閑話1 オルタンシア
私の名前はオルタンシア。姓は無い。
私は暗殺集団ベラドンナの元一員だったが、任務に失敗して粛清され逃げ惑う中、病に苦しむ貧困街の住人へ、治療を行っていたアウリスお嬢様に発見され、命を救って頂いた。
現在はアウリスお嬢様の侍女兼、護衛を仰せつかっている。
人を屠る為に磨いた技術を、お嬢様を守る為、今日も私は刃を研ぎ澄ます。(物理の方)
義弟君の様子がおかしいと仰られたので探ってみたら、生家のクズ共が、卑しくも幼子に金の無心をしていると突き止めた。お嬢様はそれを知るや、私が集めた証拠を精査して纏め、旦那様に提出し、クズ共を処分し、ご家族の仲に漂っていた不和を払拭なさった。
お嬢様が聖女すぎてツライ。信仰心と忠誠心が止まらない。貴女が好きだと叫びたい。
アルモ様は公爵ご夫婦をお父様お母様とお呼びして、アウリスお嬢様を義姉さんとお呼びする。
義に込められた意味に私は気付いている。
アルモ様のお嬢様を見つめる瞳は、愛する女性を見るそれだったからだ。
(アルモ様とお嬢様が結婚したら、私はこのままお嬢様にお仕え出来るわね…。黙っていましょう)
沈黙は金なのだ。
お嬢様の幼馴染とか言うあのクソガキ、ライオネルとか言った?
騎士団長の息子だか何だか知らないけど、たいして強くも無いのにイキがって。
私なら一瞬で背後を取って、頸動脈をしゅっとして終了だ。
はん。剣を振り回して力自慢をして何が楽しいんだか。私ならしゅっだぞ、しゅっ。
お嬢様の背後で静かに愚痴と自慢話を聞き控えているが、これ以上お嬢様に雑音を聞かせるぐらいなら…と、しゅっとしそうになった時。お嬢様がクソガキを一喝なさった。
クソガキは目から鱗みたいな顔をして、お嬢様に指摘された事を確かめると言い、犬の様に走って去って行った。
何だアイツは。保健所に連絡をした方がいいのか?
後日、自分の過ちを認め、心を入れ替えると律儀に報告に来やがった。
アウリスお嬢様は気付いてらっしゃるのだろうか。
お嬢様の前に片膝を突き、心臓の上に右手を置いて、左手に鞘に収まった剣を持つ。
それは騎士が主に忠誠を誓う姿だ。
更に古代では、姫が降嫁する際、夫が変わらぬ愛を誓う儀式だったと言う。
お嬢様は知っていても、子供のおふざけ程度にしか捉えてないだろう。
このクソガキは分からない。無自覚にやっているのなら手に負えない。
(でも、他家に嫁ぐのなら、王家より騎士伯家の方が着いて行きやすそうね…)
オルタンシアは仲睦まじい幼馴染達を、にっこり黙って見守った。
宰相の息子だとか言うトマス様。
教師として招かれたくせに、自分の知識をひけらかし、お嬢様を馬鹿にする愚か者だと、即刻しゅっとするつもりでしたが、話を聞いているうちに憐れに思えてきました。
自分は優秀で無ければいけないと言う一種の脅迫観念と、自己肯定感が低い事の裏返しで、他人を卑下しなければ己を認められない。そんな澱みに入り込んで抜け出せない、そのように思えた。
人を殺める事にしか自分には価値が無い。そう思い込んでいた私に、少し似ている。
私はお嬢様のお陰で救われた。
アルモ様もライオネル…様も、聖女の如き慈悲を持つお嬢様に救われた。
トマス様もお嬢様が優しく…あれ?お嬢様?それは嫌味ではございませんか?いえ、まったくもってその通りで、お気持ちは良く分かりますが。
複雑な心理状態の彼に、それは刺激的すぎでは?
案の定トマス様は授業時間にも関わらず出て行った。自分より格下だと思っていた存在から扱き下ろされ、耐えられなかったのだろう。
もう二度と来ないかもしれない。
それならお嬢様を独り占めに出来る時間が増えると、私は喜んだ。
のも、束の間だった。
ヤツは直ぐにお嬢様が成された偉業を調べ、お嬢様の偉大さを再確認して戻って来た。
(お嬢様を至高とするその心意気、まあいいだろう。仮にお嬢様と結ばれたら…。お嬢様は宰相夫人、影で政治を操る女王となれる。…いいわね…)
オルタンシアは、立場が逆転した師弟関係を黙って見守っていた。
王子チョロい。
隣国の皇太子に強い劣等感を持ち、それを悟られないように幼いながらも毅然とし、自分の役割も立場も、痛いくらいに理解している賢すぎる子供。
王族なら当然なのかもしれないが、栄光を約束された故に、その残酷な栄光と現実と言う舞台で、理想の舞踏を人々が望むがまま踏まされている。その様に見えた。
その王子は、お嬢様にちょっと優しくされたら簡単に落ちた。チョロい。
お嬢様は幼いながらも、既に女神の如く尊き気高いお方なので例外だが、本来ならこの年頃の子供なら、甘い言葉に喜び、厳しい言葉に泣き、喜怒哀楽を感情のままに表すものだが、この王子はお嬢様の前以外では「優秀な王太子」の仮面を被って外さないので、見かけだけなら以前と変わりない。
お嬢様の煽てに簡単にのり、転がされているとも気付かずに掌で転がされるが。
いやそれだと、お嬢様が王族を意のままに操る、傾国の美女になってしまう。お嬢様は美女だか、傾国はいただけない。
お嬢様は国を繁栄に導く事はあっても、その逆はありえない。
王子がただの愚物なら、王国を破滅へと導くカウントダウンにしか見えないが、早く大人になるしかなかった子供が、信頼できる者の側で本来の姿に返っているようで、相手をするお嬢様は大変そうだが、平和な子供時代を過ごせなかった私としては、羨ましく微笑ましい光景だった。
例えるなら、幼子に無償の愛を注ぐ母親。
将来の旦那様の子育てってなに?と頭を過ったが、虚しくなりそうなので思考を放棄した。
どうしてここに、アケメケアの皇太子がいる⁈
お嬢様に馴れ馴れしく近付くあの男、キュロス・アケメケア・ギョーム・ゾディアック皇太子に違いない。
ベラドンナ時代に耳にした情報と合致するし、奴の周囲には、庶民に扮した手練れの護衛がいる。
同じ世界で生きて来た者同士が纏う、闇深い空気が漂っている。
そしてアケメケアとガロリアは、現在は友好国であるが、歴史を紐解けば長らく剣を交えて来た敵国同士だった。
因縁はまだ両国の間に深く根付いている。
私も、皇太子の護衛も、緊張感をもって二人を見守っている。
お嬢様が皇太子に何か耳打ちをした。
殺意が湧いたがぐっと我慢して、皇太子の護衛の牽制に専念する。
あいつ何てうらやま…じゃなくて、お嬢様と近過ぎるぞ!無礼者め!
不気味なくらいに何も起こらなかった。
お嬢様は優雅に一礼をしてその場を去る。
皇太子はその後姿をずっと追って眺めていた。護衛がいつの間にかその側に侍り、一言二言会話をすると、護衛と共に去って行った。
皇太子には此方の素性はバレているだろう。だからなんだ。私が命にかえてお嬢様をお守りすればいい…!
━━━後日何故か、皇太子はお嬢様に求婚していた。
近過ぎる距離感もそうだが、お嬢様をラマルティーヌ公爵令嬢と知りながら、一介のメイド扱いをして、自分もただの男として接する。
そして、今日は良い天気ですね、と世間話をするノリで求婚するのだ。
無礼だと、何を企んでいると、即しゅっとしたいが、二人が身分を隠している以上私は何も言えないし、奴の護衛もいるので下手な事は出来ない。
「おい、お前、ギョームとか言うのの保護者だろ!アレをなんとかしろ!」
「俺にあの人をどうにかできるか。…それはそうと、お前は結婚とかしないのか?あの方達が結婚したら、お前だって着いてくるんだろ。だったらアケメケアに籍があった方が、何かと都合がいいんじゃないか?」
「はあ?馬鹿を言うな。私もあの方もアケメケアに嫁ぐ事なんてありえん!私は一生お嬢様のお側にいる!冗談を真に受けてどうする馬鹿め!」
「…あの人が、冗談でそんな事言う訳ないけどな…。持参金と嫁入り道具の心配は不要だぞ」
「主従で頭が沸いているのか!結婚などしないと言っているだろ!」
妄言を言う護衛の男を無視して、お嬢様に近寄る皇太子を引き剥がす。
お嬢様が魅力的で、心を奪われてしまうのは仕方ないが、後継者問題が完全に片付いていない帝国に、間違ってもお嬢様を嫁がせる訳が無い。
でももし、皇太子と結婚したら、お嬢様は女帝として君臨できるのかと、ちょっと思ったがそれだけだ!




