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「君がリナちゃんだね。初めまして」
思っていたよりもずっと早かった。
リナは簡素ながらも上等なスーツに身を包み、優しく微笑む男性と対面してそう思う。
笑顔は引き攣っていないだろうか…。
差し出された手を握り返し、客人は両親に進められるがまま接客用の椅子に着く。
このモリッツと名乗る男こそ、父の独立を後押しし、リナをフランク学園へ送り込む張本人だ。モリッツは偽名で、本名はフィリップ・ウッドストック宰相。
転生者ゆえに年齢以上の聡明さを見せていたリナに、早くから目を付けていたのだろう。
今思い返しても、それがいつからか分からない。いつの間にか家族の話題に出てくるようになり、自然に存在自体は認識していた。
政治家だからか、小細工がうまい。
将来、あからさまなプロパガンダに利用されると分かっていても、恩と圧倒的身分を盾に有無を言わせない、狡猾で汚い政治家。
「モリッツ様、今日は如何いたしました?靴のメンテナンスにはまだ早いですが」
「いやね。お嬢さんが不審者に襲われた上に、それが原因で姿形が変わったと風の噂で聞いて、心配で居ても立っても居られなくて様子を見に来たんだ」
それはわざわざすみませんと、両親は恐縮しきっているが、リナは怖っ!と心の中で身震いしていた。
自分の手の者を放って観察していた?
将来使い勝手がいいように育っているかと?
法案は一朝一夕で成立するものでない。
それが滞りなく通るように、施行されたら滞りなく運用できるように、その最初の試金石…捨て石…モルモットに、利用価値があるか見極めに来たのだろう。
「リナちゃん怖かっただろうね。そんな姿になってしまうなんて可哀想に」
「…お心遣い痛み入ります」
両親と同じ色合いを「可哀想」と言われ、その不快感を見せないように深く頭を下げた。
モリッツもといウッドストック宰相は、満足そうに頷いている。理想の「良い子」で満足したか?
「凶器も持っていたそうじゃないか。ご両親もさぞや心配だろうね。それで提案なんだけど、リナちゃんを寄宿学校に通わせたらどうかな?後見人には私がなるし、それなら不審者もリナちゃんに手を出せない。いい案だろ?」
こいつ…!
(お前が連れ去り未遂犯の親玉か!)
凶器の事は、両親の心の許容範囲をぶち破りそうなので一切喋っていない。誰にもだ。
それを知っていると言う事は、お前が黒幕だという事だ!りっちゃんの名にかけて!
全てはこの為に、自分のいい様に教育して洗脳する為に。
(足長おじさんのツラを被った若紫計画じゃん!キモっ!)
リナがどん引きする中、断られる筈がないと余裕な表情をしている腹黒変態ロリコン宰相。しかし両親の反応は芳しくなかった。
凶器と聞いて眉を顰めたニールだが、伝達が誤っていたのだろうと解釈していた。
「それは…、確かに安全かもしれません。僕も妻も安心です。モリッツ様が後見人となり、安全な学校の中に入ればリナの身は守られるでしょう」
うんと、マニエが頷く。
「でも、寄宿学校は上流階級の子供達が通っているんですよね?庶民育ちのリナが馴染めるとは思えません」
「それに、本当にリナが無事か、僕達はずっと気を揉んでいないと行けません。それ以上に娘と離れ離れなんて、耐えられません…」
お父さんお母さん!
腹黒変態ロリコン宰相が、裕福層の一般人ぐらいにしか思って居ないから反論できるのだろうけど、なんて心強いんだ!
そうだよね!目の届かない所で娘が何されるか分かったもんじゃないもんね!
後見人なんて時と場合によっては、イケナイ言葉にしか聞こえないもんね!
断られると想像すらしていなかった腹黒変態ロリコン宰相は、目を見張って驚いている。
貴族ならではの傲慢さが見え見えだ。
「しかし、まずはリナちゃんの安全が優先では…」
「それなら、モリッツ様から街の警備を改善していただけるよう、提言して貰えませんか?これは私一人の問題では無く、子供達全体の問題です。これからみんなが安全に暮らせるように、国が動いてくれないと困ります!」
リナが言うや、ニールとマニエは眼を剥いた。
賢いとは思っていたが、警備体制自体に意見…それも立場が上の大人に言うなんて、と。
リナも必死だ。
ゲーム本編でリナがウッドストック家を後見人とする描写はないが、父親が自覚していないと言え、その支援は受けている。
だとしたら、リナは既に腹黒変態ロリコン宰相を後見人にしているとも言えなくもない。
描写が無かっただけで、リナは言われるがまま寄宿学校に通っていたのだとしたら、あの自由奔放さはあり得ない。
礼儀作法の授業だってあった筈だ。考えられるのは宰相の権力で「淑女過ぎない」様に調整されたとしか思えない。
フランク学園で庶民に貴族並みの教育を施せると、我が国民は貴族も庶民も優秀だと証明したいのに、既に十分な教養があっては意味がない。過程を見せなければ。
名誉学園長である国王と、名誉教授である腹黒変態ロリコン宰相の名声を高めたいからだ。大人キタナイ。
そして、それが『恋する貴公子達』の正規ルートなら、そこから脱出せねば断罪されるのはアウリスで無くリナだ。
何が何でも拒絶させて頂く。
「子供には分からないかもしれないが、そういう事は簡単には…」
「ああ、モリッツ様に言っても仕方の無い事でしたね。モリッツ様には無理でしたね」
満面の美少女スマイルをかます。
腹黒変態ロリコン宰相の表情が強張った。
仮にも宰相に「無理」なんて、自尊心を踏みつけられた屈辱だろう。しかも相手は手の上で転がそうとしている小娘だ。これはキレる。
「リナ、モリッツ様に失礼だぞ」
「そうよ、モリッツ様にだって出来ない事はあるのよ」
「お母さんの言う通りだ。一般人である僕達には出来ない事があるんだよ」
「そうよ、私達もモリッツ様も、国を動かす事なんて出来ないのよ」
ありがとう両親!追撃をありがとう!
さすがヒロインの両親。無自覚に相手の逆鱗を的確に突いてくる。
ほら屈辱で、小鹿の如く腹黒変態ロリコン宰相が震えているよ。
目まぐるしく考えている事だろう。
今ここで身分を明かして、不審に思われながらも言う通りにさせるか。信頼を得たまま本命のフランク学園編入を待つか。
腹黒変態ロリコン宰相様は後者を選んだようだ。
こめかみの血管を浮かせて、引き攣った笑いで「家族が一緒にいる事が一番の防犯だろうね」と言って、苛立ちを紛らわせる様に床を踏み鳴らして出て行った。
普段温厚なモリッツの、違う様子にニールとマニエは戸惑い、さらに何故か塩を撒きだした娘を取り押さえた。
「ってことがあったの」
キュリー革卸店の倉庫。そこにリナはいた。
充満する独特な革の香りにもすっかり慣れており、積み重なる革の圧迫感も何も感じない。
先日の腹黒変態ロリコン宰相様(身分は伏せた)の事を愚痴られたジャックは、終始黙ったままだ。
まだリナの変貌には慣れていないし、納得もしていない。でもリナはいつもの通りで、こうしてジャックのもとに押しかけて来る。
そしてそれを「引き籠りのダンナのケツを嫁が叩きに来た」と従業員にからかわられる。もう、放っておいてくれ。
「ジャック?」
反応の無い様子にリナが不思議そうに、次第に不安げに表情を歪めた。
髪を染めた時、ジャックが突っかかりそれに応戦した事は勿論覚えている。
でもあの程度の言い争いは何時もの事で、翌日には二人ともケロッと忘れて泥塗れになって遊んでいた。
今回も、そうなると思っていたのに。
前世の記憶を思い出した今、精神年齢だけならジャックよりも上の筈である。でも、見た目の容姿に引っ張られるのか、今世の人生で上書きされたのか、知識は同年代よりも優れていても、リナは心も体も九歳の子供だった。
(どうしたのジャック?何でなにも言わないの?だって仕方ないんだよ。こうしないと、私断罪されちゃうかもしれないんだよ。私もジャックが突然変わっちゃったら、ビックリするけど、でも、仕方なくて…)
本当の事を言ったらジャックを困らせる。転生なんて、ジャックも両親も他のみんなも、信じる訳がない。言われたら戸惑うだけだ。
(だから、だって…。何で分かってくれないの…?)
納得させる語彙力もない癖に、そんな事を思う。
じわじわと目頭に涙が滲んで来て、嗚咽も込み上げる。
顔を伏せていたジャックは、リナの嗚咽にえ?と顔を上げ、リナが泣いているのを見とめると、ぎょっと肩を強張らせた。
リナと喧嘩をする事なんてしょっちゅうだが、泣かれた事は今よりもずっと幼い頃までだ。見た目に反して勝ち気なリナは、泣き顔何て弱い所は見せなかった。
そのリナが泣いた。
ジャックは大いに動揺した。
ジャックにだって譲れないものがある。ちっぽけだってプライドがある。謝ったら負けだとも思う。
でも、それ以上に、リナが泣いている姿を見る事に耐えられなかった。
「ごめんリナ!」
前のリナの方がいい。今すぐにでも戻って欲しい。リナを変えたヤツが許せない。
(そんな事より、リナが泣いて、リナと遊べなくなる方がずっと嫌だ!)
「ジャック…」
「ごめんリナ。リナが突然変わって驚いたんだ。その、自分でも上手く説明できないけど、うん…嫌だった…。でも、必要な事だったんだよな?だったら慣れるから、だから、ごめん。ごめんなさい…」
リナは溢れ出る涙を拭う事も忘れて、今まで見た事が無い、ジャックが真摯に謝る姿を見る。
変な行動をしたのは自分で、理解できないと突っぱねてもいいのに、ジャックは自分が悪いと謝ってくれた。
ジャックの性格ならリナは十分理解しているつもりだ。
リナにはお兄さんぶりたくて、男の子特有のいばりん坊が顔を出している筈なのに、それを押し殺して、リナを慮ってくれた。
初めてリナは、ジャックが年上の男の子だと意識をした。
「ううん。ジャックは悪くないよ。私も上手く説明できなくてごめんね。別にジャックが嫌いで、染めた訳じゃないからね」
「べっ別に、そんなの心配してたんじゃねえよ!俺達は家の仕事でちょくちょく会うんだし、いつまでもギスギスしてたら親父達に心配かけるだろ!」
「揶揄わられるし?」
リナがふと視線を向けた方をジャックも見ると、「おっ夫婦喧嘩か?」「いやイチャついてるんだ。ケンカップルってやつだ」と、馬鹿従業員共がぺちゃくちゃと無駄話をしてやがる。
「お前らさぼってないで働けよ!」
「おっ、ダンナが嫁を見られて嫉妬してるぞ」
「男の嫉妬は見苦しいぜ。嫁が呆れるぞ?」
顔を真っ赤に染めて、猛然と駆け寄るジャックの拳を避けながら、従業員達は揶揄い続けながら退散する。
ジャックは肩で息をしながら、ネズミでも追い払う様に彼らを追いやる。耳まで顔を真っ赤にさせて。
「んふっ…」
「おいリナ!なに笑ってる!」
「だってジャック必死なんだもん。あんなの、大人が暇潰しに揶揄ってきてるだけじゃん」
「はあああ⁈だからムカつくんだろ!お前は言われっぱなしで平気なのかよ⁈馬鹿じゃねえの!」
「ああ!また馬鹿って言った!馬鹿って言う方が馬鹿なんだからね!バ—————カ!」
「はいお前が馬鹿!お前の方が馬鹿!」
「なによう!ジャックの方が馬鹿の密度が高いもん!」
「馬鹿の密度ってなんだよ⁈」
ぎゃあぎゃあと、子供の甲高い言い争いの声が倉庫に木霊する。
その声を聴いた従業員達は、何時もの調子が戻って来たと、楽しそうに皮を肩に担いで運んだ。




