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 何時もなら、家族三人で心地よく過ごしている居間には、妙な緊張感が漂っていた。


「今の子には、そういう髪型が流行って…」

「ないよ」


 ニールの言葉をバッサリ切り捨てて、リナは話し出した。


「この間、連れ去られそうになったじゃない」


 両親が殺気立った。いかん、導入を間違えた。


「あの時のクソ野郎が、またお前に何かしたのかい?」


 先日リナが友人と遊んでいる時に、突然後ろから抱きかかえられて、連れ去られそうになったのだ。暴れて抵抗している間に、友人が父を呼びに行き、騒ぎを聞きつけたご近所さんと共に、エグイ皮切り鋏を持った父が駆け付けてくれて事なきを得た。


 犯人はその後逃走して捕まっていない。何処から来て、何処へ去って行ったか、不明である。


「ううん、大丈夫」


 両親は少し緊張を和らげたが、雰囲気自体は変わっていない。実はあの時の恐怖心より、両親の変わり様の方が怖いのだが。

 声が裏返らない様に息を整えて、続きを語る。


「勿論あの不審者が一番悪いんだけど、私ももっと危機感を持つべきだと思うの。これはその対策。目立たなければそれだけ注目が減るから、危険も避けられるよね?」


 桃色のふわふわとした髪、春の青空の様な瞳、人形の様な可愛らしい鼻と唇。各パーツは理想的な場所に配置され、子供らしい健康的な肌の上で輝いている。


 控えめに表現しても絶世の美少女である。乙女ゲームのヒロインは、モブ的に顔が曖昧にされている事もあるが、『恋する貴公子達』では明確にされていた。ヒロイン目的でゲームをする男性ファンもいたくらいだ。


(あ、そう言えば、アウリスファンもいたな…。着ているのにエロいって…)


「でもだからって、無理してそんな恰好をしなくてもいいじゃない」


 女性らしい心配をマニエがする。娘の安全は第一だが、魅力を隠す様な事はしてほしくないと言う母心だ。


「無理してないよ。結構気に入ってるの」


 決して嘘ではない。


 生まれた時から美少女だと謳われてきたが、その裏に邪なモノが篭められている事に気付いていた。


 リナは母の不義の子ではと。


 全くではないが、両親とは似ていない容姿に、そう邪推する者は少なからずいる。

 父の顧客に裕福層が多いので、リナはその顧客との子供ではと、要らぬ勘繰りをされるのだ。


 父が若くして独立出来たのは、母が春を鬻いだお陰だと。


 私が気付いていないと思っていやがるのか?気付いてるよバッチリ。子供のリナに「リナちゃんのお父さんは、きっと立派な方でしょうね~、ええきっとね~」と、言いやがるアホがいる事いる事。


 両親はそんな声は完全に無視している。しかしリナはその境地に至るには幼過ぎた。

 自分がもう少し両親に似ていたら、お父さんとお母さんは、嫌な思いをしなくて済んだのかなと、感じる必要もない罪の意識に苛まれた。


 心の中で、薬子が九歳のリナをひしと抱きしめる。

 まさに心優しくて賢いヒロインの典型。

 攻略対象者と一定以上親密度が上がると、ヒロインの口から語られ、攻略対象者の心を解き、キラキラしたスチルが発動するヤツだ。


 でも、こんな転生ヒロイン仕様ならいらないよ!何で制作は、平和で穏やかで安穏としたご家庭出身にしてくれないのかな!そういう性癖なの⁈


 何て健気なんだ!穢れた大人の悪意の中に咲く一輪の花だ!これが今の自分だ、と…?自分尊すぎる。


 ———荷が重い!重すぎる!これがヒロインというものか!


 前世の親に「青酸カリってよくミステリーに出てくるけど、空気中の有機物とかと反応すると毒性なくなるから、毒殺には向かないんだよね~」「匂いもしっかりあるし、致死量飲ませて殺す前に気付かれるよな。仮に成人男性に盛るとして三g位かな?毒性を分解させずに保存して、しっかり毒を飲み切らせるなんて無理だろ」とか聞いて育った私には、ヒロインの中の人は無理だ!生まれ変わる前から心が汚れている!


 はっ、また脱線した。いかんいかん。


 つまりこれは、容姿のコンプレックスを解消し、宰相とついでに変質者除けも兼ねているのだ。


 急に見た目が変わったらそれはそれで噂になりそうだが、このままいくとシナリオ通りに進むだけだ。だったら無駄な努力かもしれなくても行動してみよう。


 …悪い方に進んだらどうしよう。今、気付いたヨ…。


 因みに染粉は、父が革の新しい色合いを求めて集め、結局使わず倉庫にしまっていたのを拝借した。高校は染髪禁止だったので、ちょっと楽しかった。


 染めた理由を話すと(不義云々は除き)、両親は納得もした様だが、それでも痛ましそうにリナのおさげを撫でる。まだ湿っている。


「ごめんなさい…、子供にこんな風に気を使わせて…」

「お父さんとお母さんが、もっと早くに気にかけてやれば良かった…。そうしたらお前の綺麗な髪を、こんな鉄錆色に染めさせずに済んだのに…」


 ぎょっとリナは眼を剥いた。想像していたよりも、両親の嘆きが深かった。


「こんな何て言わないで!お父さんとお母さんとお揃いの色にしたの!上等な革の色みたいなこの色合いが気に入ってるの!」


 間違いなく本心である。そもそも赤褐色の髪の両親から、桃色の髪の子供が生まれるのが可笑しいのだ。制作側は遺伝とか系統とか、そう言うのは考えなかったのか。ただヒロインを可愛くすればいいってもんじゃないんだぞ。


「リナ…」


 ニールとマニエが目を見張る。リナの言葉から、悟らせまいとしていた邪な空気を、リナに感じとられていた事に気付いたのだろう。


 二人はそっとリナを抱きしめた。


 親として不甲斐ないと言う気持ち、自分達と同じ色を持つ事を選んでくれた喜び、この子の為なら何でも出来ると言う決意。色々な感情が複雑に混ざり合って、とても言葉に出来なかった。


「お父さんお母さん…」


 突然の変化に、両親を戸惑わせるとは想像していたが、予想を超えて深刻に思っていた事にリナは戸惑う。だからと言って、前世云々の話をしたら更に心配させるだけである。


 最悪悪魔憑きとされて、今の比でない位に噂の種になる事必至である。


「リナが自由に暮らせる様に、お母さんもお父さんも頑張るからね」

「うん、お父さん達は何時でもリナの味方だからな」


 薄っすら涙を浮かべている両親を見て、自分の事しか考えていなかったリナの良心がきりきりと締め上げられていく。

 やめてくれ!二人が思っている様な、健気な思いからじゃないんだよ!と。





 翌日。マニエにきちんと髪を手入れしてもらったリナは店番をしていた。

 子供が適当に染めただけの髪は、染むらもあり残念な仕上がりになっていた。それを直してもらい、丁寧に髪を編み込んで貰うと、地味だけど良く見たら将来性が期待できる少女、に仕上がった。


 うん…。宰相閣下が先見の明に秀でていない事を祈ろう。


「あっ、いらっしゃいませー!」


 ボーとしていたら店の鈴の音が響いた。慌ててカウンターから顔を出すと、何だと緊張の糸が切れる。


「何だジャックか。革の見本はこれね。注文票はこっち。あとこれが…」


 カウンターの上に父から預かっていた物を並べてジャックに説明する。しかし返事が無いので不思議そうにジャックを見ると、パクパクと口を開けたり閉じたりし、リナを凝視して固まっていた。


「ジャック?見本を取りに来たんじゃないの?何か足りないものがあった?」

「…何かじゃねーよ!」


 我に返ったジャックが急に叫んだ。被っていたハンチングを床に叩き付け、リナを指さしてまた叫ぶ。


「リナ⁈お前リナなのか⁈」


 リナは面倒くさそうにジャックから視線を外した。


 ジャック・キュリー。幼馴染であり、その父親のジェシーは革の卸業者を営んでいる。故にアボット家とキュリー家は公私共に親しい間柄だった。


 ジャックはリナの一つ上で、お兄さんぶりたい所はあるものの、まあ良き友人の一人である。


 この間の連れ去り未遂事件の時は助けを呼んで貰ったし、感謝しないとはいけないと思っているが、何だか癪でちゃんとしたお礼は言えていない。


「リナって自分で言ってるじゃない」

「その髪はどうした⁈」

「染めた」

「染めたぁ⁈」

「鬘に見える?」

「お前、だって、髪…、そんな…だって…」


 こちらの話を全く聞かず、ジャックは唇を戦慄かせ、リナを指差したまま凝視すると、ぐっと言葉を飲み込む様に口を噤み。


「バ―――—――カ!」


 と捨て台詞を吐いて店を出て行った。

 注文票を置き去りにして。おいハンチング踏んでったぞ。


「はあ?バカってなによう!バカって言う方がバカなんだからね!」


 ジャックはいつもそうだ。なんの脈絡も無く意地悪をする。


 仲良く遊んでいたと思ったら意地悪を言って、リナが他の子と遊んでいたら邪魔をして。かと思ったら、誰よりも遊んでいて楽しい。


 好きだけど、嫌いなお兄ちゃん。


 プンプンとしているうちに、他の客がやって来た。顔見知りの客だったので、リナを見るなり目を見張っている。


 暫くはこんなんだろうなあ、と思いながら、リナは営業スマイルで接客を始めた。





 リナの変貌は、瞬く間に街中に広まった。

 理由を知れば、涙ぐんだり感心したりする者ばかりで、悪評が上がる事は少ない。


 実の親が公に知られる事を恐れ、出自の隠蔽にかかった。と、囁く者もいるにはいたがごく少数だ。


 残念だが仕方ない。出来る限り協力しよう。と言うのが周囲の反応だ。


 しかし、納得していない少年が一人いた。


「ジャックは何をいじけてるんだ?」


 卸す革を保管する倉庫の隅で、ジャックが膝を抱えて座っている。それを従業員がなんだなんだと観察していた。


「いつもなら、アボットの嬢ちゃんと遊んでる頃だろ?」


 ジャックの通う職業学校は定期的に行われる試験の結果と、単位さえ十分なら出席日数を問われる事は無い。

 将来家業を継ぐべく、日頃から家庭で十分な教育を施されているジャックは、成績だけなら常に上位だった。


「ほら、あそこの子は、変質者対策で容姿を変えただろ?それが気に入らねえんだよ」

「はああ、好きな女が勝手に装いを変えて、それがどうにもできねえから臍曲げてるのか」

「一丁前に男かましてんのな!」


(聞こえてんだよ、てめえら!)


 ジャックはゲラゲラと笑う従業員達の声を、膝に顔を埋めながら聞いていた。


(勝手な事言いやがって…!)


 だが、リナがジャックに何も相談せずに装いを変え、それが気に入らないのは確かなので言い返す事も出来ない。


 そう、気に入らない。

 どうして俺に何も言わなかった。


 あの桃色の綺麗な髪が風に靡く姿が、日の下で青空色の瞳が輝く姿が、見るのが好きだったのにどうして変えてしまったんだ。


 感情を逃がす様に、ぎゅっと腕に力を籠める。


 ジャック自身、どうして自分がこんな感情を持っているのか分かっていない。

 どんな格好をしようがリナの自由で、ジャックに許可を求める必要はない。


 分かってる。分かっているのに、むしゃくしゃして、怒りが込み上げてきて、リナにあたって、喧嘩をしたくないから会いに行かなくて、避けているのは自分なのに、会いに来ないリナにまたむしゃくしゃして…。


 整理がつかない心のやり場が見つからなくて、ジャックは自分を揶揄う声に怒り震えながら、蹲る事しか出来なかった。






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