5. アウリス・デ・ラマルティーヌ 上
わたくしの名前はアウリス・デ・ラマルティーヌ公爵令嬢。前世では看護学校生だった。
日々終わらないレポート、家族の血圧を計りまくり、浮き出た血管をいい血採れそう…と凝視し、家族を怖がらせていた。
将来立派な看護師になる為に勉強に励んで、疲れ切っていた中で、癒しとなっていたのが『恋する貴公子達』と言うゲームだった。
看護実習終わりの、疲れ切った脳みそにも入り込んでくる広告に興味を惹かれ、軽い気持ちで始めたら、攻略対象者達の甘い台詞に引き込まれ、すっかり夢中になっていた。
学校の帰り道。いつも使う乗換駅でエスカレーターに乗っていた。
僅かな間にも医療用語の暗記をしようとスマホを見ていると、前方から悲鳴が上がった。
痴漢でもあったのだろうか、と呑気な思考は圧迫感と共に消え失せた。
エスカレーターの誤作動で足元のステップが逆走し、上から人が将棋倒しになって降って来たのだ。
下段にいた私はそのまま下敷きになり━━━命を落とした。
そして気が付いたら、『恋する貴公子達』の悪役令嬢アウリス・デ・ラマルティーヌに転生していたのだった。
「ええええ⁈乙女ゲームの世界に転生なんてあり得るの⁈しかも将来断罪される悪役令嬢なんて…!」
悪役令嬢アウリスは幼い頃に、エドワード・アキテーヌ・ノワール・ガロリア王太子と婚約するが、我儘で傍若無人な性格がたたり、フランク学園入学の時にはすっかり愛想をつかされている。
しかしエドワードの社交辞令なお付き合いに、アウリスは自分は愛されている、何をしても許されると勘違いし増長。
義弟アルモ・デ・ラマルティーヌを自分から公爵家の財産を奪う簒奪者と糾弾し、幼馴染の騎士伯令息ライオネル・アントワープに、自分と王太子がもっと仲睦まじくなるようにしろと無茶振りし、宰相令息トマス・ウッドストックに、自分より賢い事を理由に因縁をつけ、性根の悪さに磨きをかけていく。
そして、ゲーム本編でヒロインが各ルートに入ると。
わたくしの婚約者を誑かした売女。わたくしの義弟に媚びた淫売。わたくしの幼馴染を堕落させた淫婦。将来の宰相を手玉に取って傾国の美女気取り?と、侮辱と屈辱と権力をこれでもかとヒロインへ振り翳すのだ。
これは、隠しキャラでも変わらない。
アウリスは、あらゆる攻略対象者の恋を邪魔する悪役の権現なのだ。
そして、最後は断罪されて、最悪死ぬ。
「絶対に嫌!夢も叶えられずに死んで、生まれ変わってもまた直ぐに死んじゃうの?殺されて?絶対に嫌!」
アウリスは脱・悪役令嬢を誓った。
そして、凶悪に巻かれていた縦ロールを捨てた。
まずは、アウリスが王族入りする事で後継者が不在となり、親戚から招かれた同い年の義弟、アルモとの仲だ。
アルモの生家はラマルティーヌ公爵家の分家だったが、贅沢三昧の浪費を重ね、破産寸前に追い込まれていた。
アルモは生家への資金援助の見返りに、本家への養子縁組を承諾した。両親はアルモとの別れを惜しむ事無く、また贅沢な暮らしができると喜んでアルモを送り…いや追い出した。穀潰しを追っ払えると、喜んだのだ。
親に捨てられ、金で買われたと、自分の存在価値に疑問を持ち人間不信になっていたアルモに、アリウスはひたすら優しく接した。
「無理にお姉ちゃんと呼ばなくていいの。ただの親戚だと思ってくれて構わないから」
「自分をそんなに卑下する事ないわ。あなたは素晴らしい人だもの、わたくしはずっとアルモの味方よ」
「耳触りいい事を言って僕を誑し込む心算だな!王家に嫁いでも、公爵家の財産を狙ってるんだろ!お前だって所詮、僕を金蔓としか見てないんだ!」
一向にアルモは心を開かなかった。理由は…。
アルモの実の両親は、十分な支援を受けているにも関わらず、「お前が将来公爵になるんだから、幾らでも金の融通がきくだろ。もっと金を寄越せ、親を養うのは子供の義務だ。親を見捨てるつもりか?人でなし!お前は悪魔だ!」と、幼いアルモに金の無心をしていたのだ。
これでは人間不信に拍車がかかるだけで、心を開いてくれる訳が無い。
『親』を名乗るのなら、『親』の義務を果たしてからしろ!
アウリスは父である公爵にその事実を話した。
アルモが心を開かないのは、無理な養子縁組が原因で自分のせいだと責め、距離を測りあぐねていた公爵は事実を知り、即分家の両親をラマルティーヌ一門から除籍し、アルモに近付く事を永久に禁じた。
それによって社交界からも追放され、両親は貴族の地位も、国内での居場所も無くなり、ひっそりとどこかへ姿を消した。
「僕の価値は、公爵家の血を引いている事だけだと思ってた。だからみんな優しくしてくれるんだって。でもみんなちゃんと、僕を大切にしてくれていたんだね…。もうそれを疑ったりしないよ…義姉さん…」
アルモはアウリス達の真心を受け取り、晴れて家族になった。
幼馴染のライオネル・アントワープは、剣術の天才だった。
騎士伯であり、騎士団長の息子であれば当然かもしれないが、その実力は逸脱していた。
一度見れば剣の型も戦術も完全に理解し、圧倒的実力は大の大人も歯が立たない。
自他共に認める最強の騎士。それがライオネルだった。
それが原因で孤立する。
ライオネルは自分が最強ゆえに、弱い立場の者の気持ちが理解できなかった。
弱いのは実力が足らないからだ。鍛錬を怠ったからだ。死ぬ気で鍛えればみんな最強になれる!
どうして出来ないんだ?もう何回も繰り返しているのに?才能が無い?才能何て俺も無いのに強くなれたんだ!君も最強になれる!
これを曇りなき眼で言えるのである。無自覚な嫌味ほどタチの悪いものはない。
孤立するのも頷ける。
総スカンを受けたライオネルだが、それにも無自覚であった。
そもそも最強とは、一番強いと言う意味だ。一番が何人もいたら可笑しいだろう。
騎士団長はその空気を感じ取り、息子を騎士団から遠ざけようとしたのだが…。
「俺がいなくなったら騎士団が弱くなるだけですよ!父上、俺を辞めさせるんじゃなくて、無能で怠惰な騎士を辞めさせるべきでは?」
再び、曇りなき眼でそう言った。
「あなたみたいのを脳筋と言うのよ!あなたは最強でも何でもないわ!一人で何でもできると思い上がっている愚か者よ!実際あなたがした事は何?暴漢を制圧できても、被害者の心を労われた?宝石店に押し入った犯人を捕らえる為とはいえ、店内を散々荒らして、振り返りもせずに立ち去ったそうじゃない!そんなの『騎士』じゃないわ!剣を振るいたいだけなら、案山子と仲良く遊んでいなさい!」
父親に暇を出され、それを愚痴りに来たライオネルにわたくしはそう叱り飛ばした。
看護学校生時代に、チームの連携がどれ程大切か、魂に点滴をぶち込まれる勢いで言い聞かせられたのだ。
ライオネルの独りよがりな発言は絶対に許せなかった。
もしかしたら、二人の関係はここで壊れてしまうかもしれないと思ったが、黙ってはいられなかった。
そしてこの時やっと、ライオネルは自分が嫌われ者だと気付いたのだ。
帰宅後、父親や仲間の騎士に謝罪し、やり直す機会が欲しいと請い、許しを貰ったそうだ。
何とかやり直しの機会を与えられたと、ライオネルは後日その報告に屋敷を訪れた。
「アウリスちゃんの言う通りだった!これからは自分の意見を通すだけじゃなくて、ちゃんと皆の気持ちも考えるね!」
以前と変わらない笑顔を向けられてほっとした。自分の発言に後悔は無かったが、大切な友人を失うかもしれないと、怯えていたから。
そのあとから、更に仲が良い幼馴染になったと思う。
まるで大型犬に懐かれたようだと、言われるようになるくらいに。
宰相令息トマス・ウッドストックも天才だった。ライオネルが武の天才なら、トマスは知の天才だ。
同い年なのに、アウリスの家庭教師に選ばれる程に。
「フランク学園幼年部入学まであと僅かです。王太子殿下の婚約者なら、どの令嬢よりも賢くなければなりません」
本来なら、未来の王妃の教育は父親の宰相自ら家庭教師をする手筈だったが、他に手が離せない案件があるとして、王太子の側近候補であるトマスを寄越して来たのだ。将来王を支える者同士、今から親交を深めておけと言う事か。
トマスと今から親しくなって損はないが、未来の王妃の教育よりも優先すべき件とはなんだ?
思い当たるものは、リナを見出してフランク学園へ編入させる件だが、あれはもっと後の事だし、フィリップ宰相が偶然リナの才能を発見し、丁度推し進めていた教育改革のもと、彼女を支援しようと学園へ編入させる━━━それが物語の始まりだ。
まあ、それは今は置いておいて。
息子のトマスは選民意識が強いうえ、女に学問は不要だと考えている。
未来の王妃なので、上辺だけでも賢く見えていなくては困る、と言う理由で父の命に従っているが、内心では不満が蓄積し、やがて開けっぴろげにアウリスを馬鹿にする。
アウリスが不真面目なのも原因だが、トマス側にも原因はあると思い、ちょっとだけゲームのアウリスに同情した。
今、わたくしの前にいるトマスも、口では頑張りましょうと言っているが、わたくしを見つめる瞳には期待のきの字もない。
「おや?法律全書を読んでらっしゃらない?ああ、読んではいるのですね。途中まで。内容は暗記なさっているんですよね?していない?どうして?王太子の婚約者である自覚が無いのですか?」
ライオネルが無自覚な嫌なヤツなら、トマスは自覚がある嫌なヤツだ。
ゲームのアウリスにもこうだったのかしら。だったら気持ちが分かり過ぎてしまう。
ふつふつと怒りが込み上げてきて、ダメだと冷静な自分が止める間もなく、封印した筈の苛烈なアウリスが牙を剥いた。
「まあ、トマス様は法律を熟知なさっているのですわね。でもただのお子様なトマス様が法に詳しくて何の役に立ちますの?いえ、知っている事が悪いなんて言っていません。それによって得られるものもあるでしょう。でも、何の権力も実績もないトマス様が法を今極めても現実的ではないと思いますの。優先順位を間違っていませんか?法を学んだ事によって、子供の視点で疑問や矛盾を問うならともかく、暗記しているだけの事をひけらかして自慢して、他者を見下して。滑稽ですわね。わたくしを馬鹿だと思っているのなら、トマス様がわたくしよりずっと賢いのなら、馬鹿にも分かり易く、トマス様の掲げる理屈を分かりや~すく、ご説明、お出来におなりになりますでございますよねええ?」
やっちまった。
そう思った時には遅かった。
トマス様は、屈辱に顔を歪めて邸から出て行った。
後日。
「アウリス嬢、巷に広がりつつある公衆衛生というものは貴女が広めたと言うのは本当ですか?何故ですか。貴女には知識も経験も無い筈です。え?ひらめき?そんな、思いつきで…そんな画期的な事が…。でも実際に死亡率が下がって…。スラム街を見た?私だって報告書でスラムの現状は知って…それほどまでに酷いのですか?」
さすが天才。情報収集力と行動力がすごい。
アウリスは、この世界の医療水準が前世とかけ離れている様を目の当たりにし、居てもたってもいられず持てる知識を、公爵家の名の下に広めていたのだ。
清潔にしろ、衛生を徹底しろ。そう言われても日々の生活に一杯一杯なスラム街の住人に響く訳が無い。
援助金だって渡すだけで、使い方も指導も無い。特権階級は本当の意味で、貧困層に何が必要か分かっていないのだ。
(青年海外協力隊を経験した人に、話を聞いていて良かった)
わたくしの話を聞いてカルチャーショックを受けたトマス様は、知識の量が人の価値を決めるのではないと気付き、女性への偏見も無くなった。
それからまるで、賢者に師事する弟子の様な態度になったトマス様だけど、険悪な雰囲気はなくなったので良しとしよう。




