
逆説的に、端っこはボッチ?
少なくとも前と横の席とはティッシュ一個分の距離で繋がっているので、ボッチではないか。
となると、一番心の距離が遠いのは誰だろう?
四角形の対角に位置し、俺から最も遠い席にいる疎遠者。
少しだけ背伸びをし、前の席に座る生徒を確認する。
すぐに気づいた。「上原」だった。
先ほどと変わらぬ姿勢で本を読む姿は、「窓際の令嬢」とでも言い表せそうなほど、気品と大人っぽさがある。
風で揺れた前髪を抑え、耳にかけえる仕草は、非常にそれっぽい。
もしかすると、本物のご令嬢だったりするのだろうか?
何も知らないがゆえに、憶測が宙を舞う。
(それにしても、一番遠いのが「上原」か。)
思わず口角がゆるむ。
特別教室での距離と、クラス内での距離。
一番近くて、一番遠い。
この距離間が、どこかいまの俺たちを正確に表現しているようで、可笑しかった。
きっと特別教室で、本の話の続きをするだろう。
あーあ、昼休みはまだだろうか。
待ち遠しい。